魔王と! 私と! ※!

白雛

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第五章『魔王(仮)』

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 出産祝いに祖母から菊の花を頂いた。
 ひと足先に産まれていたのが女だったことから、次も女ならば要らないと言われていたそうだ。
 実はロキにはその時の記憶がある。古い蓄音機ちくおんきのかすれた音と共に、身につまされるような哀愁を味わうことが、幼少の頃からあった。それを子供心に不思議に思い、尋ね聴いた時、母が家への憎しみを込めてロキに漏らしたのだ。それは胎内にいた頃の記憶だったと、ロキは今でも信じている。
 赤い。
 赤いうしおのような光景。
 海が見える。
 自分は海中に沈んでいるのかもしれない。
 潮騒しおさいが聴こえてくるようだ。
 現実の海とは違って赤い。血のような赤よりは朱色というべきで、まさに夕暮れの島国のようだが、ロキはそれまでそのような場所に訪れたことはなく、またそんな景色を見た覚えもなかった。
 そしてひたすらに、哀しい。
 哀しかった。
 恋人と死に別れるような、切り刻まれるような痛みが身体の深部に走ってやまない……その感情の出どころが、まるでつかめない……。
 それがロキの原初の記憶。
 取り上げた助産師も驚いていたそうだ。妊娠中の検査では確実に女だと思われていたのが、いざ産まれてみれば男と女の双子だったという。
 それぞれ未熟児で、直後に静脈血栓が見られ、母子共に危険な状態だった。物語によくある「家族を呼んでください。もしもの場合、母か子かの選択を……」という状況だったと聞く。
 直ちに〈ナルガディア〉の最新設備が整った医院に運ばれ、三分の二に迫る量の輸血が行われた。
 助かったのはロキだけだった。
 双子の妹は産まれることもできずに死んだ。
 墓碑ぼひさえない。
 名前。
 おそらく、というロキの推測した名前はネネ。
 自分が世をすべる覇王の由来で名付けられたのだから、その妹は六天魔王を名乗りし寓話上の偉人に所縁ゆかりのあるもので然るべきだという点から、ネネ、とロキは呼ぶことにしている。
 ロキの母は側室であった。
 正室は彼女の姉。
 二人はハーフエルフで、ハーフエルフというのはホムンクルスのような人造の命と並びに、ヒトにも純血の魔族にも交われない。一族の恥とされ、けがれた狭間の子として、あらゆる場所、あらゆる国、あらゆる種族から忌み嫌われてきた地底の種族であった。
 それが流れた果てに集い、興したのが〈マリステリア魔王国〉であって、その数百年の歴史の先端にロキは——そうしてこの世の全てに忌み嫌われながら産まれ落ちた。
 前代闇の王である父エーデルガルドは姉妹を孕ませ、その姉の方を愛していた。妹であるロキの母は、父方の祖父母や親戚から目の仇にされ、ロキが産まれて尚、畜生同然の扱いを受けて心神喪失としていたが、姉が彼女を助けることはなかった。
 なぜなら世継ぎは男のロキのほうだったから。
 産まれてみると男だったことから途端に手のひらを返して、祖父母も縁戚もロキにだけは手厚く珍重した。それが姉妻子の憎悪に火をつけたようだった。
 ロキの腹違いの姉も、ロキの叔母にあたる母の影響を強く受けて、ロキの母とロキ本人を強く、強くさげすんだ。
 ロキの姉フレイアは常に従兄弟や友人たちを引き連れて、陰でロキを攻撃した。表立って攻撃できないものだから、そのやりようもそれだけ陰湿になった。
 初めは毎日のように泣いていたロキだったが、ある時そうして泣きついた母にこう言われた。
「疲れた? はぁ? ガキのくせになに判ったようなこと言ってんだか。私のほうがよっぽど疲れてるわよ。結婚する前はよかったのに」
 ロキはこれ以降、心を他所よそへしまうすべを身につけた。
 感情を失ったように泣かなくなり、同時に、笑わなくもなった。
 祖父母や縁戚はこれを次代の王たる自覚が芽生えたとしてロキをめそやしたが、当然違う。
 諦めたのだ。すでに。己の幸福を。
 そして結論を見出した。
 自分は、いないほうがよいのだ。
 何も喋らない。何も感じない。
 人形のように与えられた宿命だけをたんたんとこなしていればいい。
 他には、何もするべきではない。
 そのほうが周りは平和に済むのだから——。
 そう、悟ったのは、彼がまだ七歳の頃であった。
 ロキは表向きの感情こそ示さない無口な少年であったものの、その資質は本物であった。
 七歳にして古代ルーン文字の辞典を嗜み、上級魔法を会得したのを皮切りに、八歳から細菌研究を始め、数々の毒素を新たに発見。十歳を過ぎる頃には国内最高峰の大学の研究チームに所属して、魔法、薬学、生物学の分野で先見的な論文を発表した。
 体格の伴わない体術に関してだけは大人に引けをとったものの、それでも同じ年頃の子供とは比較にならないセンスと身のこなしを身につけていた。
 対して、義姉は平凡そのもの……いや、それよりも数段低い成績だった。義弟とは見識の水準からして比べるべくもないのは明瞭めいりょう。それがより、一層、二人に軋轢あつれきを生じさせていた。
 ロキの手足が伸び出し、痩躯そうくに飴細工のようなトウヘッド、母譲りの眉目秀麗びもくしゅうれいな面差しを見せ始めた頃だった。
 フレイアもまた滑らかなプラチナの長髪。するりと下りたで肩、均整の取れた長い手足。肌の色に相まって、デルフィニウムのような楚々そそとした艶やかさを湛え、通りがかるたびに召使たちの目を引く美人になっていた。
 そんな義姉のフレイアに、ロキは夜な夜な殴られ続ける日々を迎えていた。
 いつだったか。些細ささいな口論からフレイアは彼を近くの長椅子の上に押し倒して、殴りつけた。しかし、ロキはいつもの感情のない眼差しで見返すだけで一切の抵抗を見せなかったのだ。
 自分の望むもの。本当は手にしたかった全てを獲得しているはずの弟が、何も持たぬ自分にされるがまま、殴られ続けている。
 このことに陶酔とうすいしたフレイアは夜毎彼を部屋に呼びつけては、服に隠れているところを傷つけ続けた。
 そうして一年ほどが過ぎた冬だった。
 この時ロキ十三歳、フレイア十七歳。
 フレイアは遂に抑えきれない積年の情動を込めるように、馬乗りになって彼の首を締め上げた。
「く……っ……」
 目が開かれ、苦しげに音を漏らしつつも、それでも義弟は抵抗しない。
 ただじっと義姉の不満解消に付き合っていた。
 意識を失う寸前で、ふとフレイアは我に返ったように手を離した。ロキは咳き込んだ。荒くむせかえり、寝台の横に嘔吐おうとしていると——フレイアが突然、横からその上体を抱きしめた。
 ロキは初めて驚いた。表情を見せた。
 信じられない。いや、もしかしたら、包丁を握っているかもしれない。そんな疑いは湧いて間もなく泡となって消えた。
 彼女の腕は震えながら強く……まるで自分の子供にそうするかのように、強く彼の痩躯にしがみついていたからだ。
 そしてかすれるようなか細い声で、こう宣うた。
「私たち——どうして産まれなければいけなかったんだろうね」
「…………」
「ごめんね……ごめんね……私さえいなければ……私さえいなければ、すべて、上手くいっていただろうに……」
 ロキの目から、熱い涙が溢れていた、
 ——フレイアの目元に伝うものを見て。
 彼はつぶやいた。
「姉さん……」
 そして、母にそうするかのように強く、その身体にしがみついた。

 ◇

 ロキとメルキオールは郊外の廃れた寺院に転売業者のアジトを見つけていた。
「ここか?」
「ええ。そのようです。歪んだ魔力を数十個ほど、感じます」
 二人がそのように話しながら屋内へ入った矢先、足元でぴんと張り詰めていた糸が解かれた。
 ブービートラップだ。廊下の奥から一斉に矢が放たれ、二人に襲いかかった——が、それらは彼らに触れる直前で突然発火してチリと化した。白く、輝く黄金の焔だった。
 廊下を二歩、三歩と進むたび似たような仕掛けが二人に襲いかかった。
 突如血に塗れたナタが天井から落ちてくるギロチン。足場が崩れ、隠していた地下に無数の剣山が敷き詰めてある落とし穴。彫像に仕込んだ火炎放射や致死性の毒霧などもあった。
 しかし、何一つ二人の肌には届かない。
 周囲に薄く貼られた煌めくオーラの前にことごとく砕け、燃え尽き、あるいは灰となって霧散するのだった。
 そうして二階にあがると、陰から大男が飛び出し、これも突然切り掛かってきた。和の国で流行っているような刃の広い大太刀を振りかぶっていたが、その振り下ろしも彼らの頭上で止まった。
 すぐさま周囲の部屋からゴブリンを初め、レプティリアン、ヒト、ハーフエルフと飛び出してきて、二人を背後から串刺しにしようと刃物を突き込んだが、それも同様、切先は二人の周囲で見えない壁に阻まれている。
 そして何より、一度斬り込むと、彼らの周囲の空間が粘着質を持つかのように抜くこともできなくなっていた。
 片目の潰れた大男が呟いた。
「な、何もんだ……てめぇら」
「俺の顔を知らんとは……エステバリスのネズミは教養すら持たぬようだ。……メルキオール」
「御意」
 メルキオールが答えるや、彼らの首が一斉に胴体を離れた。そして残る胴体はたちまち金色の焔に包まれ、焼失する。しかし、それらの血飛沫すら、二人のたもとに届くことはなかった。
 ロキはそいつらの生首を紐でぶら下げるかのようにつなぎ合わせて、手慰てなぐさみにぶんぶんと振り回しながら、奥の部屋に侵入した。
「よぉ。マモノンカードの仕入れ先はここであってるか?」
 中にいた業者たちが次々と立ち上がり、身構え、虚勢に大声を張り上げたが、見張りの凄惨な末路を目の当たりにして哀れなくらいに腰が引けている。
(素人集団か……生半可な覚悟もなく闇社会に飛び込むから、こうなる。当然の末路だな。平和になって、救いようのないものが増えたもんだ……——互いに苦労する。なぁ、インベル)
 ロキは連中の放つ言語を意にも介さず、部屋の奥を見ていた。
 そこには手のつけられていないマモノンカードの箱が山と積まれていた。今のロキにはどんな金銀財宝にも引けを取らないお宝のように見えた。とたんに指差して言う。
「あるじゃん、マモノンカード!」
 ロキは玩具屋に訪れた子供のように目を輝かせると——一転、業者たちを強く睨めつけた。
「……この国のどこ見ても売ってねえのによ」
 一方、メルキオールは頭数を数えながら言った。
「小鬼、トカゲ、半魚野郎にヒト、エルフ……多様性、素晴らしいです。けがらわしくも雑種がのさばるわけだ」
「念の為に聴いとくと、お前らこの国の者じゃないだろ? 出自を明かしてもらえると敵が明確になって助かるんだが……」
「てめぇら、なに——」
「——答えろ」
 業者たちに口答えは許されなかった。
 ロキが低く凄むと同時、彼らの口は強力な呪いによって支配され、自らの意思では開くことも閉じることもできなくなっている。
「いいか、ゴミムシ野郎。お前らが今も息してられんのはこの国が一応は平和だからだ。戦争が終わり、世界は平和をベースに考えるようになっているからだ。だがそいつは俺の機嫌で今日にも変わる。時代に生かされてるだけのゴミクズが、よく聴いて、俺の質問にだけバカみてえに答えてろ」
「…………」
「右から出身国。血筋。親。すべて言え」
 ロキは続けた。
「一族郎党、根絶やしにしてくれる……」
「いけませんよ、若」
 メルキオールが横槍をいれた。
「もし外国からお越しの観光客やお仕事で来国なさっている方々だったら、どうするのです。外交問題に発展いたしますよ」
 しかしそうは言いながらも、ロキに見張りどもの首を持たせたのはメルキオールではある。すなわち、それは皮肉だ。
 ロキはそれら言動全てを鼻で笑った。
「とある殺人鬼が言いました。『死体が出てこなければ、殺人じゃあないんだ』。こいつらは——今日ここで行方不明になるんだよ、メルキオール。旅慣れないものにはよくあることだ」
 ——だが次の瞬間。ロキの視界は転じた。
 突然足場が崩れた。
 それどころかその部屋全体が何か強風にでも煽がれたように粉々になって吹き飛んでいた。
 原因は、外部からの圧倒的なパワーによるものだった。
 砲撃ではない。
 背景に稜線を描く山のように大きな陰が、気づけば建物を覆っている。
 亜人最大種、巨人族ヨトゥンの打ち下ろしだった。





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