魔王と! 私と! ※!

白雛

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第四章『血染めの花嫁と敗北の遺伝子』

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 かの闇の王エーデルガルド・オーディーンを制した戦いにおいて、人類軍最前線は海を渡って橋頭堡きょうとうほを築いていた北の〈ナルガディア帝国〉主導のもの。戦地から本大陸へと帰還を果たした勇者たちはまず帝国で熱烈盛大な歓迎を受け、傷ついた心身を存分に休めたのだ。
 その際、帝都〈ネオ・スパイラル〉の帝城にて行われた祝勝会に列席していたマルティンは野心を隠すこともせずインベルに迫っていた。
「これはこれは……我らが救世主様がこんな可憐な、それも妙齢みょうれいの女性であるとは……恐れながらこのマルティン、この目で見るまではとても信じられませんでしたぞ」
「女性が世界を救ってなにか問題が?」
 インベルが多少冷ややかな態度を込めて返すと、マルティンは大柄おおがらに頭と手を振って答えた。
「やぁ、気を悪くされたなら伏して詫びよう。しかし、そうではない。もし、インベル様。縁談の話など如何かな?」
「縁談?」
「左様。これほどの高嶺たかねの花。天上界の美とでも申しましょうか。予言してもいい。これからはその話で持ちきりになりましょう。そこで不肖このマルティン、恐れながらインベル様さえよろしければ、ぜひ我が国のきさきとして迎え入れたいものだと思いましてな」
 はっきりと物を言う態度は悪い印象ではなかった。
「妃……」
「我が国はこの〈ナルガディア〉のような技術も、また〈アルカディア〉のような血筋も持ち合わせておらぬ……いわば庶民たちが自分たちで切り拓いた商魂たくましい成り上がり者どもの国ゆえ……」
「何かしら血統書がほしいわけね」
「話が早くて助かりますな。当然、そなたに苦労などさせるつもりも損をさせるつもりもないのですが……どうでしょう? ぜひ、息子と会ってみるだけでも……」
 "何々してみるだけ"。これは詐欺師や女衒ぜげん常套句じょうとうくだ。
 そこまでいけば絶対に引き込める自信があるからこそのいやらしい台詞……〈エステバリス〉は戦地でこそ目立った活躍がないが、こと補給に関してはその要として此度の世界戦争で縁の下の力持ちを見事に演じてみせた……そうして気づけば列強の集う会議では当然のように同じ高さで席を並べている。文字通りの成り上がりの国。息子の手管てくだにもよほど自信があったのだろう。
 しかし、インベルは初対面よりずっとやわらかく微笑みかけてマルティンに言った。
「おあいにく様ですが、実は私にはもう……」
「まさか! いやはや……そうでありましたか……それも、なんと! 同じ村の幼馴染とな?! なるほど、なるほど……いや実に惜しい……惜しいが、それでは執拗しつように誘うわけにも参りますまい。男が下がる」
 大袈裟な振る舞い、自信の見せ方、引き際。商談とは女を堕とすのと同じ神経を使う。大胆不敵に見えて、全て計算された繊細せんさい巧みな一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくは〈エステバリス〉の男のお国柄。見た目や風説をたっとぶ国民色も相まって、その大統領とあらば色男としての素養も珠玉しゅぎょくというわけだった。
 戦争が終わったとなれば、これからはこういう男が世をべていくに違いない。
 もはやインベルのような戦士の出る幕ではなく、そうした後世の変遷へんせんにさしたる興味もなかったが、少し楽しみになるインベルであった。
 そうして話を聴くうちインベルは他の国の王族らよりもよっぽど親近感を抱くようになっていた。
 そでにしたのも本当にヒナタがいたからであって、インベルは何度もマルティンをねぎらった。
「本当にごめんなさい……確かに救世主の名と血は、本来ならきちんと世に広められる立場の人に捧げて、後世に伝えていくべきとも思います。けれど……」
「あいや、こちらが不躾ぶしつけであった。構うことはないですぞ、救世主様。そなたらの幸福が何より。ささやかながら、末永くお幸せを祈らせてください」
「ありがとう、閣下」
 そんなやりとりからはや二ヶ月。インベルは手のひらを返す文をあの故郷の麓の通り宿から送ったのである。復讐の鬼と化したインベルに恥なんていう神経を削るだけのつまらない概念はなかった。
 そして検問所で馬車での歓迎を受けると、二人は意気投合した。
「わたくし、どうしても……どうしても母とヒナタに目にもの見せてやりたくて……本当に罪深いことを申し上げてるのは承知しております。しかし……」
「世にあまねく王侯貴族たちを集めた大婚活パーティを開催することで、村の者らに自分の真価を認めさせてやりたいとな? そのために不肖このマルティンの力を借りたいと……」
「然すれば我が国に輿入こしいれ……すなわち我が息子アデルバートと結婚し、我が国の象徴としてそのいしずえとなると?」
 インベルは帝国に滞在し、そこから最西端に位置する母国まで各国各州を巡業してまわり、さんざんお歴々やそこの住民たちと接する間に身につけた作法を駆使してへりくだった。
 が、猫被りは女の本能だ。教わらずともこのくらいは幼児でもやってのける。インベルもそのうち気付けば得意分野になっていた。
「はい……」
「いやはや流石は救世もされた方の仰ることだ……実に面白い取引ですな。いや失礼。しかし私とて人を騙し、すかし、時には蹴落として這い上がった一人の商売人。面白い取引には自然と心が躍るもので……」
 マルティンはそこで一旦切ると、飢えた獣のような目つきを覗かせた。
 死線を潜り抜けたものだけが持つ殺気を伴う眼差しでマルティンはインベルを横目に見据えた。
「だが契約は契約。さしもの救世主とて、破られれば相応の対価は支払っていただきますが、よろしいかな? 泥を塗られて取り立てねばこちらの面子が危うい。もちろん、インベル様、その覚悟はおありでしょうな?」
「ええ、もちろんですわ」
「魂に、誓っていただきますぞ?」
「はい。私もはなからそのつもりですわ」
 しかし、百戦錬磨ひゃくせんれんまはインベルとて同じであった。むしろただの好々爺こうこうやではなく、そんな一触即発の気配をマルティンが持ち合わせたことはインベルにとって好点である。
 獣じみた一面もない右にならえの凡夫ぼんぷではそもそも言葉を交わす価値がない、とインベルは考えていた。
「よろしい……」
 マルティンは内情を切り替えるように一度瞳を閉じて言うと、次まぶたを開ける時には普段の気のいい壮年男性に戻っているのだった。
 しかし、インベルに初めその気はなかった。

 ◇

 インベルはその時すでに最強の直剣〈ドルグリーヴァ〉を手にしている。その力さえあれば自分が次なる魔王になって世界中から目の敵にされたところで圧倒できるだけの自信があったし、帝国の祝勝会で一、二度目に入ったくらいのアデルバートを好きなわけでもなかった。
 世界有数の権力者と最も容易くつながりを持てる自分の権威を誇示して、ヒナタと村の者に思う存分後悔させてやりたい。死ぬほど泣かせてやりたい。それが第一、本願であって良い伴侶など物のついで。
 インベルにとっては、そんなもの、ただタジべ村民たちに対する当て馬でしかなかったのである。
 もしアデルバート以上にこの役に相応しい男がいたならば、彼女は色街に飛び交う愛の言葉よりも気安くマルティンの信頼を裏切り、その者こそ世界の覇者たらんと世に歌い広めてすり寄った挙句、場合によってはマルティンを救世主の名を使って世界中の王族をたばかった張本人にして詐欺師の大統領に仕立て上げたことだろう。
 しかし、そうして集めてみれば至極しごく当然の成り行き。
 そもそもマルティンがすでに一大国の大統領であって、その息子アデルバートの右に並ぶほどの有望な権力者となると、まずいなかったのである。
 単なるハンサムや金持ちや一業界のトップ層という程度ではダメだ。あの村の者らは流行やらそういった浮世のものに総じてまったく関心がない。奴らを泣いて悔しがらせるにはあまねく世界をとどろかせる、文字通りの支配者クラスの名声こそが正義となる。
 その条件に、大統領の息子は、まさしく無二といっていい適役ではないか。
(アゴ割れてるし、脇は臭いし、ハンサムとか別にタイプじゃないし、何よりも生まれついてのたらしなのが玉にきずだけど、ま、救世主の初婚の相手としては及第点でしょ。ぐへへ、どうだ、ヒナタ……あの、バカめが! 逃した魚はリヴァイアサンより重いのよ、ざまぁざまぁ、うぷぷぷぷ……しばらくはお前ごときでは着想も及ばないくらいの贅沢ぜいたくをして暮らして、少ししたら国中の記者団を抱えてお礼参りに行ってやるわ……覚悟しておくことね、がはははっ)
 魔王よりも魔王らしい悪魔的な打算に、インベルは腹の底で笑いが止まらなかった——。
 アデルバートはインベルの手の甲にキスをして、インベルはアデルバートの手をとり、祝宴は終わった。
 すでに時間が遅かったのと期待に外れた心傷からホールに集まっていた嫡子たちは次々にインベルと同じく官邸に当てがわれた宿泊室か、首都のホテルに向かって退陣していった。
 マルティンも二人に気を遣ってそうそうにけ、アデルはいよいよ二人きりになれるとあって、特に鼻息荒くインベルの隣を歩いた。手の触れ方がすでにじんわりと熱い。
 これはインベルとしても期待に胸が躍らないでもない。
 インベルは打倒闇の王。世界平和成就。という達すべき目的のため、言葉の通り半生を捧げた身。いつも近くにいる男といえば血煙ちけむり漂う大地を寝床に日々戦場を駆けるドワーフばりに屈強な猛者もさばかり。
 キスはおろか男性とろくに手さえつないだことのない生粋きっすいの乙女であって、話には聞けども膨らむのは妄想ばかり。耳年増みみどしまになっていく一方だったのである。
 酔いも手伝ってその気になり、頬を紅潮こうちょうさせたインベルはさぞかし妖艶ようえんだったろう。
 宿泊室に着くと、インベル自らいざなうようにアデルの手を引いて室内に招いた。
「さぁ、私の王子様……入って。今宵、救世主インベルはあなた様だけのものですわ」
 ——しかしインベルはまだ知らない。
 その数分後。まさにその夜が彼女の運命にどんな亀裂きれつをもたらすものか。
 運命の神が彼女より禍々まがまがしくほくそ笑んでいただろうことを。
 彼女はまだ知らなかった。





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