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第五章 くらんど
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しおりを挟む玉彦はいつの間にか部活に行っていて、南天さんもお屋敷のお仕事。
久しぶりに一人きりになった私は、一応南天さんに断りを入れてからお屋敷を出た。
そしてお祖父ちゃんの家に向かう。
お祖父ちゃんとはここへ来た時と、本殿へ上がった時、それからお祭りの時に会っただけで、まだ満足に話も出来ていない。
あの夏に通い慣れた道を歩き、思い出す。
毎日飽きもせずに、南天さんのスイーツと玉彦に会う為だけに正武家へ通っていた。
その道をこの夏は逆の道行きで歩いている。
お祖父ちゃんの家の垣根から、鶏が一羽飛び出してきたので追い掛け捕まえ、中に入る。
「お祖父ちゃーん。比和子来たよー」
縁側から家の中に声を掛ければ、エプロンで手を拭きながら夏子さんが歩いてくる。
「あら、比和子ちゃん。もう、全然遊びに来てくれないんだから!」
夏子さんは全然変わってなくて、ちょっと日焼けをしているくらい。
大人になると四年くらいじゃそんなに変わらないのかな。
「飲み物持ってくるから、座っててー」
言われて縁側に腰かけると、背中にいきなりぶつかる何か。
私はこれを知っている。
通山の家にも居る。
ヒカルという名のモンスター。
そしてこの家にも、同い年の希来里ちゃんというモンスターが。
「だれー? だれー?」
「比和子お姉ちゃんよ。こんにちは、希来里ちゃん」
振り向いてにっこり笑えば、日本人形のような女の子。
前にも思ったけど、どこの遺伝子からこんな可愛い子が出来たんだろ。
と思っていたら、希来里ちゃんの顔がみるみる歪んでいく。
そして一瞬の間の後、大泣き。
夏子さんが慌ててやって来てあやしても中々泣き止まない。
これが人見知りというやつか。
弟のヒカルは人見知りをあまりしなかったので、ちょっとびっくりした。
夏子さんの腕に揺られ、ようやく希来里ちゃんが落ち着いたのは十分後。
泣き通す子供の体力ってすごいと思う。
「そういえば夏子さん。希来里ちゃんの時、九児って来たの?」
「来た来た来たわよ! 病院からこの子と帰ってきて、夜中こっそり捨て名の吊るした玄関見てたら、半紙咥えて猛ダッシュでいなくなったわよ」
てっきり九児はあの時に消えてしまったのだと思っていたけど、どうやらまだまだ九児はいるらしい。
「比和子ちゃん、そう言えば玉彦様と婚約したんでしょう? もう、お祭りの日に聞いて、びっくりよ」
惚稀人のあの儀式は、世間では婚約と受け取られていたんだ。
そうだよね、未成年だし婚姻届けは出せないし。
「あーうん。私もびっくり」
「いきなりだったけど、光一朗さん、知ってるの?」
首を横に振る私に夏子さんは開いた口が塞がらないようだった。
一応お父さんは、私と玉彦が中一の時からお手紙のやり取りをしていることは知っていた。
それから私が玉彦の惚稀人ということも知っている。
鈴白村出身で澄彦さんの親友であるお父さんだから、それがどういう意味なのかも百も承知の様である。
でも流石に今回本殿に上がることについては話をしていなかった。
世間的に結婚とかそういうことになってからでも良いのかな?って。
「兄貴には親父から話がいってるよ」
家の裏側から庭へ回ってきた光次朗叔父さんが、汗を拭きながら会話に入ってくる。
「そのあとすぐに澄彦様に連絡をして、一悶着あったみたいだけど、どうにかなったんだろ」
澄彦さんは何も言ってないし、お父さんからは知っているのに連絡すらない。
そもそも高校の編入の件も澄彦さんが全部責任を持って進めるといって、お父さんの許可は取ったって言ってたけど。
「比和子ちゃん、夕ご飯食べていくんだろう? 親父も喜ぶよ」
本当は夕方に帰るつもりだったけど、南天さんに電話をして今日はお祖父ちゃんの家で食べて帰ることを伝え、私は久しぶりにお祖父ちゃんたちとの団欒を楽しんだ。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、私が正武家の嫁として勤まるのかすごく心配していて、叔父さんと夏子さんは、正武家との親戚付き合いに頭を悩ませていた。
話を聞けば、正武家との外戚になると羨ましがられる反面、やっかみも多いそうだ。
そのへんは上手く澄彦さんがしてくれるだろうと思うけど、ちょっとずれてるところがあるからなぁ。
時計の針が二十二時をさす頃。
私は二階の叔父さんたちの部屋で目を覚ました。
希来里ちゃんを寝かしつけていたのに、自分も寝てしまっていた。
そしてどうして目が覚めたかというと、階下が少し騒がしい。
気にせずうとうとし始めれば襖が静かに開いて、眉間に皺を寄せた玉彦が入ってくる。
「比和子。帰るぞ」
「……今日、ここで寝る」
「そういう訳にもいくまい。迷惑が掛かる」
「……だってここお祖父ちゃんの家だもん。大丈夫だもん」
寝ぼけながら駄々を捏ねてるなぁと思った。
でも今日の玉彦は優しくなかったから、帰りたくない。
玉彦はそっと私の背中とひざ裏に腕を通し持ち上げる。
「寂しいから帰るぞ」
「……馬鹿玉め」
「何とでも言え」
ゆっくりと階段を降りれば、玉彦が少しだけ前かがみになる。
「夜分遅くにすまない。比和子は連れて帰る」
どうやら頭を下げたようで、恐縮しまくっているお祖父ちゃんの声がすこしだけ裏返った。
夜風が頬を撫でて、薄目で玉彦を見れば眉間の皺は消えていた。
行きは歩いてきたけれど、帰りは南天さんが運転する車。
玉彦は私がいつどこにいても迎えに来てくれるだろうか。
なぜかそんなことを考えてしまう。
胸がざわつく。
「……玉彦」
「起きたか」
私はまだ彼の腕の中で、胸に顔を埋める。
言葉にならない恐怖が私を襲う。
どうして、いま?
「比和子?」
異変を感じて玉彦が顔を上げさせる。
私は今、どんな、『誰の』顔をしているんだろう。
「『蔵人《くらんど》さま。どうか封が解かれたさいには、必ずわたくしを探してくださいませね。必ずわたくしを迎えに来てくださいませ』」
私ではない誰かが、私の口で、玉彦ではない誰かの迎えを待っている。
身体が冷えて、震えてくる。
これは、なに。
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