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第三章 町のパン屋に求めるパン
24.秘密のスパイス
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「あれ? 看板がない」
ミーティと共に店の前に戻った俺は、そこにいつも出ているはずの看板が出ていないことに気が付いた。
立て看板は毎朝、開店と同時に通りのどちらから来ても見やすいようにフロッカーさんの手で店の前に立てられる。
「もうしまっちゃったのかしら? ちょっと早いわね」
ミーティも首を傾げた。
店を閉めるのはもっと日没が近くなってからのはずだ。
確かにもう夕方だが、それにしてもまだ早いような気がする。
「どうしたんだろ……」
俺は胸騒ぎがして、ごくりと唾を飲んでから店のドアを開けた。
「おお、帰ったか。早かったな」
そこにいたフロッカーさんは、すでに片付けの終わった店内で売上金を数えている途中のようだった。
「おじいちゃん、看板はもうしまっちゃったの? カルツォーネは売れた?」
「大盛況ですぐに売り切れてしまってのぉ。ついでにと他のパンもみんな売れてしまったから、今日はもう店を閉めたんじゃ」
フロッカーさんは金銀銅貨を数えながら満足気に言った。
「え……全部売り切れたんですか? すごい、初日なのに……!」
「よかったわね、レイ。おじいちゃん、スーは全部のカルツォーネを美味しいって食べてくれたわ。あたしと同じ、トマトソースを気に入ってくれたの。スパイスの方はディーナさんがとっても気に入ってたわ」
「おお、そうかそうか。そっちも上手くいって何よりじゃ」
フロッカーさんは報告したミーティの頭を撫で、目を細めてミーティを抱き上げた。
ミーティはポケットに隠したクッキーが潰れないようにするためか、そっと手でそれを押さえている。
真実はクッキーと共に守られた。
「カルツォーネが売れたのは絶対に絶対に僕のおかげです……」
俺がほっとした瞬間、足元から地を這うような声が聞こえて俺はびくりと体を震わせた。
全く目に入らなかったが、カウンターの後ろ、フロッカーさんの足元の床には何やら満身創痍のリックが(剣の訓練の後だってこんなにボロボロだったことはない。)ぐったりとへたり込んでいた。
「うわあっ! どうしたの、リック……」
「父さんが婦人会の皆さんに声をかけてカルツォーネを宣伝してこいと言うから行って酷い目に遭いました……」
「ひ、酷い目って」
詳細を聞くのも恐ろしいほど澱んだ目でリックが言うので、俺は引き攣った笑顔を向けるしかなかった。
フロッカーさんはやはりやり手の経営者で、人を使うのが上手すぎるのかもしれない。
「それで、スー坊は週末どれを食べるって?」
「食事会には今日の四種類をすべて持ってきてほしいそうです。フロッカーさんにもよろしく言ってくれって」
「ほう、そりゃあいい。今日の宣伝のおかげで明日はもっとカルツォーネが売れるだろうからな、町で人気のパンとなっていてくれれば食事会でのディーナさんの面目も立つだろう」
そうしてその言葉通り、翌日のフロッキースには朝から来た客が誰も彼も、「新しいパンはないのか」と尋ねてくるのだから、俺は本当に驚いた。
なんでも皆、婦人会から聞いたのだと言って、焼き上がりの時間を尋ねてくる人もいた。
「すごい……本当にこんなに人気になるなんて……フロッカーさん、リックは婦人会で何をしたんです?」
ちょっと聞くのは怖いと思っていたことも、ここまでの話題を作り上げたその手法への好奇心の方が勝っていた。
「なに、婦人会の会合へご挨拶にカルツォーネを一つ持って行かせただけよ」
「一つ?」
「そう、一つじゃ。それも婦人会会長の分だと言ってな」
「……」
俺はその場面を想像して、心の底からリックに同情した。
あのクドゥスさんの張り切った乙女心はさぞや暴走し、他のご婦人たちをけしかけ、店へ押しかけさせただろう。
「まずは話題にさせなきゃ話にならんからな。まったくリックの奴はあれくらいで怯えて、誰に似たのか、肝の小さい男だ」
「あははは……」
「そういう意味じゃあ、レイ、おまえの方が向いておるかもしれんな。今回は見逃してやるが、わしの可愛いミーティに悪い虫が付いたら覚えておけよ」
フロッカーさんはにやりと笑い、俺を肘で小突いた。
どうやら俺とミーティの秘密も、このオーナーにはお見通しらしかった。
数日後にはディーナさんが店に来て、食事会でスー君が張り切ってカルツォーネを食べたおかげで、お姑さんの機嫌は直ったと報告してくれた。
はじめはカルツォーネを見て怪訝な顔をしたお姑さんも、婦人会報でクドゥスさんが書いたカルツォーネに関する記事を見せたところ、由緒あるカンパラの町の婦人会のお墨付きならばと興味を持ってくれたらしい。
ディーナさんと同じくスパイスの効いたクミンのカルツォーネを気に入って、孫のスー君との食事を楽しんだそうだ。
カルツォーネで慣れたおかげが、その後のスー君は他の料理の野菜も食べるようになったという。
それはクミン以外の別のスパイスのおかげじゃないかと思ったものの、俺は黙って焼きたてのカルツォーネを店に並べるのだった。
ミーティと共に店の前に戻った俺は、そこにいつも出ているはずの看板が出ていないことに気が付いた。
立て看板は毎朝、開店と同時に通りのどちらから来ても見やすいようにフロッカーさんの手で店の前に立てられる。
「もうしまっちゃったのかしら? ちょっと早いわね」
ミーティも首を傾げた。
店を閉めるのはもっと日没が近くなってからのはずだ。
確かにもう夕方だが、それにしてもまだ早いような気がする。
「どうしたんだろ……」
俺は胸騒ぎがして、ごくりと唾を飲んでから店のドアを開けた。
「おお、帰ったか。早かったな」
そこにいたフロッカーさんは、すでに片付けの終わった店内で売上金を数えている途中のようだった。
「おじいちゃん、看板はもうしまっちゃったの? カルツォーネは売れた?」
「大盛況ですぐに売り切れてしまってのぉ。ついでにと他のパンもみんな売れてしまったから、今日はもう店を閉めたんじゃ」
フロッカーさんは金銀銅貨を数えながら満足気に言った。
「え……全部売り切れたんですか? すごい、初日なのに……!」
「よかったわね、レイ。おじいちゃん、スーは全部のカルツォーネを美味しいって食べてくれたわ。あたしと同じ、トマトソースを気に入ってくれたの。スパイスの方はディーナさんがとっても気に入ってたわ」
「おお、そうかそうか。そっちも上手くいって何よりじゃ」
フロッカーさんは報告したミーティの頭を撫で、目を細めてミーティを抱き上げた。
ミーティはポケットに隠したクッキーが潰れないようにするためか、そっと手でそれを押さえている。
真実はクッキーと共に守られた。
「カルツォーネが売れたのは絶対に絶対に僕のおかげです……」
俺がほっとした瞬間、足元から地を這うような声が聞こえて俺はびくりと体を震わせた。
全く目に入らなかったが、カウンターの後ろ、フロッカーさんの足元の床には何やら満身創痍のリックが(剣の訓練の後だってこんなにボロボロだったことはない。)ぐったりとへたり込んでいた。
「うわあっ! どうしたの、リック……」
「父さんが婦人会の皆さんに声をかけてカルツォーネを宣伝してこいと言うから行って酷い目に遭いました……」
「ひ、酷い目って」
詳細を聞くのも恐ろしいほど澱んだ目でリックが言うので、俺は引き攣った笑顔を向けるしかなかった。
フロッカーさんはやはりやり手の経営者で、人を使うのが上手すぎるのかもしれない。
「それで、スー坊は週末どれを食べるって?」
「食事会には今日の四種類をすべて持ってきてほしいそうです。フロッカーさんにもよろしく言ってくれって」
「ほう、そりゃあいい。今日の宣伝のおかげで明日はもっとカルツォーネが売れるだろうからな、町で人気のパンとなっていてくれれば食事会でのディーナさんの面目も立つだろう」
そうしてその言葉通り、翌日のフロッキースには朝から来た客が誰も彼も、「新しいパンはないのか」と尋ねてくるのだから、俺は本当に驚いた。
なんでも皆、婦人会から聞いたのだと言って、焼き上がりの時間を尋ねてくる人もいた。
「すごい……本当にこんなに人気になるなんて……フロッカーさん、リックは婦人会で何をしたんです?」
ちょっと聞くのは怖いと思っていたことも、ここまでの話題を作り上げたその手法への好奇心の方が勝っていた。
「なに、婦人会の会合へご挨拶にカルツォーネを一つ持って行かせただけよ」
「一つ?」
「そう、一つじゃ。それも婦人会会長の分だと言ってな」
「……」
俺はその場面を想像して、心の底からリックに同情した。
あのクドゥスさんの張り切った乙女心はさぞや暴走し、他のご婦人たちをけしかけ、店へ押しかけさせただろう。
「まずは話題にさせなきゃ話にならんからな。まったくリックの奴はあれくらいで怯えて、誰に似たのか、肝の小さい男だ」
「あははは……」
「そういう意味じゃあ、レイ、おまえの方が向いておるかもしれんな。今回は見逃してやるが、わしの可愛いミーティに悪い虫が付いたら覚えておけよ」
フロッカーさんはにやりと笑い、俺を肘で小突いた。
どうやら俺とミーティの秘密も、このオーナーにはお見通しらしかった。
数日後にはディーナさんが店に来て、食事会でスー君が張り切ってカルツォーネを食べたおかげで、お姑さんの機嫌は直ったと報告してくれた。
はじめはカルツォーネを見て怪訝な顔をしたお姑さんも、婦人会報でクドゥスさんが書いたカルツォーネに関する記事を見せたところ、由緒あるカンパラの町の婦人会のお墨付きならばと興味を持ってくれたらしい。
ディーナさんと同じくスパイスの効いたクミンのカルツォーネを気に入って、孫のスー君との食事を楽しんだそうだ。
カルツォーネで慣れたおかげが、その後のスー君は他の料理の野菜も食べるようになったという。
それはクミン以外の別のスパイスのおかげじゃないかと思ったものの、俺は黙って焼きたてのカルツォーネを店に並べるのだった。
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