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第一章:『歌う丘』
七
しおりを挟むいつぞやの接近とは違い、娘も少年の背丈に合わせて膝をつき、今度は慈しむようにその肩に手を触れる。
「無事で良かった……どこも、怪我はありませんのね」
少年は言葉の代わりに娘の両手を取り、自身の愛を切り分けて寄越すように握りしめたり、身体全体で喜びを表現して、再び笑いかける。
その無邪気さに娘は心を打たれる想いがした。
「わたくし、あなたに教えていただきたいの。目も見えず、耳も聞けずして、それならあなたは、笑うということをどのようにして覚えたと仰るの?」
そんなハルピュイアの様子を傍から見ていて、やがて警戒を解いた女中が代弁するように語った。
「男爵様が遠い異国の地で名誉の戦死を遂げられ、奥様はお一人でこの子を出産なさいました。けれども、奥様もまた流行り病で床に伏され、間もなく……残された若様は、あろうことか目も耳も聞こえず、天涯孤独のお寂しい身のうえ。産まれてこの方、光を見たことがございません。代わりに鼻でかぎ取り、手で触れることで世界を具に感じ取ってこられたのです」
それは誤りだ。それが今、娘にははっきりと判った。
例え鼻と手で嗅ぎ取ろうとも、盲ろうの少年が一人でなど生きてこられようはずもない。ましてや、光もなく、教えたものもなく、どうしてこんな屈託なく笑えようか?
娘はこの時こそ自身の完敗を悟り、未熟さを改めて理解し、認めるのだった。
女中が続ける。
「しかし……だからこそ、もしかしたら……若様はあなたのことを空から舞い降りた天使様か、何かのように思っておられるのかもしれません」
「わたくしが天使……? 天使だなんて畏れ多い。わたくしは……わたくしは、そう、自身の才能に溺れて何も見えていなかった、ただの鳥人ですわ……」
改めて思うに、そのようだ。
天使だなどと言われて恥ずかしく思う身勝手で尊大なだけの自分に気付くと同時、しかしハルピュイアの娘は、その女中と盲ろうの少年のこれまでに想いを馳せて、今こそその間に刻まれた長い年月、言葉では言い表せない、二人の間に築かれた血や能力を超えた無償のつながりを、ただ労わりたく思うのだった。
「光を見たことがないだなんて……何を仰っていますの。この子がそんなことを考えているように見えて? この丘はこんなにも、温かな光で満ちているじゃありませんか」
ハルピュイアの娘は、我が子を抱きしめる母のように地に膝をつき、少年を抱きとめながら、その傍らで輝く陽光を一身に受ける女中——その女性を臨んだ。
「あなたという光で——。だから、この子はこんなにも安心して笑ってこられたのでしょ?」
少年はハルピュイアの羽毛に包まれながら、女中にも微笑みかけていた。
この人無くしては生きてこられなかった。どちらも、少年にとっては。……そう言って、自らを囲う二つの光を讃えるように。
女中は声もなくその場に跪くと、少年の手に引かれながら口元を手で覆い、静かに涙をこぼすのだった。
◇
老竜の働きもあって、野盗を撃退することに成功すると、ハルピュイアの娘はすぐに渓谷の巣に戻り、同胞を説き伏せ、連れ去った村の若き男たちを解放した。
そのため、その日の夜は盛大な宴となった。老竜は再び丘の石碑の元に戻ったが、麓の広場では村人たちにハルピュイアの血族が混ざって大きな宴会を繰り広げていた。
ハルピュイアの娘が代表して言った。
「わたくし、此度の件で大いに反省致しましたわ。また蛮族に襲われても面倒ですし、今後、この地の子らを力づくで攫うことは決して致しません。その代わりに歌い手を用意なさい。我々と歌うのです。そして勝ったものの里に嫁げば良いのです。それならあなた方、人間たちにも公平でしょう? 私たちも退屈しませんわ。競い合うのです、私たちとあなた方とで、歌の美しさを」
宴の盛り上がりと酔いも手伝ってか、若いハルピュイアの申し出にそれならと立ち上がり、我も我もと歌い出す村人たち。ハルピュイアの群れも応えて、夜通し、楽しげな歌声が響いた。
娘は少年の傍らに腰を下ろすと、自慢の喉を一声奏でてみせて、それからまだ幼いその手をとり、自分の喉元に触れさせ、また夜空に向かい、美声を響かせた。
少年は薄く、ゆっくり瞼を開くと、驚いた顔で娘を見つめ返した。
娘は喜んでその声を受け取ると、もう片方の少年の手を取り、今度は少年自身の喉に当てさせ、誘うように再三、歌い、
やがて、少年の喉も、共に震えた。
「————」
声にならない少年の歌声は、されど妖精の鳴らす笛の音色のように美しく、またハルピュイアの声色がそれに合わせてハーモニーを奏でると一層魅力に満ち、宴もたけなわの夜を明るく焔のように照らすのだった。
「あなた様には是非、このわたくし自らが直々にコーチに参ります。代わりにあなたはわたくしに、あなたの言葉を教えなさい。これから、何度でも、会いに来ますわ——か弱く、愛しい人間のお友達」
美声に留まらず、時にピアノにフルートに、盲ろうの少年は音楽に打ち込み、ハルピュイアの娘と共に数々の名曲を世に紡ぎ出し、山中の寂れた村を歌と踊りと曲で賑わせるのだった。
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