拝啓、転生者さま

白雛

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一日目

『私の願い事』

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 探し物は一つ。とにもかくにも飲料水の確保が肝要です。幸い、丘の上から見渡せる正面の森の中程に切れ目があるのを見つけ、もしかしたら……と私はスライムくんに見送られながら、勇気を出して森に踏み入ってみることにしたのでした。
 そういえば先ほどの神殿域にも入ってきませんでした。彼はなかなか怖がりのようです。しかし、それならそれでセンサーになる。私は考えながら、森の奥へと歩を進めました。
 途中拾った石で木の幹に目印をつけつつ、樹脂が滴るものもありましたが今はさておき、何度も何度も後ろを振り返り見ながら、私は少しずつ森の探索範囲を広げていきます。
 木々の立ちこめた森林の内部は昼間でもとても薄暗く、その暗さときたら神殿の周りよりもさらに闇が深いもの。とっさに懐中電灯がほしくなりましたが、もはや詮無い願いです。それに影の広がりから不意打ちの恐怖にも煽られます。
 何かが潜んでいて、私のことを突然襲いかかってくるかもしれない。
 そうです。ここはもう地球ではないのだから。
 法律もない。
 次の瞬間、どんなことが起きても不思議ではありません。
 私の命を守れるのは私だけなのです。どれだけ時間がかかろうと、警戒を強めるに越したことはありませんでした。
 私はじりじりと見えない敵との遭遇に怯え、警戒し、内側からごっそりと体力を削られながら、一歩一歩、されど着実に進んでいきました。
 遠くの物音まで聞こえるように耳を澄ませ、何かあったら即座に対応できるように気を張り詰めながら進むのは、思っていた以上に体力が要って、私は立ち所に森に入ったことを後悔するようになりましたが、ここで戻れば何の成果もないまま一日が終わって、明日にはさらに困窮してしまう。そのことを思えば、疲れたなどと弱音を吐いてはいられません。
 生前から根気と我慢強さには自他共に定評のあった私です。このようなことはむしろ、得意分野と言えました。
 それに全ての行動に責任が伴い、生死に直結するなんて……こんなスリリングな体験、元いた世界では決して味わえなかった感覚です。私は疲れることにさえ、無類の楽しみを見出していたのです。
 さて、そうこうしているうちに、どこまで進んだでしょうか。時間の感覚もないままに私の目の前にはそれなりに深さのある河川が流れていました。丘の上から眺めた目測通り、これらの周囲だけは木が立っておらず、かろうじて開けた空が見透せます。
 しかし、私は安心するどころか、その光景を見てさらに不安を加速させました。
 なんと青々としていたはずの空には赤みが差し、そればかりかすでに藍色に染まりつつあったのです。
 じき夜になる。
 何がいるともしれない森の中で、一晩を過ごすのはあまり得策ではないでしょう。
 できれば暗くなる前には元の丘の上まで戻りたい。ああ、気づけば、私はあの丘の上に自宅のような安心感を求めていたのでした。それにあそこならいざとなればスライムくんもいます。あのフォルム、形状は衝撃を吸収する……きっと盾代わりにはなるでしょう。
 それにバカな私。せっかく水を見つけても、それを汲む手段がまだ見つかっていませんでした。硬い竹やひょうたんのようなものでもあればいいのに、そう都合よく生えているわけもなく。
 仕方なく、私は川の縁に座り込むと、もう恥じらいを捨てました。顔ごと突っ込むと、飲めるだけそこの水を飲みあげ、それから腕や髪、気になっていた箇所にこすりつけ、軽く濯ぐようにし、その時はそれだけで諦め、早々に踵を返すことにしたのでした。
 場所は記憶しました。明日はもっと早い時間に、そして容れ物を見つけてこよう。そのように考え、後ろ髪引かれる思いながら、帰路に着きます。
 行きは良い良い帰りは怖い。なんて、どこで聞いたかも思い出せない文句が浮かびましたが、私は逆のように常々思っています。
 いつも行きの方が怖くて、足取りも重くて辛く、延々と煮湯を飲まされているかのような気分に苛まれるのに、帰りとなるとあっという間。気がつけばもう家に着いているような心地がしたものです。
 そんな風にこの新世界初日の冒険も、帰りは大した距離もなかったように感じられ(無警戒であったかと憂慮すべき点かもしれません)、森の出口もわりとすぐに見つかるのでした。
 私がそうして急ぎ、丘の上に戻る頃には空は真っ赤に沈み、スライムくんが赤みを帯びた暗闇の中に佇んでいました。
 もしかしたら待っていてくれたの?
 私は再び手を伸ばしましたが、スライムくんはまた歯茎を見せて、がちりと一噛み。……まだ距離があるようでしたので、私はコートのフードまで使って頭まですっぽりと全身包まると、横になってからも少し寝たふりをしてみます。
 一応は警戒のため。寝た後に私を食べようとしないかを見計らうためのプラフだったのですが、薄めを開け、スライムくんの様子を確かめると、それも杞憂だと分かりました。
 彼、または彼女は、縦線だった黒目を横線に変え、静かな寝息を立てているようでした。
 今日の発見は、果物の場所と食べられるもの、とりあえず今は食べようとは思わないものに水の場所。
 そして、スライムくんも夜は寝るらしい、ということでした。
 私は改めて目を閉じると、今度は本当に寝につきます。
 しかしここでふと、恐ろしい想像が頭の淵によぎりました。
 これら全てのことが一夜の夢にすぎず、あるいはまだ臨死体験の途中だったりで、次に目を開けてみると、そこは変わらぬ病室の中。血相を変えた父や母に怒られたり、泣かれたり、そんなことになったら、どうしよう……それこそ私は絶望する……。
 お願いします。
 私はそれでも、こっちの世界のほうがいい。
 誰もいない、この世界のほうが。
 臨死ならば現実の私はそのまま息を引き取って。
 私はやっと転生できたのだから。
 残酷で、命に対してとんでもなく非道なことを考えたように思われるかもしれませんが、その時に気付きました。
 ああ、なんということでしょう。
 私の追放や死を一番に願ったのは、他ならない、私自身なのでした。





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