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第三章:『石の見る夢』
十四
しおりを挟む猶予はない。
自分でそう言ったにも関わらずセティリスはこの期に及んで踏みとどまった。
感傷的に宮殿内を一人歩いて回り、途中兵士の訓練場にも寄った。毎夜のごとくそこでは兵士たちが各々見初められし竜と一対になって訓練に励んでいる。この国の衛士は本物の勇者たちだ。セティリスが通りかかったところで、それをちやほやと持て囃すために鍛錬を中止して出てくるものなどいない。皆、目の前のパートナーだけを見ていた。
給仕に酒を頼み、あおっても見た。
実はセティリスは酒が飲めない。飲めるのはネフティスやウェドの方で、何度となくからかわれたことがある。いつだって、奥まったところが正反対な兄弟なのである。
セティリスはその臓腑に染み込む熱量と舌に残る味わいに呻いた。
いっそ皆、殺してしまえ。
俺ならばそれができる。
この記憶を美しい記憶のまま。
遺しておけたら。
分け隔てなく生きてきた。それが過ちだったのか。
所詮違うものらは相容れない。
魔物とヒトと。
命の選択にかられれば、そのどちらもが、自分の方を選択せざるを得ないのだから。
翌朝。セティリスは衛兵の突入によって叩き起こされた。
大変です、皇子。
その縦に間延びしたそら豆のような顔で男は言った。
セティリスはその瞬間足元がなくなる感覚に襲われた。
男は報告を続けた。
竜たちが各所で人に反旗を翻しているらしい。
セティリスが崩れた回廊を走り抜け、城下前の大階段まで出たところ、すでにその端々まで間隔をあけつつ、黒煙が上がっていた。
上空には火竜の群れが翼を翻して舞っている。それだけならいつもの風景だが、その時はまるで雰囲気から何から違っていた。
足元のどことも知れぬ方々から響き渡る悲鳴に叫声。立ち上る炎が空を赤く染め上げて、砂と灰の混じった風がその匂いを大階段の上まで巻き上げている。
そこはもう城下ではない。
戦場だった。……セティリスのよく知る——!
〈ヒトに遣わし百有余年。我らの友情ももはやこれまで。我らの心臓を喰らうとあらば、我らもまた自衛のため、盟約を反故にするほかあるまい……〉
その中心にウェドがいた。
セティリスは城下に降り、一足飛びに民家の屋根を駆け出し、叫んだ。
「ウェド!」
〈我らはいつでも古巣〈ゲルニカ〉の頂にて、貴様らを待つ……!〉
ウェドは見ていた。〈ヘリオポリス〉の大衆に語りかけるようでいて、たった一人、地上に置いてけぼりにされたように佇むセティリスを。
その視線は確かに交差していた。
〈……それでも求るというのなら——命をかけて、かかってこい!〉
ウェドはそれだけを言い残すと、群れを引き連れ、遥か空の上を東へ瞬いていくのだった。
セティリスは見ていた。尻込みする自分を置き去りにして飛び立った幼馴染を。
ただじっと積年の想いを込めて。
「軽傷者五十四名。半壊家屋が十五件。他、訓練場、宮殿内でもいくつか損傷が見受けられますが死者は一人もいません。……奇跡です。あれだけの火成竜の反攻を受けて……」
「報告に私見を挟むな! 貴様はただ数だけを述べていればよい!」
一歩進み出たドーリアンの声が玉座の間に響く。
「——そしてそんなことは! 皇よ! ……まるで問題ではないのです」
「…………」
玉座に収まり、ゴブヌティス皇はつまらなさそうに肘をついていた。あの兄にして、この親ありといった、皇とてふてぶてしい態度である。
二人の間を右往左往するように行き交いながら、ドーリアンが続ける。
「かねてより問題視してきたことが現実になった——つまり、竜どもはたまたまエサが美味しかっただとか寝床の干し草の程度が良かっただとか、そんな風にたまたま、これまで我々を襲う気にならなかっただけであって、本性は魔性の獣だったと言うことです! 無論、話の通じる相手ではなく、かねてより私や一部、恐れる民たちの申し送りがあったように——」
「——セティリス」
ゴブヌティス皇は口を開くと、ただ二言セティリスに告げた。
「不甲斐ない貴様の手抜かりだ。どうする?」
セティリスは迷いない、いつもの毅然とした態度で返した。
「……は。じき都を立ち、火山に赴き、反抗意思のある竜ども全て狩取り、その心の臓、持ち帰ってみせまする」
「……よくぞ、言った」
ゴブヌティス皇も短く返した。
「頼んだぞ」
セティリスはその日、一人で宮殿を後にした。
砂漠の熱気を凌ぐための頭巾にいつもの上裸を覆い隠し、旅装を整え、街と砂漠を隔てる石垣の城門前に向かった。
黄金の宝飾類は一切外した旅の風情である。唯一身につけた金属は得物のケペシュのみ。これから赴く火山は焦熱地獄。金属など身につけていては肌が爛れてしまうからだ。
当然着いていこうとする近衛兵が大勢いた。彼らは城門前で彼を待ち構えていたが、その全てをセティリスは拒絶した。
「貴様らまでいなくなっては都の護りを誰が担うのだ」
「しかし……あいつらは……!」
「わかっているさ。だからこそ、全て俺に任せるのだ」
セティリスが普段見せることのない眼差しで見据えると、一人、また一人と咽び泣いた。
「ちくしょう……こんなことってあるかよ……ちくしょうっ……!」
セティリスはその一人一人の肩に手を置き、篤く言葉をかけてまわった。
「帰ってきたら改めて一から戦術を練り直す必要があるな。貴様ら満足に寝れると思うな、地獄を覚悟しておけ」
そのように喝を入れて、東へと砂漠を進んでいった。
場面が変わった。
インベルとアルの二人が気付くと、そこはネフティスの寝室だった。
〈賢婦人〉の女性治療者に看護を受けながら、寝台の傍らにタドゥキパが座っている。彼が魔力を込めた指先でネフティスを触診している。
「……うむ。変わりはないね」
それが済むと、ネフティスは居住まいを正しながら、そそくさと帰り支度を始めるタドゥキパに言った。
「いつも、ありがとうございます、タドゥキパ様」
「……すまないが、これでも医者だ。いつものことだろう?」
「いえ……違くて」
ネフティスは前置くようにそこで一呼吸。間を空けて、なにか打ち明けるように、目の中の焔を煌めかせて言った。
「お兄様はぶっきらぼうで判りにくいかもしれませんけれど、僕ら兄弟、あなたに本当に感謝しているんですよ」
「……そうかそうか。うん、まぁ、悪くないね。少し照れるけどねぇ」
タドゥキパは話を伺う体勢を整えるようにして再び傍らの木椅子に腰掛けた。
「もっと早くに告げるべきだったね」
「僕はそれでも他の方法を見つけたかった……」
「すまないが、夢想と現実は違う……竜たちを犠牲にすることは侘しいが、方法が一つあっただけでも良しなんだ」
「…………」
ネフティスは発熱に微睡んだ目つきをただ慈悲深く細めて、タドゥキパを見ていた。
「それでは、ゆっくりとしているんだよ」
そう言ってタドゥキパが退室しようとしたときも、
「タドゥキパ」
「……ん?」
「…………」
惜しむように彼を引き留めた。
タドゥキパもいい加減なにか気味が悪くなってか、再三枕元に戻って言う。
「どうしたのかね、ネフティス皇子」
「…………」
「何か今日の君は少しおかしいね」
言いながら彼のおでこに手のひらを当てて、額の熱を確かめるようにする。ネフティスの眼差しには変わらず焔が灯ったままだ。
「じきにセティリス皇子も戻ってくる。哀しいが、竜の心臓は万能薬だ。そうして君も、多くの患者も救われることだろう。この国は平常に戻る。それまでの辛抱だ」
「タドゥキパ……」
苦しげに表情が歪んだ。
ネフティスは縋るようにタドゥキパの腕をとった。
おそらくは熱に浮かされて人恋しくなっているのだろう。病床では良くある風景だ。構ってあげたいが、タドゥキパにもこれからやることがある。
「すまないが……ネフティス」
「ごめんなさい。僕のわがままでした」
「そうだね……しかし、悪い気はしないよ。本当の……ああ、家族に迎えてもらえたみたいだったよ、私も」
「ごめんなさい……」
キリがない。病に伏せった子供には非情かもしれないが、延々と繰り返していても仕方がない。タドゥキパはそこでネフティスの腕を優しく彼の胸元に返すと、
今度こそその部屋を後にするのだった。
場面が変わった。
しかし、インベルはこの感覚に違和を覚えた。
これはそう、前にセティリスの戦に視点が移ったときのそれ、タドゥキパのテラスから玉座の間へと転移した力強さ、強制感に酷似している。
こっちを見ろと無理やりに首を曲げさせられている感覚にインベルはいよいよ察して、うすく笑った。
この夢は混成されたものだ。
脳には非常に緻密な送受信器が備わっており、それは内外の情報を細かい粒子から捉えて、我々に映像なり音声なり手触りなり匂いに味……つまり知覚の解釈を生じさせ、委ねていると、以前にミロスに聴いたことがある。
視覚を乗っ取れば光景が、聴覚を乗っ取れば音が、そのようにそれぞれ乗っ取ったものの自在に変貌する。例えそれが実際に起きていることでなくても。幻惑魔法の基礎理論体系である。
現実とは何か?
『それを考えているときだけ脳の中に現れる現象』とも王宮の魔法教室で鞭を振るいながら、彼は言っていた。
そのようにして脳の受信を頼りに神経を通じて動作するのが生き物の原則なのだから、その通りである。
インベルが元いた現実世界だって、本当に実在するかは証明ができない。蝶の見ている夢であるかもしれない。だからそんなことに意味などないのだ。
それを踏まえれば、タドゥキパがテラスで解説したように、受信者の脳にのみ特定の過去を呼び起こすことは特別に矛盾の生じる現象ではない。私がどのようにして育ち、何を見てきたかを思い出せるように、それを飛ばすことさえできれば、あとは誰かの脳に受信させるだけなのだから。それを媒介するものが、この世界では魔法術式となっているだけ。
この夢の世界は外部の魔法力によって私とアルの頭の中に構築され、元の術者からたびたびそうして電波が乗っ取られていた。二つの記憶を切り替えるようにして。
つまり、術者は二人いて、それぞれが競うように私に真実を伝えようとしている。
どちらかが悪魔か?
そう考えると、どちらもとは考えにくくなるのが人間であり、多くの場合それは偽証の布石である。術者の作為的な罠だ。インベルはそれら常態の人間からは離れた場所で生きてきた。
ゆえにどちらかとは考えない。
すぐにどちらもの可能性を考える。
どちらもが悪魔で、どちらもが真実である場合の方が経験として遥かに豊富に見てきたこともあり、彼女の性質は実にプラグマティズムだ。実践主義。実際に経験したことから結果を予測する。善し悪しは立場によって変わるだけ。一方が、と考えるのはすでに術者の術中に嵌っている証。危険だと警鐘が鳴る場合すらあった。
けれど、それがそれぞれ誰なのか。
誰から誰へ切り替わっているのかは、これで解ったのだった。
ただそう、ネフティス。
彼の考えだけは読めなかった。
おそらく今の視点の数では情報が不足しているからで、それはインベルにはどうしようもないことだと切り捨てた。だが、視点の数が足りない、ということから邪推もできるはずだ。こういうのは女の方が勘が効く。つまり、そんなとこだろうと、インベルは確定はできないものの、当たりをつけていた。
さぁ、夢の終焉も近い。
「あなたの真実を見せてよ。セティリス」
そうして次はセティリスの記憶に飛ぶのだった。
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