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第二章:『永久の庭』
八
しおりを挟むおよそ二百数年前——。
いつからここにいたのか。
けれど物心ついたときすでにミロスは同胞のエルフとも離れ、一人で、この森に住んでいた。
来る日も、来る日も。
森の自然と。リスや猿や鳥に虫たち。
花と。水と。空気と。四季と。風と。陽に包まれて。
そしてあの庭の、大木に護られるようにして。
◇
そこへある日、一人の人間の娘が現れた。
動物たちが一斉に離れて、まだ幼いミロスは立ち上がり、娘を見た。
背丈は自分と同じくらいだったが、娘の耳は尖っておらず、肌もやや黄色みがかって、髪の色は染料に漬けたように濃い。
少女は木々でできた自然の天蓋、それによって囲われた広い空間を見回しながら言った。
「すごいすごい……森の中にこんなところがあるなんて……ねぇ、あなたは? ここに住んでいるの? すごく素敵な場所ね……まるで妖精のお庭みたい」
ミロスは娘に鋭い敵意を向けながら言った。
「何のようだ。人間。ここはお前の来るところではないのだぞ」
「なぜ?」
「人間は油臭くて動物たちが嫌う。逃げる。僕らとは違うものだからだ」
「それは違うわ。人間だって、動物の仲間でしょ?」
「人間が、そのようには思っていないのだ。自分たちだけが神を持ち、神に祝福された特別なものであると思い違いをして、僕たちを除けてきた。だから、僕も人間が嫌いなのだ。解ったら、さぁ、僕の視界から疾く失せろ。ここは僕らがやっと見つけた安息の場所なのだ」
まだ幼い子供だったミロスは警戒して、こう言うと、瞬く間に娘を追い払ってしまった。
それから半刻と経たないうちだった。
森の中をつんざく悲鳴が聞こえてきた。
ミロスは声のした方に木々の精霊を飛ばし、道標にして、道なき道を進んだ先で、あたりの樹木が薙ぎ倒されてできた路にでる。
そこに尻もちをついた人間の娘と、巨大なフクロウと熊の混成獣がいた。
眷属として、かの闇の王の手で命を与えられし魔性の獣。それが蔓延りだした頃である。
しかし、所詮は獣。ミロスの敵ではない。
ミロスは娘の前に背を向け、間に屹然として立ちはだかると、杖に魔力を込めて、光り輝く一矢を撃ち放った。
杖の先に集中した光が鶴の鳴き声にも似た鳴動を響かせるとともに、反動で二人の髪はおろか周囲の草花までも激しくたなびかせ、空に目が眩むほどの線を描く。
エルフの最も得意とする光魔法の本質は、物体の消滅と顕現。月と太陽の偉大なる巡り合いから魔力を得、その叡智を借りたもの。
空の彼方まで引き裂く、長い光線を一身に浴びた混成獣は、たちまちこの世から塵一つ残さず姿を消し去るのだった。
細い紐のようになって薄れる光とともに鳴動が止むと、ミロスは一つ息をついた。すぐさま振り返り、娘を見下ろした。
「何かと思ってきてみれば……さきほどの人間の娘が、こんなところで何をしている? 村へ帰ったのではなかったのか」
娘はひきつけを起こしたようにまだ震えながら、ミロスに対してもまた同じ獣を見るような怯えた眼差しを返していた。
「あ……」
「あれとて元は自然の命。ただ餌を取ろうとしたに過ぎぬ。見だりにナワバリに侵入した貴様も悪いのだぞ」
「え……あ」
「礼も返せんとは……人間とは、まったく。恐れ入る……そのままそこで喰われてしまえ」
そう吐き捨てて、ミロスが再度身を翻した矢先——その背に娘がしがみついてきた。
小刻みに震えている。
「——!」
そのときミロスは初めて知った。
(なんと、か細い力なのだ……)
自分には力があるがゆえ、例え凶暴な肉食獣であろうと相対して恐怖することはなかった。しかし、この子には力がなく、それがある。
自然が恐れてやまない人間とは、その実、こんなにもか弱いものなのか、と。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい! わたし……男の子がいるので……話しかけてみたくて……」
「……なぜまっすぐ帰らなかった」
「道が判らなくて……」
「なぜ入った?」
「……あなた、ときどき、森の外の川に水を汲みにくるでしょ?」
見られていたのか。
姿を隠す魔法をかけていたのだが、その手の幻惑系はどうも人間の子供にはかかりが悪いと言われている。好奇心は魔法を凌駕する最も強い人間の力の一つだ。
「そのとき、私たちを見る目が、なにか……どこか、寂しそうに見えたから」
「…………」
「だから、私でよかったら、お友達になれたらって思って」
ミロスは言葉に詰まる。
(勘違いも甚だしい。僕には何よりも雄大な自然と彼の大木があり、動植物に囲まれて、不自由なことなどない。それを寂しいなどと……しかし——)
——しかし、寂しいとは……いったい、なんのことだろう。
「家はどこだ? お前の親はどうしてる」
「たぶん森の外。すぐ近くに丘があって、家があるでしょ? そこに二人ともいる」
再度息をつくと、ミロスは娘を連れて森の外へ出た。
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