魔王と! 私と! ※!

白雛

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第三章:『石の見る夢』

十三

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 その日から宮殿は厳戒態勢に入った。
 峻峭しゅんしょうながらも強者の誇りと熱気に満ちていた当初の空気は、季節の移り変わりと相まうようにして冷えきり、すでに通夜のように重々しい沈黙ばかりがひたすら漂うようになっていた。
 城下の様子も似たようなものだった。
 民衆には単なる風邪のこじらせであると御触れが発せられたものの、信じる者はいなかった。〈竜皮病〉に関する根も葉もない憶測が市井を飛び交い、ネフティスを欠いた第三近衛は見回りのたびにそんな右往左往とする様に余計に苛立ち、住民たちとやりあうことさえあった。
「だから私めは再三再四申し上げていたのです。素性の知れないものと馴れ合ってはなりませんぞと。ましてや相手は魔性の獣!」
 ここぞとばかりに宰相のドーリアンが言った。神官らを連れ、このニュースを大々的に報じ、民衆の不安を煽り立てている張本人である。
 この時も部屋に二、三人の神官を伴い、皇子の様子を伺うという名目ではやし立てにきていた。
 ネフティスは寝台から上体を起こし、全身に這い回る倦怠感けんたいかんと神経を貫く鈍痛に表情を歪めながら言った。
「獣……これまでこの国を共に守り続けてきた彼らを獣だと?」
「魔性のです、殿下。守ってもらったは良いがよく分からん病原菌を持ち込み、あげく皇族までも手にかけるようでは戦犯もはなはだしい! 今やこの国の兵士たちは兄皇子セティリス様の鍛錬もあって屈強になった。彼らさえいれば、それでよろしいではありませんか」
「ドーリアン、あなたは兼ねてより竜たちに懸念の声をあげていたな」
「左様。このような事態を想定していればこそ」
 ネフティスは次第に込み上げる苛立ちをそのまま声調に乗せて続けた。
「己が困窮こんきゅうしている時は助けを求め、命を救ってもらっておきながら、その者らに問題が生じてくれば、体よく切り捨てよと申すのか!」
「それがヒトである」
「違う。悪魔というのだ、それは」
 ネフティスはむせ返った。直ちに〈賢婦人〉が間に割って入り、神官をにらむが、ネフティスは胸を押さえながら彼女らを制して続けた。
「ちょうど良い機会だ。お前たちもよく聴き、この言葉を私のものとして広く皆に伝えよ!」
 いつものように声を張り上げたつもりだったが、大音声は出なかった。しかし、その剣幕はいつにも増して優れていた。
「問題が起これば解決すればいい。失敗すれば乗り越えればいい。なぜ切り捨てるばかりで、理解も示さず、共に苦境を乗り越えようという選択肢がないのだっ! 貴様らには! 誰一人として一人で生きているものなどいない! そのことをゆめゆめ忘れるな! そうして問題が起きようとも黙って見てるだけで手を差し伸べぬ傍観者、精神の軟弱者なんじゃくもの! すなわち心を失いし保身ほしん我欲がよくの権化を人は魔物と呼ぶのだ」
 ドーリアンは冷徹に返した。
「……志高くも良いでしょう。が、それで命が滅んだら、あなたはどう責任をとるのです?」
「それは私の決めることではない。己の魂に聴くがよい。……もっとも魔物は心を持たん。童にも伝わる平易へいいな道理が解らぬものには永遠に解らぬだろうがな」
「皆が騎士のように強くはなれんのです。それでも懸命に生きる姿が人間となるのだ。力を持たぬ弱き者の心を意図に入れておらぬのは果たしてどちらでしょうな? ネフティス皇子」
「水掛け論だ。初めからこの世に強者も弱者もなし。ただ己に甘くよこしまに生きるか、厳しくも壮健に生きるかの違いである……!」
 しかし、ネフティスの声はそう都合よくは人民に届かなかった。〈賢婦人〉の女性治療者はそもそも宮殿から外に出る機会があまりないし、最近では皇子や他の〈竜皮病〉患者につきっきり。
 そもそも権威に弱い保守的な性質の人間は、こういうときに率先して目立つ行動を取らないものだ。
「左様……両者は永遠に相、容れぬ。水掛け論でございますな」
 同時にドーリアンの根回しもあって、この意気は、そして兄皇子の就任演説も含めて史実に遺されていない。
「……もはや猶予ゆうよはない」
 場面変わって、〈賢婦人〉の女性治療者が付近を行き交う寝台の傍ら、ネフティスの手を硬く握ったセティリスが言う。
「判っているな? 俺はタドゥキパのところにいって計画を実行に移す。ネフティス。お前を死なせるわけにはいかない」
「ま、待って……」
 やはりネフティスは制止した。が、兄はもうそれを聞くつもりはなかった。ウェド含む三人で計画していたクーデターだが、こうなってはセティリス一人でもやる他あるまい。
 最後に寄越した一瞥いちべつにその覚悟を含めて、セティリスは部屋を出た。その時だ。入れ替わりにタドゥキパが入ってきた。
 二人は顔を見合わせて、
「……あぁ、ちょうどいい」
 そんな声が重なった。
「すまないが一刻を争う。私の方から失礼するよ」
 タドゥキパはセティリスをその場に引き留めながら、寝台に跪くとネフティスの耳元で告げた。
「もういいね?」
「……待ってください。タドゥキパ様。僕はまだ……」
「君はすでに瀕死だ。いつどうなってもおかしくない。これしかないんだ——みんな、すまないが聞いてくれ」
 有無を言わさずタドゥキパは続けた。
 その場に立ち上がり、寝室を見回し、ひいてはセティリス一人に告白するように言った。
「実は〈竜皮病〉を克服する方法なら——すでに見つかっているんだ」
「…………」
 セティリスは神妙だった。その一挙手一投足を心に刻みつけるようにタドゥキパを見ていた。
「今まで言わなかったのは、見つかったそれがあまりに酷なため、他に方法がないかと探っていたからだ……〈賢婦人〉にも極一部にしか伝えていないし、私が黙らせていた。ネフティス皇子らを責めないでやってくれ」
「……で? その方法とは」
 固唾かたずを飲んで待つ室内の人々にタドゥキパは満を持して語った。
「それは——竜の心臓を得ること」
 異物の侵入に際して、自身の限界を度外視した熱量を細胞が発揮する。そのために身体に異常が起こる。これが基本的な細菌感染の仕組みだ。通常肉体は耐えて病原菌を克服し免疫を得られるが、その時発せられる熱量に耐えきれず死ぬ場合や逆にその免疫の過剰な働きで死に至る場合もある。
 この場合は竜の細胞の生命力の高さが問題だった。
 それを上回る活力を細胞に与えるか、でなければ上回ったと細胞に錯覚さっかくさせることで、無理やり免疫を作らせたり、人間の身体を適応できる状態に導けばいい。
 そこで、心臓。
 心臓に含まれるのは何も目に見えるものばかりではない。いわゆる〈魂の器アニマ〉であり、内なる神もそうして貯めた信仰や魔力といった精神性のエネルギーをも内包する器官、それが心臓だ。
 殊に竜の心臓は万病に効くとも、不老不死を得るとも言われている。それを食することで、竜そのものを克服する。したと身体に思わせる。
 これがタドゥキパの導き出した解法だった。
 静まり返った室内で口を開くのはタドゥキパだけだった。
 ネフティスは苦悶くもんの表情を浮かべて伺い、セティリスは——鬼の形相で、ただ空虚に宙を見つめていた。
 ここからは聞こえるはずもないウェドの咆哮が、山脈の中枢に木霊こだまするのが伝わっているかのように。





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