上 下
157 / 901
三章 勇者と偽勇者と恩人勇者。

28

しおりを挟む


 ──ドサッ、と柔らかな地面を踏む音がして、周りの風景が変わった。

 むせ返るほどの土と木々の香り。それすら上手く感じられない。
 血の気を失った顔を木漏れ日が照らす。
 勇者に掴まれたままの腕が痛いことに気がついたが、もう俺にはどうしようという思考すらなかった。

 これでさよなら。
 回路は複雑で一回きり。固定された場所にしか飛べないのが転送魔法陣だ。

 場所もわからないならどんなに速く走ったとしても追いつけるわけない。追いかけてくれるわけもない。だからさよならだ。

 呆然と立ち尽くす俺の頬を、手甲をつけたままの硬い手がバシッ! と平手打った。


「……なんだ?」

「チッ、ボサッとしてんなよ。極悪人のくせに死人みたいな顔しやがって。ちったぁ自分がどうなるのかとかここはどこかとか気にならねぇのか。寝ぼけてんじゃねェ」

「あぁ……」


 鋭い三白眼に睨みつけられ、打たれた頬が赤くなっているのも感じるが、どうにも今は全てが遠い世界のようだ。

 受け入れるのに時間がかかる問題が一気に投下されて、俺の脳は処理することをやめてしまった。
 不器用な俺には前を向いて頑張ることだけしかできないはずが、今は真っ暗闇に落とされた気分なのだ。

 勇者は反応の薄い俺に苛立ち、再度頬を打ってから俺の手を後ろ手にロープで縛って、犬のように歩かせ始める。


「……ここは人間国の端だ。魔界から脱出する時用に仕込んでもらってたんだよ。俺はこれからお前を城に連れて行く。王には生きていたら殺せと言われてッけど……罪人とはいえ、無抵抗の人間を殺すのは違ェ。だから、ちゃんと裁いて処刑したほうがいいと思う」

「そうか……」

「お前は死んだことになってンだ。お前をシャルとしていたんだから、勇者が二人だとまずいンだよ。本当は偽物でも、なッ」

「ゴホッ……ん、わかった」


 のろのろと歩く俺の背中を突き飛ばした勇者に従い、俺は森に身を潜めながら人間国を目指した。

 言葉は乱暴なのに結局ここがどこかも俺の処遇も教えてくれた勇者は、本来憎い相手でなければ優しい男なのだろう。

 もう魔界から出ていたんだな。アゼルが本気で走ったって半日以上かかる距離だ。

 そう考えて、すぐにハッとして自分の思考を恥じた。追いかけてくれるわけがないのになにを考えているんだ、俺は。

 浅ましくて馬鹿らしい。
 アゼルが俺を愛していてくれたあの優しく温かい気持ちが綺麗サッパリなくなったなんて思えなくて、残骸にすがっているんだ。

 ──俺はアイツの何者でもなかったのに。

 アイツが欲しいのは、俺じゃない。

 記憶がないなんて当たり前だった。俺は別人だったんだから。
 何度訂正しても聞く耳持たずシャルと呼ばれたのは、影武者だったのだから当然だ。
 塔から出してもらえなかったのも、民衆にはバレるわけにいかなかったから。

 過去のピースを埋めていくと辻褄が合う。森の中を進みながら、俺の足は鉛のように重かった。

 恩義があると大切な気持ちを十年も抱えて生きていたんだ、アイツは。

 やっと手に入れたと思って幸せそうに笑っていたのに、それが偽物だったなんて知ったアゼルは、どんな気持ちだろう。

 ましてや恩人が亡くなっていたなんて。
 アゼルが一途に、眩しいほど美しく大切に抱きしめていた思いは、こんなにあっさりと行き場を失ってしまった。

 アゼル、アゼル、アゼル。

 泣いていた。
 苦しそうに、泣いていた。

 そんな冷たい思いから、お前を傷つける悲しみから守ってあげたい。
 今すぐ抱きしめてキスをしたい。

 だけど、悲しませているのは俺なんだ。
 そんな資格はない。

 アゼルが求めているのは、俺の腕じゃない。


「……アゼル……」


 か細く未練がましい声は、無意識に愛しい男の名を呼んでいた。
 なんだよ、シャル。そんな返事はないのにな。


「……こんな時まで、魔王のことかよ」


 俺の綱を引きながら、理解できないような、困惑した表情で勇者がなにかをつぶやいたが、俺にはなにも届かなかった。




しおりを挟む
感想 215

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

俺の義兄弟が凄いんだが

kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・ 初投稿です。感想などお待ちしています。

処理中です...