魔王と! 私と! ※!

白雛

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第五章『魔王(仮)』

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 その日、朝から〈マリステリア〉の各町の中央広場では大勢の人だかりができていた。
 魔王都〈スターディンリオール〉でも謁見えっけんはお休み。城の前の広場に兵士たちが出張って、たくさんの屋台を設け、品を求める列をさばいている。
「はい、はい。まだ在庫は十分にありますから! 押さないで! 大人しく並んでくださいねー。良い子にしてれば、必ず手に入りますからねー」
 一番人気はメルキオールの屋台だった。
 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうでいかにも無骨ぶこつな兵士に渡されるよりも、やはり可憐かれん楚々そそな秘書官から渡されるほうが子供たちもいいのだろう。多くの親子連れが殺到さっとうしている。召使たちも健闘している。受付は女性に限る。
 ちなみに業者の売り上げは後日、連中の顧客リストと睨み合いながら、一人一人メルキオールの転移術で返還していく予定で、ロキは当然として、部下や召使たちも当座休みはなく……。
 ……目に深いクマを刻みながらロキはその最後列で、『最後尾はここですよ』木札を持って、立ち尽くしていた。
「ねぇ、ねぇ」
 足元には鼻垂れのガキ共が集まってきていた。
 トカゲのレプティリアン、ヒト、ゴブリン、耳が長い一方肌は浅黒く髪も黒いハーフエルフ。人種の見本市とでもいうように、そこに垣根はない。
 鼻に口にずんぐりした指先を突っ込みながら、その体液に塗れた指を魔王の外套がいとうにこすりつけてガキ共がのたまう。
「魔王さま? 本当に魔王さまなの? 魔王さまがこんなとこで何やってるの?」
「仕事ないの? えらべなかったの?」
「今やってんだろうが……メルキオールあそこのお姉ちゃんに押し付けられたんだよ。『若。朝から若のしかめっつらを見るほど不健康なことはございませんから、若はこれ持って立っててください』とかつって」
「ふーん」
「ねぇ、ねぇ。それなに?」
「木札だよ……」
「なんて書いてあるの。読んで!」
 ロキは一文字一文字指差しながら言った。
「さいこうびはここですよ……って書いてある。まだ読めんか?」
「さいこうびってなに?」
「一番後ろってこと」
「一番後ろってなに?」
「一番後ろってのは……一番後ろってこと。ほら、あそこが一番前だろ? そうしたらここが一番後ろだろ?」
「わけわかんない……魔王さまなら、もっとわかるように言って?」
「…………」
「ねぇ、ねぇ。ぼくもそれ持ちたい」
「ダメだ」
「なんで? いいじゃん」
「えーと……これが俺の仕事だから」
「しごと? これが王さまの……しごと?」
 違うかもしれない……いや絶対に違う。断じてこんなのは魔王の仕事ではない。が、子供にどう説明したらいいのだ……。
 ロキは考えた挙句、しぶしぶと首肯しゅこうせざるを得なかった……。
「……そうだ。……しかし、いつもは色んな人の話を聞いて、国中を飛び回って解決してるんだぞ?」
「ぼくのお父さんね、こなひきやってるよ。あそこで」
 聞いちゃいねえよ。と思いながら、
「そうか。市井しせい必需品ひつじゅひんだからな。大層な仕事じゃないか。せいぜいがんばれ」
「このしごとと、どっちが偉い?」
「……お前のお父さんのほう」
「え、ぼくのお父さんのほうが、偉いの?」
「……こんな木札持って突っ立ってるよかな」
「へー魔王さまよりぼくのお父さんのほうが偉かったんだ……魔王さまって大したことないんだね」
「……はぁ」
 いよいよロキは途方に暮れた。
 助けてくれ、メルキオール……。
「ぼくもやりたい。しごと。やらせて、魔王さま」
「ダメだ。これは俺の仕事なの」
「なんで? ぼくも役に立ちたいんだ」
「……なぜそう思う?」
「なぜ? だって、そうしなきゃ価値なんてないから」
「……誰がそんなこと言った?」
「皆いってるよ。お父さんもお母さんも、早く大きくなって、早く私たちを楽させてねって」
「…………」
「だから、早く大人になって、早くいい仕事探して、お金を稼げるようになって……」
 ロキは少年の言葉を遮った。
 その小さな頭に手を乗せる。
 短髪のくせにまだ髪は産毛に近く、やわらかい。
「いいか。子供のくせにそんなことを考える必要はない」
「え……でも、みんな言ってるよ」
「俺は魔王だ。俺の仕事は大したことないが、俺の言うことは誰よりも偉い。お前の言うみんなよりもずっと偉い。その俺が言ってるんだ。よく聞け」
「うん……」
「早く大人にならなくていい。ゆっくりとなれ。初めから誰かの役に立ってどうする。振り回されるだけだ。自分のための人生だ。自分のために大いに楽しめ。それが、いつか誰かの役に立てばいい。胸に刻め」
「でも……」
「次、その皆がなにか言ってきたら、心の中で念じろ。俺やメルキオールに届く。俺たちが飛んでって、そいつをしばいてやる。解ったな」
「うん……」
「あぁ、そうそう。しかし俺たちがしばくのは最初だけだ。次からはお前がしばけるように強くなれ。それが男……」
「へー。いいこと言うじゃない、魔王様」
「——っ?!?!?!」
 ロキは視界の彼方にサラマンダーオオトカゲを見つけたジャンガリアンハムスターもびっくりするほどの跳躍ちょうやくを見せて驚いた。
 まったく思慮しりょの外。あらぬかたからの声だった。しかし、聞き間違えるはずもない……!
 振り返るとそこに、葡萄酒色のふわっとした長髪を下げた女剣士が立っている。
 インベルだった。
「今は保育士の真似事でもしてんの?」
 まず思うのは。
 あぁ、インベル。夢にまで見たインベル。
 ちょっとせたか? 最近はちゃんと食べてるのか? 少し髪のつやが落ちていないか? 前会ったときに比べると笑顔がくもってないか? 声に張りがなくないか? ちゃんと食べてるのか? 俺に尋ねてくるなんて、なにか嫌なことでもあったのかもしれない。
 そんなことをつらつらと思う一方、懐かしい匂いに胸が焦がされる想いがして。
 それをさしおいても、やはり、
 寸分変わらぬ美しさ! なんたる母性!
 今すぐに求婚したい! 子供は一姫二太郎。家族に囲まれながら、老魔王としての余生が即座に思い描かれ、そんな二人の未来のためにも、頭の中では今すぐに飛びついて『ああ、その通りさ! ハニー。君との子育てを考えながら、ずっとこの日を待っていたんだよっ! さぁ結婚しようっ!』とか甘くささやく華麗なる自分が思い起こされるものの、ふとそこから現実に立ち返れば玉座はなく、魔王の威厳を示す外套マントも見知らぬガキの体液でべとべと。
 そこにいるのは木札を持って列形成をなし、目のクマ深く、血色の悪い(おまけに人相も悪い)警備員が一人だけ(そういえば鼻毛切ったっけ? 俺)。しかも、あろうことかこれは、子供の玩具の即売会なのであった!
 更にそこで知性もおぼつかないクソガキ共に集られ、良いように弄ばれているなど、これでは、まったく格好がつかないではないか!
 なんでこんなとき、こんなときに限って、いきなり現れるのだ?! この女!
 せめて前もって連絡くれるとかあれば、厳かに冷静に、女性ならば誰もが焦がれる格好良い美魔王として万全の態勢で出迎えられたのに……!
 挙げ句の果てにインベルにそんな文句さえ芽生えさせながら、ロキは『いや違う。自然に……自然に。普通でいいのだ。それが安心感をもたらし、信頼へとつながる。シゼンタイシゼンタイシゼンタイ……』と懸命に自分の跳ね躍る心を宥めながら、言葉にした。
「インベル、貴様、な、何しに来た?! その様子じゃ、まだ嫁にもらえていないのか! 仕方のないやつめ、がははっ!」
「は——?」
 琴線きんせんに触れたインベルの眼差しは絶対零度ぜったいれいど。南極の流氷もかくやという冷たさでロキの五臓六腑ごぞうろっぷを貫いた。
 足元で小さなゴブリンが額を押さえる。
 ロキはボロボロと崩れ去る夢のきざはしを想いつつ、必死に取りつくろいを続けた。
「い、いや……ジョーク(すぅー)のつもりなんだ……言いすぎました。ごめんなさい、違うんです……ごめんなさい」
「せっかく顔見に来てやったのに、なんでいきなり喧嘩ふっかけられなきゃいけないわけー?」
「いや……その……突然だったから……」
「まぁいいわ。それより何なのー? この騒ぎ。今日特別な日とかじゃなかったわよねー?」
 インベルはそう言うと気を取り直したが、ロキはもう意気消沈いきしょうちんだった。
 最初の一手でいきなりやらかしたのを鑑み、完全に萎縮いしゅくしていた。
「あ……あ、えっと、これはマモノンカードの即売会っていうか……」
「マモノンカード? なにそれ」
「し、知らんのか。今、せ、世界中の子どもたちに大人気のとれぃでぃんぐかぁどという玩具で……」
「んー知らん! で、その子供の玩具に夢中なの? あんたも?」
「は? ……はぁ?! いや?! ぜ、ぜんぜん? お、俺もぜんぜん知らないんだけどさー! なんか? 人気って話で、知り合いに頼まれちゃって大人だけど仕方なく……」
 すると、屋台のほうからメルキオールが駆けてきて言った。
「若! 休憩です! 一休みしましょう……いやー大盛況ですねー。若もたまには良いことするじゃないですか。子供たちの笑顔が見たいとかって、マモノンカードを転売業者のクソから取りもどし、自分の手で販売しなおすなんてー」
「…………」
 メルキオールはそこまで言ってから、インベルと顔を合わせた。
 ちなみに彼女は次元跳躍の達人、すなわち把握もお手のもの。よって、故意犯こいはんであることは疑いようがない。いや魔王の情けなさを見かねて救いにきた……とも言えるかもしれない。
 とにかくメルキオールは白々しく言った。
「あら! これはこれはインベルさん。いらしてたんですね! 気づきませんで、とんだご無礼を……」
「えーと……メルキオール、だっけ」
「はい、はい。若の秘書を務めさせていただいております。メルキオールです。お久しぶりですねー」
「……うーん?」
 焦げたえのきみたいに秒間痩せ細っていくロキの顔を眺めて、インベルは眉尻を下げつつ言った。
「あー、ごめん。私、なんかタイミング悪かった?」
「え……」
「ロキの機嫌も良くなさそうだし、私、きちゃまずかったね。でなお——」
「ち、違う! 断じて!」
 時間にしてコンマ秒もなかった。この期を逃せば二度とない機会。それを失うことの恐怖を、後悔の絶望を、ロキは先見的に見抜いていた——。
「いろ!」
「は?」
「お、俺……嬉しい……インベル、来てくれて……嬉しい……すごく……間違いなく……だから、いろ! な?!」
 その必死ぶりに思わずオークのカタコトのようにまで言語野が成り下がってしまったが、とにかくロキは伝えた。
 インベルは呆気に取られながら返した。
「あ……う、うん。わかった」
「よ、よし」
 メルキオールは顔面を覆い隠して笑いを噛み殺すのに大いに震え出し、アルは仔細しさいを見抜いて、そんなんでも我らが魔王にこの上ないあわれみの目線を送るのだった。





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