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九皿目 エゴイズム幸福論

53(sideアゼル)

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「──シャルがいねェだって?」

 ドサ、となにかが落ちる音がした。

 無気力に振り向くと、少し後ろに立ち尽くしていた見覚えのある男が、俺に向かって呟く。

 城下街にある紅茶専門店のロゴが入った紙袋が、男の足元に落ちている。

 そこにいたのは、黒い長官の軍服に身を包んだ銀色の竜人──ガドだった。

 俺は光のない剣呑な目で、ガドを見返す。

 そんな目をしてはいけないとわかっているのに、感情を押さえつけるのに精一杯で、声のトーンや愛想を考える余裕がない。

 ガドは朝は空軍の朝礼に出てるはずだ。
 それが終わって、巡視隊を率いる前にここへ寄ったのだろうか。

 流石に長官。
 常日ごろ気配を消すのは当たり前だが、にしても俺は全く気がつかなかった。

 殺気を察知することができる。
 気配はできないけれど、警戒心と勘でいつも気がついたのに。

 俺は……まだアイツに乱されてる。

「……そうだ。聞いてただろ? 俺が昨日の夜、アイツにいなくていいと言った。消えろと言った。だからアイツは傷つき、嫌になり、出ていった。空っぽのココが証拠じゃねぇか」

 ガドはすっと目を細めて、ゆっくりと大股で俺の目の前にやってきた。

 俺より背の高いガドに見下されても、たじろぐことはない。

 家族のいない俺にとって、ガドは密かに卵の頃から見守っていた子どものままだ。

 幼稚で未熟な情緒しか持たない俺と、子どものガドは、言葉や行動はなくとも共に過ごした。

 常識を教えるライゼンと教わった俺たち。……家族、と思っている。勝手な烏滸がましい認識だが。

 だがそんなガドを相手にしても、安らぐことはない。

 喪失、また喪失。
 失敗。失敗だ。
 また間違った。また失った。

 踏み出したところで遅かった。

 考えないと行動できない。
 考えている間にこぼれ落ちていく。

 ならば、無知は罪だ。

 いつものこと。
 だけど……アイツは、アイツを失うのは、いつもより、痛い。

 人の種類で痛みが変わる。

 皮肉なことに、俺をあたたかい優しさで包んでいたアイツは──俺を崩れそうなくらい、痛めつけられる男だった。

「魔族となんて、相容れない。……人間は、弱いんだよ。傷がついたらすぐに消える。元々、そんな存在だ」

 俺は今、心の残りカスが鋭利になっている。

「……そういうことか……」

 ガドの蛇のように細まった、アメジスト色の瞳。

 俺の虹彩すら塗り固めるようなオニキス色の瞳が、それと軋んで絡み合った。

「ヘェ、わかった。でもなァ、シャルは昨日俺と約束したんだぜ。俺と魔王とシャル、三人でアイツの焼いた胡桃のクッキーを食う。アイツはそう言った」
「あぁ? 知るかよ。だから、嘘吐きなんだろうが、アイツは……、……明日帰ってくるって、大嘘吐いて逃げ出したんだ」
「ハ? だから……俺にもう嘘を吐かねぇッて言ったんだよ」
『アイツはァッ!』
「ッ!?」

 ──ほんの一瞬のことだ。

 ズゴォォンッ! と酷い音を立てて勢い良く突っ込んできたガドの巨体。

 それが大口を開けて俺の下半身を咥え、そのまま空高く飛び立つ。

 俺の言葉に突然激しく言い返したガドが、猛烈に唸りだし、竜に姿を変え、文字通り俺に噛みついてきたのだ。



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