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一章 魔王城、意外と居心地がいい気がする。

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「き、嫌いにならないで……っ」


 嗚咽混じりの掠れてごろついた声の、祈るような嘆願が頭の上から聞こえる。

 もう、俺はたまらなくて、熱い体で閉じ込められていた腕をどうにか動かす。
 そして馬鹿なことを言う魔王の背に腕を回し、めいっぱい抱き締めた。


「っ俺はそんな、餞別のつもりで来たわけじゃない。嫌いだなんて、針の穴ほども思ってない……!」

「なんでだ、よ……! 俺は、あんな……うぅ……っシャル……一緒にいたい、どこへもいかないでくれ……っシャル……! うっ……うううううぅ……」

「な、泣くな、泣かないで、おれっ俺も泣きそうになる……だろう……っ!」

「ううぅぅ……!」


 アゼルは震えながら、先ほどまでのロボットじみた無表情が夢かと思うくらい、めそめそ、しくしくとすすり泣く。

 彼が万人を魅了する美しい顔を涙で台無しにするから、俺はつられて泣き出しそうになった。

 少しだけ涙声になった俺の言葉に、どうにか泣き止もうとして唇をくい締めながらも、やはりとめどなく溢れる熱い雫。

 それは俺の髪や頬、服を湿らせ、その宝石みたいな涙も、痛いほど抱きしめる腕も、全てが俺へ捧げられたアゼルの心を真摯に伝えていた。

 どうしてそんなに泣いている?
 謝るのは俺のほうなのに、どうして謝る?

 嫌いになんて、なるはずないじゃないか。嫌われるのは、きっとお前を酷く怒らせた俺だと思っていたのに。

 顔も見たくないと思っていたらどうしよう。仲直りしたいと思っているのは俺だけかもしれない。

 こんなものと、突き返されたらどうしよう。それでもやっぱり、ここにいたい。

 大切に思うからこそ、そんなやつじゃないとわかっていても最悪の想像を拭いきれなかった。

 それがどうだ。
 魔界の頂点、恐怖の化身。

 誰もが恐れる魔族の王は、俺ただ一人に嫌われるのが怖いと、嫌わないでと、恥も外聞もなく泣き出すような、弱くて繊細な男だったのだ。




 それからしばらく。
 俺は狼狽しながらも花束を持っていないほうの手でトン、トン、と背中をさすりながら、アゼルをあやした。

『俺が悪かった』『一緒にいよう?』『なんでもするから』

 それを何度も繰り返していたアゼルは、ようやく時折嗚咽を漏らす程度に落ち着く。

 昨日の暴挙で、俺の贈り物をしたいという気持ちを勘違いで踏みにじったと思っているアゼルは、俺が魔王城を嫌になったと決めつけている。

 だからその言葉たちが吐き出されるたびに、できる限り優しく言い聞かせる。

『なにも悪くない』『一緒にいたい』『嫌になるまでそばにいてくれ』

 伝われ、伝われと気持ちを込めて、繰り返しそう刷り込んだ。

 刷り込みが終わった現在。
 沈みかけていた夕日がすっかり沈み、窓の外の景色は薄暗くなっていた。

 照明をつけていない室内は影を落とし、日の光と入れ違いに我が物顔で現れた、まだ若い月の光が柔らかに差し込む。

 ズズ、と鼻をすすり、少しも俺の体を離さなかったアゼルが、離れがたいように俺の髪に頬を寄せる。

 人間にしては背の高い俺よりも、頭半分は大きなアゼル。
 それなのに子どものように、声を上げてなりふり構わず泣いていたアゼル。

 魔族は血も涙もない恐ろしい生き物。

 そう教えられたのに、実際はどうだ。こんなにもいろいろな感情を持って、生きている。

 俺は抱き合う体の熱を感じながら、本当は彼らが感情豊かで泣き虫なか弱い心の生き物だということが知れて、和やかな心地になった。




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