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1巻
1-2
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しばらく二人できゃっきゃしながら遊ぶ。
名前すら呼びたくない天敵女の自己中極まりない妄想により、巻き込まれ事故で転生してから早数か月。私はようやく幼児の身体に慣れてきたところだ。
それにしても、なぜ記憶があるままなのだろうか……
何だかお節介をかけていただいた気がする……(正解!)
大人の人格がある子供なんて、絶対トラブルになると初めは危惧したが……
思った以上に身体に引きずられているようだ。お腹がすいたり排泄したら自然と泣きわめくし、しっかりと感情が表に出る。
今となってはいたって普通の大変優秀な赤ちゃんである! ふんすっ。
そんな優秀な赤ちゃんの私は、上原聖子改め“リリーナ・バジル”。
恐らく貴族階級の長女として生を受けた。
ただ、家族や使用人からは愛称の“リリー”で呼ばれているので、時々本名を忘れる。
人間でない生き物に転生することも覚悟したが、運が良かったのかどこかのお節介神様の力が働いたのか、いわゆる“転生ガチャ大成功‼”状態である。
(何のことかのー? ふぉっふぉっふぉっというセリフが聞こえた気がする)
いや、“大成功”ではない。そこは世の中上手くいかない。
リリーナは通常よりも身体が弱いようだ。すぐに風邪を引いたり熱が出たりする。
当事者としては乳幼児なんだしこれくらい許容範囲では? 成長したら大丈夫でしょう~くらいに思っているが、こちらの世界基準だと立派に病弱のようだ。
熱を出した時、母が「私のせいよ、この子は私の故郷の血が強く受け継がれてしまったんだわ。ごめんね、丈夫に産んであげられなくて」と泣いていた。そんなことないよ! と伝え母の涙を止めたかったが、赤子の私ではとても難しい。早く話せるようになりたい。
それにしても、母の故郷ってなんだろう……。神様のお節介の匂いがぷんぷんするが、考えすぎだろうと自分に言い聞かせる。
バジル家の初めての女の子で、しかも病弱だからか、周りが過保護気味なのが気になるが……まぁ概ね順調である。
むしろ初めての天敵女に脅かされない生活。ストレスフリーすぎて最高である‼
これまでを思い返し突然遠い目をした妹を不思議に思ったのだろう、兄が両頬をムニムニしてきた。
「リリー、どこか痛くなっちゃった? 大丈夫?」
こちらを心配そうに見つめる、私より濃い茶髪に新緑のような綺麗な瞳をした美ショタの兄――エディール・バジル。
家族や使用人からは“エディ”の愛称で呼ばれており、将来は美大夫になるだろうその容姿は、優しい性格も相まって天使のようだ。
私が生まれるまではやんちゃ盛りだったようだが、初めての妹が嬉しいのか私の面倒をよく見てくれる。ご多分に洩れずに私に対しては過保護だ。
私が突然黙ってしまったので、エディ兄さまは心配したのだろう。
「あ~ぁあっ! ぶぅ~!(何でもないよ~、大丈夫~!)」
反応したことに安堵したのか、エディ兄さまはほっと息を吐いた。
「そっか~、お外の雲見てたのか~。リリーが大きくなったら僕と一緒にお外に行こうね!」
ニコニコしながら、私の両手を持ってフリフリと遊んでいる。
(おぅ、兄さまったら相変わらず独自の変換技術をお持ちで。お外楽しみだなぁ)
私はさもその通りです! というように、エディ兄さまに向かって笑顔を向けた。
しばらく二人で遊んでいると乳母のマリアが戻ってきた。
「あら、エディ坊ちゃま。リリーお嬢様と遊んでくれていたんですね、ありがとうございます。さぁ、リリーお嬢様は今からお乳の時間です。エディ坊ちゃまもおやつにしましょう」
簡易的な仕切りの中マリアにお乳を飲ませてもらっていると、親子でバジル家のメイドをしているレイナとカヨが部屋に入ってきた。
「マリアさん、ララちゃんが起きたので連れてきましたよ」
ララちゃん――マリアの娘である赤ん坊を連れてきたのは、私付きのメイドのレイナだ。
大人たちから盗み聞きした話によると、二十代前半とまだまだ女盛りのレイナはクズ男から逃げてバジル家に保護されたんだとか。バジル家に恩を感じ、娘のカヨと共に仕えてくれているそう。
「エディさま! おやつをお持ちちました!」
拙い言葉ながら一生懸命おやつをのせたお盆を持っているのが娘のカヨだ。そばかすがチャーミングな彼女は、少しおませさんでお姉さんぶりたがるプリチーなメイド見習いである。
「わーい! カヨ、ありがとう! 今日のおやつは何?」
「今日はザインさん特製のくるみクッキーですよ! 味見させていただきましたが、とってもおいちかったです!」
と二人の可愛い子たちが盛り上がっていると、レイナがカヨに声をかけていた。
「まぁまぁ、カヨ、立ちながらの説明ははしたないわよ。お盆をテーブルに置いて、坊ちゃまに説明して差し上げて」
「ふふふっ、カヨは働き者ね。レイナもありがとう、助かるわ」
仕切りから顔を出して二人にお礼を言うマリア。
マリアは商人をしている夫に嫁ぐまで、長年バジル家に仕えていたそうだ。そろそろ出産という時に夫の長期出張が決まり、一人で出産・育児をしているところに、私の乳母として働かないかとバジル家から声がかかったようだ。
この世界では、母乳だけでなくヤギなどの生き物の乳で子供を育てるらしい。
しかし私の場合、病弱なせいか哺乳瓶をうまく吸えず(この世界の物は硬くて吸いづらい!)、母も多忙で毎日母乳を飲ませることができず困っていたそうだ。
そんな時、ちょうどララを生んだマリアが一人で家にいることを知った母が、乳母として声をかけたってわけ。
出産後間もないのに申し訳ないと思っていたが……皆率先してララを世話してくれて、やっと寝る時間ができて良かったわとホクホク顔でマリアが言っていたので、お互いWIN・WINならば心配いらないだろう。
当初、ララは従者棟で世話されていたが、母が「日中母親と一緒にいられないなんて可哀そうだわ。部屋を用意するから、そこで育てなさい」と本邸内の従者室近くに部屋を与えた。
その為、マリアが私の世話をしている時は誰かがララの世話をし、私が寝ている時などはマリアはララの世話をしている。それに今日のようにララが私の部屋に来たり、私がララの部屋に行ったりすることもある。
寝る・食う・出す以外暇な私は、ララと一緒に遊ぶのがお気に入りだ。ララはマリアを赤ちゃんにしたようで、大変可愛らしいのだ。見ているだけで癒される。
今世の幼馴染はアイツと違い天使である。非常にうれしい。
本当は、主の子と同じ部屋に使用人の子が入ることは不敬にあたるようだが、うちの両親はそのような貴族の常識を全く気にしない人らしい。
“使えるモノは何でも使う”が信条の、大変合理的で人情深い人たちだ。
そんな素敵な家族を誇らしく思うし、分け隔てなく接してくれる従者たちも含め、私はこの短期間で“バジル家”が大好きになっていた。
色々と考えながらマリアのお乳を飲んでいたが、さすがに満腹になってきた。
「ぁう~(ふぃー、いいお乳でした。ありがとマリア)」
「はい、上手に飲めましたね。昨日熱っぽかったので心配でしたが、今日は本当にお元気そうですね。安心しました」
マリアが服を直しつつ安心したように言うと、
「マリアさん、お嬢様は私がみますのでララちゃんにもお乳をあげてください」
とレイナがララを抱いて仕切りに入ってきた。
「ありがとう、そうさせてもらうわ。ほら、ララいらっしゃい」
ララと私が交換される。
「さぁ、お嬢様はゲップをしましょうね~」
レイナに縦抱きにされて、トントンとリズミカルに背中を叩かれる。
(ゲップって難しいんだよなぁ……あ、今日はスムーズに出そう)
「けぷっ」
「お嬢様、上手にゲップできましたね~!」
「リリーしゅごいね! エライぞ!」
「お嬢ちゃまさすがでしゅ!」
お兄さまとカヨも寄ってきて褒めてくれた。
(ゲップしただけなのに……照れるなぁ、でも嬉しい)
前世では自分が世話をされた記憶より、誰かを世話をしていた記憶が圧倒的に多い。
だからか、この手放しの誉め言葉に未だに慣れない。当たり前のことをこんなに喜んでくれると、私がこの世界に認められた感じがして心がポカポカする。
(あぁ~、今世はもっともっと周りに愛を伝えて生きていこう)
私はどこか余裕がなくて、あまり素直に胸の内を話せなかった前世を思い出した。
今世ではいつ死んでも悔いがないように、素直に、自分の為に生きよう。神様が言ってくれた言葉を思い出しながら決意する。
早速嬉しい気持ちを伝える為、笑ってみる。
「あぁう~あっ!」
にぱっ。
「んんんんんんんんああああ可愛いですお嬢様‼!」
スリスリスリスリィィ! っと頬同士をくっつけてレイナが叫ぶ。大分テンションがハイになっているようだ。
「レイナ! エディも! リリーとちゅっちゅするの‼」
私に手が届かないエディ兄さまがポカポカとレイナの腰を叩く。
「はわわわぁ! お嬢しゃまは妖精さんなのですわ!」
両手で真っ赤になった顔を押さえ、ぴょんぴょん跳んでるカヨ。
「……あらあら、皆元気がいいわねえ、ララ」
「ぷあぅっ」
ララを撫でながら、こちらの様子を見ているマリア。
そよ風に揺れるカーテンの一室で、誰もがその顔に笑みを浮かべていた。
◆
しばらくすると母乳だけでなく離乳食も出てくるようになった。それに伴い、マリア以外の従者も私の食事の世話をしてくれるようになり大変助かっている。
「お嬢、今日は新作のジャガガのミルク煮ですよ~。お味はどうですか~?」
赤髪のガタイの良い、父と同じくらいの年齢の男が匙を口に近づけてくる。
このザインという男、なんとこの屋敷の料理長である。
初めは料理長がわざわざ離乳食を作り、ましてや食べさせに来るなんて! ……と思っていたが、彼も病弱な私を気遣う過保護ズ(と命名した)の一人であった。
離乳食自体はエディ兄さまの時にも作っていたそうだが、病弱な幼児に合わせたものを作るのは初めてのようで、初めての食材の時は必ず様子を見に来ていたのだ。
ある日、毎回ガタイの良い料理長が陰から様子を窺っている様子に呆れたレイナが、「突っ立って見てるなら、むしろその手で食べさせて差し上げてくださいまし」と目が笑ってない笑顔で迫った。
最初は「いや、俺が行くと怖がるだろ」やら「泣いたらどうすんだ!」だのとグダグダ言っていたザイン。おあずけをくらっていた私が我慢できずにザインの手を掴み離乳食にむしゃぶりつき……作ってくれてありがとう、と感謝が伝わるようにぱっと笑ったところ。
「か、可愛いぃぃいいい‼ 天使! 子どもに泣かれたことしかないのに‼」
とえらく感動した様子だった。
それから新作の時だけでなく、手が空いている時は頻繁に手伝いに来るようになったのだ。
時々他の人から文句を言われているようで、もしかして仕事サボッてんじゃないよな? とジト目で見る。すると勘違いしたザインは頬を緩めながら言った。
「ん~? お嬢、もっと食べたいって? 新作気に入ったみたいだな~。いっぱい食べて丈夫になれよ~」
そう言いながら匙ですくって口に運ぶ。
(なぜ私の周りの人は独自の変換技術をもっているんだろうか……まぁいいけども)
それにしても美味い。
ラノベ展開でよくあるメシマズな世界だったらどうしようと思っていたが、杞憂のようだ。
次を催促するようにザインに向かって口を開けて、ジャガガのミルク煮とやらを食べながら考える。
ジャガガと言われているこの食物は考えていた通りジャガイモだろう。名前が違うなんてやっぱり異世界なんだな、と感じる。
神様の話が真実であれば、ここは魔法のある世界のはずである。
しかし、私は生まれて一度たりとも魔法を見てもいないし感じてもいない。
はじめ意識が覚醒した時は戸惑いながらも少しワクワクしていたのに。杖で魔法を唱えるのかなとか、それぞれに属性とかあるのかなとか……
でも、こうも魔法のかけらを感じられないでいると諦めが出てくる。
部屋の電気もスイッチのようなもので点けているし、掃除や料理も手動でやっている。
幼児故自分で歩けない今の私だと、知ることができる範囲が激狭だが、少なくとも生活の中では魔法を使っていないようだ。
本格的に歩く練習をしよう……と心で誓っていると。
「あら、今日はザインに食べさせてもらってるのね。一足遅かったわ」と言いながらお母様が部屋に入ってきた。
「あぁぁぁんま、んまぁっぁ!(お母様! お仕事終わったんだ! 嬉しい‼)」
久々の早い帰宅にテンションが上がり、お母様に向かって両手を伸ばす。
「あぁぁ、お嬢、こぼれちゃうから、落ち着けって、ちょっ」
ザインが匙を置きながらアワアワしていると、お母様が私を抱き上げた。
「ふふふっ、元気そうで良かったわ、可愛いリリー。そんなにお母様に会いたかったのね、嬉しい。お母様もリリーに会いたかったわ」
チュッとおでこにキスをしながら言ってくれた。
私はとっても嬉しくて、にぱにぱっとお母様に笑いおかえり! と伝えた。
この美しい私のお母様――エマ・バジルは、バジル領と隣国の間にある“コアスの森”付近に住む先住民族の姫だったらしい。コアスの森の調査に来ていたお父様と出会い、すったもんだがあって両想いになり結婚したそう。
眠るとき、まるでおとぎ話のようにロマンチックなお父様との思い出を語ってくれた。
そんなお母様だが、姫というだけあってめっちゃ美人さんである。サラサラな金髪に、エメラルドのような瞳。それに加えて、運動神経もよくスタイル抜群である。
穏やかな性格とは裏腹に、幼い頃から狩りをしていたから故になかなか腕が立つらしく、害獣の駆除隊を率いることもあるほど。
実際に私が生まれてからしばらくしてコアスの森で害獣被害があったらしく、海賊討伐にあたっているお父様の代わりにお母様が自ら出向いていたのだ。なかなか害獣の発見にてこずっていると聞いていたが、お母様がこんな早い時間に帰ってきたということは……!
「あぁ、何て可愛いのリリー‼ 屋敷の皆は信頼しているけれど、私やガンディがいない間にエディとリリーに何かあったらと心配だったわ。悪い獣はママがやっつけたからね! 今日からはいーっぱいリリーと一緒にいるわね!」
チュッチュッチュと顔中にキスの雨が降った。
(やっぱり! お仕事終わったんだ! これからはお母様と一緒!)
自分自身でも自覚していたが、やはり身体に精神が引っ張られているようだ。嬉しいという感情が大きく、コントロールできない。
「んんぁんまま、あぁまんま‼」
嬉しすぎてキャッキャッと笑いが止まらない。
「まぁぁあああ、ザイン聞いた⁉ リリーが“ママ”って! ママって言ったわ!」
私をギュッと抱きしめ、感激したようにゼインに言うお母様。
「今日はお祝いよ! ザイン、今日の晩御飯はごちそうにしてちょうだい‼」
お母様が私を抱き上げたままくるくると回りながら喜びを表している。
(お、お母様そんなに回ったら……ぐぇっ)
私は盛大に吐いてしまった。あぁ、せっかくジャガガのミルク煮、美味しかったのに……
「ギャー、お嬢ー‼ ちょ、奥様、止まって! お嬢が死んじゃうー‼」
ザインの叫びとマリアやレイナ達の駆け寄る足音、それからお母様の焦った様子を感じながら、私は気絶してしまった。
◆◆◆
すっかり夜も更けた頃、私――エマ・バジルは横になりながらぐっすりと眠っているリリーの頬を撫でていた。昼間の笑顔は消え、月に照らされる顔はひどい顔をしているだろう。
静寂が漂う中ドアの開く音が響き、まるで熊のような大きさの男が近づいてくる。
「聞いたぞ、リリーが言葉を話したそうだな」
この男こそ、リリーとエディの父であり私の夫――ガンディール・バジルである。
ガンディールはエディと同じく薄めの茶髪に紅茶のような瞳をした、我が夫ながら見ほれるような色男だ……無精ひげが生えていても関係ないほどに。
彼の体重によりベッドが沈むのを感じつつ、不意に頭を撫でられ俯いてしまう。
「……それなら私がリリーの具合を悪くしたのも聞いているでしょう? ごめんなさい。今日は調子が良さそうだったし、ママって言ってくれたのが嬉しくて。自分の感情のままに接してしまった。……浅はかだったわ」
目頭が熱くなり視界がぼやけていることを気にも留めず謝罪する。私の言葉を聞いて、夫は頭を抱き寄せ、そっとキスをした。
「エマ、お前は何も悪くない。ちょっとリリーが食べ過ぎてしまっただけだ。お前はもうお喋りができた娘をしっかり褒めてやっただけだろう? 素晴らしいことじゃないか」
夫はもう一度唇を寄せ、間でぐっすりと眠っている愛娘のオデコにもキスをした。
「……貴方が私を甘やかすから、どんどんダメになってしまうわ。お願いだから、貴方は私を叱ってちょうだい」
私は叱ってほしさと自責の念と嬉しい感情と……様々な感情が混り、なんと表現したらいいか分からずにぷーっと怒ったような顔を見せた。
そんな私の態度に思わず、といったように笑みがこぼれた夫は続けた。
「そんなことはない、お前は本当によくやっているさ。現にあまり顔を合わせられなかったお前のことを、リリーは初めに呼んだんだろう? お前の深い愛がこの子に伝わっている証拠だ。こんなに娘を慈しんでいるお前を、褒めることはあれ叱るなど、誰だって出来まい」
彼はリリーが目が覚めないように、その大きな身体からは想像できないほどに繊細な動きで頬を撫でていた。
「しかし、ちょっと妬けるな。仕方ないとはいえ、俺も同じくらいリリーと顔を合わせているのに。……母親には敵わないか。これから俺もパパと呼んでもらえるように頑張るからな。……なるべく早く呼んでくれよ」
夫の言葉を聞いて少し起き上がる。
「あら、もう海賊の討伐は終わったの? 他の領地や他国でも海賊行為をしていた厄介な奴等と聞いていたけれど」
夫はため息をつきながら答えた。
「いや、主力の奴等は今他国に行っているらしい。下っ端やうちの領地に幅を利かせていた輩は捕まえたが。奴等の大々的な討伐は数年後になりそうだ。もう一度、領地内とついでに周辺の海域を念入りに調査したら、一旦俺たちは引き揚げる予定だ。もう少し時間がかかるが、ようやくこの子たちと触れ合える」
紅茶のように澄んだ瞳を細めながら夫は笑みを浮かべた。
リリーが生まれる少し前から領地の港付近で海賊被害が多発して、被害が拡大する前に現地に赴くことになった。定期的に屋敷に帰ってはいたものの、夫は子供達と長期間触れ合うことが出来ていなかったのだ。
エディも甘えたい盛りだろうに、一人で過ごすことが多くて無理をさせてしまっている。
まぁ、妹という守るべき存在が出来て、成長しているようだが。
もしかすると愛しい娘に、父の顔を忘れられているかもしれないとその大きな体を小さくしていた夫を思い出す。まぁ、そんな心配は、リリーに会った時に向けられた笑顔で消え去ったようだが。
(こんなイカつい大男、父親と分からなければ泣くに違いないわ。エディの時だって、しばらく会わないだけでギャン泣きされたしね)
今までの出来事を思い出しながら、病弱な自分の娘を見る。
すぅ、すぅ、と規則正しい呼吸音が聞こえてホッとする。
出産後一月経った頃に見たあの苦しそうな顔。それにどこかに何かが詰まっているような呼吸音を聞いた時は顔が青ざめるのを感じた。代わってあげたいとどれだけ思ったことか。
慈しむように愛娘を撫でる夫をチラリと見る。
(ガンディールは違うと言ってくれるけれど、やっぱり私の血筋のせいよね……)
故郷ではリリーと同じように、生まれながら病弱な者が一定数いたことを思い出す。
だが優しい夫は一切私を責めることなく、腕の良い医者に診せては何やら随分と話し込んでいた。その後は決まって難しい顔をして執務室に籠るのだから、何か思い詰めているのではと心配してしまう。
夫が私の一族を探していることは知っている。
結婚する際駆け落ち同然で出てきてしまい、私は一族とほぼ絶縁状態だ。場所を変えながら生活している一族は、そう簡単に見つからないだろう。
でも一族の者と話すことができれば、リリーの体質を改善する為の方法がわかるかもしれない。
自身の血が原因かもしれないのに、何も役に立てないことが悔しい。
勝手に出てこようとする涙を止めるように、ギュッと目を瞑ると大きな腕が背中に回ってきた。
「大丈夫だ。心配するな。お前もリリーも、勿論エディも俺が守る」
その力強く優しい言葉に、遂に頬を伝った涙をシーツに押し付けた。
月明かりが一つに固まった親子を照らしながら、夜は更けていった。
◆◆◆
あのゲロゲロ事件をきっかけに高熱を出して体調を崩してしまった私、リリー。
ようやく体調が戻ったが、過保護ズの人員が増えたため歩く練習が満足に出来す、未だに歩けないでいる。過保護ズもある程度は見守ってくれているのだが、テンションがノッてきた時にストップがかかる。
私は努力型の人間だと自負しているので、ストイックに歩けるまで練習したいのに‼
だが、テンションが上がったままだと体調を崩しがちなことも事実。
大人たちの目を誤魔化すことはできず、細々と練習を続けている。
(感覚的にはもうそろそろいけると思うんだけどなあ)
幼馴染であるララちゃんはすでにある程度歩けるようになっており、マリアの後ろをトテトテとついていって大変可愛らしい。
一ヵ月違いのララちゃんに後れをとっているのがちょっと悔しいが、自分のペースで頑張ろう。あと少しでお父様が屋敷に完全に帰ってくるそうなので、その時にサプライズしたいのだ。
(初めての言葉は“ママ”にあげちゃったし、これくらいはね)
ちなみに二番目に発した言葉は“エデ”だ。エディ兄さまは歓喜の舞を踊っていた。
お父様たちの帰還祝いのために、母様は兄様を連れて街に出ている。二人とも嬉しそうに出かけて行った。お留守番な私は、今日はララの部屋で過ごしている。
名前すら呼びたくない天敵女の自己中極まりない妄想により、巻き込まれ事故で転生してから早数か月。私はようやく幼児の身体に慣れてきたところだ。
それにしても、なぜ記憶があるままなのだろうか……
何だかお節介をかけていただいた気がする……(正解!)
大人の人格がある子供なんて、絶対トラブルになると初めは危惧したが……
思った以上に身体に引きずられているようだ。お腹がすいたり排泄したら自然と泣きわめくし、しっかりと感情が表に出る。
今となってはいたって普通の大変優秀な赤ちゃんである! ふんすっ。
そんな優秀な赤ちゃんの私は、上原聖子改め“リリーナ・バジル”。
恐らく貴族階級の長女として生を受けた。
ただ、家族や使用人からは愛称の“リリー”で呼ばれているので、時々本名を忘れる。
人間でない生き物に転生することも覚悟したが、運が良かったのかどこかのお節介神様の力が働いたのか、いわゆる“転生ガチャ大成功‼”状態である。
(何のことかのー? ふぉっふぉっふぉっというセリフが聞こえた気がする)
いや、“大成功”ではない。そこは世の中上手くいかない。
リリーナは通常よりも身体が弱いようだ。すぐに風邪を引いたり熱が出たりする。
当事者としては乳幼児なんだしこれくらい許容範囲では? 成長したら大丈夫でしょう~くらいに思っているが、こちらの世界基準だと立派に病弱のようだ。
熱を出した時、母が「私のせいよ、この子は私の故郷の血が強く受け継がれてしまったんだわ。ごめんね、丈夫に産んであげられなくて」と泣いていた。そんなことないよ! と伝え母の涙を止めたかったが、赤子の私ではとても難しい。早く話せるようになりたい。
それにしても、母の故郷ってなんだろう……。神様のお節介の匂いがぷんぷんするが、考えすぎだろうと自分に言い聞かせる。
バジル家の初めての女の子で、しかも病弱だからか、周りが過保護気味なのが気になるが……まぁ概ね順調である。
むしろ初めての天敵女に脅かされない生活。ストレスフリーすぎて最高である‼
これまでを思い返し突然遠い目をした妹を不思議に思ったのだろう、兄が両頬をムニムニしてきた。
「リリー、どこか痛くなっちゃった? 大丈夫?」
こちらを心配そうに見つめる、私より濃い茶髪に新緑のような綺麗な瞳をした美ショタの兄――エディール・バジル。
家族や使用人からは“エディ”の愛称で呼ばれており、将来は美大夫になるだろうその容姿は、優しい性格も相まって天使のようだ。
私が生まれるまではやんちゃ盛りだったようだが、初めての妹が嬉しいのか私の面倒をよく見てくれる。ご多分に洩れずに私に対しては過保護だ。
私が突然黙ってしまったので、エディ兄さまは心配したのだろう。
「あ~ぁあっ! ぶぅ~!(何でもないよ~、大丈夫~!)」
反応したことに安堵したのか、エディ兄さまはほっと息を吐いた。
「そっか~、お外の雲見てたのか~。リリーが大きくなったら僕と一緒にお外に行こうね!」
ニコニコしながら、私の両手を持ってフリフリと遊んでいる。
(おぅ、兄さまったら相変わらず独自の変換技術をお持ちで。お外楽しみだなぁ)
私はさもその通りです! というように、エディ兄さまに向かって笑顔を向けた。
しばらく二人で遊んでいると乳母のマリアが戻ってきた。
「あら、エディ坊ちゃま。リリーお嬢様と遊んでくれていたんですね、ありがとうございます。さぁ、リリーお嬢様は今からお乳の時間です。エディ坊ちゃまもおやつにしましょう」
簡易的な仕切りの中マリアにお乳を飲ませてもらっていると、親子でバジル家のメイドをしているレイナとカヨが部屋に入ってきた。
「マリアさん、ララちゃんが起きたので連れてきましたよ」
ララちゃん――マリアの娘である赤ん坊を連れてきたのは、私付きのメイドのレイナだ。
大人たちから盗み聞きした話によると、二十代前半とまだまだ女盛りのレイナはクズ男から逃げてバジル家に保護されたんだとか。バジル家に恩を感じ、娘のカヨと共に仕えてくれているそう。
「エディさま! おやつをお持ちちました!」
拙い言葉ながら一生懸命おやつをのせたお盆を持っているのが娘のカヨだ。そばかすがチャーミングな彼女は、少しおませさんでお姉さんぶりたがるプリチーなメイド見習いである。
「わーい! カヨ、ありがとう! 今日のおやつは何?」
「今日はザインさん特製のくるみクッキーですよ! 味見させていただきましたが、とってもおいちかったです!」
と二人の可愛い子たちが盛り上がっていると、レイナがカヨに声をかけていた。
「まぁまぁ、カヨ、立ちながらの説明ははしたないわよ。お盆をテーブルに置いて、坊ちゃまに説明して差し上げて」
「ふふふっ、カヨは働き者ね。レイナもありがとう、助かるわ」
仕切りから顔を出して二人にお礼を言うマリア。
マリアは商人をしている夫に嫁ぐまで、長年バジル家に仕えていたそうだ。そろそろ出産という時に夫の長期出張が決まり、一人で出産・育児をしているところに、私の乳母として働かないかとバジル家から声がかかったようだ。
この世界では、母乳だけでなくヤギなどの生き物の乳で子供を育てるらしい。
しかし私の場合、病弱なせいか哺乳瓶をうまく吸えず(この世界の物は硬くて吸いづらい!)、母も多忙で毎日母乳を飲ませることができず困っていたそうだ。
そんな時、ちょうどララを生んだマリアが一人で家にいることを知った母が、乳母として声をかけたってわけ。
出産後間もないのに申し訳ないと思っていたが……皆率先してララを世話してくれて、やっと寝る時間ができて良かったわとホクホク顔でマリアが言っていたので、お互いWIN・WINならば心配いらないだろう。
当初、ララは従者棟で世話されていたが、母が「日中母親と一緒にいられないなんて可哀そうだわ。部屋を用意するから、そこで育てなさい」と本邸内の従者室近くに部屋を与えた。
その為、マリアが私の世話をしている時は誰かがララの世話をし、私が寝ている時などはマリアはララの世話をしている。それに今日のようにララが私の部屋に来たり、私がララの部屋に行ったりすることもある。
寝る・食う・出す以外暇な私は、ララと一緒に遊ぶのがお気に入りだ。ララはマリアを赤ちゃんにしたようで、大変可愛らしいのだ。見ているだけで癒される。
今世の幼馴染はアイツと違い天使である。非常にうれしい。
本当は、主の子と同じ部屋に使用人の子が入ることは不敬にあたるようだが、うちの両親はそのような貴族の常識を全く気にしない人らしい。
“使えるモノは何でも使う”が信条の、大変合理的で人情深い人たちだ。
そんな素敵な家族を誇らしく思うし、分け隔てなく接してくれる従者たちも含め、私はこの短期間で“バジル家”が大好きになっていた。
色々と考えながらマリアのお乳を飲んでいたが、さすがに満腹になってきた。
「ぁう~(ふぃー、いいお乳でした。ありがとマリア)」
「はい、上手に飲めましたね。昨日熱っぽかったので心配でしたが、今日は本当にお元気そうですね。安心しました」
マリアが服を直しつつ安心したように言うと、
「マリアさん、お嬢様は私がみますのでララちゃんにもお乳をあげてください」
とレイナがララを抱いて仕切りに入ってきた。
「ありがとう、そうさせてもらうわ。ほら、ララいらっしゃい」
ララと私が交換される。
「さぁ、お嬢様はゲップをしましょうね~」
レイナに縦抱きにされて、トントンとリズミカルに背中を叩かれる。
(ゲップって難しいんだよなぁ……あ、今日はスムーズに出そう)
「けぷっ」
「お嬢様、上手にゲップできましたね~!」
「リリーしゅごいね! エライぞ!」
「お嬢ちゃまさすがでしゅ!」
お兄さまとカヨも寄ってきて褒めてくれた。
(ゲップしただけなのに……照れるなぁ、でも嬉しい)
前世では自分が世話をされた記憶より、誰かを世話をしていた記憶が圧倒的に多い。
だからか、この手放しの誉め言葉に未だに慣れない。当たり前のことをこんなに喜んでくれると、私がこの世界に認められた感じがして心がポカポカする。
(あぁ~、今世はもっともっと周りに愛を伝えて生きていこう)
私はどこか余裕がなくて、あまり素直に胸の内を話せなかった前世を思い出した。
今世ではいつ死んでも悔いがないように、素直に、自分の為に生きよう。神様が言ってくれた言葉を思い出しながら決意する。
早速嬉しい気持ちを伝える為、笑ってみる。
「あぁう~あっ!」
にぱっ。
「んんんんんんんんああああ可愛いですお嬢様‼!」
スリスリスリスリィィ! っと頬同士をくっつけてレイナが叫ぶ。大分テンションがハイになっているようだ。
「レイナ! エディも! リリーとちゅっちゅするの‼」
私に手が届かないエディ兄さまがポカポカとレイナの腰を叩く。
「はわわわぁ! お嬢しゃまは妖精さんなのですわ!」
両手で真っ赤になった顔を押さえ、ぴょんぴょん跳んでるカヨ。
「……あらあら、皆元気がいいわねえ、ララ」
「ぷあぅっ」
ララを撫でながら、こちらの様子を見ているマリア。
そよ風に揺れるカーテンの一室で、誰もがその顔に笑みを浮かべていた。
◆
しばらくすると母乳だけでなく離乳食も出てくるようになった。それに伴い、マリア以外の従者も私の食事の世話をしてくれるようになり大変助かっている。
「お嬢、今日は新作のジャガガのミルク煮ですよ~。お味はどうですか~?」
赤髪のガタイの良い、父と同じくらいの年齢の男が匙を口に近づけてくる。
このザインという男、なんとこの屋敷の料理長である。
初めは料理長がわざわざ離乳食を作り、ましてや食べさせに来るなんて! ……と思っていたが、彼も病弱な私を気遣う過保護ズ(と命名した)の一人であった。
離乳食自体はエディ兄さまの時にも作っていたそうだが、病弱な幼児に合わせたものを作るのは初めてのようで、初めての食材の時は必ず様子を見に来ていたのだ。
ある日、毎回ガタイの良い料理長が陰から様子を窺っている様子に呆れたレイナが、「突っ立って見てるなら、むしろその手で食べさせて差し上げてくださいまし」と目が笑ってない笑顔で迫った。
最初は「いや、俺が行くと怖がるだろ」やら「泣いたらどうすんだ!」だのとグダグダ言っていたザイン。おあずけをくらっていた私が我慢できずにザインの手を掴み離乳食にむしゃぶりつき……作ってくれてありがとう、と感謝が伝わるようにぱっと笑ったところ。
「か、可愛いぃぃいいい‼ 天使! 子どもに泣かれたことしかないのに‼」
とえらく感動した様子だった。
それから新作の時だけでなく、手が空いている時は頻繁に手伝いに来るようになったのだ。
時々他の人から文句を言われているようで、もしかして仕事サボッてんじゃないよな? とジト目で見る。すると勘違いしたザインは頬を緩めながら言った。
「ん~? お嬢、もっと食べたいって? 新作気に入ったみたいだな~。いっぱい食べて丈夫になれよ~」
そう言いながら匙ですくって口に運ぶ。
(なぜ私の周りの人は独自の変換技術をもっているんだろうか……まぁいいけども)
それにしても美味い。
ラノベ展開でよくあるメシマズな世界だったらどうしようと思っていたが、杞憂のようだ。
次を催促するようにザインに向かって口を開けて、ジャガガのミルク煮とやらを食べながら考える。
ジャガガと言われているこの食物は考えていた通りジャガイモだろう。名前が違うなんてやっぱり異世界なんだな、と感じる。
神様の話が真実であれば、ここは魔法のある世界のはずである。
しかし、私は生まれて一度たりとも魔法を見てもいないし感じてもいない。
はじめ意識が覚醒した時は戸惑いながらも少しワクワクしていたのに。杖で魔法を唱えるのかなとか、それぞれに属性とかあるのかなとか……
でも、こうも魔法のかけらを感じられないでいると諦めが出てくる。
部屋の電気もスイッチのようなもので点けているし、掃除や料理も手動でやっている。
幼児故自分で歩けない今の私だと、知ることができる範囲が激狭だが、少なくとも生活の中では魔法を使っていないようだ。
本格的に歩く練習をしよう……と心で誓っていると。
「あら、今日はザインに食べさせてもらってるのね。一足遅かったわ」と言いながらお母様が部屋に入ってきた。
「あぁぁぁんま、んまぁっぁ!(お母様! お仕事終わったんだ! 嬉しい‼)」
久々の早い帰宅にテンションが上がり、お母様に向かって両手を伸ばす。
「あぁぁ、お嬢、こぼれちゃうから、落ち着けって、ちょっ」
ザインが匙を置きながらアワアワしていると、お母様が私を抱き上げた。
「ふふふっ、元気そうで良かったわ、可愛いリリー。そんなにお母様に会いたかったのね、嬉しい。お母様もリリーに会いたかったわ」
チュッとおでこにキスをしながら言ってくれた。
私はとっても嬉しくて、にぱにぱっとお母様に笑いおかえり! と伝えた。
この美しい私のお母様――エマ・バジルは、バジル領と隣国の間にある“コアスの森”付近に住む先住民族の姫だったらしい。コアスの森の調査に来ていたお父様と出会い、すったもんだがあって両想いになり結婚したそう。
眠るとき、まるでおとぎ話のようにロマンチックなお父様との思い出を語ってくれた。
そんなお母様だが、姫というだけあってめっちゃ美人さんである。サラサラな金髪に、エメラルドのような瞳。それに加えて、運動神経もよくスタイル抜群である。
穏やかな性格とは裏腹に、幼い頃から狩りをしていたから故になかなか腕が立つらしく、害獣の駆除隊を率いることもあるほど。
実際に私が生まれてからしばらくしてコアスの森で害獣被害があったらしく、海賊討伐にあたっているお父様の代わりにお母様が自ら出向いていたのだ。なかなか害獣の発見にてこずっていると聞いていたが、お母様がこんな早い時間に帰ってきたということは……!
「あぁ、何て可愛いのリリー‼ 屋敷の皆は信頼しているけれど、私やガンディがいない間にエディとリリーに何かあったらと心配だったわ。悪い獣はママがやっつけたからね! 今日からはいーっぱいリリーと一緒にいるわね!」
チュッチュッチュと顔中にキスの雨が降った。
(やっぱり! お仕事終わったんだ! これからはお母様と一緒!)
自分自身でも自覚していたが、やはり身体に精神が引っ張られているようだ。嬉しいという感情が大きく、コントロールできない。
「んんぁんまま、あぁまんま‼」
嬉しすぎてキャッキャッと笑いが止まらない。
「まぁぁあああ、ザイン聞いた⁉ リリーが“ママ”って! ママって言ったわ!」
私をギュッと抱きしめ、感激したようにゼインに言うお母様。
「今日はお祝いよ! ザイン、今日の晩御飯はごちそうにしてちょうだい‼」
お母様が私を抱き上げたままくるくると回りながら喜びを表している。
(お、お母様そんなに回ったら……ぐぇっ)
私は盛大に吐いてしまった。あぁ、せっかくジャガガのミルク煮、美味しかったのに……
「ギャー、お嬢ー‼ ちょ、奥様、止まって! お嬢が死んじゃうー‼」
ザインの叫びとマリアやレイナ達の駆け寄る足音、それからお母様の焦った様子を感じながら、私は気絶してしまった。
◆◆◆
すっかり夜も更けた頃、私――エマ・バジルは横になりながらぐっすりと眠っているリリーの頬を撫でていた。昼間の笑顔は消え、月に照らされる顔はひどい顔をしているだろう。
静寂が漂う中ドアの開く音が響き、まるで熊のような大きさの男が近づいてくる。
「聞いたぞ、リリーが言葉を話したそうだな」
この男こそ、リリーとエディの父であり私の夫――ガンディール・バジルである。
ガンディールはエディと同じく薄めの茶髪に紅茶のような瞳をした、我が夫ながら見ほれるような色男だ……無精ひげが生えていても関係ないほどに。
彼の体重によりベッドが沈むのを感じつつ、不意に頭を撫でられ俯いてしまう。
「……それなら私がリリーの具合を悪くしたのも聞いているでしょう? ごめんなさい。今日は調子が良さそうだったし、ママって言ってくれたのが嬉しくて。自分の感情のままに接してしまった。……浅はかだったわ」
目頭が熱くなり視界がぼやけていることを気にも留めず謝罪する。私の言葉を聞いて、夫は頭を抱き寄せ、そっとキスをした。
「エマ、お前は何も悪くない。ちょっとリリーが食べ過ぎてしまっただけだ。お前はもうお喋りができた娘をしっかり褒めてやっただけだろう? 素晴らしいことじゃないか」
夫はもう一度唇を寄せ、間でぐっすりと眠っている愛娘のオデコにもキスをした。
「……貴方が私を甘やかすから、どんどんダメになってしまうわ。お願いだから、貴方は私を叱ってちょうだい」
私は叱ってほしさと自責の念と嬉しい感情と……様々な感情が混り、なんと表現したらいいか分からずにぷーっと怒ったような顔を見せた。
そんな私の態度に思わず、といったように笑みがこぼれた夫は続けた。
「そんなことはない、お前は本当によくやっているさ。現にあまり顔を合わせられなかったお前のことを、リリーは初めに呼んだんだろう? お前の深い愛がこの子に伝わっている証拠だ。こんなに娘を慈しんでいるお前を、褒めることはあれ叱るなど、誰だって出来まい」
彼はリリーが目が覚めないように、その大きな身体からは想像できないほどに繊細な動きで頬を撫でていた。
「しかし、ちょっと妬けるな。仕方ないとはいえ、俺も同じくらいリリーと顔を合わせているのに。……母親には敵わないか。これから俺もパパと呼んでもらえるように頑張るからな。……なるべく早く呼んでくれよ」
夫の言葉を聞いて少し起き上がる。
「あら、もう海賊の討伐は終わったの? 他の領地や他国でも海賊行為をしていた厄介な奴等と聞いていたけれど」
夫はため息をつきながら答えた。
「いや、主力の奴等は今他国に行っているらしい。下っ端やうちの領地に幅を利かせていた輩は捕まえたが。奴等の大々的な討伐は数年後になりそうだ。もう一度、領地内とついでに周辺の海域を念入りに調査したら、一旦俺たちは引き揚げる予定だ。もう少し時間がかかるが、ようやくこの子たちと触れ合える」
紅茶のように澄んだ瞳を細めながら夫は笑みを浮かべた。
リリーが生まれる少し前から領地の港付近で海賊被害が多発して、被害が拡大する前に現地に赴くことになった。定期的に屋敷に帰ってはいたものの、夫は子供達と長期間触れ合うことが出来ていなかったのだ。
エディも甘えたい盛りだろうに、一人で過ごすことが多くて無理をさせてしまっている。
まぁ、妹という守るべき存在が出来て、成長しているようだが。
もしかすると愛しい娘に、父の顔を忘れられているかもしれないとその大きな体を小さくしていた夫を思い出す。まぁ、そんな心配は、リリーに会った時に向けられた笑顔で消え去ったようだが。
(こんなイカつい大男、父親と分からなければ泣くに違いないわ。エディの時だって、しばらく会わないだけでギャン泣きされたしね)
今までの出来事を思い出しながら、病弱な自分の娘を見る。
すぅ、すぅ、と規則正しい呼吸音が聞こえてホッとする。
出産後一月経った頃に見たあの苦しそうな顔。それにどこかに何かが詰まっているような呼吸音を聞いた時は顔が青ざめるのを感じた。代わってあげたいとどれだけ思ったことか。
慈しむように愛娘を撫でる夫をチラリと見る。
(ガンディールは違うと言ってくれるけれど、やっぱり私の血筋のせいよね……)
故郷ではリリーと同じように、生まれながら病弱な者が一定数いたことを思い出す。
だが優しい夫は一切私を責めることなく、腕の良い医者に診せては何やら随分と話し込んでいた。その後は決まって難しい顔をして執務室に籠るのだから、何か思い詰めているのではと心配してしまう。
夫が私の一族を探していることは知っている。
結婚する際駆け落ち同然で出てきてしまい、私は一族とほぼ絶縁状態だ。場所を変えながら生活している一族は、そう簡単に見つからないだろう。
でも一族の者と話すことができれば、リリーの体質を改善する為の方法がわかるかもしれない。
自身の血が原因かもしれないのに、何も役に立てないことが悔しい。
勝手に出てこようとする涙を止めるように、ギュッと目を瞑ると大きな腕が背中に回ってきた。
「大丈夫だ。心配するな。お前もリリーも、勿論エディも俺が守る」
その力強く優しい言葉に、遂に頬を伝った涙をシーツに押し付けた。
月明かりが一つに固まった親子を照らしながら、夜は更けていった。
◆◆◆
あのゲロゲロ事件をきっかけに高熱を出して体調を崩してしまった私、リリー。
ようやく体調が戻ったが、過保護ズの人員が増えたため歩く練習が満足に出来す、未だに歩けないでいる。過保護ズもある程度は見守ってくれているのだが、テンションがノッてきた時にストップがかかる。
私は努力型の人間だと自負しているので、ストイックに歩けるまで練習したいのに‼
だが、テンションが上がったままだと体調を崩しがちなことも事実。
大人たちの目を誤魔化すことはできず、細々と練習を続けている。
(感覚的にはもうそろそろいけると思うんだけどなあ)
幼馴染であるララちゃんはすでにある程度歩けるようになっており、マリアの後ろをトテトテとついていって大変可愛らしい。
一ヵ月違いのララちゃんに後れをとっているのがちょっと悔しいが、自分のペースで頑張ろう。あと少しでお父様が屋敷に完全に帰ってくるそうなので、その時にサプライズしたいのだ。
(初めての言葉は“ママ”にあげちゃったし、これくらいはね)
ちなみに二番目に発した言葉は“エデ”だ。エディ兄さまは歓喜の舞を踊っていた。
お父様たちの帰還祝いのために、母様は兄様を連れて街に出ている。二人とも嬉しそうに出かけて行った。お留守番な私は、今日はララの部屋で過ごしている。
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