魔王と! 私と! ※!

白雛

文字の大きさ
上 下
36 / 94
第三章:『石の見る夢』

十三

しおりを挟む




 その日から宮殿は厳戒態勢に入った。
 峻峭しゅんしょうながらも強者の誇りと熱気に満ちていた当初の空気は、季節の移り変わりと相まうようにして冷えきり、すでに通夜のように重々しい沈黙ばかりがひたすら漂うようになっていた。
 城下の様子も似たようなものだった。
 民衆には単なる風邪のこじらせであると御触れが発せられたものの、信じる者はいなかった。〈竜皮病〉に関する根も葉もない憶測が市井を飛び交い、ネフティスを欠いた第三近衛は見回りのたびにそんな右往左往とする様に余計に苛立ち、住民たちとやりあうことさえあった。
「だから私めは再三再四申し上げていたのです。素性の知れないものと馴れ合ってはなりませんぞと。ましてや相手は魔性の獣!」
 ここぞとばかりに宰相のドーリアンが言った。神官らを連れ、このニュースを大々的に報じ、民衆の不安を煽り立てている張本人である。
 この時も部屋に二、三人の神官を伴い、皇子の様子を伺うという名目ではやし立てにきていた。
 ネフティスは寝台から上体を起こし、全身に這い回る倦怠感けんたいかんと神経を貫く鈍痛に表情を歪めながら言った。
「獣……これまでこの国を共に守り続けてきた彼らを獣だと?」
「魔性のです、殿下。守ってもらったは良いがよく分からん病原菌を持ち込み、あげく皇族までも手にかけるようでは戦犯もはなはだしい! 今やこの国の兵士たちは兄皇子セティリス様の鍛錬もあって屈強になった。彼らさえいれば、それでよろしいではありませんか」
「ドーリアン、あなたは兼ねてより竜たちに懸念の声をあげていたな」
「左様。このような事態を想定していればこそ」
 ネフティスは次第に込み上げる苛立ちをそのまま声調に乗せて続けた。
「己が困窮こんきゅうしている時は助けを求め、命を救ってもらっておきながら、その者らに問題が生じてくれば、体よく切り捨てよと申すのか!」
「それがヒトである」
「違う。悪魔というのだ、それは」
 ネフティスはむせ返った。直ちに〈賢婦人〉が間に割って入り、神官をにらむが、ネフティスは胸を押さえながら彼女らを制して続けた。
「ちょうど良い機会だ。お前たちもよく聴き、この言葉を私のものとして広く皆に伝えよ!」
 いつものように声を張り上げたつもりだったが、大音声は出なかった。しかし、その剣幕はいつにも増して優れていた。
「問題が起これば解決すればいい。失敗すれば乗り越えればいい。なぜ切り捨てるばかりで、理解も示さず、共に苦境を乗り越えようという選択肢がないのだっ! 貴様らには! 誰一人として一人で生きているものなどいない! そのことをゆめゆめ忘れるな! そうして問題が起きようとも黙って見てるだけで手を差し伸べぬ傍観者、精神の軟弱者なんじゃくもの! すなわち心を失いし保身ほしん我欲がよくの権化を人は魔物と呼ぶのだ」
 ドーリアンは冷徹に返した。
「……志高くも良いでしょう。が、それで命が滅んだら、あなたはどう責任をとるのです?」
「それは私の決めることではない。己の魂に聴くがよい。……もっとも魔物は心を持たん。童にも伝わる平易へいいな道理が解らぬものには永遠に解らぬだろうがな」
「皆が騎士のように強くはなれんのです。それでも懸命に生きる姿が人間となるのだ。力を持たぬ弱き者の心を意図に入れておらぬのは果たしてどちらでしょうな? ネフティス皇子」
「水掛け論だ。初めからこの世に強者も弱者もなし。ただ己に甘くよこしまに生きるか、厳しくも壮健に生きるかの違いである……!」
 しかし、ネフティスの声はそう都合よくは人民に届かなかった。〈賢婦人〉の女性治療者はそもそも宮殿から外に出る機会があまりないし、最近では皇子や他の〈竜皮病〉患者につきっきり。
 そもそも権威に弱い保守的な性質の人間は、こういうときに率先して目立つ行動を取らないものだ。
「左様……両者は永遠に相、容れぬ。水掛け論でございますな」
 同時にドーリアンの根回しもあって、この意気は、そして兄皇子の就任演説も含めて史実に遺されていない。
「……もはや猶予ゆうよはない」
 場面変わって、〈賢婦人〉の女性治療者が付近を行き交う寝台の傍ら、ネフティスの手を硬く握ったセティリスが言う。
「判っているな? 俺はタドゥキパのところにいって計画を実行に移す。ネフティス。お前を死なせるわけにはいかない」
「ま、待って……」
 やはりネフティスは制止した。が、兄はもうそれを聞くつもりはなかった。ウェド含む三人で計画していたクーデターだが、こうなってはセティリス一人でもやる他あるまい。
 最後に寄越した一瞥いちべつにその覚悟を含めて、セティリスは部屋を出た。その時だ。入れ替わりにタドゥキパが入ってきた。
 二人は顔を見合わせて、
「……あぁ、ちょうどいい」
 そんな声が重なった。
「すまないが一刻を争う。私の方から失礼するよ」
 タドゥキパはセティリスをその場に引き留めながら、寝台に跪くとネフティスの耳元で告げた。
「もういいね?」
「……待ってください。タドゥキパ様。僕はまだ……」
「君はすでに瀕死だ。いつどうなってもおかしくない。これしかないんだ——みんな、すまないが聞いてくれ」
 有無を言わさずタドゥキパは続けた。
 その場に立ち上がり、寝室を見回し、ひいてはセティリス一人に告白するように言った。
「実は〈竜皮病〉を克服する方法なら——すでに見つかっているんだ」
「…………」
 セティリスは神妙だった。その一挙手一投足を心に刻みつけるようにタドゥキパを見ていた。
「今まで言わなかったのは、見つかったそれがあまりに酷なため、他に方法がないかと探っていたからだ……〈賢婦人〉にも極一部にしか伝えていないし、私が黙らせていた。ネフティス皇子らを責めないでやってくれ」
「……で? その方法とは」
 固唾かたずを飲んで待つ室内の人々にタドゥキパは満を持して語った。
「それは——竜の心臓を得ること」
 異物の侵入に際して、自身の限界を度外視した熱量を細胞が発揮する。そのために身体に異常が起こる。これが基本的な細菌感染の仕組みだ。通常肉体は耐えて病原菌を克服し免疫を得られるが、その時発せられる熱量に耐えきれず死ぬ場合や逆にその免疫の過剰な働きで死に至る場合もある。
 この場合は竜の細胞の生命力の高さが問題だった。
 それを上回る活力を細胞に与えるか、でなければ上回ったと細胞に錯覚さっかくさせることで、無理やり免疫を作らせたり、人間の身体を適応できる状態に導けばいい。
 そこで、心臓。
 心臓に含まれるのは何も目に見えるものばかりではない。いわゆる〈魂の器アニマ〉であり、内なる神もそうして貯めた信仰や魔力といった精神性のエネルギーをも内包する器官、それが心臓だ。
 殊に竜の心臓は万病に効くとも、不老不死を得るとも言われている。それを食することで、竜そのものを克服する。したと身体に思わせる。
 これがタドゥキパの導き出した解法だった。
 静まり返った室内で口を開くのはタドゥキパだけだった。
 ネフティスは苦悶くもんの表情を浮かべて伺い、セティリスは——鬼の形相で、ただ空虚に宙を見つめていた。
 ここからは聞こえるはずもないウェドの咆哮が、山脈の中枢に木霊こだまするのが伝わっているかのように。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

処理中です...