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第四十四回『接点tに頭をやられたメンヘラ』

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 いつになくスタジオは豪華だった。
 お座敷セットに加えて、さらに化粧を施すように正月飾りが彩られ、コタツの上にはお雑煮とおせちセットが乗っている。
 しかし、コタツに座る他三人の天使は一切目の前の料理に手をつけず、箸だけを咥えて、気まずそうに目を見合わせ、時にふう……と重々しくため息をつくのだった。
 セットの裏から聞こえてくるミカの怒鳴り声を聴きながら。


 怒れるミカの前には、正座しながら頭を下げて謝る地球儀があった。
 ミカは特攻服を着込んだ昔のヤンキーのような様で、白い裾が足元に引きずられている。
 釘バットを握りしめて、ミカは怒鳴った。
「どぉぉーーーーーしてくれんだよっ! この日本全体のこの空気よおっ! あぁっ?! てめこの、地球てめ!」
「すみませんっすみませんっ!」
「お前、すみませんっつって、被災された人たちの心の安らぎが返ってくんのか? なぁ? 倒壊した家やビルが直んのか? 怪我が治んのか? 恐怖に蝕まれた心の傷が!」
「いや返って……はい、返って……こないですよね、やっぱり」
「ったりめーだろっ! ボゲっ! あのさ、こんなこともお前、イチイチ言わなきゃわかんねーのか? って話なんだよっ! どうすんだ、この始末……」
「え……あ、えと、へへ……明日からも変わらぬ通常営業を続けていくことでお返し……」
 ドグッシャアアッ!
 ミカは釘バットを地球儀の頭の上に振り下ろした。
「ちげえだろ! 被災された人たちの心の安寧と、別に被災されてないけどイベントとかの中止であーあって落ち込んじゃってる人たちの心パワーをどう補填すんのか?! って聞いてんだよ!」
「あばばば……す、びまへん……」
「被災されたされてないに関わらず、みんな日々戦ってんだよ! 予定があって、楽しみにしてたこともあって、回転してたんだよ! それをてめえは事もあろうか、めちゃくちゃにしたんだよっ!」
「は、はいぃ……」
 ミカの目の色が変わった。
 返答を間違えると詰むタイプのキレ方だ。
「お前、それはあれか? 去年めちゃくちゃブレイクしたあのあれのつもりか?」
「い、いえ、ち、ちが——」
 ドグッシャアアッ!
「あがが……」
「あのな? 人の心って繊細なんだよ。なかなか素直になれない。一度ギスったり、落ち込んだ空気って戻しにくいんだよ。喧嘩した時とかさ、もうやめにしようぜ? ってお互いそんな感じなのに、なかなか素直になれなかったりするでしょ? 仲介が必要だったりするでしょ? そんな風に落ち込んだ心とか人とか、そういうのがまたくだらないことで笑えるようになるって、簡単に見えて結構デカいステップがいんだよ! もう笑ってもいいよね? でもむすっとしてたし、きっかけがないとな……みたいな気持ちにさせられて、遠慮しちゃうの!」
「……そ、それを笑わしたら、あれじゃないすか? ミカさんの腕前ーみたいな? はは——」
 ドグッシャアアッ!
 ミカは再び釘バットを叩きつけた。
「てめぇぇーーっ! 何もわかってねえぇなぁーーっ?!」
「ひ、ひぃぃーーーすみませんっ、すみませんっ!」
「まぁまぁ。その辺にしとこう? 地球だって何もこう、悪気があってやったわけじゃ……だいたいそれ地球儀だしさ……」
「マギは黙ってて。わかるでしょ? マジギレだよ。私、これ。せっかく新年早々のボケも考えてたのにてめぇーーのせいでー何もかもパーーーじゃボケェェーーーーッ!」
「ひぃぃ、すみませんっすみません!」
「なんなんだよっ! アンタっ! みんな、明日の予定だって、来週の予定だってあったんだ! こんなの! 母なる大地のすることじゃありませんよっ!」
「そこから始めると、地球儀がお前の父親になってしまうぞ……」
 リツが剣呑な顔をして挟んだ。
「こんなときこそ、あの人の言葉を思い出せ、ミカ。あの人はこういうときなんて言っていた?」
「……はっ——そうか、リッちゃん!」
 リツとミカの脳裏に浮かぶ映像、そして次の声は重なった。
「「接点より始めよ」」
 数学ヤクザと全国の受験生から親しみを込めて呼ばれ、今日までも愛され続ける荻野講師の言葉が二人の脳裏にシンクロした瞬間だった。
 ミカはリツに頷き返すと、改めて地球儀の頭を踏みつけにし、始めた。
「ここが原点だとぅ、ここが原点だとぅ、突然、地球儀はお前の父親になってしまうんだよ。ダミダヨー。想定された通過点を通るように流れを思考する。接点が求まる流れを立式する。Q:ここから出てくるのはなんだぁっ?! A:接点t!」
 明らかに流れが変わった。
 ユニコーンの起動の厳かなメロディが奏でられるようにリツやレイの期待の眼差しがミカに集中する!
元々想定していた流れ(a,b)を通るように引いたときのぉ! 接点t! だからぁっ!」
 ミカは釘バットの先で地球儀の表面をコツコツと叩いていく。そして——
「この点とこの点とこの点が出るわけd——」
 ドッグオオオーーンッ!
 言うと同時に、釘バットを振りかぶり、地球儀を彼方に吹き飛ばした!
「この点はでねぇよぉっ! 流れを通らない接点なんだからぁっ!」
 所詮、手際よく解けるような箱庭の中でしか生きていけない地球儀は「何の話だよ……」と血反吐を漏らしながら吹っ飛ばされ、完全にノックアウトされたのだった。
 ミカはぺっと唾を地球儀に向けて吐き捨てると「安心して。接線の本数問題、そっから何本引けますか問題。ベーシックなのしか出ないから……だから君たちは安心して、接点を数えたらいいんだよ……」
 とスケバン風に言ってセットに戻るのだった。
 コタツに入ると、しかし、それでも怒りが冷めやらぬ様子でミカは始めた。
 BGMも日常的なほんわかしたものになる。
「なんかこう、こういうことがあるとさ、また不謹慎だの不謹慎厨だのって二回戦が始まるじゃん。寝技じゃねーんだよ。あれもうぜー」
「あー、まぁそれは全人類の共感が得られると思う」
「要はもうほっとけ! 被災してねーんなら募金だけして業者に任せとけ! って話なんだけど余計に関わってきたがるんだよな、ああいうのって」
「Xでもま、ちらほらいましたし、イーロンに訴えてる人たちもいましたね」
「インプ野郎は論外として、よ。こうイベントを興す側はさ、またジレンマに囚われてしまうわけ。今日は流石に自粛しようかな? でも、こんな日だからこそ元気づけたいんだけどな……でも、やったときの不謹慎厨VSの展開を考えるとやっぱ、自粛するのがセオリーってか、安牌か……っつってさ! 余計なことばかり考えて、押すも引くもできないから、とりあえず呼びかけポストだけしといての無駄なだけの時間を産むんだよ」
「こういう気遣いは、される方もなー。なんか申し訳なくなりますしね。被災したらしたで、無事ならこっちはこっちでどうにかもするから、皆さんは普段通りの生活を! とか思うだろうしね。むしろ当事者で、誰が自分たちに合わせて、皆お通夜みたいな雰囲気に処してくださいとか思うんだろう」
「経済をストップさせるほうが後々よっぽど悪影響だったりするんですが、わからない人にはわからないんですよね」
「もうはっきり言うけど、恥の文化やめたら? と思うね。日本は。あれ文化とかっつーよりもはや精神の重しにしかなってなくね? で、成長しない言い訳にしか聞こえないや、私にはもはや」
「お、そこはやっぱ衝きますよねパイセンは。何たって反世間派だし」
「ちなみに『恥の文化』というのは、規範意識——すなわち常識とか普通というものの見方が、世間に依拠している、世間的にはどう思われるかを根拠にしている文化のことですね。海外の『罪の文化』やいわゆる個人成果主義と対比されたりしますね」
「世間ってなによ。誰? そんなどうでもいい、いざって時に自分を助けてもくれない得体の知れない何かのために振り回されるのってアホらしくない? もちろん、わがままがいいってことじゃないんだけど——」
「あれ……なんか」
 どこからか。
 赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきた。
 夜中の一時だぞ? 
 マギはもうコタツに潜り込んでパンツを見せつけて震えている。
「なんだなんだ?! 水子か?!」
「いや、こんな遅くまで子供連れて何やってんねん……常識が——あ……」
「一応それも恥の文化ねぇ」
 あっけらかんと言うレイの一言にミカは唸った。
「ぐぬぬ……」
「てか、珍しいですね、あんなに心の数学ヤクザが出てきてしまうほどに怒れるミカパイセンなんて」
 リツが言うと、マギは唸った。
「うーん。新年一発目でさ、鞍替えした新推しのASMRクッソ楽しみにしてたんだよ、パイセン」
「完全私利私欲じゃねえか。それであそこまでキレる? やっぱこっわ……メンヘラ……」
 カットが入った。

 ◇

「被災された方は見てるかわからんし、それどころじゃないだろうけど聞いて」
 カメラに向けてミカが付け加えた。
「私事ではあるのですが、今まさに賞レースが始まっててさ。キャラ文芸。それに応募しようと思ってたの。一月の一ヶ月間開催っていうからさ、毎日したためてきて。で、よし、始まったな。エントリーすんべ。と思ったら、あれ? エントリー画面どこだー? ってなって。驚愕の事実。エントリー期間は十二月までってなってて」
「アホすぎる……神が」
「いや、待って。一応言い訳があって。前に応募したファンタジー大賞だとね、二ヶ月くらい期間があって、その間もエントリーできたわけ。で、ま、これもそんな感じかなーって思ってたらさー……」
「アホすぎる……神が」
「もう、はぁ?! って感じ。マジで今」
 くっくっと笑いながらマギが言う。
「神がアホすぎるせいだから仕方ないよ」
「被災されて本当に今、大変だと思いますが、被災してなくても頭被災してるこんなアホもおります。すぐに笑ったり、できないと思うし、無理に笑おうとかしなくていいの。ただ気落ちしててもあんまり良いことないと思うからさ。私たちは私たちにできることをしていくよ!」
「元気出してと言われて出せるなら苦労はいらないでしょうけど、私たちもできることがあればささやかなりとも力添えをしていきますのでね。あまり悲観しすぎないようにしてくださいね。では、また明日」
 カットが入った。





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