ゾンビですが、それが?

白雛

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第一終『腐ったぼくら』

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 二◯××年——。
 突如として東京を得体の知れないガスが覆った。
 前日から臭い、臭いとネットの某掲示板やSNSなどで話題にあがっていた懸念だが、政府が異例の早さで対応したのは翌日の七月十九日、正午過ぎだった。

 同日。十二時十分過ぎ。
 政府役員ならび気象庁の役員による緊急記者会見としてこのガスに対する見解が発表される。
 しかし、同刻すでに渋谷はパニックだった。
 このガスを浴び続けた人々の一部に腐敗が始まっていたからだ。
 目玉がぽろりと落ちる。全身の皮がずるむけて肉、骨が飛び出す。腹がただれる。爪が取れ、頭髪が薄くなり傘の代わりにカツラが必要になるなどなど。
 瞬く間に東京中のあちこちで死者が相次ぎ、記者会見も即座に中止。一礼を飛ばして壇上にあがってきた秘書の耳打ちに官房長官は二、三頷くや、すぐにカメラに向かって大手を振り、一刻の猶予もないこと、避難を促した。この様子は全国に放映されていた。
 時の総理大臣"一番ヶ瀬いちばんがせ 優太やすとも"を含む重役はすでにヘリによって首都圏から逃亡を図り、難を逃れていた——が、首相官邸で会見を行なっていた政府、気象庁役員ら、記者団を含めた者たちは時すでに遅し。
 その場で皆、死亡した。
 それは人を腐敗させる殺人ガスだった。

 そして、僕こと"堀田 紘一"も当時港区の郊外にある自宅でニュースを見ていた一人。
 映画『わんわん物語(※1)』に出てきたあの黒いおヒゲ犬。スコティッシュ・テリアで愛犬のラッキーは朝から一時も止まずに吠え続け、終いにその目玉をぼとりと垂らした。
「目あったのかよ! お前!」ってばんばんソファを叩いて腹を抱えていた僕もふと冷静になり、そんな場合じゃないのを察すると、慌てて洗面所に駆け込んだ。
 そこで同じように二階からどたばた降りてきた姉の輝代てるよと遭遇。お互い頭をぶつけると共に、輝代の髪がウィッグみたいにズル剥けて、僕は床に落ちたそれを拾いながら戦慄した。
「ね、ねねね、ねーちゃん! これって!」
「私たち! 腐ってってるー?!」
 僕は舌打ちした。
「なんか。……うーん、ぜんぜん違う印象を受けるノリだけど……まぁいいや。よかないよ! 言ってる場合か!」
 姉は先に洗面台の鏡を見ながら、普段白粉おしろいで頬をはたくように自分の頭皮に触れ、切なげな声で呟いた。
「あー……完全にハゲてますやん。ハゲちらかしてますやん、私。年頃(結婚のほう)の乙女が一本余さず抜け……あ、あ、ダメだこれ、さすがにショックデカい。許容できん、もうダメだこれ、救いがない、てか救いっつーより毛が一本もな、あっ、あっ、死ぬしかない」
 そう呟くと、姉はどこからかハンギングロープを取り出し、寝そべるように首を通した。毛の抜けきった頭皮が相まって、その姿はまるで輪っかくぐりをするオットセイかなにかのようだった。
 僕は全身の震えを禁じ得ず、やっとの思いで情けを振り絞って言った。
「ま、まぁ……さすがに已むを得ない事情とはいえ、もうちょっと生きてみようよ、また生えてくるかもしれないし」
「なにわろとんねんきさま」
「弟を前に死ぬなんて言わないでよ。今の姉ちゃんも綺麗だよ」
「頭がな」
 脱毛のショックで廊下の壁にもたれかける等身大◯ッキーのぬいぐるみのようになった輝代は言った。
「ははっ、死ぬ前にボイドさんみたいなスパダリとお付き合いしてみたかった……『僕 × 僕』(※2)のかぐら君みたいな弟とお付き合いしてみたかったなぁ……」
「ボイドさんはまだしも、後半モノホンの弟目の前にして言うことかなぁ……」
「死ぬ前くらい本音言わせてよ……」
「余計傷付くわ。死ぬ寸前まで僕が可哀想じゃん」
「あ! こうちゃん、見て! こうちゃんの首が! もっとすごいことになってるよ!」
 その姉の一言ではたと気がついたのだが、いつのまにか僕の視界は直角を超えて横に折れている。
 どうやら首が腐って、途中から取れかけているのだった。すっかり役目を忘れた頸椎がこんにちはしている。
 輝代は笑いながら指差して言った。
「って、あはは。あ、そっか、こうちゃん~、自分のことだから見られないんだ。可哀想」
「どこ哀れんでんだ、この姉!」
「見てたらちょっと生きる気力湧いてきたかも!」
「最低だよ、この姉! ……ってああああ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
「あー、こうちゃん、もう取っていい? 私、こういうの剥がしたくなるタイプなんだよね」
「やめろや! 人の命をなんだと思っ……て……」
 いや、おかしくね?
 なんで僕は——僕らはまだ……。
「大丈夫大丈夫。ぴって、取っちゃうからね。一瞬一瞬」
「や、め、ろ、やぁ……」
 僕は伸びてくる亡者の手を押しのけながら、鏡の前に立つ。そして見た。
「え、ていうか、え……てか、これ死んでなきゃ——」
 ——なんなん? と言いかけたのをそのまま呑み込んだ。
 首の横に首。
 ありえない方向に僕の顔が垂れ下がっていた。
 それは、戻すにも一瞬躊躇うようなリアリティ、そしてグロさで、触れがたい。戻しがたい。
 大分ショッキングな映像だった。
 しかし、僕はまだ生きている……意識はまだ続いてる。
 触れた瞬間に死ぬとかないよな? 
 僕は言葉の次に生唾を飲み込んでから、思い切って頭を首の上に戻すと、
「ばっしーんっ!」
 次の瞬間はたき落としてきた愚姉の頭をぺちんと叩き返して首を戻し直すと、とにかくなんともなかった。僕の、少なくとも魂とプライドは無事だった。
 続けて先ほどの輝代のように丹念に頬を触りながら、あ、そこの髭剃る用のジェルとってくんない? って頼むくらい自然に言った。
「え? これさ……いつになったら、僕ら死ぬん?」
「死ぬなんて言わないで? 生きろ、ってシシカバにも言われたでしょ?」
「……ならヨンみたいな彼女寄越せよ」
「良い娘ならここにもいるぞぉー!」
 あとでSNSで拾った情報によれば、それはあくまで腐敗だけさせるガスということでただちに魂に関わるものではないぽ・ぽ・ぽ・ぽーんとのこと。
 すなわち、ゾンビ化だけして消え去る超はた迷惑なガスだった。

 ※1
 二◯二六年に実写映画化した。同年、レディ役Lucyちゃん(三歳 ♀)が元でコッカー・スパニエルが世界的大人気犬種に。ジョック役のスコティッシュ・テリアは目が見えにくそうなところがお子様に不満だったらしく、そんな変わらなかった。
 
 ※2
しもべのものもボクのもの』の略。
 幼い頃から男として育てられ、祖父の遺産を継ぎながら僻地に隠居する僕っ子ワケアリ男装令嬢が、一人称ボクのサディスト執事(没落ゆえ上流に復讐心がある。実は……幼い頃に死んだと思われていた血のつながった弟)に嘲られ、弄ばれる日々を送りながら、絆を育む人気恋愛漫画、およびメディアミックスされたアニメ等の作品群。タイトルはしもべとボクをかけている。

 ◇

 僕こと堀田 紘一は夏休み前日の中学に向かっていた。
 友人はおろか、通行人から何から出くわすもの皆腐っていて、街はゴーストタウンさながらの人気ひとけのなさに、時折出くわすのもうーうーうめく腐乱死体という有様だった。
 途中、散歩しているおじいちゃんの連れた柴犬に向かって、「あー! バリイドドッグだ! やーい、バリイドドッグー!」という子供ゾンビの無邪気な声が聞こえた。
 おじいちゃんとアニマルゾンビは「違うから! うちの子はデスジャッカルだから! な?!」「んなこと言われても主人、ワイ、アニマルゾンビですし……」とか言い返していた。
 あの日以来初めての顔合わせということもあって、僕らは顔を見合わすと、朝から互いに指差してバカ笑いした。
「おい、ボッコ! お前、首! 首! 流石にそれはねェべ! ユウ、見て! ボッコの首! 首の皮一枚残ってるっていうけどさー、自分の身体で再現しちゃダメだろ! いた? 史上未だかつてこんなやつ!」
 堀田ほった 紘一こういち。略してボッコ。それが僕のあだ名で、それを呼んだのがサトちんこと甲斐かい 敏志さとし。隣のユウこと峯岸みねぎし勇矢ゆうやと並んで、いつも僕がつるんでる二人だった。
 ユウは、腹からこぼれた腸を裾出しブラウスの上から押さえながら、ひいひい息苦しそうに笑っていた。傍から見ると救急車を呼ぶべきか迷う光景だ。
「人の首が取れそうだからって引きつり笑いするほど笑うなって。おかしいだろ。恐怖しろ。ユウなんかホルモン出ちゃってんじゃん。下半身だらしないにもほどがある」
「なー。これおもしれーんだぜ。ユウ、見せてやれよ」
「お、やる? はいはい、よしきた」
 そう言うと、ユウは鞄からつんと腐臭の漂うカビの生えたライフガードを取り出して(鞄を開けると粉末状のカビが辺りに散らばった)キャップを開けた。
「あれ?」
 が、その勢いで指の肉が削げ落ちて、人差し指の末節骨から基節骨まで剥き出しになってしまったので、仕方なく隣のサトちんにボトルを渡した。
「なんか指おかしいわ。力入んね。サトちん開けて」
「お前、力無さすぎだろ……」
「力ないっていうか、指がないなってるよ。あれ? じゃないよ。気付け、己の異常に」
 サトちんがキャップを開けてライフガードのボトルを渡すと、ユウは勢いよく飲んだ。しかし、胃にも穴が空いているのか、下半身から飲んだばかりのライフガードがだらだらとこぼれてくる。
「ほら、見て! お腹素通りしてこぼれてくの! ガッハッハッ! 飲んでるのに飲めてねえ! 乾く一方っていうね!」
 歯が隙間だらけだから口からも下からも溢れてくる腐ったライフガードをハンカチで拭きながら僕は言った。
「あーあー。別に見せなくていいから。それ、室内でやるなよ? 掃除が大変そう」
「ちょっとだけ胃酸が混じってるみたいなんだよな! くっさ! 草じゃなくて腐っ!」
 んで学校。廊下の端々から「うぅ……あぁうぁうぁあぁ……」とうめき声が聞こえてくる中、下駄箱で踵のつぶれた上履きに履き替えてから、教室へと向かう。
 その矢先、階段の一段目に足をかけたところで、上から突然肉塊が降ってきた。
 肉塊はビチャっと目を背けたくなる音とともに、辺り一面に内臓を飛び散らかし、四肢をバラバラにしながら、パッと顔をあげた。クラスメイトの飯島だった。花が咲くような笑顔で彼は言った。
「びびった?!」
「びびってないよ。がっかりしたよ、うちのクラスの民度に。どうすんの、それ、身体。もう二度と自力で動けないねえ」
「え、あ……運んで——いや、待って!? オレ! 良いこと思いついた!」
「……?」
 飯島は残った上半身を引きずり仰向けに転がると、あんぐり大口を開け広げて、断末魔を演じた。
 眼窩がくぼんで、歯が抜け落ち、顔色は言うまでもなく油粘土色。筋肉が失せて伸び切った舌を唇からだらりと垂らしたその顔は、まさに死相そのもの。生前の僕なら正気じゃいられなかったような圧倒的な迫力に満ちていた。
「ここで、あたかも殺されたかのように。こうやって死体のフリして寝そべってたらパンツ見放題……」
「フリならよかったよねぇ」
 僕は言いながら階段を上がった。
「やっべぇ! 天才か……飯島、お前、天才か!」
「やめときなって。生きてる女の子は通らないんだから」
「腸が漏れてても、オレは女の子だと思う!」
「女の子の死体だと思うな、僕はそれ」
 さて、教室に行くと、やたらに人数が少なかった。いつものちょうど半分くらいで閑散としている。これは例のあの時以来の少なさと見受けられた。
「ボッコー、おっすー」
「あ、加藤さん。これ、みんなどうしたの? 名前を言えない例の流行病ぶりの雰囲気。ちょっと懐かしい」
「え、どうしたのもカビの生えたヨーグルトもなくない? パンデミックじゃん。東京、ロックダウン」
「あーそれは知ってるんだけど、今更じゃない?」
「甘いな、ボッコ」
 加藤さんは人差し指をちっちっちっと振るって言った。
「女子たちはさ、こんなファンデものらない、マツエクもしてない生気のないすっぴん見せられない! 絶対外出れない! っつって、皆ボイコットしてんのよ。クラスLINEでさ、今日行く? 絶対無理! みたいなこと言ってた」
「あー、この期に及んで気にするとこ、そこなんだー。さすが女子ってかんじ」
「あははは。皆、ゾンビになっても中身は乙女だからね」
「正気を保ってると言ったらいいのか、余計に狂ってると言ったらいいのか……。加藤さんは?」
 僕は自分の席に鞄を下ろしながら言うと、加藤さんは斑点がついてブルーチーズみたいな手のひらをひょいひょい煽ぎながら返した。
「私はほら、そんなん全然気にしないっつーか。元々化粧とかもしたことないし! 三年生って何もかも最後じゃん? そんなんで休むのもったいないなーって」
「それ言ったら一年だって、二年だって同じことだよ」
 肌はブルーチーズだし、ちょっと目玉がこぼれ出しかけてはいるものの、中身はいつもの加藤さんだった。友達思いのその実、女っぽさを人一倍気にしている。
「でも……だよね。よかった、加藤さんだけでも来てくれて」
「えっ……」
「だってそれこそしばらく夏休みじゃん。(部活もやってないし、遊ぶの男ばっかだから)なかなか(女子と)会える機会もなくなるし」
「えっ……(トゥンクっ……)」
 メロディアスな曲調のピアノと共に、一面満開のローズマリーが狂い咲いたような雰囲気が満ちた。
「(あれ、なんだろ、この空気……ゾンビ同士の絵面で一番あり得ない曲が流れてる気がする……)」
「あは、あははは! そんなそんな! 元気だけが取り柄だからさー! あははは! 私!」
 言いながら僕の背中を叩いた次の瞬間、加藤さんの腕はべきりと根本から折れながら弾けるように吹き飛んだ。
 それは回転しながら弧を描いて廊下側の壁にべちゃっと叩きつけられると、端の席に座っていた近藤さんの頭の上に落ちて、彼女の首をもついでにはたき落とした。
 近藤さんの頭はごろごろと机の間を転がりながら、僕の足元にあたって止まり、恨みがましく言った。
「もー……加藤ちゃーん……ピタゴラスイッチじゃないんだからさー」
「ごめんごめん! 目、回らなかった?」
「も、めちゃくちゃ回った……吐きそう」
「目っつーか首がな」と僕。
 加藤さんは残った五指でボーリング玉を掴むように近藤さんを持ち上げ、残りの間楽しそうに談笑するのだった。
「はい。お前らー席付けー」
 予鈴が鳴って少しすると、担任の鰐田が頭にびっしりフジツボをつけながら現れ、壇上に立った。その足跡からは冬虫夏草が伸びてくる。まるで腐海で育ったシシカバだった。
「えーお前たちも知ってる通り、日本は政府、国民諸共に腐りきってしまいました。今、難を逃れた上級国民にんげんの奴らが対策を練るふりして必死こいて逃亡の事実を火消ししてるとこだから、人間を見かけたらどんどん噛みつきなさい。今こそ本気出して友達百人作ってやろうぜ! 先生が許可します。あ! 殺害予告は無駄だぞー。俺たちのがとっくに死んでるんだからなー『すてに死んでる奴に言われてもw』とかって煽り返されるぞー」
「先生ー、そんなことより潮の匂いすごーい。高島屋の地下海鮮コーナーのごとしー」
「あぁすまんすまん」
 鰐田は頭をぼりぼりかいてフジツボを払うつもりで、指先の肉と骨をぼろぼろと削ぎ落としながら続けた。
「なんか先生だけフジツボ生えてきちゃって。水死体スタイルなんだよな」
「先生、コーラ飲みすぎなんだよー」
「ダハハ……あ、アレック、お前もカビ生えてるぞー冬虫夏草伸びてきてる。日陰に気をつけろ。油断してるとすぐ……ポワッ、だからなー。免疫やら自浄作用、諸々なくなってるから、カビやら寄生虫やら繁殖し放題だから」
「やっばい、それって、私ら生命の拠り所じゃんー。パオ神秘ー」
 クラスは喝采。朝から賑やかな雰囲気に包まれるのだった。
 一学期の終業式は、そんなこともあって、その実、非常に閑散とした雰囲気の中で行われた。
 加藤さんが言ったように女の子はほとんど顔を出せず、ちらほらと登校しているのは元からそうしたことに気を遣わない系女子と、元から足の臭さで張り合うような男子たち。
 初夏とはいえども温暖化の影響を受けた体育館は異常な蒸し暑さだった。
 加えて、むわっと立ち込める硫黄臭と「うぅ……あぅあぁー……」といううめき声が絶えない中での校長先生の話は最悪だ。中には臭いに耐えきれず吐きだす生徒もいた。僕らの吐瀉物はよく跳ねた。
 酔っ払いが戻したばかりの口を拭うように、顔を覗かせるうじを腕で拭いながら、さとちんが言った。
「あぁあぁ……あちぃ、溶けそう」
「ヤバい。夏ヤバい……これ冗談じゃないからね。我ら、腐敗してんだよ……だから本当に溶ける……肉ジュースになっちゃう……発見されたのが死後三日目くらいの孤独死体になっちゃう」
 サトちんを含め生徒たち、先生の中からも、頭が蒸発し始めるものが出始めて、教頭が進言した。
「校長先生! これはゆるやかに我々の魂に関わる懸案です! お早めに……」 
「まぁ待って、こっから良いとこだから。でね、ウチの家内と来たら、冷蔵庫見てパニック! 『まぁあなた! 見てください! この冷蔵庫壊れてるわ! 買い替えたばかりなのに、食材が全部腐ってしょうがない! 訴えてやるわ!』とか言っちゃってるの。腐ってんのはお前の頭だろって! ガッハッハッ!」
「いいから校長先生、早く! 召されちゃう、我々!」
 終業式が終わって、帰りのHRに向かう道中には、教室まで保たなかった人間ジュースの血溜まりがあちらこちらに出来ていた。僕は心に十字架を切りながら進んだ。
 教室に戻るや、ユウが席について言う。
「ヤバかったなー、こんな欠点があろうとは……ゾンビ系の敵が熱と聖なる光に弱いってこういうことね!」
「あの、ファーーって感覚! 気持ちいいまである。確かに回復はしてるんだよな。俺たちはそれをすると滅びるだけで」
「そんな体感、身をもって知りたくなかったなぁ」
 隣の席を借りて座ったサトちんが、ブラウスの裾をぱたぱたするみたいに、胸元の肉を空けてぱたぱた手で仰ぎながら言った。一ぱたごとに、カビが舞った。
「はい、席についてー」
「先生ー、何人かもう溶けて席につける状態じゃありません」
「じゃあ、席に滴ってー」
「はーい」
 改めて担任の鰐田が教壇に手をつくと、その拍子に鰐田の腕が外れて、ブーメランのように勢いよく回転しつつ、真ん前の席に座っていた坂本のメガネに当たり、坂本の顔の上部がメガネに押されて十センチくらい後ろにズレた。
 坂本は机の下に手を伸ばして、鰐田の腕を拾いながら言った。
「いてて、先生ー。気をつけてくださいよ。脆いんだから。あー水分多くてびちょびちょ……」
 鰐田は坂本から受け取った腕を、外れた関節でも治すように肩にくっつけながら言う。
「あーすまんすまん。まだ生前の癖が抜けなくてなー」
「あははは」
「さて、じゃ早速通知表返していくなー。出席番号順。相田、明石は欠席、阿久津ー。飯島はさっき死体で発見されたな。植野も欠席、榎本はジュース化してるから机に置いとくなー」
 通知表はたちまち榎本の汁で黒く染まった。
「うわ、マジかよ……B三個もあんじゃん、やっべー」
 榎本はべたべたになった通知表を隣の小西に開いてもらって、目玉だけで机の上をころころ転がり、目を見開いて言うのだった。どうやって肉声を発しているのかは誰にもわからない。
「榎本も塾行く?」
「うーん。母ちゃんの仏壇にお願いしてみるわ」
 それから、主だったところで言うとサトちん、加藤さん、と続いて、僕の番。
「堀田は今期頑張ったな」
「ありがとうございます」
 筒がなく通知表授与を済ませて席に戻ると「どうだった?」という目をして、隣のユウの目玉が見上げてくる。
「うん、普通だった」
 その後、僕はユウの通知表を代わりに受け取り、彼の肉汁でべたべたになる前に空中で広げて見せてやった。
「えーと、詳しくは顧問の先生からLINE来てると思うけど、運動系の部活は当面中止だから。夏休みはちょっと退屈するかもしれんけど、たぶん政府から発表とかあると思うから。皆、気長に暮らせよ。間違っても海行くなよー。俺たちが浮くと直ちに事件だからなー。マッポが飛んでくっぞー。じゃ、終わり」
「起立! 出来ない人は目玉! 礼!」
 学級委員の外山さんが欠席だったので、代わりに小西が言って、僕らの一学期は終わった。
 すぐにサトちんが寄ってくる。
「おっし。もう終わりだよ今学期。ゲーセンいく?」
「みっちゃんがレバー握れないよ」
「腹から垂れてんじゃん」
「そのレバーじゃないよ」
「歩いてたら再生すんだろ」
「そうなの?」
「だってゾンビだよ?」
「ゾンビって回復するっけ?」
 そこで加藤さんがやってきた。
「加藤さんも、次は花火大会かな」
「うん。それもいいんだけど、今日さー本当はカラオケで打ち上げとかやる予定あったんだよね。どうすんだろって今、LINE待ってんだけど」
「来ないでしょ」
「……っぽい。えー、夏休みの最初に皆でなんかしたくない?」
「あんま外でないほうがいいんじゃないかな。渋谷とか今どうなってんだろ……」
「行ってみる?」
「あ、言わなきゃよかった」
 渋谷までは徒歩+電車で片道三十分ほどの距離。
 山手線の車内は夏場の名物、親父臭が完全に消え失せ、今では腐敗臭が染み付いている。
 うすうすと僕も感じていることなんだけれど、ここまでの話からもわかると思うけれど、誰もがつまらないことを気にしなくなった。
 なぜなら、みんな、腐ってるから。
 なんといっても、所詮ゾンビだから。
 たぶん生前ならこんな車内、即座に拡散されて炎上していただろう。そこらにいる客の皆が内臓を垂れ流していたり、体内で飼ってるうじを連れて乗車したり、座ったまま召されていたりするのだ。火を見るより明らかだ。
 けど、誰も気にしない。
 それから分かったことがいくつか。
 サトちんが言ったようにこのゾンビ、再生する。
 なぜか死亡直後のような元の状態というのが決まっていて、例えば僕の場合、首が取れそうになってるのは変わらないものの、そこまでは形状をきちんと回復する。
 もう一つ、その死亡の状態が人によって大きく異なる。
 鰐田の水死体のようにぶよぶよの豚みたいに膨らんでしまったものや菌類が繁殖してしまったもの。スタバのコーヒーを両手に持った、全身炭化した男か女かも分からないようなのが「お待たせ~」「もうエリコ、また前後ろ逆で走ってるー。足の向きで気をつけなさいよ」とか言ってたりするのである。
 というより、はっきり言ってバカになった。
『元から日本人なんてこんなものだったよ』
『流石にここまでひどくねぇよ』
 とあるまとめのコメ欄のやりとり。
 ごもっともだった。
 自分の腕や手が簡単にもげて、日射に溶け出す状況で正気でいるほうがよっぽど辛かっただろうから不幸中の幸いと言えるのかもしれない。
 今のところわかるのは、ずっと短絡的で享楽的になったということだった。けれども……僕は思う。
 なんだか、以前より暮らしやすくね? と。





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