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九皿目 エゴイズム幸福論

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 相手は感知できない聖法で、更に太古の神遺物。

 それに襲われて記憶喪失で済んだことは、不幸中の幸いである。もしかしたら、死んでしまっていたかもしれないのだ。

 罠にかけられてもこうしてアゼルが生きていたことに、喜びと安堵が浮かぶ。

 胸の奥が凝り固まった感触に、誤魔化すようにカップを手に取り喉を潤した。

 このティーセットを買った時のあの日のお前の顔が、まぶたの裏に鮮明に思い出せる。大丈夫。

 俺たちの関係が〝スタートに戻る〟というマスに、運悪く止まってしまっただけだ。

 ならまた始めればいい。
 なにも戸惑うことはない。俺のすべきことはなにも変わっていない。

 ──アゼルを愛すること。

 それだけなのだ。

「どうにか、なる。大丈夫だ。まずはできることを、考えよう。天界からの攻撃にも備えないといけないから、みんな忙しくなるな」

 そう言って奮い立つ。
 このくらいでは俺は揺らがない。

 ライゼンさんが心配そうにこちらを伺うが、安心させるためににこりと笑って見せる。
 それから俺は、アゼルを見つめた。

 彼は黙りこくって、俺のことをまるで知らないように警戒し、本来の人間への認識である食料か下等な生き物だなといった目をしている。

 なぜ人間が自室にいるのか理解できないらしい。興味はないのに、警戒だけは向けられた。

「はじめまして、になるのだろうか」

 暗く億劫そうに細められる瞳を正面から見つめて、できるだけ自然に微笑む。

 なるべく明るく、一人知らない時を押し付けられるアゼルの不安を取り除くために。

 じっと目を合わせるとビクッと視線を逸らし、ほんの少しだけ怯えたように震えたアゼル。

「俺は大河 勝流。この世界ではシャルという名前で生きている。そう呼んでほしい」
「……。……知らねえな。お前、人間……侵略者……では、ないな。誰かの、生き餌……捕虜……? まぁ、興味もないが、俺には城のことを把握する義務がある……」
「ぁ……あぁ、ええと、どこから説明すればいいのか……」

 なぜ魔王城に人間がいるのか。
 それも普通に生きているのか。

 異常な状況を訝しむアゼルに、俺はどこから語ればいいのか迷ってしまう。

 今のアゼルの記憶では、十八年前のままトリップしてきたような状態だ。

 その頃のアゼルは恩人のシャルにも会っていない上に、魔王であるために自分を殺しすぎて、本当の自分を晒せない呪いにかかっている。

 限界を感じるまであと数年くらいしかない。
 周囲全てに疑心暗鬼になって精一杯尖るよう、心を閉したままなのだ。

 そんなアゼルに突然俺との思い出やらなんやら語ったところで、そんなことは信じられないし、心底どうでもいいだろう。

「口にする関係性がないなら、説明は時間の無駄だろ。……理解できないわからないものが増えるのは、不愉快だ。……失せろ」
「まっ、魔王様っ……」

 アゼルは無駄だと否定した後、小さな声で理由を付け足す。
 そして最後に、俺を突き放した。

 おそらく思ったことを言ったが言い方が冷たかったと気づき、理由を付け足したのだ。

 けれどその理由の言い方も冷たいものだから、アゼルはこうしてままならない自分の言葉を恥じている。

 これ以上傷つけて嫌われないように、相手をテリトリーの外へ追いやった。

 俺がその本心をわかるのは、ライゼンさんが焦って声を上げたのは、俺の知っているアゼルがいるからだ。

 そうでなければ俺は今すぐにでもアゼルに頭を下げて背を向けただろうし、ライゼンさんはアゼルを窘めたりしなかった。

(……そうか)

 俺の知らない頃のアゼルは、こうして一人になったのか。
 今の俺が気がついたのは、アゼルの本当の姿を知っているからに過ぎない。

 人が誰しも隠す自分の本当の部分をここまで頑なに隠し切るなんて、と。
 そうして強がる男を、知っているから。



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