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大学2年の春、転移者達の現在

剣と魔法の勇者、加藤雄介

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 漫画研究会の部室で加藤雄介かとうゆうすけは、異世界に召喚された時のことをふと思い出した。かつて彼はそこで、とんでもない体験をした。そんな彼は時々、あの辛い記憶が蘇ってくるのであった。

 現在大学2年生の彼は、当時高校生だった。部活を終えた帰宅途中、いつもの通学路を歩いていると、急に違和感を覚える。普段ならば、時々人とすれ違う程度には人通りがある道なのに、その日、ふと周囲を見渡すと人影が全くないことに気付いた。

 まるで人気がないその異質な雰囲気を気持ち悪く感じて、足早にその場を過ぎ去ろうとする彼の足元に、突如、この世のものとは思えないほど異質な雰囲気が漂う、異世界へのゲートが出現したのだ。
 あまりの恐怖に逃げ出そうとした加藤は、彼を捉えるかのように広がるそのゲートに吸い込まれて、気を失った。
 目が覚めると、当時の加藤はその時点では知る由もないが、異世界の王国にある召喚魔法陣の上に立っていた。周りを大勢の人に囲まれており、混乱の極致に立たされた加藤が思ったのは、“訳わかんねぇ”だった。

 そこからは、加藤にとって人生で最も苦い経験の連続だ。

 それこそ、違う世界の人間を一方的に召喚しておいて、「加藤様、我らをお救い下さい!」の一点張りで、状況の説明をしない王国の人間に不審感を抱いたり。
 勇者として旅立たんとする彼に支給された装備が、なぜか下級兵士の基本装備であることに不安を見せる加藤に、「これが勇者の伝統です」という説明になっていない解答をされたり。
 実際には、魔王軍の侵攻で疲弊・困窮していた国側は、どうにか召喚に成功した勇者にすら、まともな装備を用意できなかったのであるが。しかし、混乱の最中にいた彼は、その場の流れで、ロクに訓練も受けないままに、旅立たってしまったのであった。可哀想である。
 その後も、戦闘では最初にゴブリンの討伐をしたと思ったら、次にいきなり幼体のドラゴンを討伐する羽目になったりもしていた。
 このように加藤は、凄まじい苦労の連続を経験していた。
 ただ、実は彼が最も苦労したのは数々のファンタジー的な要素ではなく、もっと現実的で身近なことである。

 まず、トイレだ。加藤が行った異世界では水洗トイレはおろか、ボットン便所ですら存在していなかった。これは、現代社会で生きてきた彼にとって、非常に痛い。町にも、糞便の匂いが漂っていることが多々あった。彼は吐いた。
 次に、サービス業や小売店。高級店を除く食堂では、大抵出て来る飯は青臭い野菜のスープにカチカチのパン、そして筋だらけの肉。服屋に入れば、ゴワゴワの綿に似た材質のシャツや、動きやすさの欠片もないブーツに、現代日本でいう足袋のような靴擬き。

 加藤はそれらをまとめて、地獄と評していた。

 そんな彼の険しい魔王討伐の旅の大きな原動力になったのは、一刻も早く地球に、日本に帰りたいという気持ち一本だ。とにかく加藤は、柔らかい牛肉が食べたいし、スニーカーが履きたかった。決して、ゴムみたいな肉を食べたかったわけでも、やたらとゴツゴツしている軍用ブーツみたいなのを履きたいわけでもなかった。足が痛いのは、嫌だった。
 
 と、辛いことばかりだった加藤の異世界生活であったが、結果的には魔王討伐に成功して、無事帰還することに成功する。もちろんそこでも色々なゴタゴタがあったのであるが。

 数々の苦難を乗り越えてようやく帰還した時、彼は思わず泣いていた。俺は、この清潔で安全な世界に戻って来たのだと。帰還して早々に様々な食事を堪能し、色んな服を着た加藤は食事・ファッション共に、以前の自分では考えられないほど好きになっていた。
 そして何よりも、戻ってきてから初めて、家でゲームをしたり、友達とボウリングやカラオケに行くことが、どれだけ安全で楽しいことだったかということをしみじみと感じていた。

 加藤は、生きる喜びを噛みしめていた。そう、地獄は終わったのだ。

 ……ということなので、現在の彼があまりにもだらけた生活を送っているのは、仕方がないことなのである。己の緩慢さを「俺は一つの世界を救ったんだからこれ位許してほしい」という理論で無理やりねじ伏せ、誘惑に身を委ねる加藤。

 そう、今の加藤雄介は、自由だ。自由を満喫していた。
 主にアニメ・漫画・ゲーム・ライトノベルに浸ることで。

 彼は、いわゆるオタクになっていた。というのは、地球に帰還してから冷静に異世界の文化を振り返った際に、実際は違うけど、見てる分には楽しいかも、と思ったことに起因する。それから、どっぷりと創作ファンタジーの世界へと足を踏み入れたのだ。
 それまでは運動も勉強もそこそこの陽側のキャラクターだった彼は、突然オタクになったことが知られ、そのあまりにも突然の変貌に、変人の仲間入りを果たしたのであった。
 そんな彼が大学に入学してから周りにいる人間は、どうも少し変わっているのが多かった。それぞれいい人なのは間違いないのだが、どうにも、加藤にはそれぞれ何か秘密を隠し持っているような気がしてならかった。自分を含めて。

 特に、現在漫画研究会の部室で一緒にゲームをしている東龍太郎のことを、若干怪しんでいる加藤。事実、重大な秘密を彼が持っているのは間違いないのだが。

 この東というのは誰が見ても不思議な男で、実は現在でも異世界で培った能力が使える加藤に匹敵すると言ってもいい程、謎の自信と余裕に満ち溢れている。
 加藤は、やっぱり家か。あの裕福な実家の力なのか。
 実家が太い、いい響きだ。俺も欲しかったぜその肩書、そう思っていた。
 
「東の家ってすげぇデカい神社だもんなぁ。いいよな、いつでも実家継げるって」

「突然どうしたの……僕は田舎から一旦離れたくてここに来たんだよ。前も言ったじゃないか」

「あ、そういやそんなこと言ってたな。悪い」

 確かに、そうだった。東龍太郎は実家が太く、それが余裕の一旦となっていることは、紛れもない事実だ。彼の落ち着いた好青年風の人柄も、その要因の一つとなっている。

 そんなこんなで加藤があれこれ昔のことを考えながらボーっとしていると、いつの間にか午後六時を回っていた。この日は高梨と土田が来なかったということもあり、ちょっと早いけどそろそろ切り上げるかと東に提案する。
 
「ぼちぼち引き上げるか」

「そうだね。僕もこの後ちょっと用事が」

「お、夜に用事なんて珍しいじゃん……まさかお前、裏切り行為を働いたんじゃ――」

「ち、違うよ! 家の用事で、不本意ながら、実家に戻らなきゃいけないことになったんだ」

「……ならば、よし」

 危ないところであった。もし東が異性と関係を持つなどという裏切り行為をしたことを加藤が認知してしまえば、彼のアパートのロフトに眠る、数々の強力な武器による制裁が加えられたりそうでなかったりしたところだ。おまけに、土田の馬鹿力も添えられていたかもしれない。全てはマボロシに終わる。
 以前高梨に語った一人でも生きていけるなどという戯言は、ただの虚勢に過ぎなかった。

 ともかくひと安心した加藤は、撤収することにした。

「じゃあな」

「お疲れー」

 ここで加藤は、帰りにコンビニで夕飯とイチゴジャムを買う必要があることを思い出す。
 
 コンビニに寄ることを失念しないよう、彼は帰路に着いた。

――

 帰りにコンビニで夕飯とイチゴジャムを買った加藤は、自室でソファーに座って漫画雑誌を読みくつろいでいた。すると、同じくソファーでダラダラしている、加藤にとっての最近の悩みの種である、鬱陶しい存在が話しかけて来る。

「ねぇユースケ、いつまでそんなぐーたらな生活をするつもりなの? それでも勇者様なの? 姫様が見たら泣いちゃうんだよ? 学生のクセに勉強もしないなんて」

(あー始まったよ、ババアの小言が)

「うるせーな、好きにさせろよ。お前が言うように、俺は勇者様として世界を一つ救ったんだぞ? 少し位楽させろよ、な?」

 俺の至福の時間を邪魔するんじゃねぇと手を振る加藤。そんな彼の目線は、手元の雑誌にくぎ付けだ。
 彼は、こよなく愛するアニメのヒロインが主人公のスピンオフ作品を読むと、大好きなミーコちゃんを見て、新しいフィギュアの購入を決めた。既に同キャラクターのフィギュアを6体保有している彼は、紛れもないオタクだ。

「うー、もう、いつもそんなことばっかり言って。今度向こうに行く時までには、少しくらい勇者らしくなりなさいよ。私が恥ずかしいじゃん」

「わかってるわかってる。あーミーコちゃん、かわいーよ」

「うわキモ……人間やめたら?」

「ケッ、お前にはわかりゃしねぇよ、ミーコちゃんの尊さは。彼女は天使だよ。お前の仲間の天使じゃねぇぞ、勘違いすんなよ」

 うだうだと文句を言ってくる小人は、これでも強大な魔力を持つ妖精で、彼のかつてのパーティメンバーの一人……いや一匹だ。人は彼女を妖精ちゃんと呼ぶが、本名は謎に包まれている。
 彼女の力は、仮にも王国を代表する治癒魔術師なだけあって、千切れた腕や消滅した細胞すら再生することを可能としていた。身長が20センチメートル位しかない妖精ちゃんは、金髪でひらひらとした服を着ていて、見た目は地球の人間でいえば10代の終わりから20代前半といった所か。

 だが加藤は知っている。長い時を生きることができる妖精ちゃんの実年齢を。そんな彼女のことを、加藤はババァやチビなどと呼んでいた。失敬な男である。

 しかしそんな彼も、異世界での生活でかなりお世話になった彼女には、少なからず感謝をしている。しかし、ここまでだらけた姿を見せられては、自分のことを棚に上げておいて、少々許せなかった。
 冷蔵庫を開けて取り出したのであろうジュースにストローを突っ込んでチュウチュウ吸うと、次々と加藤が買ってきたジャムを口に放り込んでいる。それも、だらしなく寝転がりながら。心なしか、以前は細かった妖精ちゃんは、少し膨らんでいるような……いや、間違いなく肉付きが良くなっていた。

(クソ、腹立ってきた。てめぇ俺に文句言ってる暇があったら少しは菓子を控えろや。どっちがグータラだボケ)

「おい、妖精は太りませんとか言ってたのはどこのどいつだ。お前、明らかに太ってるじゃねぇか」

「はぁ!? う、うるさいわよ! オタクのくせに!」

「オタクをバカにすんじゃねぇ! 黙ってろチビ!」

 妖精ちゃんと口論になる加藤。彼は妖精ちゃんは何もわかってないと憤慨する。

(このババアが俺のことを蔑むようにオタクと呼んだのは許せねぇな。オタクを侮蔑の言葉として使うとは。俺たちは気合入れて作品を愛してるんだよ。大体、俺がこよなく愛するファンタジーの漫画、アニメ、ゲーム作品はお前らの世界をリスペクトして作られてんだぜ? こちらの文化に敬意を払ってもらいたいぐらいだね)

と、早口で言っていそうなことを考えていた加藤。
 いつしか妹にすら引かれるようになってしまった加藤だが、何てことはなく、異世界で鍛え上げられた彼の肉体と精神は強かった。彼は強いオタクで、無敵なのである。妖精ちゃんにも絶対に引かない加藤は、さっさとこの問答を終わらせるべく、攻め手を変えてみた。

「いいからお前早く向こう帰れよ。飼い主の魔女っ子エルフさんもそろそろ心配してるだろ、さすがに」

「いやユースケ、知らないとは言わせないし。ユースケがゲートを開かないと帰れないじゃん! 私一人じゃ無理なの、知ってるでしょ!? ……彼女にはちゃんと言ってあるから大丈夫よ」

 どうやら変化球は無意味なようで、結局、喧嘩腰の一人と一匹だった。しかし、その攻防も一旦ブレイクに入る。妖精ちゃんの興味が、手元の雑誌に向けられたからだ。それに合わせて、加藤も少し落ち着く。

 先程妖精ちゃんが言ってみせたように実はこの加藤、その身に宿す強力な魔力を使うことで、異世界に行くことが出来るのである。以前、地球には魔力がないことに気付いた彼は、定期的に魔力を補充するために、数か月に一度、異世界に戻っていたのだ。何か起こった時に対処するために。
 そんな彼が前回異世界へと渡った際に、勝手に着いて来たのがこの妖精ちゃんだ。以前から地球の文化に興味があった彼女は、加藤の存在を魔力探知によって捕捉すると、こっそりと加藤の後を着けていた。
 本来なら一人しか通れないサイズのゲートに、小柄な体を利用して荷物に紛れ込むことで、こちらにやって来たのである。
 加藤にとって異世界の数少ない良心として記憶に新しい妖精ちゃんの飼い主は、実際には心配しまくりなのだが。

 そんな彼女は現在、地球の文化に興味津々である。

「ええーっ、ユースケ、見て見てこれ! 今月号のマイノリティー・ガールズの特集、めっちゃ可愛い! ユースケ、スキルでこれ作ってよ!」

 しかしうるせぇなこいつと加藤は思う。さっきまで口論してたにも関わらず、もう目が別の所に移っていることが、少々加藤にいら立ちを覚えさせた。

「お前、もう喋るな。頼むから大人しくしといてくれ」

「えぇ!? なによ、人がお願いしてるのにその態度は――」

 何も言わず、妖精ちゃんを睨み付ける加藤雄介。
 その目は、本当に静かにして欲しいと懇願するかのようだった。それは、彼の本心とはちょっと違うのだが。

 妖精ちゃんが一旦大人しくなる。しかし、反抗的な姿勢は崩さない。

「……ふーんだ。ユースケのバカ。出て行っちゃうんだから。寂しくなっても知らないわよ!」

 そう言い残して、彼女は窓から出て行ってしまった。だが妖精ちゃんには、ここ以外に行く場所などないので、必ずここに戻って来る。そのことを分かりきっている加藤は、大して彼女のことを気にしていなかった。彼女の行動は、無意味なものに過ぎないのである。かれこれ、十数回は家出をしていたので、今回も加藤は探したりするつもりはなかった。
 とはいえ、加藤も妖精ちゃんを本気で嫌っているわけではなかった。彼は、意外と初心なので素直に言いたいことが言えないということがままあった。命を掛けて共に戦った彼女を、どうして嫌いになれよう。
 溜息をつく加藤。そんな彼はようやく静かになって落ち着いた部屋で、一つの案を思いついた。妖精ちゃんが出て行った窓を見やり、ニヤリと笑う。明らかに何かを企んでいる顔だ。

(あいつ、今度向こうに行ったら置いて来ちまおう。飼い主さんも喜ぶだろ)

 彼は自分自身でも気が付いていないようだが、これも結局は妖精ちゃんのためになる行動である。結構甘い男、加藤雄介。そんな彼はミーコちゃんはぁはぁと鼻息を荒くしており、台無しなことこの上なかった。

 ようやく決めあぐねていたババア妖精の処遇を決めると、加藤はすっかり冷めてしまった夕食を温めなおすのであった。

 ……それまではもう少し優しくしてやろうと思いながら。
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