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第六章『スワンプマンの号哭』
十三
しおりを挟む娘の失踪事件は州都〈ティア・クリスタル〉から各地の村々をまたいで相次いだ。
そして行方不明となった娘たちはいずれも若く、そして処女であったというところから、悪辣な噂が日々市井で量産されることとなった。
最も囁かれたものが『処女の生き血を浴びると若返る』などというまるで根拠のない俗説だった。
冷静に頭を使えば、なら子供の怪我に際した大人たちは皆、若返っているのか? という話になるのだけれど、ハーレィ王妃の過ぎた美貌の根拠として、市井とはそうした根も葉もない噂話を清濁併せ飲んで盛り上げてしまうものなのだった。
「バカな……! ハーレィ王妃がそのようなことを為さるはずがないだろう!」
さしもの騎士長オーエンもこの報告を受けると感情を堪えきれずに怒鳴りつけた。
報告の騎士は怯えながら返した。
「し、しかしながら……他に原因がわからない、というのが余計に不安を煽いでおられる様子……そ、それに確かに……その……言いにくいのですが、あの吸血鬼襲来以降、およそ半年にわたって王妃様が御乱心なされたことは揺るぎない事実として、いつの間にか伝わっておりまして……」
「第一いつ、どうやって城を出て、しかも果ては郊外の村まで行ったというのだ! 王妃にそのような時間がないことくらい、少し考えれば判ることだろうが!」
「も、申し訳ございません! し、しかし、私に言われても……」
「くそっ……」
八つ当たりのように部下に感情をぶつけてしまったことを後悔しながら、オーエンは頭を抱えた。
しかしながら、この"清濁併せ飲んで"というところが噂の最たる悪辣な面で、例えその場の本人は冗談で言っていようとも言説そのものは人伝いに残り続け、いずれは信じてしまうものも現れる。これが厄介なのだ。そうして、いつしか真実はさておかれるようになる。
怪しいか。怪しくないか。という個人の感情論にシフトするのである。
こうなると当局が声高に否定したり、箝口令を敷いて口を封じるなどしても、かえって怪しまれ、黙っていればそれも怪しまれ、しようがなくなってしまう。
まさに口は災いの元である。自分に返っていくばかりでなく、他人を明らかに巻き込んで燃えさかる場合もある。
一方で真犯人の追及はさせていた。十中八九、先代王の仕業に違いない。しかし、向こうも根回しに長けた老獪であって、その点において一日之長がある。決して尻尾を掴ませない。騎士団といえども、一筋縄ではいかないのだった。
この一連の件について、オーエンは自戒する。
自分があの時調子に乗って彼を追い詰めたことが、先代の妄執に火をつける結果となったのだ。自分の威勢の良さ、王妃への敬愛とそのつながりの深さを示すつもりの一時の気取りがかえって王妃に仇となった!
(王妃……俺もまた傲慢だった! 若さにやられたのだ……!)
「なにをそう眉根をしかめている」
ハーレィはそんなオーエンにいち早く気付くと、寝室にて世話の間に言った。
「そうした心持ちが自然と表情、気配にも表れ、部下を不安がらせるのだ。堂々としていろ」
「……はっ」
オーエンは首肯した。が、この時ばかりは折れた。
「……しかし」
最後の最後で王妃を追いつめたのは自分の初めの一手だ。
その恥辱が彼を珍しく女々しくした。
ハーレィは呆れたようなため息をつくと、寝台の隣を叩いてみせる。
いつぞやロランに、そうしたように。
オーエンは当初敬遠したが、ハーレィの目つきに圧されてしぶしぶ隣にかけ、ハーレィは、すぐにそんなオーエンの頭を横から抱きしめた。
「……王妃! 自分は、子供ではありませぬ」
「いいから、じっとしていろ。私の命である」
「…………」
近くには当然のようにマリーもいる。
オーエンはその視線をも気にして恥じらいながら、しかしハーレィのされるがままにするのだった。
「……いや、私も……人のことは言えないわ。いつからか口調も、こんなふうに格好つけなきゃ、大人らしく話さなきゃって、固くなっていた……」
ハーレィはそんなふうに独りごちるように前置くと、つんつんしたブロンドの短髪を腕にひしひしと抱きながら続けた。
「ねぇ、オーエン。思えば、あなたにはたくさん感謝することがあったけれど、一度もこんなふうにして返したことはなかった気がするわ」
「……要りませぬ。私は王妃の騎士であって、このような……」
「固い。主人が自ら感謝の念を語って聴かせてるのよ。少しは柔軟になりなさい」
「…………」
「でなければこの先、私が不安になる……」
「……王妃! それはいったいどういう……」
「オーエン」
「……はっ」
「騎士も、男も、」
ハーレィはオーエンの頭を撫でながら言った。
「侍女も、姫も、大人も、子供も、ないわ。人は二種類よ。すなわち与えられた信頼に応えようと相互補完に努めるか、背いて進歩のない自己完結に堕するか。ここを踏まえていれば、どんな態度であってもそうそう問題なんて起きないわ。なぜって、関係の問題は必ずその齟齬、不信から始まるから。ねぇ、オーエン。私のことは好き?」
「……無論。そのお心は元より、考えの髄に至るまでも、敬愛致しております」
「ね。ほら、こんなことは確認するまでもなく愚問だわ。それだけ想いが深いから、それだけ思い悩むのでしょう? でも、重要なのは原点は好意なんだってこと。それだけ信じていられれば、私はあなたがしたどんなことだってね、肯定的に受け入れられる。なぜって、それは人格に対してじゃない。行動の是非に対しての発露だと解るからよ。非難があればそれを踏まえて次はこうするか、とか、不満そうにしていれば直接聴きに行くことだって反応だわ。むしろ、あなたをより深く知られるきっかけになる。ただし、いずれも本心からの言葉でなければ意味はないけどね。孤独に想うとか不安になるなんてのはね、どちらかがそれを閉ざしてしまって、自分の輪の中だけで考えたあげく都合の良い悪意に仕立て上げるからなのよ。まぁ、わかりにくいこともあるかもだけどね、私から言わせれば易いってのはそれだけ薄っぺらいってことよ。難いから、分かち合えたこの時が幸せと感じられるの。解る? オーエン」
「王妃……」
「これから何が起きようとも、オーエン、愛してる。それだけは変わらない。マリーも……ロランも……ああ、私には勿体無いくらいできた臣下たちだった……私はあなたたちと出会えたすべてのことに感謝してる。それを忘れないで」
「…………」
やめてください、とは言えなかった。
それではまるで……まるで……。
数年前にした約束事がオーエンの中で思い返される。
ああ、そういうことか。
全てをわかっていて、王妃は殉じようとしているのだ。
だから、
だから。
騎士長オーエンはこの家畜虐殺・少女失踪事件の解決を急がせたが、原因はおろか犯人の足取りさえ杳としてしれず、手詰まり——ついにその日が来た。
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