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九皿目 エゴイズム幸福論
19(sideアゼル)
しおりを挟むだって俺は本当にアイツのことを、覚えてねえんだよ。
それを申し訳なく思う。思い出してやりたいと。できないから罪悪感があるくらいに。
今まであった魔族と見るや攻撃を仕掛けて憎悪の目で睨み、蔑み、排除しようとする人間と違って、アイツ個人を見た結果だ。
だけどわかる。無理だ。
心は覚えていて、記憶がなくても愛おしいなんてこともない。
内的要因ではなく聖導具で記憶を奪われたから、この十八年間身についた習慣や感情は欠片も残っていない。
だから愛せない、愛していないと、なるべくはっきり希望がないと伝えたんだ。
するとアイツは、そんなことは関係ないと言ってまたアハハとノーテンキに笑った。
俺は今までほとんど誰かと話さなかったのに、初対面であれだけ会話ができた人。
うまく優しい言葉を吐いてはやれないが、ほんの少し……いや、もう少し。
それなりに、悪くないと思ってしまっている。泣きたい、くらいには。
そこに、愛おしさなんてものはない。
飼ってやれないと突っぱねているのに、それをわからない野良猫が懐いたような気分だ。
だからこそ、バカなやつだと呆れるし、考えなしのお花畑だと戸惑って困惑する。
まぁメンタルが超合金だから、どうにも諦めないだろうが。
そっと目を開けて、出しっぱなしの漆器のカップにアイツが注いだジンジャーティーが冷えているのを、じっと眺める。
きっとこのティーセットも俺は毎日目にしていたのだろうに、やっぱり見覚えがない。
「…………」
アイツの話が本当なら──俺は記憶を思い出さなくてもいいんじゃないかと思う。
だって、今の俺が前の俺のように心を開くことに慣れていけば、俺にとっては夢にまで見た、ありのままでも誰かと笑い合える日常が手に入る。
ライゼンの言葉なら、俺は七年後耐えきれなくなり、壊れそうになるらしい。
けれど今の俺は悩みきって疲弊しているものの、なにもかも忘れて魔界の外へ逃げ出すような、限界の精神状態ではない。
それに天界がなにか仕掛けてきても、俺の力が奪われたわけじゃないのだ。
魔力スポットの魔王城で迎撃するなら、九分九厘勝てる。そうあるから俺は魔王だ。
「…………なんだ。思い出さなくても、俺は幸せに生きていけるじゃねえか」
冷めたジンジャーティーを飲み干して、思い出さないといけないと気負う必要がないと納得する。
あぁ、なんだ。
悩むことねぇな。
漆器のカップは口当たりがよくて、それで一人のお茶会を楽しんでも特になにも思い出すことはない。
だけどこれを淹れてくれたアイツを思う。
まぁ、妃としては置いておいて、俺は別に嫌いじゃねえ。
あの底抜けの呑気な笑顔は、あまり満面の笑みなんて向けられない俺は、なんとなく心が穏やかになる。
今度はお茶くらいなら一杯だけ付き合ってもいいか、と内心で浮かれながら、俺はまた足音を立てないようにベッドに戻っていく。
仕方ないだろ。
ああいうやつはあんまりいないから、少しぐらい浮かれたって。
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