魔王と! 私と! ※!

白雛

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第三章:『石の見る夢』

十一

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「敵大将の首をねたそうだな。セティリスよ」
 当代の〈ヘリオポリス〉皇ゴブヌティスが玉座にかけたまま告げた。
 セティリスと同じく赤い髪に上裸で黒い肌。全身を黄金の装飾で覆う中、首から下げた白き勾玉まがだまだけが不釣り合いで印象的だった。
 玉座の間。
 教会の講壇だけを切り取ったような段差のある空間の中央に文字通りの巨大な黄金の玉座がそびえている。
 その足元のさらに下、段差のたもとでセティリスはひざまずき、膝を立てて言った。
「は。左様で」
「なぜ刎ねた?」
「ご質問の意義を図り兼ねまする。戦陣に立ちますれば、敵大将の首を刎ねることは唯一にして無二の目的のはず……それをなぜ、とは」
悪戯いたずらに大将の首を取って如何いかんとする? 奴は戦争の意をみ、権謀けんぼうにも優れ、かつ自らを道化におとしめることもいとわぬ真たっとばしき智将であった。単に智の優れたもの、体術の才能に恵まれているだけの者らとは違い、殊に重要なのは自らを道化にやつすことのできる自制心を得た者だ。文武両道でいながら、そう出来る知性を持ち、己を利他のため律することのできる者は、なかなかに育つものではない。なればこそ、領主らも奴を大将にえ、重用ちょうようしておったのだ……代わりに我々は民から食物から宝物から、私財を切り分けて寄越さねばならなくなった。貴様のせいで、愛する民が奴らの奴隷となるのだ」
「そのように申されるのならば、また私が出ましょう。そして一息に使いの者らの首を刎ねてごらんに……」
「それが愚かだというのだ、セティリス!」
 ゴブヌティス皇は室外にさえ響かんばかりの大音声だいおんじょうを鳴らしてセティリスを詰めた。
「貴様は復讐の芽を甘く見ている! 力に対し、相応の力で返せば一時は事なきを得るやもしれん。が、その先々までも見通せば、際限なく復讐の力は膨れ上がって、やがてこの国はおろか世界そのものが消滅しかねん事態を引き起こすやもしれんのだぞ! ゆえに我々為政者は常に、人智を超えた尺度で均衡を保つ目と度量が要る。貴様の若さゆえの狭量さ。それは正義に見えて正義に在らず! ただその針を進めている偽善に過ぎんのだ、なぜこれが解らぬか!」
「しかし、父上! そのために今こそ多くの民が、そしてこれまでも、多くの身分の低い者たちの命が無碍むげに散らされてきたのです! 父上は! そうした命の上に立ち、勝手気ままな正義を誇り、栄華を極むること、それを何とも思わないのですか!」
「それが運命。それが命! それが摂理せつり! 致し方なきこと。なれば貴様は足元のスカラベをどう見る」
「スカラベ? 虫たちがなんだと」
「己は人には確かに情があろうな。しかし、ならばスカラベには? スカラベの命は何とも思っておらぬではないか。踏み潰されても致し方なし、そうであろう」
「な……子供のような戯言ざれごとを申されるな!」
「戯言ではない! 命とは! その者に生まれ落ちた時点でそれが運命なのである! 民には民の、虫には虫の、牛には牛、馬には馬! そして皇には皇の! それぞれの全うすべき役割があるだけなのだ! 貴様はそうしたしがらみのない世を"約束の地"などと抜かして、兵たちも煽動せんどうしておるらしいな。しかし、いいか、今もこの星の裏では誰かが無碍に死んでおる! 無惨に踏み潰される哀れなスカラベも同然の命が確かにある! しかし、それら全てを止めるすべが貴様にあるのか?! でなければ貴様とて、命の選択をしておるのと同じ事! そして、そんなことは神でもなければ出来んのだ! 貴様の妄言はただ悪戯に希望をちらつかせ、そうした運命からさも逃れる術があるかのように宣っているだけの、詐欺師さぎしたばかりも同然! "約束の地"だと? 民を救うだと? 世迷言も大概たいがいにしろ! そうしたものがないからこそ、我々は各々の器を見定め、準じて、生きつないでいかねばならんのだ! 納得のいかないこともあるだろう。時には欺瞞ぎまんはらみ、犠牲を伴いつつも、より多くの数のため! 取捨選択を果たして救える命だけをすくい、生かしていくこと! それが皇の宿命である!」
 ゴブヌティス皇につかえる第一近衛師団の兵たちは、二皇子のそれとは違い、冷酷なまでに寡黙かもくであった。皇のこの激昂に際しても、眉ひとつ、小札のれ音ひとつ起こさず、厳格に皇子を見下ろしている。
 ここに皇子の味方はいない。が、セティリスは毅然きぜんとして返した。
「偽善で結構! 烏滸おこがましくも人の分際で神を名乗り、その教えを私腹を肥やすがために捏造ねつぞうし、民を嘲弄ちょうろうせしめる邪教の治世ちせいよりは遥かにマシだ! 父上……父上! あなたは本当にこれで良いと思うのか? オアシスの利権に絡んで、偽りの戦争を起こし、民をまとめるその一方で、戦のため、命を守るためと税を搾り取り、そこから溢れ、立ち行かなくなれば奴隷として飼われた挙句に、体良く戦で処分する……こんな命を命とも思わぬ仕組みがまかり通っていいものか! 悪魔の所業だ!」
「知った風な口を聞くな! 青二才が! 民は増え続ける! 膨れ上がった人畜を皆、同じように食わせていくことなど初めからできんのだ! 民主主義といって、そうして奴らの好きにさせていれば、その勝手気ままに湧き上がる不敬、不満にいずれ殺されるのは貴様だぞ!」
「そうさ! 増えるのが民だ! それを喜ばしく思うことこそあれ、煙たがるくらいならば……奴隷たちよりまず貴様がね! 人の上に立つべきではない!」
「親に向かって何たる口の利き方だ!」
「ゴミのちせいにゴミと言って何が悪い!」
 そして直接口論には加われないものの、霊魂のようになって漂うものが二人いた。インベルとアルだった。
 インベルと同じように空間のど真ん中に突如として立ち現れながら、周囲一帯をぐるりと見回してアルは言った。
「あ、姉御……こりゃ、いったい——ひぇっ、すんませんすんませんっ! オイラたちも気づいたらこんなとこに——」
 言いながら、自分たちを取り囲むようにそびえる衛兵に頭を下げて回るアルだったが、インベルは注意深く目を細めて察した。
「大丈夫よ、アル。これは夢なのよ」
「ゆめ……? ゆめって」
「タドゥキパが言っていたでしょ。彼は解呪の詠唱を途中でやめたけれど、でも自覚を確信へと変えたことで私たちの意識はすこし覚めてしまった……」
 インベルは話しながら堂々と段差を登り、玉座の隣に立つと、あろうことかゴブヌティス皇の頭を殴った——が、その拳骨はするりと彼の頭部に包み込まれて、抜けてしまう。インベルにはその触感もなかった。
「中途半端な目覚めのために形而上けいじじょうの視点にかろうじて留まっているのね。……この親父の固い頭を殴ってやれないのが悔しいわ」
「実際にしたら、歴史が変わっちまいますぜ——あ、てことは……!」
 アルがひと足先に口をついて言った。そのことをインベルも考えていた。
「そう……つまり、私たちの姿は、彼らには視えてはいない……」
 その視線の先には、段差の下で今も抗議するセティリスが確かにいる。
「ただ生きているだけで突然他者に殺されるようなことがあるものか! そんなことを恐れるのは普段から民の声、民の言葉を耳にしない不徳の証明であるぞ。それをこそ父上は自覚し反省なさるべきだ!」
揶揄やゆである! 馬鹿者が!」
「揶揄であろうと本心の一端だ! 何を恐れているのです……」
 その声も確かに耳に届く。
 ——が、もう接触することはできない事実を明瞭に示していた。
「私たちはただの傍観者になったのよ。もう記憶にも残っていないでしょうね……」
「…………」
 アルの耳がでろんと垂れ下がる。オオカミやイヌの尻尾と同様に、インベルはときどきアルのこんな仕草が羨ましくなることがある。
 こんな判りやすい感情の見せ方があれば……きっと人間だって今ほど無意味に仲たがいもせずに済むのに違いない。
「……なんか、寂しいっすね」
「うん。でもしょうがないわ。もともと出逢うはずのない人たち。こうして束の間知られただけでも奇縁なんだから」
 それでもやろうと思えばインベルなら……あるいは干渉出来たかもしれない。が、例えどのような力を持っていたとしても、過去は変えない。それを変えることは自分自身のみならず、全ての人の選択を無意義にする最も下卑げびた行いだとインベルは考えている。
 それが彼女の信念だった。
「考えても仕方ない! くよくよしたってしょうがないわ! 私たちは私たちにできることをしましょ。偉人の生活を覗き見できるツアーと考えたら、これもおもむきがあるわ!」
「そうっすね! オイラたちは透明人間みたいなもんってことで……それはつまり——ごくり」
「それ以上続けるなら異界送りにするわよ」
「あれー? 姉御だって似たようなこと考えたくせに!」
 とにかく二人は気を取り直すと、改めて玉座のこの一幕を見張った。
 メタ視点ながらまだ幻惑は解かれていない。ということはまだ術者のおめがねにもかなっていない道理でもある。
 すると、この場において最も注目すべきアイテムが嫌でも目についた。
 玉座の横に妖しく輝く赤いオーブがある。
 近くには外套がいとうに全身を包んだタドゥキパが、反対にはこれまた厳しい表情の壮年男性が立っていた。
 この時代にやってきてそうそう二人が出くわしたドーリアンという神官だ。あれはその時察したように、やはりくらいの高い人物だったのだ。
「あれが"エニアドの赤涙"ってやつすか? 確かにとんでもねぇ魔力がこめられていやがる……」
「けど、使われてるのは太陽の属性。単なる滋養強壮の効果のようね。つまり自活力を促す治癒魔法よ」
「治癒……そりゃまたどうして?」
「んー判んないわよ、そんなの」
 インベルとアルは二人で宝玉立てを囲んで、あれやこれやと吟味ぎんみするように言葉を交わし、インベルはそこから対面の壁に等間隔に刻まれたスリットから外を見通すようにして続けた。
「でも範囲はざっと……この国一つすっぽりと収まるくらいか」
「あれっすかね……砂漠の土地柄栄養状態が悪いもんで、こんなんでまかなってたとか? 暑いのに皆やたら元気だったのは、そういうことか!」
「まぁ、それもあるでしょうけど」
 インベルはにわかに口元を緩めながら返した。なんだかアルに励まされているようだった。
「それよりも私たち下賎げせんな盗賊団みたいだわ、これじゃ……」
「皇国の宝を狙ってんでさ。みたい・・・じゃねぇっすよ、姉御……」
 セティリスのゴブヌティス皇に対する野次がまだ聴こえてきた。
「情けない子孫だ……今は亡き初代皇アトゥムがこの惨状を知れば、どう思うだろうな!」





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