人の心、クズ知らず。

木樫

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第九話 サキと夢。

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「は、……っ……」

「咲?」


 困ると、体がバグった。
 喉の奥がヒュ、と鳴って、舌を吐き出しそうになる。どうやらかみさまが願いを叶えてくれたらしい。ハハ、おせーよ。ありがと。


「もしかして、息、できねぇのか?」

「……っ…、……ぅ、……」

「っ咲、ダメだって、諦めんなよっ。深く考えるな、思ったことだけ言えばいいし、俺は絶対にお前の隣にいる、だから、咲……っ」

「……、……」


 息ができないと喜ばしい。このまま安眠を願うが、ハルが俺より死にそうな顔で両肩を掴んでガクガクと揺すると、俺はやっぱり呼吸をしようと肺を稼働させてしまった。

 邪魔すんなよ、相棒。
 ハルの声なんか知らんぷりして死にたいのに、俺は目を閉じられねんだ。
 浅ましくって、惨めで、くそったれ。

 思ったことだけ言えとねだるハルに応えようと唇を動かしてみたものの、ガタガタと骨の芯から震えるだけでうまくいかない。

 眩暈がする。耳鳴りが酷い。
 いつも通り小刻みでか細い体内換気をどうにかこなして平静を装おうとしたが、それすらあまりじょうずにできない。


「咲……咲……」


 そんな俺の名を呼びながら、ハルは俺を抱きしめてトントンと背を叩いた。

 薬のお勉強をしているアイツならなにかわかったかもしれないし、抜け目のないアイツならなにかできたかもしれないけれど、ハルはただのハルなので処置は専門外だ。

 ハルは淡く、力強く、なにか熱の篭った手で俺の背中を何度もなでる。
 それはなんの医療行為にもならない。

 でもそうされると、俺は余計に変になって、細胞全部で奮い立つのだ。

 どういう感情が引き金になっているのかわからないまま、体だけがどんどんおかしくなっていくのだ。


「ふっ……っぅ、……はっ」


 不思議なことにハルが触れるとままならない呼吸が幾分マシになって、俺の肺はそれなりに見れた酸素供給を始めた。

 だって、ハルの手が俺に触ってんだよ。
 ハルの体温が俺に移って、ハルの声が聞こえて、ハルがここにいるからさ。


「んん……ん」

「は……よかった、咲……」


 俺が死んだら夢の中で見た顔で、ハルが泣くような気がしたんだ。

 それは嫌だった。
 どうしてそう思ったのやら。

 触れるなら、劉邦だって他のメンバーだって、この三ヶ月俺を添い寝人形にしていたやつらはみんな触れたはずなのに。


「ハル、よくねーよ……」

「いいよ。俺らは親友……そうだろ」

「ねぇ、ハルキ」

「ここにいる」


 少しずつ、少しずつ。
 ハルの体温が俺に染みていく。

 それでもとても言葉にできない。
 ハルの熱にほどけていくなにかが、柔らかな部分をむき出しにトロリと溶ける。

 勘弁しろって、言えねぇよ。選べないし、俺のソレは一番醜い。さっさと手ぇ離してサヨナラバイバイしねぇと。

 なら、突き飛ばして引き倒して拒絶するのが正しいんだ。


「──さみし、かった」

「っぇ、……っ!?」


 わかっていてもできなくて、俺はトンと自然にハルの肩へ額を預け、乾いた唇を見苦しい形に動かしていた。


「な、なんでそんなこと、お前がっ」

「会いたかった……」

「!」

「はは……お前にも、アイツらにもさ……会いたかったんだよ……いないと寂しくて、会いたくなる……寂しいは、嫌だなぁ」

「っんな、声で……っ」


 〝寂しい〟

 その言葉は、感情の感度が著しく低い俺にはほとんど自覚できなかったものだ。


「──ならなんで離れたんだよッ!」


 とっくに知っているから狼狽えたハルは、みるみるうちに怒りで紅潮した表情を歪め、ついに声を荒げた。


「あの四人は悔しいけど俺が認めるくらいにゃあ図太くてしつこくて開き直ってて必死な恋愛脳のクソお花畑野郎どもだ! 一時の錯覚でも冷めやすい小火でもねぇ! お前だって離れて壊れる程度にはアイツらが特別だったんだろっ? 初瀬を傷つけたからってなにも消えることねぇんだっ。他から一人選べばいいっ。ちったぁ心がわかったんなら、それで大躍進じゃねぇか……!」


 ハルは掠れた声で尋ねる。
 酷い顔。赤い目元が湿っている。今にも引き裂かれそうな鮮烈な批判だ。


「あはは。……ふふ」


 俺はくたりと身を預けて、ハルの首筋に頬を擦り寄せた。

 ハルの脈。ドクドクしてる。
 生きてんね、よかった。他もみんな、生きているといいな。

 泣いていなければいい。

 ずっとずっと、そう思って、ここにいた。乾いた笑いが象徴する。


「ハル、ダメだろ。ショーゴは泣き虫ショーゴちゃんだけど、あの涙はたぶん、絶対流させちゃいけなかった。罪深いわ」

「知るかっ。それか、……そう思うなら、咲は初瀬を愛してんじゃねぇの……?」

「破綻しそうだよな。俺は今でもショーゴが他と寝てもなんとも思わないし、ショーゴが泣いた理由もわかってない。嫌われても殺されても埋められてもまぁ、いいよ」

「っそ、れは……」

「ね? わかんねーからフツーには・・・・・愛せない……俺がサヨナラを惜しむモノとサヨナラするたびになにか知ったとして、その中にヒトの愛し方はないまま。自分の意思じゃなんもできねー」

「ならもうっ、他で試せばいいだろ! あと三人もいんだ。そしたらゲームが終わるまでお前は生きるし、終わったら俺のためにでも生きてろっ」

「アハ、ダァメ。他も全部、あんな泣き方させたくねーんだ。だから俺は、涙の元凶は、記憶デリート」

「──ッ俺はッ! 初瀬も音待も生多も忠谷池も、どうでもいいんだよッ!」


 ハルの咆哮が空を切って響き、シン……と静まりかえった。

 沈黙する部屋でダラリと脱力しきり死に体と化した俺を、ハルは渾身の力で抱き締め、ハルの全身が親に逆らう子どものように離すまいと震えている。

 相変わらず、声はうるみを帯びていた。

 たった一雫で、また新しく、知らない感情を教えられたのかもしれない。


「……泣かないで、ハル」

「泣いてっ、ねぇっ」

「泣く意味ねーよ。もったいない」

「ふざけんなっ。俺はお前の言葉がわかんだぜ? お前のために泣くことはもったいなくねぇっ」


 ズズ、と鼻をすすりながらゴロついた叱責に噛みつかれた。
 湿った目元の水分が集まってしとしとと滴り、雨粒に好かれた窓ガラスのようなハルの頬。

 ハルは聞き分けない男だ。
 けれどハルは俺と思考が似た男でもあるからここまで反発されることはなくて、どう扱っていいのかわからない。

 まだ言葉の意図は伝わるっぽい。
 でもキレてんね。怒られた。

 そりゃそうか。ハルは好きで泣いてんだから俺がとやかく言う権利ない。ハルがハルの体液好きに分泌すんのはハルの権利だし。


「怒んねぇで、ハル、泣かねぇで」


 わかっていても、懲りずにスリ……と額を肩口に擦りつけて慰めてみた。

 変なの。
 アイツらと違って、ハルは友達だろ。

 俺のことなんて絶対好きになんねーし、俺とセックスもしたくなくて、俺になんも求めなきゃ俺が誰となにしても気になんねーで、俺の性別も容姿も年齢も家も金も学歴も一般教養も期待も失望も特別扱いも愛情表現も恋愛感情もなにもかも興味なくて口出ししないただの気の合う他人でしかないのに。


「ハルを泣かせんのも、ダメだな」


 気づきと共に呟くと、頬に触れていたハルの喉が、ヒク、と一つ痙攣した。




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