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第十八変『アルメリアとスノードロップ・3』
しおりを挟む皐月が不安げにそう呟いた。
「そうなったら私たちは、私たちを見失いそう……『普通』がわからなくなっちゃうよ……」
「すでに、私たちが言えた義理じゃないかもしれないけどね」
みよちんが軽口を叩くように返すと、皐月は困った顔で即座に返答した。
「だから、私たち、こんなカオスの流出を防ぐために、ミカの羽根探してるんじゃん、みよちん。義理なくないよ。むしろ当事者だよ」
「まぁ、あんまりカオスすぎてもね。何にも驚けなくなっちゃって、逆に面白くなくなりそうだしね。メリハリが大事っていうか、うん、そういうのはあるよね」
すると、珍しいことが起きた。
リツが微笑んだのだ。
彼女は初めて見るような(みよちんは一度その感覚を味わっていたものの)母性的な笑みを見せると、メリナが挟んだ。
「非現実や非日常、カオスってのは普段が『普通』だったり『平穏』、『ありふれたもの』だからこそ成り立つ娯楽にゃメリ。つまんない学校や授業、先生や上司の話、変わらず、退屈な、終わらない日常の光景が、実は、我輩たちの夢や想像力、飽くなき欲求をふくらませる、最高級のスパイスになってるにゃメリ。しかし、そればかりになって、カオスが当たり前になってから『普通』や『平穏』を求め始めても、そう都合よく、元には戻らないにゃメリ。いわゆる技術のはしごもそう。あがったら簡単には戻せないにゃメリ」
見た目はエキゾチック・ショートヘアーのつぶれた顔面ながら、シリアスな口調だった。
「ところがミカのやつときたら、一線を超えて、余計にカオスをまきちらそうとしたにゃメリ。その残りカス、残滓がおみゃーらというわけにゃメリ。余計な仕事を残してってこっちは迷惑してるにゃメリ」
(カミュは、ミカはこの世を陰湿な攻撃性から守ろうとしたって言ってたけど……。立場が変われば、言い方が変わるのも当然だけれど……)
今ここで聞いた話を総合すれば、みよちんとてミカに疑念を抱かないわけではない。そもそもきっと、これは、誰かが正しいとか、間違っているというほど、簡単な話ではないだろう。
「まぁ、ミカ先輩にも考えはあったと思うが、やりすぎたのは事実だからな」とリツがフォローする。
「あのメンヘラに考えなんかあるわけねぇーにゃメリ。あったとしても、どうせロクでもないことにゃメリ」
「おーよしよし」
皐月がまたメリナのなでなでを再開すると、カボが次いで言った。
「私も一度対峙しましたが、彼女は純粋でしたね。しかし、それだけに曲がれない。今の世にまっすぐに生きようとすれば、ああなるのも頷けます」
「まっすぐ……? ってそれはどういう?」
みよちんが眉根をしかめて尋ねると、カボが説明する。
「人の世はそもそもまっすぐになってません。無理なんです。まっすぐになんて歩けるようにはなっていない。なぜなら社会そのものが……そして、社会を構成する人自身がぐねぐねと曲がりくねって、多様に満ち、まっすぐじゃないから。だから、どうしたってぶつかることもあれば、怪我もするし、例え道理に背くことだとわかっていても、時に従い、時に無視して、傍観もし、不正や間違いを甘受もする。それが本来の普通なんです。この社会に生きて、傷付きもせず、悩みもせず、メンヘラにならない人なんていない。生きるってのは綺麗事じゃない。鉄人なんていません。そうして傷つき、間違いもし、自他の別なく人間の悪どさに戸惑い、悩みに立ち止まり、深く考えこんでしまって当然のものなんです」
カボは、なお淡々と続けた。
「しかし、ときどき、それを何の苦もないかのように進める人もいます。こんな混沌だらけの世の中にいながら、なお憂鬱にもならず、平然と人生をこなせている人たち……」
みよちんも、皐月も、カボが何を言いたいかがわかってきた。
それは、あまりに恐ろしい結論だった。
二人の表情を推して察したのだろう。カボは一層たんたんと述べた。
「この曲がった社会すら割り切って『普通に生きられている一般人』こそ、生来からすれば異常なのであり、そんな異常な『普通』を基にして作られているのが現代社会の規則・空気なのだから、正常な感性を持つ人ほど現状に懐疑的になり、上手く生きられないのだ、とは考えられませんか」
しばらく、誰も、なにも答えなかった。
「しかも、現代の日本は多数派支配型民主主義と言われています。最もポピュラーであるこの一般、いわゆる中流層が支配権を強め、少数派の意向を完全に無視している、またはしていい、というような方向性に進んでいる時代なのです。それはそうですよね、民主主義ってつまるところ多数決の制度ですから。ないがしろにされた少数からすれば独裁もいいとこですが、上位数%の富裕層からすれば自分たちが槍玉にあげられないので、この傾向はむしろありがたいこととして黙認されているのが現状なのです」
「……でも! それが人間ってものだよ! むしろこれまでに比べたらずっとマシ。いくら自分のほうが正しく思えたって、自分だけの思い通りになんかならない。しちゃいけない。どんなことであれ、一人のわがままで世界が変わって、それが良いことのはずがないよ!」
皐月が叫んだ。
すぐに自分でも驚いたように、周囲を見回して、縮こまる。
「……それは……それこそ間違いだと思う……」
「皐月……」
リツはみよちんに目を配ったが、みよちんだって知らないことはある。何かが、皐月の逆鱗に触れたのだった。
カボはなおも落ち着き払って続けた。
「左様です。ただ、彼女は、そんな世間の認めうる『普通』が、他者を分別している現状、そして未来を、人の望ましい形として認めなかった。皮肉にも、誰よりも人に純粋さ、可能性、希望……そして、あるいは平等を、求めたがゆえに彼女は、人の社会的には、異端者となったのであり、それが彼女が見出した真理——すなわち『逆』だということです。正義も悪も、仁義も矜持も、人界・世間というフィルターを通すと、逆になるという理です。しょせん物は言い様でしょ? しかし詐欺のような内容であれ、その本質ではなく、言い様や発言者の支持次第でまかり通り、その意識がはびこってしまう現代を揶揄したのかもしれません。マギさんに伺えば、もっと詳しい話が聴けるかもしれませんが」
そして、その戦いの果てにミカは敗北したのだ、ということを思い出して、みよちんは、しかし友人の示した態度とは反対に、ミカの立場に心を痛めた。
それは、兄・美汐と似て非なる、もう一つの悲劇だ。二人は、たぶん、似ている。撃ち落とされた経緯までも。
そのことに関して、みよちんは復讐心やネガティブな感情を抱いたことはなかった。それよりも、彼のことに付随して回る、クラスメイトたちの声のほうがよっぽどうっとうしくて、そんな感情を抱く暇すらみよちんにはなく、ついに爆発、あの決別の日が来たのだった。
みよちんからすれば『普通』の人というのは、そういうものだ。
自分たちが多勢であることに、世間の支持基盤を得ていることに、ただそれだけに優位性を抱いて、安息し、そうやって、少数の特別を、自分たちとは違う人を、殺す。ゾンビにする。悪気もなく。
自分たちは普通。変わってるお前は異常なのだと——それがまるで病気であるかのように思いこませ、後ろ指差すことで。
あまつさえ、そんな自分たちを『陽気』だとか誤謬したりする。まったく違う。むしろ、どう考えたって、そんな同調圧力を強いるほうこそ『陰湿』だろう。
それはさながら侵略のようだ。正当性のない前時代の日陰者たちが、事情を知らない人たちの前で、あたかも正当な継承者であるかのように振る舞い、王子をすげかえるように言葉を取りかえ、内部から腐し、侵略する、そんな、よくある大河ドラマかなにかのようじゃないか。
だから真実を知るミカは、そんな自分自身や、同じような私たちのために、一旦は『普通の人』を滅ぼそうとまでして、今は無理やりにでも成長させようとしているのだろうか?
だとしたら、その『普通』の頂点にいて、あるいは流布し、支持を集めるもの——彼女の最大の敵とは? 果たして、誰だろうか?
それを考えることは、彼女の本当の狙いを見定める最大のカギなんじゃないか?
敵なんじゃないか?
私たちの。
みよちんはそちらに目線を向けずに、皐月を気に掛けた。
私"たち"の?
(…………)
その想いに、向き合えずに、みよちんは額に手をやりたくなる。
何も言わない二人に、さらにカボは皮肉そうに続ける。
「それに、冷静に考えてみれば、やはり、こんな社会に大人しく適応できてる人間たちは、よほどメンヘラでサイコパスじみていると、猫の私から見ても思いますよ。どんな形であれ、それを変えようと抵抗するミカさんなどよりも、ずっと。ずっと歪んでいます」
「でも、戦ったんでしょ? あなたたちは。その、ミカを止めるために」
みよちんは切り返していた。
皐月と同じように、内心、驚いていた。
「……今更なにをいおうが、あなたたちは結局は、そんな大衆の味方をした……。彼女にとっては、それだけだと思いますよ」
複雑な顔で、誰もが、彼女を見返した。
たぶんそれは。
ミカの名誉を守ろうとして、のことだった。
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