人の心、クズ知らず。

木樫

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第九話 サキと夢。

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「そんな顔して言われて、誰が離すか……」

「そんな顔、とか言われてもね。どんな顔してんの? 俺。わかんないけど、離れてくんないと……壊れそうかな」

「離したほうが壊れる。絶対に。咲は俺が……俺たちが手を離したら、粉微塵に壊れて風にさらわれて消えちまうよ」


 妙に断定した言い方である。

 誰に話しているのかわからないが、俺の脆弱さをわざわざ口にして言い聞かせて、どうしたいのやら。

 ハルが離してくれないなら自分で引き剥がさなければならない。
 けれどそうしようとは思えず、心臓がジクジクと膿んで息苦しくなる。

 これじゃ堂々巡りだわ。
 話長い。意味わかんねぇぜ。

 あんまりしつこいとこのまま白骨死体になるかもしんない。そこまで神様は優しくねーって、ねぇ、離して。


「俺、粉になっても構わねーって話、したよな? 言い聞かせても意味ねーの」

「違ぇ。グズにも理解できるように言ってんだ。……俺はお前を忘れねぇし、離れたくもねぇからこうする」

「ふふ、意味わかんね。んじゃ……もっとわかりやすく、言うか」


 身動きが取れないまま、どうにか作った薄ら笑いを再度浮かべて、蚊の鳴くような声で今度こそと教授する。


「もう終わりたい」


 嘘偽りなく、ポッカリと空いた胸の穴の中から出た正直な言葉だった。

 俺の頭を強く抱き離さないと知らしめるかのように背を撫でていたハルの手が一瞬震え、ピタリと止まる。ちゃんと意味がわかったのだろう。


「いいって言ってよ。許して、ハル」

「さ、咲……」


 俺はこのハルの手が欲しい。
 だが欲してはいけない。

 世間一般的にフツウな彼らをうまく愛せないなら何れ傷つけることになるのに、そばにいてほしいと願う残酷な俺と一緒にいると、傷つけたくないやつらが傷つく。

 なら、俺が泣かせたくないやつらからはすべからく離れよう。

 そう決めた。
 見たくない涙を見たから。

 考えるのも、耐えるのも、望むのも、抗うのも、全てが狂おしいほどに辛い。
 傷つけてから知った〝後悔〟が、それを二度と味わわないためにそうさせた。


「……っバカ言うなよ。疲れたから、泣かせたから、もう死にたいって、お前はいつだって極端すぎるぜ。バカの所業だ」


 なのに、ハルはそれを許さなかった。

 はぁ、とんだ鬼コーチだよ。
 自主退場もKO負けも禁じられて足がガクつく俺にタオルも投げてくれねんだぜ。


「俺は、少なくとも俺は今まで泣かなかっただろ? けどお前がいなくなって泣いちまったんだぜ。ほら、お前が消えるほうがアイツらも俺も簡単に泣くんだよ。実際、酷いもんだ。……お前だってその理屈で言うと、俺らがいないと寂しいって震えて、会いたくても会えないって夢に依存するんだろうが」

「ふっ。オマエ、残酷だね」


 感情初心者の俺がどうにか伝えた名案をハルは頑なに突っぱねて、更に深く理解させようと一生懸命に食い下がる。

 俺はまぶたを閉じたまま、疲れきった吐息とともに一言吐き出して黙り込んだ。

 酷いことばっか言うよな。
 じゃあ俺にどうしろってんだ。

 ずっとずーっと失敗して生きてきた。

 傷つけては捨てて、飽きられては捨てられて、俺なりに本気で正解だと思ってやってきてもうまくやれた試しがねぇんだよ。

 その俺がそんな他人の運命かけたバクチ打てるか。オマエらでだけは失敗したくねぇのに、ほら結局同じオチじゃん。
 全部ダメなら動けないからここで永遠に朽ちていくよ。消えちゃダメなら長生きするから、なるべく早めに忘れてね。


「…………怖いんだな、お前」


 そうしてまぶたの裏を眺める俺へ──ハルの声が、いとも簡単に突きつけた。
 自分ひとりじゃわからなかったこの焦燥と胸の詰まりの正体を、真正面から。


「あぁ……俺って、怖がってたんだ……」


 ゆるりとまぶたを開く。
 この感情が、怖いって名前か。

 感じたことに気づかなかったか感じたことがなかったのかはわからないが、恐怖するという感覚をここまで強く自覚したことがなかった俺は、しっくりと理解した。

 俺は怖いんだね。


「気持ち悪」


 実感すると、もう長いこと長いこと感度が低迷していた受容体がギャップで悲鳴をあげて、頭が割れそうに痛んだ。

 うわ、うわうわ怖い。怖い怖い怖い怖い。怖いな。怖い。いやだ。気持ち悪い。吐きそう。怖いって、怖い。怖い。怖い。


「こ、怖い、わ、わかんね、から、怖、なん、なにが違うの? うわ、わぁあいやだいやだ怖い怖いこわいこわいこわい」


 心臓がバクバクと弾む。
 はっはっと繰り返す浅い呼吸が不規則になり、首が縮んで震えを呼ぶ。

 そうだ。怖い。傷つけるのが怖い。消えてしまうのが怖い。失うくらいなら自分を殺して、鬼さんもう居ないから大丈夫だよって、ちゃんと存在してくれるほうがいい。俺のいないところでいい。だって俺は怖いから。


「大丈夫だよ。ほら……ゆっくり息して、俺に甘えてろ。お前はただ修復してるだけなんだから、いちいちビビってんな」

「──……っひ」


 そうして理解を得るたびに混乱して震えるみじめな俺の背を、ハルの腕が、やっぱり強く抱きしめてくれた。

 煩わしがらず抱き寄せる。
 トン、トンとあやして、ヒィヒィと呻く俺が落ち着くまでなでる。

 不思議なことにハルが言い聞かせると息をするのも苦しかった気分が徐々に落ち着いて、怖くてたまらない発作のような焦燥感が引いて、目が痛いほど安心した。

 泣きたい程度には安心する。
 現実じゃ潤みもしない薄情な眼球が溶けて、夢の中に落ちたくなる。


「ハル……怖ぇよ……もういやだ……」

「バーカ。大半の人間が常日頃感じてるもんなんだよ。たったひとつ手に入れたくらいでなに言ってんだ、弱虫。お前が知るべきもんはこれからもずっともっとあるんだよ」

「ムリ、受け取れただけだよ……じょうずに出力できねぇよ……今だって怖い……奇跡的に、ハルが抱きしめてくれてんのに」

「俺が会いに来ることを、奇跡とか、言うなバカ」

「……むつかしい」

「しくない」

「『奇跡でもなんでもない必然になるようにねだればいいだろ?』って言われても。愛されるってことは、いつか愛されなくなるってことだから、なぁ」


 下手くそな気持ちの話に乱暴な相槌を打っつハルの提案に、目を伏せた。

 ──人の心は見えない上に自分に理解できないものだから、この世で一番怖い。

 そう定めた俺には、永く自分を好きだという人がみんな化け物に見えている。

 だからそれを自分が持つとなると、当然、俺にとっては自分の中に自分を苛む化け物が住み着いたと同義だ。

 これの扱い方がわからない。
 自分なりに世話するうちに、内臓からグチョグチョと食らい殺される。

 ハルはそれを五人分頑張れと言う。
 そんなの、無理だ。

 終わる前にちゃんと試せって、うまくいくかもしれないからアプローチしろって、一生懸命恋に生きろって言う。

 むつかしい。本人ですら不要のゴミクズをどう金メッキで取り繕ってセールスしたって、いつかはバレて捨てられる。




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