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第一章:『歌う丘』
五
しおりを挟む「目も見えない、耳も聞こえない相手に、どうしたら私の美貌と歌声が伝わるの?」
ハルピュイアの娘はこんな風に考え、途方に暮れて、渓谷の巣に戻るとさっそく長老に尋ねてみた。
「わたくしには何も分かりませんの。もう、いったい、どうしたら……」
「おほほほ、珍しいこともあるもんだね。娘よ。なぜかね?」
「なぜ、とは?」
「どうしてそこまで気に病むことがある。人間は星の数ほどいれば、中にはたまにはそんなのもいる。それだけのことではないかしら?」
「そうよ。そうだわ……なのに、なんでわたくしは……」
「娘、お前の才能はたしかに我が一族史上類をみないものかもしれぬな……その異性のみならず同性までも惑わす美貌に妖艶でいて儚く可憐な美声。万人に判りやすい才を兼ね備えておる。が、しかし、少年にとってはどうだ? 目も見えぬ耳も聞けぬ少年の前で、お前の価値は?」
「……耳が痛いですわ。仰る通り、わたくしの美しさもこの声も、彼の前では何の意味もなさない」
「左様。つまりだ。その者が生まれつき持つ美しさ、なんていうものは、判らぬものには判らぬ。その者が例え世界で一番だと業突く張りに宣おうとも、その者をコケにするかのようにさっぱり判らぬものが必ずどこかにはいる。才能、とは所詮その程度のものにすぎぬのだ。それだけでは、肝心なものに必ず届き得ぬ」
自分の才ではあの少年には届かない。
悔しさのあまりにハルピュイアの娘は手を握りしめ、目尻に涙を浮かべて言い返しました。
「でも! わたくしは観てほしいの、あの彼だけには! 初めてそう思ったの! 聴いてほしいのよ、わたくしの歌を。そして、わたくしの美しさを判ってもらいたいっ! 彼だけには否定されたくない……楽しくないの。他の誰にどれだけ見初められようとも、彼に褒めてもらえなければそんな才能なんて何の意味もないじゃないっ! なんでこの気持ちが判らないの、お婆様のバカーっ!」
そのように、ひとしきり喚いて、娘は洞穴にこもると藁を抱き寄せるように寝床に転がり込んでさめざめと泣き続け、悶えるのだった。
心配したハルピュイアの仲間が入り口から覗き込んでいって、
「あら、お姉様。お疲れ?」
そう声をかけても、娘は入口を振り返るともなくやる気のない返答をあげるのみ。
「ほっといてちょうだい、もう何もかも見たくも聞きたくもありませんわ……わたくしの命運は尽きました。ここでこの藁と共に腐って死ぬの」
「お姉様、最近変ですわ」
「なにか悪いものでも食べたのではありませんこと?」
「……どうしちゃったの? 前はあんなにお酒も好きでいらっしゃったのに」
妹たちはついに顔を見合わせて肩をすくめたが、その後ろから長老が言った。
「愛じゃよ、愛」
妹たちはきょとんとすると、さも得意げに返した。
「? ……愛なんて私たち、いつも頂いておりますわ。聞いて! お婆様。今日はなんと六人も! 皆、年端も行かぬ若き人間の雄ども。これから先、子孫には絶対に困りませんわ!」
「私なんて十人から頂きましたわ! 愛されすぎて困ってしまう」
「主らには無縁かもしれぬし、そのうちふとこの娘のように気付く時があるやもしれぬ」
それから長老は最後に、洞穴を覗き込み、
「それだけでは、と言ったよ、私ゃ」
「…………」
「あとは自分でじーっくりと考えてみるんだね。それじゃあ、おやすみ」
そう言って娘の元を去るのでした。
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