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残暑
残暑(幕間 : 頭の中の天使と天使ンゴ)
しおりを挟む「水着、浴衣、狐面、おばけ、花火かー。どうしようーマギー、選べないよー」
「優柔不断なのが悪いよ、パイセンはいっつも」
夏の日射のように前明かりが照りつくスタジオ——。素朴な見た目の茶髪天使マギは、お座敷セットのこたつに頬杖をつきながら言った。
上家にて彼女を迎えうつは、言わずと知れた愛着障害持ちにして、我らが主人公——。豆腐メンタル金髪ギャル天使、ミカだった。
「えぇー、だってさー、マギー」
「そんなんだから、あーた、いつも良いように(自粛)開かされんですよ。で、愚痴を聞くのは私ときた。いい加減にしてくださいよ、私はあんたの帰り道に立ってる自販機じゃねぇ」
「大人になったらね、そういうこともあるんだよ、マギ」
ミカは長いまつ毛を瞬かせて実しやかに語る。
「夜の帰り道ってただでさえ心細いときにさ、ぽっと道を照らされたらそりゃ……『お前も一人? ……お互い、お仕事お疲れ様だね』って話しかけちゃうこともあるじゃん!」
「だから自販機じゃねえか! それ! ……え、パイセンにとってガチで自販機程度の存在なの、私……」
がこんっ! 突如背後のふすまが開いて、自販機が泣きながら入ってきた。
「私だってな! 仕事帰りのOLに寄っ掛かられて、わけわからん独り言聞くためにやってんじゃねえんだよ! 聞いてりゃ人の気も知らず好き勝手言いやがって!」
「人じゃないだろうが……!」
びっくりして激昂するマギにつられてミカも慌てて立ち上がると、一人と一機を宥めた。
「どうどう……落ち着いて、自販機さん。……マギも。突然のことでビックリしたのはわかったからさ」
マギはこう見えて小心者。驚かされること、ホラー、ナンパ、イキリ、そのほか夢女子なんかが苦手だった。
「二人そろっていきなり立直なんてしたら、読者の人テンパって放銃しちゃうよ……」
「中の人に対抗すべく生み出された極めて前衛的な我々の表現となぜか麻雀縛りで綴られる想い。みなさん、もっと別のとこで驚いてますよ……やべぇ物語、開いちまったって」
ガシャン、ぷしゅー。
ミカとマギの二人はお座敷セットの真ん中に自販機を通すと、自販機はがこっとお尻を下ろし、間もなく自分の腹からお~いお茶を取り出した。
ふと思い立ち、ミカは側面を覗いた。そこからマジックハンドのような腕が伸びている。
便利なものだと眺めていると、自販機は早速ぐびっと一口やってお~いお茶を還元しながら、さめざめと語るのだった。
「いっつもコンビニで買ったほろよい開けやがって、それは家で飲めよ! 今は買えよ! 目の前に私がいんだから! なんでさも当然のように話しかけてきてんだよ……そうじゃねぇだろ、絶対……」
「うん……まぁ……なんていうか……自販機になったことがないので、気持ちはさっぱりわからないんですけれど」マギが複雑に首肯する。
「かと思えば昼間はバンバン叩いて猿児のやつ……『へぇ、僕にオススメなのはマウンテンデューなんだー。ここには置いてないようですけどね笑』とか言ってバカにしやがって。しょうがねえだろ……伊◯園さんのもんだもん、私。そもそもタッチパネルじゃねえしよ、私……何にオススメされたんだよ……何が見えてんだよ……」
「あ、そうだ。じゃあ、こうしよう」
ミカがそう言ってポンと手を叩くと、自販機は表面をあげた。
「自販機がーオススメ決めて?」
「え?」
「私たちにー、オススメのテーマ考えて」
ミカは指折り数えて言う。
「水着ー、浴衣ー、狐面ー、おばけー、花火ー、穴モテの六つから!」
「なんか多くねー?」とマギ。
「あ……でも、見ればわかるでしょ……私、タッチパネルじゃ……」
ジャリジャリーン。自販機の胸元で硬貨の跳ねる派手な音がして、ルーレットランプが点滅し始めた。
「あ……」
ミカがマギの鞄から財布を取り出して小銭を入れたのだった。彼女は気取って言った。
「あちらの方か——」
マギは無言でミカに腹パンすると、自分の財布を取り返して中身を確かめた。
「"あちらの方から"を本人の同意を得ずにやんな! あー小銭が! いつ持ち出した!?」
ミカは腹を抱えながら返した。
「……借りただけだってー」
「千パー返さない奴の言い訳! じゃーパイセンの財布も見せてくださいよー」
「あ、ごめん。コンドームとTカードしか入ってねえや」
「パイセンにとっての財布の役割っ! どうやって使うんだよっ、そのTカードっ!」
「避妊してんのはいいことでしょうがっ!」
「え、逆ギレ?」
ルーレットランプを丸くして出目を回している自販機に、ミカは男前に笑いかけて言った。
「とにかく。さ、どれがオススメ? キミが選んでよ、ウチらのためにさ」
「ミカさん……」
「雰囲気で誤魔化そうとすんな。どうあがいてもアタリかハズレだよ……」
がこがこんっ! 自販機の取り出し口からまた派手な音がして、存分に冷蔵されたオロナミンCが出てきた。
ミカは一本のオロナミンCを取り出すと、一応取り出し口をもう一度さらって静かに首を振り、高らかに宣言した。
「よし……じゃあ! 浴衣の下に水着着て祭りへ行き、そこでお面を購入。そのあと私んち(臭そうなタイプのビッチが絶対持ってるゆるふわパーカーに取り憑いた地縛霊が棲んでいるマンション)で花火しようぜ!」
「こいつ、パワーで完璧なルート作りやがった……!」
「筋肉で全てを解決する。いつものマギのやり方じゃん」
「……てへ」
マギは後頭部をかく真似をしながら舌をぺろっと出して言った。
◇
エンジェロイドスマートフォン『aPhone』を使ってリツ、レイ、タマ……いつもの顔触れを呼び出すと、近くの神社に向かう。
色も形も海藻みたいな髪のバンギャにしか見えない堕天使リツが、合流するなり苦言を吐いた。
「あのさ、一度ちゃんと言おうと思ってたんだけど、あんたら他人の都合とか考えないよね。私らだって、今やってるゲームの制作とか……」
「あ、じゃあ、リッちゃんはいいやー。タマとねーねは水着の上に浴衣着て一緒にお祭り行こー」
「はいっ!」
「ええ」
タマは甲斐甲斐しく駆け寄ってミカとマギの隣に並び、その後ろからレイが続く。リツは愕然と口を空けたままその光景を眺めた。
ミカを挟んで横に並びながらタマが言った。
「あ、でも、私、魔界から来たばかりで浴衣なんて持ってませんよ?」
ミカもマギも◇の間に着替えを済ませて浴衣姿だった。
マギは品のいい藍色の着物、ミカは初々しい若葉色の着物。それぞれ中身とのミスマッチ感が素朴と金髪ギャルの見た目をより引き立てている。
ミカはゆるゆると手を振って言う。
「大丈夫、大丈夫。この日のために買ってトイレで着替えたことにするから」
「こんな堂々と後付けする奴いる? これじゃ横付けだよ、とほほ……」
定位置に並んで歩くマギが続けてミカに言う。
「んで、水着って……重ねて強調するとこですか?」
「字面じゃわかりにくいじゃん。私ら水着着てるって」
「え、本当に着てきたの?」
ミカは言わずもがなと言わんばかり、胸元の交差点を指で広げてチラ見せした。白ギャルが着そうなパッション的な柄と色合いの紐ビキニがマギの目に見える。
マギは呆れたが、ミカのこの頭からっぽノリ全開の調子は毎度のことだった。ミカは続けて、人目も憚らず、むしろ見せつけるように胸元をぱたぱたと広げながら言う。
「水着もしっかりテーマに入れてますよー。ほらっ! ほらっ! って審査員の人にもちゃんと訴えかけないとね」
「男ばかりと思うなよ。主義者が混ざってたら今ので一巻の終わりじゃ、私たち……」
ミカは遠くを見つめて言った。
「水着にすら検閲が入る時代かぁー。あーあ、レオタードで誤魔化せんのも時間の問題だなこりゃ。多様性やお母さんって見えてもいい人と見せてくれるなら是非見たいって人の個性だけは絶対尊重しないよね」
「あと涼しいように見えて絶対後悔しますよ、その組み合わせ」
と、マギが手堅く特定保険区域の話題をスルーし、マイノリティに配慮した番組であることを(?)審査員にお伝えしていると、一人だけ魔界出身のサキュバスお姉さん、タマが乙女のように青紫の指を重ねて話を切り替えた。
「私、魔界から地獄門くぐって這い上がってきたばかりだから、人間界のお祭りって初めてで!」
「這い上がってきたって……でも、地獄門通ってくるんだ。本編でも語られたことなかったし、知らなかったよ」
「そうなんです。"考えるあの人"っていつも顎に拳を置いて難しいこと考えがちなイメージありますけど、私たちが出てくときには肩組んで一緒に写真撮ってくれたり……SNSにあげてくれたり! 両手を振って見送ってくれたりするんですよ!」
「へぇーめっちゃ気さくー! 全然イメージと違う!」
「アレ動くんかいって、まずそこにツッコみましょうよ……それじゃ考えてない人じゃん」
マギは雲の上の会話に困り果てた。すると、最年長のレイがタマの向こうから続けた。
「あらあら。物って人目のつかないところでは好き勝手に動いてるものよー。そうね、この間マギちゃん家に行ったときも……」
マギの耳がダンボになった。
「あ! アレね! 私もめっちゃビビった!」
とミカは即座にレイを指差して、レイもマギに構わず続ける。
「ただならない怨念が感じられて、とってもスリリングだったわねー、うふふっ」
「まさか、あんなとこからあんなもんが、こっちをじっと見てんだもんねー」
「あの土地でいったい何があったのかしらー?」
「あははー……やだなー、姉妹揃ってコイツらほんとさあ。そういうこと言わないでくださいよー、本人目の前にいんのにー……次は手が出ますからね」
恐怖、苛立ち、焦燥感……複雑に感情をないまぜにした青筋を立てながら、マギはぷるぷると口を挟んだ。
レイはミカの姉で、ミルク色の長髪に麗しい顔立ち、この中では最年長の女神だった。度のすぎたエロとボケとカルト宗教の立ち上げが得意で、過去に一度やりすぎたため、マギの激しいツッコミを喰らってBパートまでの短い間、他界していたことがある。
「違う違う違う……」
そうこうしていると、四人の後ろから、そんな呟き声が追いかけてきた。出鼻にやらかした堕天使リツだった。
彼女はしきりに「すぅー」と鋭い呼吸を繰り返し、わざとらしく小首を傾げながら呟いた。
「違うんだよなぁー……あれ? あ。あー、そっか、これ……これ、絶対誤解されてんなー……絶対誤解されてるわーこれ……そりゃ私も悪かったんだけどさー……絶対誤解……」
(ぶつぶつ言いながら背後霊のようにつかずはなれず追ってくる……何一つ誤解してねぇよ、はよ帰ってゲーム作ってろよ……)
恐怖、ジレンマ、憐憫……色んな感情をないまぜにして染み出す汗を感じながらマギが思った矢先、ミカの視線が首ごと横一線に揺らいで、その姿を捉えた。
「——お、ラドンじゃん」
お祭りに向かう人混みに紛れるプテラノドンのようなその姿を——。
ミカは後ろから声をかけると、翼とハイタッチして言った。
「えー、こんなとこで会うなんて……! 久しぶりー。保育園のとき以来?(※本編最終話参照)」
「ぴぎゅー……がぁーがぁー!」
「今日も元気にそうだそうだって言ってますねー!」とタマ。
「ラドンもお祭り行きたいの?」
「ぴぎゅー! がぁーがぁー!」
「そうだそうだって言ってるわねぇ」
すかさずリツが、
「今までの行きがかりはさっぱりと捨てようではないか!」
とかなんとか、みなの後ろで言っていましたが、
「へぇーそうなんだ! じゃせっかくだし、一緒行く? 今、一人帰っちゃったところでさー——……」
「ぴぎゅーがぁーがぁー!」
「よし、決まりねっ」
ミカもラドンもおしゃべりに夢中で、なんだか居た堪れない面持ちのマギしかその存在に気づく者はおりませんのでした。
帰ったと思ったらずっと信じて疑わない……そんなミカの無垢がすぎる言質でしたが、リツはその後もあの手この手でストーキングを繰り返すのでした。
◇
ソースの香ばしい匂いがふんわり漂いだすのにつれ、自動車や街の明かりとは違った、オレンジ色の灯りがまたぼんやりと、道の先に見えてきた。
加えて、録音された祭囃子が聞こえ始めた頃。俗に鴨川デルタと呼ばれる有名な河川敷のように、どこからともなくと集まってきた人だかりに揉まれながら、ミカはほとんど上を剥ぐようにして悶えていた。
「ああああ……あづあづあっ……と思ったら、かゆいかゆいかゆいかゆいっ……蚊もかゆいし、紐も締まってかゆいし、全身かゆいとこしかない! しかも、変なとこばっかカニに食われるよぉ~……」
「カニじゃなくて蚊な!」
通りすがりのタラバが横並びに追いついてきて、口周りをハサミでチョキチョキしながら言った。
「オレに食われてどないすんねん! いらん風評まきちらすなや! ったく、これだから今日日のジャリは……」
男の子の手がタラバの背を掴んだ。
「ママ! 見て! 見て! でかいヤドカリがなんか言ってるよ!」
「でかいヤドカリ……? まぁ、この子ったらまた何が見えてるの、もう……この間も自販機の前で——うっわ、でっけぇカニじゃん!」
「違うんだよ! ママ! こいつヤドカリなんだって! なのに今ね、カニ面してなんか言ってたんだって!笑」
「じゅるり。おうち帰って鍋にしようかるり。美味しそうすぎてじゅるりが語尾になってしまったるりねー。カニなんて久しぶりゅるり」
「違うんだって! 僕には聞こえたんだって! こいつ、ヤドカリのくせにカニの代表みたいな顔でさ!笑」
タラバは少年の家族に連れていかれた。
マギはそれらを見なかったことにして続けた。
「だから、そう言ったじゃないですか……夏の蒸し暑い夜には最悪の組み合わせなんですよ、服の下に水着ってそれ。誰もが小学生くらいでアチキ天才じゃね? って一回閃いて、自分のアホさ加減をその身に刻む定番のやつ」
「アチキ、小学生の頃、服の存在を知らなかったから」
「すげぇ極値」
「中学に入って初めて制服というものがあるんだーって、あの時は驚いたなぁ」
「サルかなんかだったんですか?」とタマ。
ミカは暑さとかゆさのあまり茫洋としながら言った。
「でも……もういいよね? どうせ水着だし」
その場で浴衣をはだけ、早くも素っ裸になろうとしたミカだったが、マギはその行動パターンを読んで素早く裾を締め直すや、曝け出されそうになった胸元を隠した。
ミカは暑さのあまりに激昂した。
「なぜ邪魔をする! 自らサービスしようというのだ! 私は涼しい、みんなは喜ぶ! 被害者がどこにいるっ!」
「ぴぎゅーがぁーがぁー!」
「あ、そうだそうだ! って言ってますね。ラドンをはじめ、ギャラリーのみなさんも一緒になって!」
マギは人差し指を拳銃みたいに突き立て、暴れるミカとギャラリーの男性たちを何人か(自粛)ってそうな目つきで黙らせると、ドスの利いた声で静かに凄んだ。
「御託はいい。賞がほしければ過度な下ネタはNGだ。脱ぐだの脱がないだのは商品化されたのち、同人作家にでも任せとけばいいんだ。私らの仕事はまず商品化され、金をもらい、外の人ともども知名度をあげて、金をもらえるようになるってことだ。金がほしいんだ」
「……それって中の人に対抗して生み出された——」
「黙らないと羽根を根本から引っこ抜く」
もはやぐうの音も出なかった。人差し指の圧力に、ミカは二の句も最後まで告げさせてもらえず言う通りにした。
悲劇的なため息がどこからともなく響いた。
「Oh~……Damm……」
「ジーザス……クライスト……ハーゲンダッツ……タベタイヨ……」
「タベレバイイジャンベツニ……」
あるものは目元を手で覆って、あるものは肩をすくめて首を振り、無念をあらわにした。
マギの人差し指は続けて、近くの空き地を指した。
「わかったら、早く着替えてこい」
「はい……」
ミカはすごすごと引き下がって、タマやレイ、さりげなく混ざる機会を伺っていたリツも加えて、共に公園のトイレに向かうのだった。
タマたちに慰められ、しょんぼりとしたその背中に、マギの鋭い叱責が追い打ちをかける。
「中もだぞ! ってか、中をだぞ! 外はそのままでいいんだ、フリじゃない! 普通にお祭りを楽しみ、お面を買いつけ、お花火をお楽しむ場面が撮れればそれでいいんだ! タラバも素っ裸も変なガキも変な外人もいらねェんだ! 女の子がきゃっきゃしてればそれでいいんだ! 余計なことはするな! 絶対にするな!」
数分後。ミカたちがトイレから出てくるなり、マギは憤慨した。四股を踏み鳴らすように浴衣の許す限界まで大股を開いて、歯を食いしばり、声を張り上げた。
「だからっ——! どうしてっ——!」
ミカたちが着替えてきたのは、基本は九枚前後の衣装を重ね着する日本古来の有名なアレだった。単という肌着の上に、五枚から最高は三十枚まで着た記録があるという、裾を引きずるアレだった。
「あれほど余計なことはするなって言ったじゃないっ! 私、言ったじゃないっ!」
ミカは手をパタパタしながら言った。
「あっつ! 余計に暑くなった!」
「キエェェェーーーッ!」
マギは飛んだ。
白い翼をひるがえし、U字を逆さまにした軌道、すなわちペットボトルロケットのように夏の夜に弧を描くと(ちょうど鳴き声もそれらしかった)、ミカのおでこに渾身のオールバック・ヘッドバットをかましたのだ。
ミカは脚元から崩れ落ちた。ぷくーっと切り餅みたいに腫れ上がり、バッテンのテーピングがされた漫画テイストのおでこを両手で押さえると、怯えた小動物のようにマギを見上げた。
レイもタマもリツもラドンも慌てて素朴を愛する鬼を宥めにかかった。
「先輩、先輩! エロもダメだが、暴力はもっとダメです!」
「でもゾウさんのほうがー? もーっと好きです!」
すると、通りすがりの女の子が頬に笑窪を作って、隣に並んだパオに触れながら語りかけた。
パオも優しく一鳴きして答える。
「ぱお」
「ふふふっ」
彼女はゾウさんのほうがもっと好きですガールだった。キリンさんよりも自分さんの方が好き。天使の笑顔でこんなこと言われた日にゃもうおしまいです。パオは誇らしげに長い鼻を振り回し、哺乳類界でも類稀な記憶力を発揮してこの日の思い出を刻みこむと『どんなことをしてでも、この子はパオが守るんだゾウ……大人になってパオがいらなくなる、その日まで——』そう、誓ったのでした。
女の子とパオが並んで歩き去っていくのを見送ってから、リツは再開した。
「……とにかく。とにかく暴力はダメです! このメンヘラ相手じゃ気持ちはいたいほどにわかりますが!」
「ぴぎゅー……がぁーあぁー!」
「まずゾウにツッコめよおおおーーーーーっ!」
マギは皆に押さえつけられながら、もはや半狂乱だった。
「何だったんだよ、今のあの二人はっ! いきなり出てきて話のコシ折ってんじゃあねえぇぇやぁぁーーーーっ!」
「ただのロリとパオですよ……このままじゃ、おまわりの人が駆けつけてしまいますよ、マギ先輩!」
「バリエーション豊富だなぁっ、◯◯の人! でも関係がないんだ。普通のお話をするんだ。狂ったコメディなんかじゃない、真っ当になるんだ! 私たちは……」
「まぁまぁ。気にする時点でもう普通じゃないわ、マギちゃんも。あなたの発言、惰性の甘言。生産、排他の傍観者。静観気取って厚顔さ。抵抗やむなく無勢は圧殺。王様気取りの多数が圧政。進化に見せかけgoes on 監視化。多数派支配デモクラシィ! 生きてる私ら、でも苦しいっ! チェゲバラッ!」
レイのラップは手に負えないので無視し、マギは再度ミカの面前に人差し指を突きつけた。
「きがえてこい……ゆかただぞ……十二単でも振袖でも巫女服でもなく、いいから単なる浴衣を着てこんかい……! きちんと下着もつけてな!」
「——!」
マギの発言にハッとして、タマはトイレの入り口に隠れると、
(じゃあ、これはもっと違いそうだわ……)
密かにかっぱの着ぐるみを伸ばして見るのだった。
◇
カラフルな今風の鼻緒がついた下駄をちゃかぽこと鳴らし、五人とラドンはごく普通に浴衣を着て、ごく普通に祭りを見て楽しんだ。
射的にはじめ輪投げをしたり、業者に捕らわれた金魚をすくいに行ったり、チョコバナナをほおばったり……一方、ときどき最近の好きな男性の政治家のことなどを頬を赤らめて語らうのだった。
「私はねー、やっぱ石破さん……なんだよねー。ぶっちゃけ! ぶっちゃけて言うとね!」とミカ。
「えー! えー?! どんなところを好きになっちゃったんですかー?」とタマ。
「あの、報われないとことか。シンパシーを覚えちゃうっていうか……これって、もしかしたら、ハンカンビイキ……ってやつなのかなって。きゃーっ!」
「タマは?」とリツ。
タマは恥ずかしげにちらちら目配せしながら、口をすぼめて囁くように言った。
「私は……ドゥテルテかな」
「あらあら」
「えっ! マジ?! そこいっちゃうのー?!」とミカ。
「だって、いざってときに実効力ある人って、やっぱり……格好いいし、頼りになるなぁって。そういうとこじゃないですか? 男の人も、政の人も……」
「えー、祭りと政かけてるってことー?! もうこれテーマがいくつ込められてるかわかんないよー!」
ミカは両頬に手を当てて身をよじらせながら言うのだったが、三人の会話には目もくれずマギは周囲に視線を走らせていた。
(ふ、ふふふ、普通に楽しむ……? 普通? ……普通? 普通っていったい、何——?!)
マギは人知れず、言語の深みに迷い込んでバグったAIみたいに頭を抱えた。
思い起こされる新人研修時代……。
こう見えてマギたちは、皆、プロのキャスターとして情報バラエティの番組を持っている。
そこで入ってきたばかりの新人のマギに、ディレクターはこう語った。
「君は素朴だねぇ……いや、良いことなんだよ? 良いことなんだけどさぁ、なんかパッとしないんだよなぁ」
「はぁ。お前の鼻っ柱なら今にもパッとへし折ってやれるんですけどねぇ」
「そうそう。今のは良いね。良いパンチだったねぇ。ツッコミのキレはいいじゃない、マギちゃんも」
「殴ってもねぇのに言われてもねぇ……」
そんな時だった。セットを建設中のスタジオの端から、もう一つの女性の声が高々と響いた。
「え、そんなの、もっと早く言ってくださいよー」
「いやだってさ、ミカちゃん……」
「ラクダに蛇を乗せて自分の代わりに出社させちゃいけないなんて、そんなの、天使が知るわけないじゃないですかー」
「初手でスリーアウトだよね。え、天使界では常識なの? これが? 逆に聞きたい、どうしてですか? って」
「それよりチンパってなんですか? チンパンジーの親戚かなにか?」
「どこで聞いたの?」
「あぁっ! じゃあ、ひょっとして、パンジーの花言葉……って! そういうこと?!」
「どこで聞いたんだよ……」
「今、そこで大学生の子に鞭でしばかれたそうにしてる、頭の中がセクハラのおっさんが言ってた。あの人、思考にモザイクかけないと捕まっちゃうよ?」
「上司だから! ね? このチームのボスだから! てか思考にモザイクって……そんな奴ばっかなの? 天使って……だいぶ聞いてたのと違うわー……」
「あ、そんな隠すってことは、やっぱそういうアレなんですね。チンパチンパ……うっわ、後コ足すだけでパチンコになっちゃうじゃん……やっぱ芸能界ってこういうソレイユなんだ。シロク・ヘ・ドゥが出そう」
「チンってつくだけでなに想起してんのか本当にしんねぇけど、それ、君のがアレだからな。普通チンからサーカス団つながってこないから。君のがモザイクかけたほうがいいんじゃないの?」
「あ! それ、どういう意味ですかー?!」
「あらゆる意味でだよ」
セットを見学しながら計画を練るアシスタント・ディレクターとミカの会話だった。二人がそんな不毛な言い合いを続けてスタジオを離れていくと、ディレクターが指差して言った。
「ほら、ああいうのがいい」
「うっそだろ! この番組、続ける気ある?!」
「君は確かにまーそこそこの天使大学出て、健全な学生生活を送り、一般的な目線は持ち合わせているかもしれない。けど、普通っておもろないんよ」
普通っておもろないんよ。普通っておもろないんよ。おもろないんよ。おもろないんよ……。
「そういうの、五万といるんよ」
五万といるんよ。五万といるんよ。いるんよ……。
「ガチャで言うと星1」
ガチャで言うと星1……星1……星1……。
何気ないディレクターのその三言がさんざんエコーしてマギの心を深く、深く傷つけた。その時は「はぁ……(でたでた。具体性のない指摘……)」とやりすごしていたものの、帰ってから次第に効いてきて、その夜は二十歳を過ぎて初めて声をあげて枕を濡らしたものだった。
「星1って! 面と向かって人に言っちゃいけんことってあるやろがっ! 星1って! じゃあ、あのアホが3%なんか! あのアホが3%なんかぁぁぁーーーーっ! 私が明日ラクダに蛇乗せて自分の代わりに出社させたら、マジギレするくせにっ!」
当たり障りのない普遍的な映像を提供するのも一興。しかし一方で刺激的な、視聴者の皆さま方が見たことのないような映像を届け、浮世の憂さを晴らし、潤滑油としていただくこともまた務め……調和と混沌。世間と自我。数字と本音の狭間で、しかしマギは学んだ
そして学んだ結果、たまにこうなってしまうようになったのだった。
(普通に楽しむってさ……え、だって! 楽しいなら、すでに楽しんでるわけじゃん! すでにふ、普通じゃないじゃん! ……ががが、ど、どうなってるのこれ……何が正しいの?! 私が間違ってるの?! 絶対そんなことはないはずなのに……!)
ふとそんなマギに気がついて、ミカが声をかけた。
「マギ? マーギー?」
「うんこうんこうんこうん——バカじゃねえのか?! 私はバカなのか?! こんなんだから星1って言われんだよ! 別にガチャで言わなくてもいいはずなのによっ! 飛べ、マギ! もっと飛べるはずだろ、私はぁっ! ——はいっ! パイセン、呼びましたか?!」
「あーらら。ダメだこりゃ」
ミカは肩をすくめてタマに言った。
「どうしちゃったんですか、マギさん」
「たまにあるんだよ。マギだって普通の天使の前に……普通の女の子。未完成な生き物の一個だからねー」
「いえ! 断じて違いますよ! やっぱ脱ぎます? 脱いだほうが数字出ますよね? 今から脱いで……何なら金魚すくいのプールで泳ぎますか?! パイセン!」
ミカはマギの肩をゆすった。
「いい? マギ。面白くなりそうだから脱ごうとしただけで、脱ぐこと自体は肝じゃないわけ……わかるかなー」
「はい! わからない私は星1なので! 今からスト……」
タマが突然「あ!」と声をあげて、続けた。
「えへへ、ひょっとしてマギさん……」
「へ?」とマギ。
「塩飴なめてなかったんじゃないですかー……もう。水分と、塩分。夏場は気をつけないといけませんよー。私の分けてあげます」
揚々と懐から塩飴を取り出してみせるタマの天然のその向こうにお面屋が見えて、
「それだ!」
ミカは爛々と目を輝かせて言うのだった。
マギは、タマにさんざん塩飴を舐めさせられるのだった。
◇
引き続き、五人とラドンは祭りを端まで見て回った。
今度は塩辛いものを揃えて買うと、休憩がてら近くの駐車場で腰を落ち着けて食べることにした。地元のヤンキーや若い人たちもいた。
皆でイカ焼きや焼きそば、串焼きなどを食べる中、ミカはエシャレットともろみセットを取り出してマギの口に入れていく。
「どう? マギ。線香花火の持ち方と一緒だよー」
マギはエシャレットの先をしゃくしゃくやりながら、
「まつりまつりまつりまつり……祭りといったら、あむあむ……エシャレットと……もぐもぐ……そうそう、もろみだよねー、えへへへ」
「お、意識が戻ってきたか?」
リツが焼きそばを啜りながら言った。手の塞がっているミカは、タマにたこ焼きを食べさせてもらい、一方レイとラドンはそれぞれ串焼きを分けあって食べていた。
「ぴぎゅー……がぁーがぁー」
「ミカちゃん。これもどうかしらー」
レイはそう言うと、甘エビを取り出した。
ミカはわさび醤油につけてマギの口に運んでいく。
「あむあむ……うん、あまぁい」
「はい、紐グミ」
リツがビニール袋に入ったかちわりを飲みながら渡し、ミカがマギの上から垂らしていく。
「むぐむぐ……うん、かたぁい」
「これなんかどうかしらー。ハバネロ」
レイは焼きもろこしを横にしてラドンに食べさせながら、ハバネロを手袋越しにマギの口に突っ込んだ。
「うん、からぁい」
「あとこれもー。骨抜きしてないハモ」
「うん、いたぁい」
もぐもぐ。と他の四人と一匹もたこ焼きやお好み焼きを頬張っている。マギも含めてそれぞれが口の中のものをよく咀嚼し、ごくんと飲み込んだときだった。
「そっち食わせろやぁぁぁぁーーーーっ!」
マギは突如暴れ出した。
「祭りに関係するもん食わせろおおおーーーーっ!」
「あ——いや……祭りのほうは私たちで堪能しとくからさ……」
「何に気を配ってんだよ……! 私にも堪能させてくださいよ……」
ツッコミ疲れか、マギももう呆れ返って、深くため息をついた。
「まぁいいやもう……あーもう、辛いし、口ん中ずっとネギの匂いだよ。初手エシャレットでもうネギの匂いしかしねえよ……で。えー、金魚すくいやったでしょ?」
マギは指折り数えながら言う。
「射的とか輪投げもやったでしょ? あと……」
「屋台飯も食べてー」
「私は何一つ食べてないけど、それもパイセンたちがやってー。あとはお面かな。狐面」
「あ、それ……」
ミカはそう言うと懐から狐面を取り出し、マギに差し出した。
「はい。マギ」
マギは目を瞬かせると、黙ってミカから狐面を受け取った。渡された狐面を殊更珍しげに眺めて、改めてマギはミカを見る。
「え」
「さっき屋台飯揃えるときにさ。ついでに買っといたんだ」
すると、ミカは頬をぽりぽりと指先でかきながら、照れくさそうに言うのだった。
「知ってる? ボケてて一番辛いのは、スルーされるってこと。信頼できるツッコミの存在ほど、ボケにとって有難いものはないの。私は——マギがいないと面白くなれないからさ」
「…………」
「いつもツッコんでくれてありがとう、ってことで」
マギは、言葉を失っていた。
いや、ツッコもうと思ったし、ミカの言葉を信じるならそうだ。「なんで話の合間に買っちゃったんだよ……テーマの一個、ついでに済ませたらダメじゃん……」ってツッコむのがベターなのだろう。
しかし、マギはしなかった。
何よりも、ミカの言葉に救われた気がして。
これは3%だ。——しかし、星1の私がいてこそ際立つ3%。
本当に恐ろしい先輩だと、マギは改めて見直すのだった。
「……って、あれ」とミカ。
「え、なんですか? パイセン」
「いや、ツッコんでよ……。なんで買っちゃったんだよ! って」
「もう……どっちが正解かわかんねぇよ! 流石に!」
マギはツッコんだ。
けど、ちょっと楽しげだった。
◇
宴もたけなわ。五人と一匹はひとしきり屋台を見て回ると、今度はラドンの背中に乗せてもらって、みんなで高度一万メートルの上空を、夏の夜の強風に煽られながらミカの自宅に向かう。
高度一万メートル上空から見下ろす夜景はとても綺麗だったが、ラドンの飛行速度はマッハ1.5。これは新幹線の六倍近くにもなり、表面の体感温度は夏でも氷点下をぶっちぎる。天使たちは特別な訓練を受けているので気温の変化は平気だったが、風圧はそうもいかず、飛行中はほぼ無呼吸、目も開けられないオールバックの有様だった。
「楽しかったー!」
「そうか?」マギが髪の毛についた霜を払いながら言う。
家の近くで降ろしてもらったところ、ミカは大きく伸びをするようにして言った。
「あーあ、リッちゃんも来ればよかったのに……」
「いるよ! いるじゃん! ずっといるし、話してたし、一緒に屋台飯食べてたでしょ?! 何だと思ってたの?!」
リツは憤慨して言ったが、ミカはまだきょとんとしている。
「え、でも、リッちゃん、ゲームの制作が忙しいからって家に帰ったんじゃ……」
「確かに言ったけど、今こうして話してんじゃん……」
「でも、眼球はすでに死んだ光の反射を捉えてるだけで、私たちの見てるものが本当に今、ここに、実在するのかは量子力学的に考えても不確かなものだし」ミカは沈着な面持ちになって言った。リツは困り果てた。
「量子力学的に考えないで、まず目の前にいるものを認めてくださいよ……」
「ゲームの制作ってすごく大変だし、忙しいと思う。それを鑑みずに誘っちゃった私も悪かったなって思ってたんだよね。でもリッちゃん、その誘いに負けずに一人で頑張ってるの、ほんとすごいなって。そういうとこ私、結構認めてんだよ。今ももくもくと家で頑張ってるはずだよ、私の大好きなリッちゃんなら!」
「そんなに帰っててほしいのかよ……あー、もう全部やる気なくなったわ! おまけに心痛えしさー」
一行は、ミカの家に行く途中で、近所のコンビニに寄って花火を買い求めることにした。
レジ前に来ると、いよいよミカの出番……。満を持してミカがカゴをレジに出すと、学生らしき若い店員が言った。
「ポ、ポイントカードはありますか?」
「はい! Tカード!」
ミカはにっこりと微笑んで財布から取り出したが、彼女が指に挟んでいたのは五、六センチ四方ほどの薄いアルミでできた包み——すなわち、コンドームだった。
若い店員は受け取ったコンドームの包みをまじまじと眺め、一応裏表を見てから、奇跡を願ってレジのスリットに通し、何も起こらないのを確認したあと、念の為もう一回繰り返した。
しかし、やっぱり何も起こらないので、改めてミカの顔を見上げると「へへ……」と曖昧に微笑んだ。
ミカは何の気もなく微笑み返した。
若い店員はますます汗を流して、再び狂ったようにコンドームの包みをスリットに試し続けたが、やはり何も起こらなかった。それはそうだろう。だって、それはコンドームなのだから。
若い店員にとっては永遠のように感じられる長い数秒を経て、やっとミカが気付いた。
Tカードとコンドームを交換しながら言う。
「あ、いっけね! こっちだった、こっちだった……すみませんねぇ。アティクシ、財布にこれとTカードしか入れてないもんで」
「は……ははっ」
店員がげっそり痩せ細った顔で儚く笑うのとほぼ同時に、マギが後ろからおおきく振りかぶってミカの頭をはたいた。
勢いがあるように見えて、スナップを効かせているだけ。動作や音は大きく、その実、痛みや衝撃は少ない。収録で培ったマギのツッコミの奥義だ。
「素人さんには手出すなっていつも言ってんだろ」
「ひ、ひぃ! か、カシラ……!」
ミカは大袈裟に言ってみせ、マギは呆れながら続ける。
「誰がカシラだ……」
「あ、それってマギ……ひょっとしてアレ? 誰がヅラだ……的な! うぷっ、ぷぷぷぷ……アレのアレ?」
「このアホは無視して、さっさとやっちゃってください。一ツッコむと、百ボケてくる病気なんです」
マギは冷徹に店員に言った。
「お、お預かりします。ポイントは……」
「貯めで!」
ミカが満面の笑顔で言うなり、マギが後ろから拳銃を突きつけるように凄んだ。
「使え」
「じゃあ、全部ポイントからで……」
ミカが哀しそうに言うと、レジスターの画面を見つめて、また若い店員の挙動が静止した。
「あ——と、すみません……すぅ、ふぅー……。2……? あっ、えっと、2ポイントしか……ないんですけど……」
「え?」
「現金と一緒に……しますか? それとも、あっ、あっ、わ、分けます?」
「帰り、ドブに捨てましょうねー、その財布」
マギはそうは言ったものの、環境に配慮して、コンビニのゴミ箱に捨てた。
ミカのマンション前に到着すると、件のゆるふわパーカーに取り憑いたビッチの地縛霊が出迎えてくる。
「うぃーおつかれぃー」
「うぇー」
ミカと地縛霊はハイタッチしようとして、すれ違った。
「あ……」
地縛霊は薄く透け、向こうが見えてしまう自分の手のひらを確認して薄く、笑う。
「……へへ、へへへへ。おかしいね……おかしいよねっ……魂はあるのに触れないのって……」
「ポル子っ!」
ミカは地縛霊の輪郭に合わせて後ろから抱きしめた。
「これじゃドラクエ3発売しても、できないよっ……! できないんだよっ……!」
ビッチの地縛霊は生前ドラクエが好きだったのだ。
「ポル子っ! 大丈夫だ! 取り憑ける身体をお願いして、借りてくるからっ!」
「ミカっ!」
ポル子はミカの身体にその身を預けるようにして言った。
「不思議……触れないのに、ミカの温もりは伝わってくる気がする……」
「ポル子……」
「そっか……記憶が、まだ覚えているんだ——生前感じた、人の温もりを……」
「…………」
「とぅーるるるー、ふんふんふーん……」
「ぴぎゅー……がぁー……がぁー……」
「そうだ……きっとそうだって、言ってるわね。ラドンも……」
リツが即興でなんとなく切ないメロディを口ずさみ、ラドンが合いの手を入れると、レイが引きを作りながら防音幕を二人の前に降ろした。タマと黒い髪の女の子は控えめの拍手をして見送るのだった。
マギはそれらを見もせずにすたすたマンションの玄関に向かいながら、平然と言った。
「ほら、早く上がってくださいよ。火消し用のバケツ取ってこなきゃならないでしょ。パイセンが鍵持ってんだから」
「はぁーい」
肩をすくめて従うミカに、ポル子は自分の頭をコツンとやって舌を出してみせた。
ポル子は臭そうなビッチが必ず持っているパールトーンでボーダー柄の、あのくたびれたゆるふわパーカーに取り憑いた地縛霊だった。それがいつの間にかミカの持ち物に紛れていて、以来ミカと一緒に暮らしている。生前は大のドラクエ好きで、特にドラクエ10をこよなく愛していた。
部屋からバケツを持ってくると、駐車場に備え付けてある蛇口から水を注ぎ込んで、花火の開幕とした。ちなみにマンションのオーナーはミカのマネージャーのご両親。マネージャーは人間ながら、ミカの学生時代からの旧友で、その縁でミカも住まわせてもらっているし、蛇口使用の確認もしてある。
「まぁまぁ、いつものことだから」
とマネージャーの母親はもうミカのことは娘のように容認しているのだった。
ショワワワワ……と火薬が弾けて、白を基調とする色鮮やかな光が駐車場の片隅に咲いては消えた。立ちこめる硝煙の匂いをかぎながら、リツは高揚感につられて声が大きくなる。
「うっわ。手持ち花火なんて、めちゃくちゃ久しぶりだわ」
「私なんか産まれてすぐに……だから。こんな楽しいの初めてだよ」と黒い髪、赤いワンピースの女の子。
「考えてみたら、そうかもしれませんねー」
辺りに漂い、残る硝煙の為せる業か。ぼんやりとした時の狭間にとっぷり浸かるようでいて、またリツが、その空気を切り裂くように言った。
「って——あれ、ちょっと待って?」
そういうと眉根をしかめて、目を細め、周囲をよく観察している。
「ん?」
誰ともなしにリツの顔を見つめる一方で、リツは改めて一人一人の顔に指を差していった。最後までいくと首を傾げて、また最初からさらにテンポをあげて指を振り直す——。ということを二巡ほど連続でしてから、指を止めると、はたと言った。
「今、何人いる?」
「え?」
「ラドンと私入れて、7人のはずでしょ? これ、どう見ても……一人……多くない?」
「私ー、マギー、リッちゃんー、ねーね……」
ミカもリツを倣うようにして、比較的だいぶゆっくりめに指を差していく。
「タマー、ラドン……」
そして、指は黒髪の女の子の手前にいた、半透明の地縛霊の前で止まった。
レイは短い悲鳴をあげた。
地縛霊はニヤリとした。
「ポル子だよ……確かにオバケだけどさ……」
マギが内心安堵しながら突っ込んだ。幾度となく繰り返されてきたお約束のやりとりだった。
手持ち花火の他にもドラゴンやネズミ花火の高速スピンを地べたに屈んで眺めながら、タマがふと漏らすように言う。
「人間って不思議です……どうしてこんな、形にも残らないものを作ったりするのか」
「私かこの子のこと?」とポル子が隣の女の子を指して言う。
「そうじゃなくて……」
「面白そうだって思ったからでしょ」
タマの呟きにミカが答える。
「面白そうだって思わなかったら、誰もやらなかった。でも、やってみたら本当に面白かったから、またなんかないかなー? って次を探しに行った。今もその途中。ずっと途中。落雷で燃える葉っぱを見て、観察して、考えたことときっと同じ。原始の頃からなにも変わってないよ」
「ときどき匙加減間違えますけどね」
「それも人だね。正否じゃないと思うのも、正否にこだわるのも、どっちも私たちの観察の……」
ミカは花火もそこそこに立ち上がると、伸びをした。
「んー。っぱ、花火ってちょっと湿っぽくなっちゃうなー!」
「ちょっと、飲み物でも買ってきますか」とマギも立ち上がる。
「それだ! いこいこ。みんなはお留守番お願い」
「はぁーい」ラドンを含め、六人の声が答えた。
「……で、パイセン、金、持ってんですか?」
ミカは曖昧に微笑み、マギはため息を返したが、ミカの後についていった。
もう日跨ぎに近い時刻で、住宅の灯りも消え、路地は薄暗かった。今日はみんなでミカの家に泊まりだろう。ラドンで帰ることもできるけど、これだけ色々あったあとだと、ミカが寂しがる。
その道の途中に自販機が置いてあった。
街灯の照明よりも強い光が、ぽつんとして置かれた自販機の前面を中心に、その付近を白く、染めている。
ミカは嬉しそうに近寄ると、軽くその表面に手をついてマギを手招きした。
「お、やってんねー。マギ、なに買う?」
「パイセンはー?」マギは隣でショーケースに並んだボトルや缶を眺めながら言った。
「私はー、うーん、オロナミンCで」
「私は……普通にお茶でいいかな。あと、リッちゃん、タマ、レイさん、ラドン……ポル子の分は……けど、一応多めに買っとくか……」
マギが小銭を消化し、自販機は次々と飲み物を排出して、ミカがその場にかがみ込んで回収していく。
ミカの腕がいっぱいになったところで、マギは言った。
「うし。じゃ、行くかー」
「うぃー」
ミカは答えて、元来た道に踵を返した。
——が、すぐに振り向いて言った。
「お互い、お仕事お疲れ様だね。今日はどうだった?」
自販機はなにも答えない。
しかし遅れて、ミカがマギを追おうと振り向きなおしたとき——がこんっと音がした。
ミカが戻って下部の排出口をさらってみると、なんとそこに、一本のオロナミンCが新たに追加されて出てきている。
きんきんに冷やされたオロナミンCの瓶の水滴を手のひらに感じながら、ミカは「にっへっへっ」と嬉しそうに笑うと、マギの後を追いかけていくのだった。
「マギー。当たったー!」
「んー、なにがー?」
「あの子さー、まだまだいけるわー」
マンション前の駐車場に戻ると、そこでは線香花火ロシアンルーレットが行われていた。線香花火の下に手を置いて、火種が落ちる寸前を見計らって手をどかすチキンレースである。この物語はフィクションですし、天使たちは訓練されているので平気だけれど、人間がやると火傷の危険がございますので絶対に真似しないでください。
夏の夜の湿度も相まって、じりじりとした汗がリツやタマ、レイのこめかみを伝った。
「はぁ……はぁ……」
「儚いはずの線香花火が一瞬にして、こんなスリリングな遊びになってしまう……人間の文化って不思議ですっ……」
「あっづ——!」
リツの手の甲に真っ赤な火種が落ちたところで、ミカとマギは戻ってきた。線香花火ロシアンルーレットを楽しむ天使たちを外から眺めていると、ミカはとあることに気づいて、その場に足を止める。
「あれ?」
「ん? どうしたんですか、パイセン」
じっとその場で、俯瞰して眺めるミカの緊張がマギにもにわかに伝わってくる。
「さっきさ、リッちゃん、何人って言ったっけ?」
「え……いや、えーと……7人でしょ? ラドンとポル子含めて……変なこと言わないで」
「8人いるよ」
「……い、いや……あ、あの……パイセン……」
「私、マギ、リッちゃん、ねーね、タマ、ラドン、ポル子に……あの、黒い髪の……」
黒い髪の女の子は線香花火ロシアンルーレットを傍らで屈んで眺めていたが、ふと二人に気付いて、こちらを見た。
その顔は産まれたての赤ん坊のように赤く、そして、そこから成長していないかのように手足はずんぐりとし、幼いままのものだった……。
ミカの腕から飲み物が散乱して落ち、けたたましい物音が響き渡った。
「ほ、ほほほ、本当にいるやん……オバケ!」
マギが悲鳴をあげながらミカにしがみついたのだ。
それもそのはず。
リツの言ったことは本当だった。
八人目の見知らぬ友達が、その場にはいたのだった。
線香花火ロシアンルーレットをやっていると、どこからともなく紛れ込んでくるもう一人のお友達……。
黒い髪の女の子が、あなたの周りに現れる日も、そう遠くはないかもしれない……。
赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたら、数を数えなおしなさい。
ほら。
一人、増えているから。
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