88 / 94
第六章『スワンプマンの号哭』
十三
しおりを挟む娘の失踪事件は州都〈ティア・クリスタル〉から各地の村々をまたいで相次いだ。
そして行方不明となった娘たちはいずれも若く、そして処女であったというところから、悪辣な噂が日々市井で量産されることとなった。
最も囁かれたものが『処女の生き血を浴びると若返る』などというまるで根拠のない俗説だった。
冷静に頭を使えば、なら子供の怪我に際した大人たちは皆、若返っているのか? という話になるのだけれど、ハーレィ王妃の過ぎた美貌の根拠として、市井とはそうした根も葉もない噂話を清濁併せ飲んで盛り上げてしまうものなのだった。
「バカな……! ハーレィ王妃がそのようなことを為さるはずがないだろう!」
さしもの騎士長オーエンもこの報告を受けると感情を堪えきれずに怒鳴りつけた。
報告の騎士は怯えながら返した。
「し、しかしながら……他に原因がわからない、というのが余計に不安を煽いでおられる様子……そ、それに確かに……その……言いにくいのですが、あの吸血鬼襲来以降、およそ半年にわたって王妃様が御乱心なされたことは揺るぎない事実として、いつの間にか伝わっておりまして……」
「第一いつ、どうやって城を出て、しかも果ては郊外の村まで行ったというのだ! 王妃にそのような時間がないことくらい、少し考えれば判ることだろうが!」
「も、申し訳ございません! し、しかし、私に言われても……」
「くそっ……」
八つ当たりのように部下に感情をぶつけてしまったことを後悔しながら、オーエンは頭を抱えた。
しかしながら、この"清濁併せ飲んで"というところが噂の最たる悪辣な面で、例えその場の本人は冗談で言っていようとも言説そのものは人伝いに残り続け、いずれは信じてしまうものも現れる。これが厄介なのだ。そうして、いつしか真実はさておかれるようになる。
怪しいか。怪しくないか。という個人の感情論にシフトするのである。
こうなると当局が声高に否定したり、箝口令を敷いて口を封じるなどしても、かえって怪しまれ、黙っていればそれも怪しまれ、しようがなくなってしまう。
まさに口は災いの元である。自分に返っていくばかりでなく、他人を明らかに巻き込んで燃えさかる場合もある。
一方で真犯人の追及はさせていた。十中八九、先代王の仕業に違いない。しかし、向こうも根回しに長けた老獪であって、その点において一日之長がある。決して尻尾を掴ませない。騎士団といえども、一筋縄ではいかないのだった。
この一連の件について、オーエンは自戒する。
自分があの時調子に乗って彼を追い詰めたことが、先代の妄執に火をつける結果となったのだ。自分の威勢の良さ、王妃への敬愛とそのつながりの深さを示すつもりの一時の気取りがかえって王妃に仇となった!
(王妃……俺もまた傲慢だった! 若さにやられたのだ……!)
「なにをそう眉根をしかめている」
ハーレィはそんなオーエンにいち早く気付くと、寝室にて世話の間に言った。
「そうした心持ちが自然と表情、気配にも表れ、部下を不安がらせるのだ。堂々としていろ」
「……はっ」
オーエンは首肯した。が、この時ばかりは折れた。
「……しかし」
最後の最後で王妃を追いつめたのは自分の初めの一手だ。
その恥辱が彼を珍しく女々しくした。
ハーレィは呆れたようなため息をつくと、寝台の隣を叩いてみせる。
いつぞやロランに、そうしたように。
オーエンは当初敬遠したが、ハーレィの目つきに圧されてしぶしぶ隣にかけ、ハーレィは、すぐにそんなオーエンの頭を横から抱きしめた。
「……王妃! 自分は、子供ではありませぬ」
「いいから、じっとしていろ。私の命である」
「…………」
近くには当然のようにマリーもいる。
オーエンはその視線をも気にして恥じらいながら、しかしハーレィのされるがままにするのだった。
「……いや、私も……人のことは言えないわ。いつからか口調も、こんなふうに格好つけなきゃ、大人らしく話さなきゃって、固くなっていた……」
ハーレィはそんなふうに独りごちるように前置くと、つんつんしたブロンドの短髪を腕にひしひしと抱きながら続けた。
「ねぇ、オーエン。思えば、あなたにはたくさん感謝することがあったけれど、一度もこんなふうにして返したことはなかった気がするわ」
「……要りませぬ。私は王妃の騎士であって、このような……」
「固い。主人が自ら感謝の念を語って聴かせてるのよ。少しは柔軟になりなさい」
「…………」
「でなければこの先、私が不安になる……」
「……王妃! それはいったいどういう……」
「オーエン」
「……はっ」
「騎士も、男も、」
ハーレィはオーエンの頭を撫でながら言った。
「侍女も、姫も、大人も、子供も、ないわ。人は二種類よ。すなわち与えられた信頼に応えようと相互補完に努めるか、背いて進歩のない自己完結に堕するか。ここを踏まえていれば、どんな態度であってもそうそう問題なんて起きないわ。なぜって、関係の問題は必ずその齟齬、不信から始まるから。ねぇ、オーエン。私のことは好き?」
「……無論。そのお心は元より、考えの髄に至るまでも、敬愛致しております」
「ね。ほら、こんなことは確認するまでもなく愚問だわ。それだけ想いが深いから、それだけ思い悩むのでしょう? でも、重要なのは原点は好意なんだってこと。それだけ信じていられれば、私はあなたがしたどんなことだってね、肯定的に受け入れられる。なぜって、それは人格に対してじゃない。行動の是非に対しての発露だと解るからよ。非難があればそれを踏まえて次はこうするか、とか、不満そうにしていれば直接聴きに行くことだって反応だわ。むしろ、あなたをより深く知られるきっかけになる。ただし、いずれも本心からの言葉でなければ意味はないけどね。孤独に想うとか不安になるなんてのはね、どちらかがそれを閉ざしてしまって、自分の輪の中だけで考えたあげく都合の良い悪意に仕立て上げるからなのよ。まぁ、わかりにくいこともあるかもだけどね、私から言わせれば易いってのはそれだけ薄っぺらいってことよ。難いから、分かち合えたこの時が幸せと感じられるの。解る? オーエン」
「王妃……」
「これから何が起きようとも、オーエン、愛してる。それだけは変わらない。マリーも……ロランも……ああ、私には勿体無いくらいできた臣下たちだった……私はあなたたちと出会えたすべてのことに感謝してる。それを忘れないで」
「…………」
やめてください、とは言えなかった。
それではまるで……まるで……。
数年前にした約束事がオーエンの中で思い返される。
ああ、そういうことか。
全てをわかっていて、王妃は殉じようとしているのだ。
だから、
だから。
騎士長オーエンはこの家畜虐殺・少女失踪事件の解決を急がせたが、原因はおろか犯人の足取りさえ杳としてしれず、手詰まり——ついにその日が来た。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる