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第五章『魔王(仮)』
十五
しおりを挟む「——……しかし、さすがの大魔王エーデルガルド。その攻防では倒せず、彼らは一度〈ナルガディア〉に帰還します。そこでロキは先んじて救世主インベルに助けられていた娘たちと再会。改めてロキは人類軍に加わり、救世主インベルたちと共に冒険を続けます。まだまだ彼らの戦いは始まったばかりなのでした——衝撃の幕引き。第一部、完!」
メルキオールが絵本を読み終えると、子供たちからブーイングが湧いた。
「えーっ! あれだけ格好つけて、まだ元魔王倒せないのー?」
「ええ。そう簡単にいくほど現実は甘くなかったわけですね。レオリット含めてまだ軍団長も五人いますし、戦いは始まったばかりですから」
「えーっ! そこ聞かせてよー」
「二部を買ってらっしゃい」
レイスァータ軍の惨敗と同時に、メルキオールも、かつて彼の屋敷地下から救い出された配下たちも、間もなく彼の呪縛から解放された。
メルキオールはすぐにインベルと共に城下に帰り、そこで破滅の星を退け、大きく腕を損傷したロキと出くわした。
そして王城の医務室に運び……現在ロキは、呪いに耐性がなく腫れの引かなかった彼の配下たちとともに寝込んでいる……。
〈ナルガディア〉の寄宿学校から帰ってきたバルタザール、カスパールにからかわれながら。
医務室の一番奥の敷居に、少女の鋭い罵声が飛んだ。これは次女でツインテールのバルタザールだ。
「なっさけな! あの程度の火球にこんな大層な魔力使うなんて、若ってほんとにそれでも魔王なわけ?」
「…………」
「大丈夫。若、私は信じてますよ……本当は手抜いてるんですよね。強すぎる力を押さえて戦うのはお年頃の男子の基本ですからね。若はもうずっと大人のはずですけれど……」
一方で三女でいつも眠たそうなカスパールは抑揚なくレトリックを用いるようにロキを責め立てた。
しかし、二人とも手元ではお見舞い品のりんごを剥いている。そして切り分けると、
「でもま、お姉ちゃんもいないのに、一人で頑張ったほうなんじゃない。だから特別に私が食べさせてあげる。嬉しいでしょ? 若。ほら、あーん」
「いいえ、せっかく帰ってきたんですから、若に食べさせるのは私です。ね? 若。あーん……」
それぞれ分けた果肉をフォークに突き刺し、寝ているロキの口元に無理やり押し込むようにして言った。
「……だーっ! お前ら、俺は疲れて寝てんの! 徹夜で仕事こなして昼にはインベルと会って、マイセンの火受け止めて、死ぬほど疲れてんの! ちったぁ休ませろやっ!」
ロキはばっと布団を剥ぐや上体を起こし、包帯で膨れ上がった両腕をわなわなと振るいながら切り返した。
「はぁ? 人がせっかく食べさせてあげようって言ってんのに、何、その態度!」
「若、強がる子はモテないですよ。素直なのが一番ですよ、特殊な性壁があるなら別ですけれど……」
カスパールが次元から呼び出した悪魔の腕に頭を掴まれ、バルタザールに無理やりりんごを口に入れられながら、ロキの一日はこうしていつものように過ぎてゆくのだった。
◇
——その深夜。
平原をひよりひよりと弱々しく漂い、城下から遠ざかる一匹のコウモリがいた。
「なぜ……なぜだ、娘たち……」
レイスァータだ。カスパールの地獄召喚術で粉々に押しつぶされてなお、彼はまだ生きていた……!
吸血鬼もまたホムンクルスと同じに、血を媒体に活動するスピリチュアル体であって、構造としては血液の群体に近い。
つまり、血の一滴でもあれば、例え際限なく個々の力を失ったとしても、そこから微小生物となって蘇ることができる不死身の肉体を有しているのだった。
しかし、どれだけ無敵の肉体を持っていても精神はそうもいかない。
生きている以上、その内実からは誰も逃れることはできない。
彼もまたそんな風にして、今一匹のコウモリと成り果て、涙ながらに空を睨みつけると嘆いた。
「メルキオール……バルタザール……カスパール……。私が……私がお父さんなのに……おぉぉぉ」
それから一転して、ロキへの憎しみをたぎらせる。
「全てはあの若造のせいだ。メルキオールもバルタザールもカスパールも全部……全部持ってきやがって……あのクソ野郎、絶対に——」
その矢先、ばちんっ! と、けたたましく音がしたかと思うと、コウモリは手の間に挟まれていた。
音と衝撃に混乱するレイスァータが掠れた意識の間に見上げると、そこに一人の女剣士がいる。
インベルだ。
「捕まえた」
得意げに微笑んで言う彼女とは対照的に、レイスァータの血の気は引いた。
「き、貴様は……」
「死ねない身体ってのはほんと、厄介なものね」
コウモリになったレイスァータを両手に握りしめながら、インベルは闇世が広がる草原に、叫ぶように続ける。
「……ハーレィ! いるんでしょ? ハーレィ」
秒間もなかった。
インベルがその名を呼んだ途端、吸血鬼お得意の空間をぐにゃりと曲げる次元断層が見え、かと思えば、そこからサキュバスにも似た女吸血鬼がインベルに向けて飛びついてくる。それも、夜衾一枚……つまり、露出狂にも等しい下着姿のままである。
インベルはとっさにその顔面に手をやり、彼女の抱擁から逃れるも、ハーレィはまるで気にせずに言った。
「インベルーっ! なんじゃなんじゃ? いよいよ性転換する覚悟ができたのかえ?」
インベルの方もそれはそれとして気にしていない。もう慣れているのである。そう、二人はとっくに旧知の仲であった。
インベルは片手でハーレィの顔を押さえ、もう一方の手に握りしめたコウモリをその眼前に見せつけながら言った。
「ほら。あんたの飼い犬よ」
「飼い犬? そんなくっさいコウモリ、飼った覚えなどないがのぅ」
「…………」
こういう場合、殊にタチが悪いのは、本人が本当に忘れているというケースである。
それもまた精神防衛術であって、彼女らなりの処世術と言えるのかもしれないが、ハーレィは永きに渡る人生のためにひどく忘れっぽく、またそうして興味がなくなり、忘れたもの、事象を決して思い出さない。となれば、そこに罪の意識は芽生えず、そうした者は決して反省をしない……いや、できないのだろう。
インベルは据わった目つきで彼女をじろりと睨みつけるが、インベルの前で彼女は甘える子犬も同然。無碍にもできず、やれやれとため息一つもらすだけに留めるのだった。
「そんなことより、なぁ、インベル? いつでも、儀式の準備は整っておるのじゃぞ?」
「はいはい。また今度ね」
「そう言っていつもはぐらかすのじゃ……其方はつれないのぅ」
「はぁ、呼んだのが間違いだった……あとでハグでもなんでもしてやるから、一度大人しくしててくれない?」
「本当かっ! インベル!」
「ほんとほんと」
「なんでもと言ったぞ! なんでも!」
「言ったけど、常識的にできる範囲ね」
「なら……妾は……あぁ、いや、しかしじゃなあ……だ、ダメじゃダメじゃ。そんなこと妾の口からは裂けても言えぬっ……」
「…………」
すでにインベルの言葉も耳に入っていない……。
レイスァータは目を丸くしていた。というのも、以前自分をあれだけ長きに渡って苦しめ続けた張本人があろうことかその一切を忘れ、その一方で自分の前では決して見せない顔をして擦り寄っている。
レイスァータからすればまるで別人。青天の霹靂も甚だしい、それぞれが理解に苦しむような光景である。
「ともかく。さて……」
インベルはそう言って静かに直剣を抜いた。
続けて、その切先を握りしめた拳の先にあてがう。
「な、なにをする——!」
レイスァータは怯えながら言う。
「ふむ……」
インベルは言いながら、しかし考える素振りも別段見せずに告げた。
「ここに来る前はどうしてやろうかと思ってたけど……なんだか今のあんたを見てたら、哀れにも思えてきたわ。だから、慈悲をくれてやる」
「慈悲だって……」
インベルは言うが早いか、念じていた。
すると、静かに大気が渦を巻き、〈ドルグリーヴァ〉の切先とレイスァータをつなげて風を起こした。
黒い、線状の、風だ。
やがてそれがレイスァータから吸い込まれるように〈ドルグリーヴァ〉のほうへと流れだし……、
「な、なにを……!」
レイスァータはうめき、インベルは儀式を続けながら言った。
「殺しはしない。異界に送ることもない。ただ——あんたの魔力を全て吸い尽くす。もうこの世のどんな方法を用いても、元には戻らない。その年にして一からの出発ね」
「な、ななな、なんだとっ!」
レイスァータが狼狽え、懇願する間にも黒い風は吸い込まれ続けた。
「や、やめてくれっ! 頼む! 他には何でもする! しかし、これはあまりにもあんまりじゃないか!」
「そう。そういう尊厳を壊さないと、罰の意味はないでしょう?」
「あ、あ……ああああーーーーーっ!」
コウモリの号哭が夜更けの草原に響き渡った。
そして今やほとんどただのコウモリと化したレイスァータを握りしめたまま、
「大丈夫。あんたにやる気があれば、新たな力は生まれてくるし、経験は魂に息づいている。また十年でも百年でもかければいいじゃない。そうでしょう?」
もはや力無くうなだれるばかりのコウモリを前に冷酷無比にそう言ってのけて、インベルはそのまま拳をハーレィに突き出した。
ハーレィが目を丸くして返した。
「なんじゃ?」
「プレゼント。あんた、使い魔をほしがってたでしょ」
ハーレィはすぐに協調してインベル同様口元を悪魔のように反り返らせた。
「……ほほう。使い魔というより、奴隷じゃがのぅ」
「ま、まさかっ……」
レイスァータが口を挟んだが、インベルは、
「今度は忘れず、逃がさないように閉じ込めておくのね、ハーレィ」
魔王よりも恐ろしい笑顔でそう告げるのみなのだった。
こうして元魔王軍不死・死霊軍団団長にして、不死王とあだ名されたレイスァータ・ロウリークはついにその力を完全に失い、ハーレィの下僕として彼女の城で飼われることになったのだった。
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