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第三章:『石の見る夢』
三
しおりを挟む間もなくインベルとアルは小札を重ねた鎧を身につける衛兵どもに囲まれていた。
皆、逞しく鍛えられていて、殺気も強く、通行人は直ちに退けられて、物々しい空気が満ちる。
往来のど真ん中で寝ていた異国情緒の一人と一匹。
怪しまれないわけも、通報されないわけも、また目立たないわけもないのだった。
「貴様、魔性のものか」
「魔王軍の手先め!」
インベルは久方ぶりに聞くそのフレーズに首を傾げた。
(魔王軍……?)
それから、両の手を胸の前で広げてみせると、
「ちがうちがう。私たちは……」
抗弁をしようとして、しかし首を捻った。
「私たちは……——なんだろう、これ? この二人……」
「ちょ! 姉御! そりゃねぇぜ」
「いや別に恋人とかそんなんじゃないし……旅の者? でいいのか? トレジャーハンターってわけでもないし」
インベルが云々と唸る間にも、アルは衛兵どもが構える槍の鋭い刃先でツンツンされている。その窮地に至ってなお、インベルの調子はまるで平常と変わりがない。
と、その時。
奥の大扉を開けて、威勢の良い発声と共に長身の男が入ってきた。——瞬間、その男の覇気に一目置くように、ようやくインベルはちらりと目つきを尖らせた。
「何事だ! お前たち。ネフティスの朝食の時間であるぞ!」
「はっ! セティリス皇子! それが朝からこんな不審者が」
男は、衛兵どもの中心から囲いの中に顔を出して——、
「それがなんだというのだ! 見たところ小娘に小鬼……情けないぞ、お前たち。それでも誇り高き竜騎士団"砂漠の翼"の——」
——インベルと視線を交わした。
褐色の肌に、ライオンのたてがみのようにボウボウと伸びた赤い長髪、鷹のように鋭い眼光、細身ながらしなやかに鍛え上げられている全身の筋肉。
その男は上裸だった。黄金の煌めくアクセサリを多用しているが、足元を覆う腰布も、身につけている貴金属も、衛兵どものものと比べると圧倒的に質がいいのが見て取れる。そして股下には黄金の三角形。胸元には煌めく扇形の装身具がぶら下がっていることから、高い身分のものであることは疑いようがなかった。
だが、インベルが気にしたのはそれ以上に、男の覇気である。
(あれがセティリス……? 第一皇子?!)
自分ほどではないにしろ、相当にできると踏んで、期待に口元が笑うのだ。男の得物は腰に差した二本の鍵剣のみ。しかし、この場の衛兵どもが束になったところで敵うまい……。
(しかも今、小娘って言った。私のこと)
「——貴様、何者だ?」
その見聞は男もまた同様だった。
男の目もインベルをしかと捉え、その目線はインベルと同じように全身、それから腰の長剣へと流れ、
「……自身も然ることながら、その腰の……」
インベルそのものよりも、恐れるように瞳が震えた。
「その腰のものはなんだ? ——生きているのか?」
「へぇ……なかなか見る目のあるおぼっちゃんね」
「——面白い」
男はただちに警戒を露わにし、鍵剣の柄に触れ、衛兵どもを焚き付けた。
「……者ども、構えよ! そっちのゴブリンは童にも劣るが、この女は只者ではないぞ」
インベルも楽しげに自前の柄に指を触れ、
「わ、童……?!」
アルが涙交じりに嘆いたその時——再度、奥の大扉が開け放たれて、その空気に波紋を散らすようにか細く鋭い声が響いた。
「お待ちください、お兄様……!」
開かれた石の大扉の向こうには、小柄な男の子がいた。
赤い長髪の男とは対照的に小さく、痩せ細っていて、しかし同じ色の髪は女性のように艶かしく、顔つきも優しい。
男や衛兵とも違う、女性が着用するような透明のチュニックを全身にまとった、まさしく眉目秀麗といった男の子がその部屋からドアを伝うように出てきていた。
「ネフティス……!」
すると、男は血相を変えて、男の子の前に傅き、労わるように、しかし厳しく告げた。
「ネフティス! 待っていろと言ったろう」
「セティリスお兄様……お待ちください。彼らは……彼らからは邪気を感じませぬ。もしや単なる迷子かもしれませぬ。ですから、どうか酷いことは……」
「しかし……一方は人間の娘とはいえ、ただならぬ魔力を秘めておるのがわかる。もう一方は童女にも劣るとはいえ、いちおう魔族であるのだぞ」
「それでも……でございます。朝から往来で血は見とうありませぬ。どうか、寛大なる慈悲を……」
「……ふむ」
「なりませんぞ。殿下」
長髪の男が逡巡しているうち、また別の部屋から男たちがやってきた。
(今度はだれ……)
その一団は衛兵たちとも、兄弟とも違う、麻のローブに身を包んでいる軽装で、鎧の代わりとでも言うように頭に長く豪奢な冠をかぶっていた。おそらく、神官の類だろう。
一団の一番前にいる立派な髭をたくわえた男が指揮して、告げる。
「最近は奇妙なことも多くあり、そんなどこの誰とも素性の知れないものどもはまったく信用してはなりません! そしてそれは、皇子殿下、お二方が一番よくお分かりのことではないですかな?」
「ドーリアン宰相……」
髭の神官が意味深に言い、兄弟はそろって目を伏せた。
「お前たち、直ちに牢に入れておきなさい」
次いで付近の衛兵どもにも指揮を飛ばすが——。
「——やるか」
一目で判る。一番嫌いな手合いだ。
インベルは鋭く目つきを細めて、今度こそ戦闘態勢をとっていたが、再度、弟皇子の声に立ち止まった。
「しかし、待って!」
弟皇子はドーリアンと呼ばれた神官長の前にも跪くようにして懇願した。
「どうか……手荒な真似だけは」
(あの子……)
——その間隙、
「何をやっている、者ども! 早く牢屋に連れていけ!」
兄皇子が再び大通り中に響くような声を張り上げた。
インベルも即応して身構えたが、
「——ただし、ネフティスの前で血を見せることはこの私が決して許さん! いいな。傷一つつけぬよう丁重に連行するのだ!」
「はっ!」
衛兵どもは兄皇子の指令に応えて、改めてインベルたちを取り囲んだが、槍は身体の脇で立ててある。その人垣の向こうから二人を見下ろして、兄皇子は続けた。
「抵抗さえしなければ手荒な真似はさせん。それでよいな、旅の者よ」
セティリスと呼ばれた皇子の尖った眼光が再度二人を捉えていたが、インベルはその奥に先ほどとは違う慈愛の光を見出して、これを鞘当てだと解釈した。
(へぇ……)
口元を緩め、やむを得ないというように一つ息をつくと、率先して既に諸手を掲げているアルに続いて、インベルもまた両手を空に差し出すのだった。
ドーリアンと呼ばれた神官は面白くはなさそうに喉を一つ鳴らして、
「……ふん。さぁ、ネフティス皇子殿下。早く朝食を済ませ、父皇の玉座の間にお越しください。朝礼が始まってしまいますよ」
「……はい」
そしてネフティス弟皇子はまだ心配そうにこちらを一瞥し、小さく返事をすると、近くにいた女中に支えられるようにして部屋に戻っていった。
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