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九皿目 エゴイズム幸福論
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しおりを挟むガドの手のひらがどんどん濡れていくのが申し訳なくて、俺はそれを止めようとするが、蛇口が馬鹿になっているのか言うことを聞かない。
嗚咽も声の震えも止められるのに、ここだけは止められない。
どうしていいか解らずに路頭に迷っている俺を、ガドは目元を押さえて頭を抱き寄せ、もう片腕はしっかりと俺の身体を抱き込んだ。
「いいこ、いいこだぜ、シャルー。泣けるこ、いいこ。我慢しない、いいこだ」
そして嗚咽を殺してしとしとと泣き濡れる惨めな姿を、素晴らしいと褒め称える。
「俺がな、俺も覚えてやるから。お前が魔王に渡した気持ち、愛した記憶。聞かせてみな? 魔王に愛されて、お前がどれだけ幸せだったのか」
「っ、ひ」
「忘れて生きてても幸せだなんて言う魔王にな? シャルに愛されていたらもっと幸せだったんだって、俺がちゃんと伝えてやる」
ガドは俺が口を挟む暇も、強がる暇も、虚勢も言い訳も聞かないで、俺が悲しいと決めてかかってそんなことを言う。
俺がアゼルに愛されたこと。
アゼルが俺を愛したこと。
そして俺が感じた死んでも手放せない幸福を、俺と一緒に抱えてくれると言う。
この世界には思い出だけしか残せない俺の、一番大切な思い出。
「言っただろォ? 魔王がお前を捨てたら、俺が拾ってやるって、な?」
それをこの優しい友人に拾い上げてもらえるならば、報われるのではないかと思った。
だから、魔が差したのだ。
「ぁ……、ぁ、あの、な……」
「うん」
愚かな俺は、震える唇を開いてしまう。
弱ったところを全て見られたクソのような開き直りと、ガドの優しさに漬け込む行為だ。
だけど我慢できない。
「すごく……嬉しかった話を……聞いて、くれるか……?」
俺は操られるように、アゼルのそばには俺がいて、アゼルのそばで俺が感じたことをガドに渡そうと、語り始めてしまう。
──初めはな、死んでもいいと思っていた俺にな、アゼルが〝そばにいてほしい〟と言ったんだ。
それでも殺してくれって言ったのに、あいつは毎日俺に会いに来たんだ。
それが、きっかけ。
何度でも繰り返して思い出して、記憶をなぞると、俺はやっぱり、初めから嬉しかった。
俺はな、この世界で初めて必要とされて、嬉しかったんだ。
そして必要としてくれて愛してくれたのが、アゼル。それは変えようのない真実。
アゼルはな、凄いんだ。
なんにもしなくても、役に立っていなくても、俺を丸ごと愛してくれる。
本当に凄いんだ、ガド。
アゼルは俺を愛する天才なんだ。
俺は自分を大事にできなくて、自分にあまり価値を見いだせていなくて。
悲観していないけれどたぶん、それほど自分に興味がないんだと思う。
だからそのぶん他を大事にすることで、大事にされるのと同じ綺麗な気持ちを貰っていた。
それが存在価値にもなれる。
誰かの力になれること。素敵なことだ。
俺は卑屈になっているんじゃなくて、進んで周りの人を大切にしている。
周りの人が笑っていると幸せな気がした。
だけど、悲しい時もあるんだ。
寂しくて誰かにそばにいてほしいと、泣いてしまう時もあるんだ。
そんな時、俺はなるべく誰かに見つからないように、知られて〝迷惑で面倒な可哀想〟にならないよう、静かに泣く。
そうしたらまた、次は笑っていられるから。
なのにアゼルは凄いから、周りにいる素敵な人たちの誰よりも、みすぼらしい俺を大事にしてくれるんだ。
アゼルだけが俺が弱るとすぐに気がつく。
本当は苦手なんだぞ? アゼルは。
人を慰めたり優しくしたりすることが、とても。
デリケートな状態の人にとる行動の正解が、てんでわからない。
けれど気づく。
どうにかしようとオロオロしながら周りをうろついて、俺の悲しみを自分のことみたいに考えて、痛くて痛くてたまらないって顔をする。
俺が本当に隠したい気持ちを隠す時は、なんでもないように笑っていることを、アゼルだけは知っていた。
隠し事は許さないって。
お前の悲しみも苦しみも辛さも寂しさも、全部俺に渡せって。
そう言って、俺が一人で泣いたりしないように抱きしめる。
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