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第三章 町のパン屋に求めるパン

23.すべては思い通り

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「……これ、トマト?」

 スー君は頬にトマトソースを付けたまま、じっとカルツォーネの中を見て言った。

「トマトソースだよ。玉ねぎも入ってる」
「これだったら食べられるかも……あんまり酸っぱくない、チーズが美味しいから」

 俺が胸の震えを感じるより早く、感激の声を上げたのはミーティだった。

「そうでしょ! これは酸っぱくないの、ここにいるレイとうちの職人のエルダが夜中まで研究して作ったのよ! 嬉しいわ、スーも同じソースを美味しいと思ってくれて」
「うん、美味しい。ミーティが言った通りだった」

 子どもたちがはしゃぐのを見て、俺はふとディーナさんに目を向けた。ディーナさんは嬉しそうに二人を見つめ、その目には薄らと光るものがあるようだった。

「スー君、他のも食べてみてよ」

 俺はキャベツとベーコン、そしてアスパラガスとベーコンの入った二つのカルツォーネを切った。
 どちらも味付けは同じだが、バターとガーリックはスー君の好みだし、ベーコンの使い方は変えている。

「キャベツ……」
「キャベツだけど、芯の部分は使ってないよ。ちょっと行儀は悪いけど匂いを嗅いでみてよ、美味しそうな匂いがするはずだから」

 スー君は母親のディーナさんに目を向けると、ディーナさんが頷くのを見て躊躇いがちにキャベツの詰まった断面に鼻を寄せた。
 小さな子どもらしい鼻がひくひくと動き、その上の眉がパッと上がった。

「バターソテーの匂い!」
「少しだけ、食べてみてくれる? 美味しくなかったら正直に言って良いから」
「うん、ちょっとだけ食べてみる」

 小さな口がかじったのはトマトソースのカルツォーネの時よりもさらに小さかった。
 が、しっかりとキャベツを口に含んだ後、二口、三口とさらにその口がカルツォーネを食べ進んだのを見て俺とディーナさんは思わず顔を見合わせた。

「っ、どう? 美味しい?」
「このキャベツなら大丈夫! こっちも食べてみるね!」

 スー君はそのままアスパラガスのカルツォーネも食べてくれた。アスパラガスの方が嫌いな理由が見た目だっただけに、その部分を使わなかったことで食い付きは良かったかもしれない。
 俺は最後の一つ、あえて残しておいたクミンとほうれん草のカルツォーネにナイフを入れた。

「これが最後……ほうれん草と挽肉が入ってるよ。スパイスを使っているから、ちょっと独特な匂いがするけどさっきのトマトソースも入ってるんだ」
「ミーティの好きなトマトソース?」
「そうよ。こっちのソースはね、あたしのおじいちゃんが考えたの。最初は美味しくなかったんだけど、おじいちゃんがトマトを入れたら急に美味しくなったのよ」

 ミーティは俺が切ったカルツォーネを手に取ると、スー君に中を見せるようにして手渡した。

「ミーティのおじいちゃん……パン屋のおじいちゃん? すごい」
「さ、食べてみて。ほうれん草の匂いなんかスパイスで消えちゃってるわ」
「よかったらディーナさんも食べてみてください。トマトソースと、このクミンのカルツォーネは店でも売ることになったので」
「ありがとうございます、いただきますわ」

 ディーナさんとスー君はほとんど同時にカルツォーネをかじった。
 お上品な二人にパンを手に持ってそのまま齧らせるのに少々申し訳なく思ったが、ディーナさんの目が見開かれたのを見て俺はこのパンを作れてよかったと思えた。

「すごい……パンだとは思えませんわ……こういうお料理みたい……!」
「これなんだろ……不思議な味がする」
「外国の挽肉料理で、キーマーって言うんだよ。パンの生地にはよく合うと思うんだ」

 俺が説明すると、深く頷いたのはディーナさんの方だった。

「ええ、これは本当に美味しいわ。お店でも売ってくださるならまた買いに行きます、私が食べたいんですもの」

 結局、スー君は四つのカルツォーネをどれも野菜を気にせず食べてくれた。

 一番美味しいのはトマトソースのものだそうで、だけどどれも美味しかったから週末の食事会には四つすべて持ってきてほしいと頼まれた。

「本当になんと御礼を言っていいか……お義母さんもきっとカルツォーネを気に入ってくださると思いますわ。また改めて御礼をさせてくださいな、フロッカーさんにもよろしくお伝えください」
「じゃあね、スー。クッキーもどうもありがとう、また遊びに来るわ」
「うん! ミーティ、また美味しいパンがあったら教えてね」

 帰りがけにミーティはスー君からディーナさんと一緒に作ったのだという手作りのクッキーを貰い、スキップをしながら町を歩いた。

「ご機嫌だね、ミーティ。でもよかった、スー君が野菜を克服してくれて」
「うふふ、レイって相変わらずね。スーが本当に美味しいと思って食べたのはアスパラガスだけだと思うわ」

 夕暮れの中、ワンピースをふわりと広げてミーティはくるりと振り向いて言った。

「え?」
「嫌いな野菜がそんなに簡単に食べられるようになるわけないじゃない? 無理してるのよ、あの子とっても良い子だもの」
「は……え? え、そうなの?」

 思わず立ち止まった俺に、ミーティは可愛らしいラッピングのクッキーの袋を顔の横で揺らした。

「あたし、スーととっても仲良くなったと思わない? 男の子から手作りのお菓子を貰っちゃうなんて」
「……まさか、ミーティに良いところ見せたくて無理して食べたってこと?」
「あたしがクッキー貰ったこと、リッキーに言ったらダメよ。その代わり、あたしも何も言わない。レイの作ったパンで、スーは野菜が食べられるようになったの、それでいいわよね?」

 俺はその交渉を飲まざるを得なかった。

 すべてはミーティの意のままに、俺は従者のように小さく可憐な主人の後ろをとぼとぼと歩いて店へ帰った。
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