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14.酵母
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「ドライイーストがあるの!?」
「え? あるのって……どういう意味ですか?」
俺はその粉を見て思わず大声を上げた。
昼間に工房に入って手伝っている時には気が付かなかった。
小麦粉と塩、水の隣にリックが用意したそれは明らかに俺が見慣れたドライイーストだった。
「あっ、いや、てっきり天然酵母を使ってるのかと……!」
「天然酵母……? これが酵母ですよ、イーストとも言いますけど」
俺はてっきり、この世界のパンは果物などに水を加えて酵母を培養した、いわゆる天然酵母を使って作っているのだと思い込んでいた。
電気もガスもないこの世界で、使い勝手の良い乾燥した状態のドライイーストに出会うとは思ってもみなかったのだ。
もとより俺は酵母やイーストの知識は多くない。(実は“酵母”と“イースト”は同じ意味なのだが、前世ではイメージと共になんとなく使い分けがされていた。そこではとにかく一番手軽なのがドライイーストだった。)
何しろ以前はスーパーに行けばいつでも手軽にドライイーストが手に入ったし、わざわざドライフルーツなどを使って“天然酵母”と呼ばれる自家製酵母を作るのは専門家か趣味を突き詰めた人々だけで、大抵の自家製パンはドライイーストか、そうでなければ乾燥した酵母を使って作られていた。
あれは文明の利器の類ではなかったらしい。
「えっと、それって、この家で作ってるの?」
「まさか。これは海を渡った北にある、ダークレンという町で作られたものを取り寄せているんですよ」
「ダークレン……聞いたことないな。そこはこんな便利なものが作れるような発展した町なの?」
「僕は子どもの頃に父に連れられて一度行っただけですが、お酒で有名な町ですよ。お酒の研究が盛んで、そこでパン作りに使える酵母も作られているんです」
「……そうか、酒も酵母で発酵させるから、その過程でできるのか」
酒を作る過程で酵母の存在を知ったなら、同じように発酵の元になっているパン酵母を発見し、それを使いやすく改良する研究がされていても不思議はない。
細かな仕組みや技術についてははっきり言ってわからないものの、とにかく乾燥した状態の酵母があることはありがたかった。
「父に聞けばもっと詳しいことがわかると思いますよ。ダークレンの研究所に父の友人がいるんです」
「フロッカーさんが?」
「ああ見えて母さんと結婚するまでは世界を旅していたらしいですよ。世界中に友達がいるんだって言ってましたから」
嘘かもしれないけど、と付け足し、リックは手際良く材料の計量を始めた。
家を継ぐ気はないとは言え、頻繁に工房に入って手伝いをしているだけあって手際は抜群に良い。
リックはあっという間に計り終わった材料を混ぜ、しばらくすると広々とした作業台の上でパン生地の伸ばし捏ねを始めた。
「手際が良いなぁ……本当に、パン屋にならないのがもったいないよ」
「そうですか? じゃあ魔物がいない平和な世の中になったらパン屋を目指そうかな。この店はレイさんに守ってもらって、僕は二号店を出します」
「いやいや、正式な後継が二号店じゃおかしいでしょ! もちろん俺が店を手伝えるなら、それはありがたいけど……」
「どっちが売れるか競争しますか?」
軽口を叩きながらの作業なのに、リックはあっという間にパン生地を捏ね終えた。
一目見てわかる、パンはすでに発酵が始まり、丸めた表面には薄い膜ができている。発酵がすぐに始まったことを見ても、使った酵母はとても質の良いものらしい。
「……すごいなぁ。こうやって作るのか」
「……そういえば、ずっと聞きたかったんですけどレイさんはどこでパンのことを勉強したんですか?」
「え?」
俺はどきっとした。
リックの物腰が柔らかいので油断していたが、あの小さな村で学校に行くこともなく暮らしてきたような男がパンに詳しいというのは本来ならあり得ないことだろう。
実際、俺の知識はほとんどがこの世界に生まれる前に身に付けたもので、この世界の人間からすれば不思議に思って然るべきものだ。
「アサの村ではうちのパンがよく売れますし、確か村にはパンの焼き窯もありませんよね。どうやってパンのことを?」
リックは捏ね上げたパンに布を被せ、作業台から顔を上げた。
その真っ直ぐな視線に、妙に焦る。
「……ええと」
言い淀んだ俺を、リックが可笑しそうに笑った。
「……言いたくないですか? 別に無理に聞くつもりはないですよ、本当に、純粋に気になっただけで。本で読んだりしたなら僕も読みたいと思っただけです」
俺はもう何度目になるだろうか、リックの優しさに救われた。
せっかくこうして打ち解けられたのに、『前世の記憶があるんだ』なんて言って気味悪がられたりはしたくない。嘘をつくのも申し訳ないが、真実は言えそうもなかった。
「本は……読んでない。自分で考えたり、思いついたってところかな……」
曖昧に答えた俺を、やはりリックは咎めなかった。
「そうですか。これからゆっくり教えてくださいね、レイさんが考えたことを」
「……ああ」
俺は静かに頷いた。
今の俺にできることは言葉を尽くすことじゃない。
少しでも美味いパンを作って、この善良な青年に報いなければならない。
「え? あるのって……どういう意味ですか?」
俺はその粉を見て思わず大声を上げた。
昼間に工房に入って手伝っている時には気が付かなかった。
小麦粉と塩、水の隣にリックが用意したそれは明らかに俺が見慣れたドライイーストだった。
「あっ、いや、てっきり天然酵母を使ってるのかと……!」
「天然酵母……? これが酵母ですよ、イーストとも言いますけど」
俺はてっきり、この世界のパンは果物などに水を加えて酵母を培養した、いわゆる天然酵母を使って作っているのだと思い込んでいた。
電気もガスもないこの世界で、使い勝手の良い乾燥した状態のドライイーストに出会うとは思ってもみなかったのだ。
もとより俺は酵母やイーストの知識は多くない。(実は“酵母”と“イースト”は同じ意味なのだが、前世ではイメージと共になんとなく使い分けがされていた。そこではとにかく一番手軽なのがドライイーストだった。)
何しろ以前はスーパーに行けばいつでも手軽にドライイーストが手に入ったし、わざわざドライフルーツなどを使って“天然酵母”と呼ばれる自家製酵母を作るのは専門家か趣味を突き詰めた人々だけで、大抵の自家製パンはドライイーストか、そうでなければ乾燥した酵母を使って作られていた。
あれは文明の利器の類ではなかったらしい。
「えっと、それって、この家で作ってるの?」
「まさか。これは海を渡った北にある、ダークレンという町で作られたものを取り寄せているんですよ」
「ダークレン……聞いたことないな。そこはこんな便利なものが作れるような発展した町なの?」
「僕は子どもの頃に父に連れられて一度行っただけですが、お酒で有名な町ですよ。お酒の研究が盛んで、そこでパン作りに使える酵母も作られているんです」
「……そうか、酒も酵母で発酵させるから、その過程でできるのか」
酒を作る過程で酵母の存在を知ったなら、同じように発酵の元になっているパン酵母を発見し、それを使いやすく改良する研究がされていても不思議はない。
細かな仕組みや技術についてははっきり言ってわからないものの、とにかく乾燥した状態の酵母があることはありがたかった。
「父に聞けばもっと詳しいことがわかると思いますよ。ダークレンの研究所に父の友人がいるんです」
「フロッカーさんが?」
「ああ見えて母さんと結婚するまでは世界を旅していたらしいですよ。世界中に友達がいるんだって言ってましたから」
嘘かもしれないけど、と付け足し、リックは手際良く材料の計量を始めた。
家を継ぐ気はないとは言え、頻繁に工房に入って手伝いをしているだけあって手際は抜群に良い。
リックはあっという間に計り終わった材料を混ぜ、しばらくすると広々とした作業台の上でパン生地の伸ばし捏ねを始めた。
「手際が良いなぁ……本当に、パン屋にならないのがもったいないよ」
「そうですか? じゃあ魔物がいない平和な世の中になったらパン屋を目指そうかな。この店はレイさんに守ってもらって、僕は二号店を出します」
「いやいや、正式な後継が二号店じゃおかしいでしょ! もちろん俺が店を手伝えるなら、それはありがたいけど……」
「どっちが売れるか競争しますか?」
軽口を叩きながらの作業なのに、リックはあっという間にパン生地を捏ね終えた。
一目見てわかる、パンはすでに発酵が始まり、丸めた表面には薄い膜ができている。発酵がすぐに始まったことを見ても、使った酵母はとても質の良いものらしい。
「……すごいなぁ。こうやって作るのか」
「……そういえば、ずっと聞きたかったんですけどレイさんはどこでパンのことを勉強したんですか?」
「え?」
俺はどきっとした。
リックの物腰が柔らかいので油断していたが、あの小さな村で学校に行くこともなく暮らしてきたような男がパンに詳しいというのは本来ならあり得ないことだろう。
実際、俺の知識はほとんどがこの世界に生まれる前に身に付けたもので、この世界の人間からすれば不思議に思って然るべきものだ。
「アサの村ではうちのパンがよく売れますし、確か村にはパンの焼き窯もありませんよね。どうやってパンのことを?」
リックは捏ね上げたパンに布を被せ、作業台から顔を上げた。
その真っ直ぐな視線に、妙に焦る。
「……ええと」
言い淀んだ俺を、リックが可笑しそうに笑った。
「……言いたくないですか? 別に無理に聞くつもりはないですよ、本当に、純粋に気になっただけで。本で読んだりしたなら僕も読みたいと思っただけです」
俺はもう何度目になるだろうか、リックの優しさに救われた。
せっかくこうして打ち解けられたのに、『前世の記憶があるんだ』なんて言って気味悪がられたりはしたくない。嘘をつくのも申し訳ないが、真実は言えそうもなかった。
「本は……読んでない。自分で考えたり、思いついたってところかな……」
曖昧に答えた俺を、やはりリックは咎めなかった。
「そうですか。これからゆっくり教えてくださいね、レイさんが考えたことを」
「……ああ」
俺は静かに頷いた。
今の俺にできることは言葉を尽くすことじゃない。
少しでも美味いパンを作って、この善良な青年に報いなければならない。
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