魔王と! 私と! ※!

白雛

文字の大きさ
上 下
80 / 94
第六章『スワンプマンの号哭』

しおりを挟む



 ロランが本を一冊抱えて戻ってきて、隣に並びながら読書を始めて少し……。
「あ、あのさ」
 時間にして三十分くらいが過ぎてから、ハーレィは隣のロランを——その読んでる本でも、読み進めている姿勢でもなく、その顔を——窺うと、遠慮がちに言った。
「私だって、なにも憎くて厳しいことを言ってるんじゃないんだからね……その……私なりに、そうした方がいいって思うからそれを言ってるだけ……だって、そうでしょう? 大抵の人は途中のことをずっと言い合うわ。でもそれが何になるの? そんなの何も進まない……答え同士で会話しなければ……結局聴きたいのはそこなのだし、余計な時間になるだけでしょ? ねぇ、ロラン。あなたは……そう思わない——?」
「…………」
 ロランは本に集中していた。
 その目は淀みなく開かれたページを追って流れつづけている。ハーレィのことなどまるで目に入っていない。
 耳にも入ってなかったのだろう。ふ、とロランは顔をあげるとそこで意識が覚めたように左右を改めて、初めてハーレィに気付いた。
 何事もない、変わらない表情で言った。
「あ、姫様。なにかございましたか?」
「……今の、聴いてなかったの?」
 言葉と共にハーレィがじろりと睨みつけるや、すぐに以前のように動揺するロランであった。
「え? あ——も、申し訳ありません! ぼ、僕、夢中になるとどうしても他に気が回らなくなっちゃって……」
「…………」
 自分のことを無視した。それはそれでとてつもない屈辱だったが……同時にその集中力には素直に感嘆せざるを得ない。
 そして、このとき戒められるべきは自分の方だ。常日頃、人に誠実さを求めておいてそれを認めないわけにもいかなかった……。
 ハーレィは入り乱れる憤懣ふんまんに震え、慚愧ざんきの念に奥歯をぎりぎりと噛み締めながら、ぐっと堪えると、
「……なんでもないわ」
「え」
「なんでもないっつってんでしょ!」
「ひっ……も、申し訳ございません!」
 軽はずみな癇癪かんしゃくでさらに自分に×ペケがついて——どう返そうともこの男はその敬意がゆえに、私に謝り通す。しかし、断じてそれは彼のせいではなく、私の稚気ちきのためなのに——何を、どうしても、この男は!
 ハーレィの小さな頭は予測される無限ループにパンクした!
 終いに力無く肩を落とすと、声まで落ち込ませてハーレィは言った。
「いちいち……謝らなくて、いいから」
「え、でも……」
「今、ひっぱたかれなきゃいけないのは——私だ。ちくしょう」
 ハーレィが奥歯まで食いしばりながら腕を普段より自分の顔の近くにあげると——ロランはすぐさまその意図を察して、腕を引き留めた。
「ええっ! ひ、姫様、ダメです!」
「何するの、不敬でしょ、離しなさい、ロラン! あんたは黙って読書してりゃいいでしょ!」
 ハーレィは自分の頬をひっぱたくつもりなのであった。ロランはその腕にしがみつくようにして止めた。
「いけません! ど、どうして! いきなり、そんな!」
「自分で自分を戒めたいときくらいあるでしょ! それをできない人間が、私は嫌いなの!」
「だったら——あ!」
 ロランはハーレィの自傷を引き留めながら妙案を思いついた。自分では天啓だとさえ思う閃きだった。
「だったら、姫様! 僕に優しくしてください!」
「——は?」
「僕のことを許せないんでしょ? そんな僕にも優しくしなきゃいけないってのは自分への罰になりませんか?」
「なるか、アホ」
「ひどい!」
 とっさに否定したものの、しかし、それは妙案だとハーレィも考え、改めていた。この男の得になるようなことは確かに、自分への戒め、罰になりうるのでは?
 このときハーレィは、当然のように自分が優しくすることがロランにとっての得になると考えているが、前提として自分が優しくして男が嬉しくならないわけがないという断固たる自負があってのことである。
 まだその真意には辿り着かない。
「……悔しいけれど、う……ん。あなたの言うことも一理あるかも……ね」
「あ……はい! では今から……そうですね。この書庫を出るまで僕に優しくしてください、姫様!」
「突然いきいきしだして……優しくするって? 何をどうしてほしいわけ?」
「え……っと、そうだなぁ……」
「なによ。考えなしに言ってたの?」
「あーじゃあまずはその口調。僕に優しくするんだから、厳しいことはなしです。うんと甘くしてください」
「具体的には?」
「あー、よしよしするとか?」
「は?」
「だから、あの……頭撫でるとか、お母さんがするみたいに……」
「…………」
 まるまる一分以上は黙っていた。
 ハーレィは少しと言わずに肩を引いて、空間に距離を作り、ロランを見ている。その目つきたるや、まるで貴婦人のスカートの裏側にひっついたものでも見るかのように全霊を込めてさげすむものだった。
 これは今朝のとは違うものだ。流石のロランも好きになれない。
「……あんた、マザコンなの。その年でまさかまだママーとか呼んでたりする……?」
 でも、ロランも半ばそうだった。
 なにか突然、自分でも信じられないくらい呆気なく、ぷつりと感情の線が切れた。
「わかりました……もう、いいですよ」
 ロランが哀しげに視線を落とすや、ハーレィは深いため息をつきながら、
「はぁぁ……わかったわかった」
 その手をロランの丸い頭の上に乗せると、左右に振った。
「よしよーし。いいこいいこー」
 しかし、その手つきはあまりにもやる気がなく、そのやる気のなさはロランの心をさらにえぐった。
 母と離れ、目が覚めたら見知らぬ城に一人きりでいる心細さがそうした辛さを巻き込みながらうねり・・・をあげてこみあげ、拳は握られ、その目からはついに涙がこぼれだした。
 ハーレィは目を見開いて驚いた。
「ちょ——! ちょっと? 泣くほど?」
「……いえ。もう姫様には何も求めません」
「うそうそ。なんで。じ、冗談というか……いや、ある程度本気だったけど……ジョークじゃない」
「僕だって!」
 ロランは号哭ごうこくした。
「僕だって恥ずかしいとか……! 人並みの感情ありますよ。でも姫様だから……! 命を救ってくれた人だから、勇気出して言ったのに……姫様は僕に何も返してくれない!」
 ロランは本気だった。本気の怒りにして、それは諦観だ。あまりにもいじめすぎた。そうなってみて、ようやくハーレィは己の犯した罪に気付いた。
 ロランは続けた。
「所詮姫様にとって信頼とは自分にだけ都合のいい、そんなものなんです。けれど、姫様。それなら、臣下はどうやってあなたを信頼しろっていうんですか。何を信じてついていけばいいんですか」
「……ごめん」
「厳しいけれど、良いところもあるって思ったのに……心の痛みもわからない暴君じゃないですか」
「ごめん……なさい……」
 二人とも、もう読書どころではなくなっていた。
 夕暮れの赤い光が差し込むまで、痛く、重苦しい沈黙が、二人がハーレィの寝室に帰還した後も続いた。
 その様子は間もなく侍女のマリーにも伝わって、
「……差し出がましいようですが、姫様」
「なに」
「なにかありましたね?」
「知らないわよ」
 食事で城内に降りるときのために、改めて煌びやかな宮廷ドレスを着付けしてもらいながら、二人は話した。
 マリーは淑やかだが、滔々と聴かせるように言った。
「ロランさんはまだ少年ですよ。それが起きたら突然まるで見知らぬ人の家に預けられており、しばらく暮らすことになったのですから、心細くもなりましょう」
「…………」
「そして、男というのはプライドを傷つけられることにとかく敏感なものです。ロランさんは虚勢を張るような殿方には見えませんが、一寸の蚊にも五分の魂と申します。あまり可哀想なことは為されないよう……」
「……わかってるわ」
 ハーレィは髪を結い上げられながら、鋭く決意を瞳に宿して言い、
「ええ。姫様なら」
 その両肩にぽんと手を乗せて、マリーは微笑んだ。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...