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第九話 サキと夢。
16(side蛇月)
しおりを挟む野山春木という、真っ赤な髪の先輩がいた。
教師すら手を焼く過激派ヤンキー。
笑っていたかと思えば次の瞬間階段から突き落とすようなヤバイヤツ。
一見すると強面でも屈強でもない男だが、頭のネジがいくつもブッ飛んでいる。咲と違う意味で有名な人だ。
そしてそんな野山と咲は、どういうわけか不思議なほど仲が良かった。
仲がいい。不思議なほど。
咲の一番親しい友人は? と尋ねられれば誰もが野山の名をあげるくらいには公然の認識で、確かに相互の親友だと思う。
四六時中咲のそばにいるわけじゃない。
咲とは二人きりじゃないと仲良くしなかったような気がする。
他人が近づくだけで立ち去るし、他人がいると近づかない。
場合によっては気にしないが、先に話していた相手も話に割り込んできた相手も胸ぐらを掴んで笑顔で殺す。
なのにフラリと現れては誰よりも自然体で咲の肩を組み、吐息を掛け合う至近距離で笑いあって去っていくのだ。
周りはそれで確信する。
あぁ、釘を刺された、って。
見せつけながら見下された、って。
だから不思議なほどとオマケを付けて仲がいいと噂されて誰も二人の関係にツッコミを入れちゃいけない空気があり、野山よりずっと絡みやすい咲に真偽を聞こうって勇者もいなかった。
単純に、みんな野山が怖いわけだ。
ちょっとだけ気持ちはわかる。
最終的には咲よりも大きく成長したし筋力もあって喧嘩慣れもしている俺でも、野山には勝つ自信がない。負けもしねぇけど。いや、正確には体格差を同じにしたら負ける。
そのくらい強い人。というよりヤバい人。だって、不幸な事故を起こせるから。
俺はあの人がたまに少し怖い。
みんなあの人が怖いはずだ。教師も怖くてなにも言えない。──咲以外、は。
「──…………」
パチ、とまぶたを開く。
屋上のドアを開閉する音が聞こえた。
耳のいい俺は些細な音でも拾える。咲は猫のようだと笑っていたので、俺はこれを有効活用して咲の安眠を守ることにしている。
視線を向けて待つとあまり間を置かずゴンッ、と鈍い音が鳴り、ドアノブを踏んだ侵入者が俺と咲が眠る貯水タンクの陰へと上がってきた。
「…………」
噂をすればなんとやら。
俺と目が合い、侵入者はス、と目を細めてしばし静かに佇む。
野山春木。
ド派手な赤髪に改造しまくった制服がトレードマークの先輩サマ。
見てくれだけなら小顔でスマートと癖のあるファッションが似合うサブカル系イケメンで、咲と並べば女子が色めき立つ。
気ままな猫だってな。
そんな生易しいものじゃねぇぜ。
猫どころかイカれた猛獣だ。上品なキレイめの顔立ちをしているくせに、笑い方が凶悪で、立ち振る舞いは凶暴。
ピクリとも動かず眠る咲に膝枕をしながら、俺は野山を一瞥し、シカトした。
コイツと俺は半分似ている。
咲とその他でハッキリと対応を変え、一番が咲であることをブレさせない。
だから合わない。
同じく俺を完全に無視した野山がタンタンと歩み寄り、そばにしゃがみ込んで咲に手を伸ばしながら甘ったるい声をかける。
「咲、起きろよ。なぁ」
「ア? 触ンな」
「あ?」
その手をパシッ、と強く掴んだ。
へし折ってやろうかって。
喧嘩相手にはよく獲物を狙う獣だと言われる俺の目と瞳孔が開きランランと光る野山の目が向かい合う。
お互い能面のように無感動だ。
だがそれも数秒。野山がギラついた笑みを浮かべるとほとんど同時に、俺はニヤリと口元をひねりあげた笑みを返す。
「俺、テメェのこと嫌いだわ」
「オ、レ、も。奇遇だなァ」
「ハッ、手ぇ離せよ。落ちたかねぇだろ」
「ウッセェよ、へし折られてェの?」
きちんと顔を合わせたのは今日が初めてだが、俺も野山もひと目で理解した。
コイツとは馬が合わない。
ただの勘。ただの同族嫌悪だ。
咲の一番近い場所にいたい。邪魔するヤツは威嚇する。殺意すら向ける。
そんなところが似ているとよくわかったから、手首を握る手にギリ、と力がこもってしまった。コイツは必ず邪魔になる。
俺と咲の邪魔をするな。
「起こしたら殺すゼ? 咲は滅多に深く寝らんねえのに、ラッパの罰ゲームが永眠ぐらいじゃ割に合わねェなァ」
「知ってっけど? 寝ても寝ても寝てねぇし短時間で夢見も悪い。今の時期は特にオウチの事情でイカレてっからメンタルヘルス最悪だ。思春期ボーイの環境として地獄だね」
「じゃあその家ぶっ壊してくりゃいいだろォ~がッ。ア? テメェがヒヨッてンならオレが更地に変えてやッから口だけチキンは引っ込んでろ」
「だァからテッメェ脳ミソ足りてねぇなァ~ッ! やっていいならやってんだよボケ。無理な時点でタブーだろグズ。咲は親友であるこの俺が! ケアしてんの。わかれ? つかマジで空飛ばすぞ後輩」
「わかんねェからやってみろや先輩地面とキスさせてやらァ。テメェがとっとと消えろ? 寝てる時くらい穏やかでいさせてやれ」
「飼い猫ヅラしてんじゃねぇよただの後輩が。夢の中でも地獄だからリアルのがマシだっつって」
「ウルセェよただの友達が。オレの歌で寝ると夢も見ねェってさァ」
その一心で過激な笑顔と笑わない目を付き合わせていた時。
「あはは。うるせぇのは誰だろうね」
「「ッ!」」
突然平坦で薄い笑い声があがり、俺と野山はビクンッ、とそろって体を跳ねさせた。
寝起きの少し掠れた声。
その持ち主が一人しかいないから慌てて手を引っ込めると膝に感じていた重みがなくなり、代わりに濁った双眸が俺たちを射抜く。
歓喜で胸が湧く。
咲が俺を見てる。
──咲、咲、なぁ咲。この不躾な邪魔者を一緒に突き落とそうゼ? オレと咲がお昼寝してンのにヒデェよな。ここはオレと咲だけの屋上だろォ? なぁ咲、咲。
次の瞬間には自分に声がかけられるんだと思って、俺は期待たっぷりにそんな提案をテレパスする。
けれど視線はすぐに俺からそらされ──野山へと注がれた。
「ハル? なんでいんの」
「お前のいるとこにゃ俺がいんの~」
「ジョーダン。本当は?」
「わはっ、昼寝が長ぇから茶々入れに来ただけ。今夜は俺と夜遊びする約束だろ? 今寝んのはやめとけ。したらキングサイズのベッドで添い寝してやんよ」
「なにそれ愉快。ま、いつものことだし、別に寝れなくてもいいんだけどサ」
「はぁん? 俺だけ寝たらなんかムカつくじゃねぇか。春ちゃんが寝るっつったら咲ちゃんもねんねですぅ~」
「んふふ、なんだそれ。じゃ~起きとこっかねぇ~」
コンクリートに手をついて欠伸を噛み殺しながら気だるげに了承する咲と、俺を食い殺そうとしていたさっきまでの顔が嘘のようにニヤニヤと無邪気に笑う野山の会話を、青空をバックにただ見ているだけの俺。
俺の知らない話だ。
咲は俺の知らない話を俺以外として俺以外に向けて笑っている。
俺を無視して、野山、だけ。
──……ズルい。
心臓が爆ぜそうに鼓動していた。
血液が沸騰する言いようのない衝動を、こっくりと黙り込んで抑え込む。
あえて言うなら嫉妬だ。憎悪だ。殺意だ。羨望だ。絶望だ。悲愴だ。啼泣だ。それらすべての象徴だ。そうあるべきだ。
それ以外でと言うなら、一番近い感覚は〝崩壊〟だろう。
崩れ落ちていく俺をしり目に、数言会話してから軽くちょっかいをかけて咲とじゃれ合った野山は、ヒョイと飛び降りて機嫌よく屋上から出て行った。
バタン、とドアが閉じる音がする。
けれどまた二人きりになれたのに、俺の心のモヤは晴れないままだ。
泣きたいような、叫びたいような、暴れたいような。
こんな気持ちになるのは初めてで、この感情をどう処理していいのかわからない。
歪んだ醜い表情で黙り込む俺を、咲が不思議そうに覗き込む。
そうすると俺が抑え込んでいるものなんて一目瞭然にバレバレなのに、咲は特に動じることなく当たり前に受け入れて、日常と同じ仕草で俺の頬に手を添えた。
泣いて、しまう。
「タツキ、どしたの? 無神論者みたいな顔しちゃって」
「っ……さ、き。咲……」
「ここにいるだろ。はは。見えてねぇのな」
片腕でトン、と抱き寄せられる。
だけど咲がどれだけ笑って俺を抱きしめてくれようが、今の俺には、咲を信じることができなかった。
だって、ここには誰もいねえんだ。
俺には咲が見えねんだ。
心底そう感じるくらい酷く不安定で孤独な気分で、あぁ──嫌だ。
咲、どこにも行かねぇで。俺と一緒にいて。俺を忘れねぇで。俺が見えないみたいな咲は嫌だし、俺には咲のことがちっともわかんねぇけど、でも、だって、なぁ、お願い、おねがいだから、さき。
ここにいてよ。
──ここにいようよ。
「咲……咲……っ」
崩壊した俺は泣きながら縋りつき、咲、咲、と何度も名を呼んだ。
そのたびに咲は返事をしてくれた。
本気かジョークかわからない態度で子どもを相手取るように俺を扱い、それでもいつも通りに笑って返事をしてくれた。
ほら、最高で最低で、唯一無二の人。
俺が咲の笑う理由がわからないのと同じで、咲だって俺がなんで泣いているのか、これっぽっちもわかっちゃいないだろ。
でもそんな咲が、俺を好きになればいいのにって、俺は今でも思ってるんだ。
そんな咲を、俺のものにしたい。
俺の一番好きな人が咲なんだから、咲の一番好きな人が俺になれば、叶うよな?
親友にも勝てるような一番咲に好かれる関係が欲しい。それになりたい。
それはなんだろう?
俺はどうしたらそれになれる?
「咲……」
「ん?」
「……抱いてくれよ」
──今思えば、浅はかな考えだ。
けれど生活を捧げて趣味に溺れるほど一つの物事に執着する質である俺が、音楽以外に……人間に興味を持ってしまったら、何れはこうなって然るべきだったのだろう。
床も壁も天井も五線譜だらけの白い部屋に、一枚の写真を貼り付ける。
タイトルは〝息吹咲野〟。
ああ──これが恋って感情か。
「添い寝なんかよりもっとイイこと、オレにならなんでもシていいンだぜ?」
俺に全てを教えた男は、一生モノの呪いとして、俺に恋を教えた男だった。
◇ ◇ ◇
閉じたドアを呆然と眺めていた俺は、ハッ! と我に返り、慌てて咲の背を追いかけて玄関へ駆け出した。
「咲っ!」
バンッ! とドアを開く。
広々とした廊下に咲の姿は見えない。
冷や汗が吹き出す。青い顔で名前を呼びながらなりふり構わず走ってエレベーターホールへとたどり着くが、そこに咲の姿はなかった。
「っ……嫌だ、咲ぃ……っ」
ガクガクと震える足じゃ体を支えきれず、俺は後先はばからずその場にみっともなく泣き崩れた。
俺は、翔瑚みたいに諦められない。
咲がいなくなっても、諦められない。
だって俺は、一番諦めの悪い男。
「あぁ、あぁっ、さ、咲がいないと、オレ、じゃなくなる……っ」
昔の夢を見たのは、こんな世界がやってくるという暗示だったのかもしれない。
つまりこれは、カミサマを独り占めしようと企てた俺への罰だ。
好きだなんて言わないから、この体を好きに使っていいから俺が一番ステキな男で、諦めなければいつか叶うし、叶わなくても終わりなんてこないだろうと驕った。
でもそんなのは、どうでもいいんだ。
もういいんだよ。
本当は唯一無二の相手になんかなれなくてよくて、あれはただのバグで、どういうことかというと、俺の恋は、俺の夢は──
「俺だけじゃなくても、よかったんだ」
──ただおれを……愛してくれれば、それでよかったんだ。
その日から、咲は姿を消した。
いつも気まぐれでなにごとにも執着しない咲は、終わり方だって唐突で、日常の一筋に違いない平凡な機微で終わる。
さようならですら、言わせない。
そういう最低な男だった。
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