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第十六変『混沌の布石と訪問者・5』
しおりを挟む事務所のメインルームに入ってきた黒い羽根の天使は、あわてて泣きついてくる地縛霊を受け止めながら、そこで睨み合う三人を眺めて、即座に状況を把握した。
「……おいおい、初日からこれかよ」
「リツさん……」
みよちんと皐月の二人は、やはり、どちらからともなく半ば救いを求めるように天使の名を呼ぶ。
「喧嘩なら表でやりやがれ、ガキども。ここは仕事場なんだよ」
リツがすげなく返すと、すぐにみよちんは敵意を剥き出しにして対面の陽毬を睨んだ。
次いで、皐月も気まずそうに、陽毬を横目で見た。
陽毬は、背中の異物を隠そうともしない堕天使に目を丸くしていた。
それらを丸めた紙クズみたいに受けていって、リツは、再度みよちんと皐月の二人を見て、尋ねた。
「……友達?」
みよちんがぶんぶんと首を振るより速く、陽毬はリツに近づいていた。その目は背中の羽根に釘付けだった。
思わずリツのほうが一歩後退って言った。
「……っと、物怖じしない奴だな……この羽根が見えないのか?」
「見えてるよ。エンジェルハイロゥは? おねーさん」にべもなく陽毬が答えた。
天使が頭の上に浮かべる輪っかのことだ。
「……ありゃ天使のもんだ。堕天使なんでね、私は。特に、気にもしちゃいないが……」
「ふーん。ほんとに天使なんだ……」
「ねー! ほら、言ったっしょ?!」
言いながら、金太が、大きく膨らんだビニール袋を両手に掲げて、通路から出てくる。
「悪魔のお姉さんといいさー、最近の東京……っつか、世界、なんかおかしくね? と思ってたら、いよいよ物理的に狂い出してんの! ウケるー! だっはっはっ!」
陽毬は、そちらを見向きもしないで、口だけ動かした。
「本物? ねぇ、これ、本物? 触ってみてもいい?」
「気持ち悪い奴だな……」
リツは、奇妙に声色を変えながら、腕をひるがえして言った。
「『ねぇ、君の髪触らせて?』……って、初対面の人間に言われて触らせるやついると思う?」
「デァッハッハッ! それさ、私はぜんぜん気にしねーんだよなー。減んないし、気に入ったんなら、お好きにどうぞー? って感じ。おっぱいでも異性でもそうだよ。嘘だけど。だから、触るね」
金太は陽毬の言い分を指折り数えるようにして首を傾げ、陽毬は有無を言わさず、リツの黒い羽根に触れた。
「すっげぇ……ガチじゃん! ふわっふわ! 匂いは……獣臭くないね。だはは、これも風呂でリンスとかしてるわけ? 笑う……洗うのくっそ大変そうだね」
「天使は汚れねーんだよ」とリツ。
「天人五衰ってやつ?」
「そうだ。汚れるのは天命が尽きる時だ」
「ほー。風呂入んなくていいとか、うらやましすぎ」
「二進法でしか考えられねーのか。趣味で入る」
「タマねーさんの時はそんなハマんなかったのに」
そこで初めて、陽毬は、通路の入り口で突っ立ったままの金太に反応を示した。
「悪魔なんか、翅や角が目に見えねーだけで、そこら中にいんじゃん。今日日、珍しくもない。だけど、天使は違うだろ。こんなのがいるなら、そりゃガチで信じ込めてきちゃうじゃん。かけがえのない命とか、運命とか、生まれてきた意味とか、根拠のない希望ってやつをさ。そうでしょ?」
金太は荷物を手頃な机の上に乗せながら言う。
「ピーマリも大概意味わかんないよなー。結局おっぱい触っていいの? 触っちゃダメなの? どっち?」
今度はリツが、みよちんと皐月の二人に助けを求めるような眼差しを投げた。
「……なんなん、こいつ?」
みよちんは未だ怒り冷めやらない感じでそっぽを向き、皐月は苦々しく微笑んだ。
リツは、陽毬の気配に、内心、軽い目眩すら覚えていた。
この黒ギャル……好奇心の赴くまま、無邪気さを盾に道理を蹴っ飛ばし、己が傲慢をひた突き進む……そのデリカシーもモラルもない無垢そのものの姿は、悪い意味で、ミカを彷彿とさせられる。
久々に嫌な感じだ……リツはそう思い、早めに切り上げようとして言いかけた。
「あのさ、お前ら……」
「ねぇ、記念に一本もらってっていい? 別に何に使うわけでもないんだけど、一本だけ! あ! ごめん、言ってたら抜けちゃったー」
「…………」
リツが、堕天使としての力を解放しかけたそのとき——寸前で、すでに陽毬は手を引いていた。
「はあい。わかったよ。もうしない」陽毬は言った。
降参するかのようなポーズでいながら、指先で盗んだ羽根をくるくると回す。まったくその気のなさそうな軽い口ぶり。
リツは刹那に生じた違和感に余計に目を細めて、陽毬を見た。
「……こわいなー。怒んないでよ、堕天のおねーさん」
「おまえ……」
陽毬は荷解きしていた金太に言う。
「金太くんはまだ仕事?」
「え? あー、どうなんでしょ?」
金太は上目遣いにリツを見た。金太が小さいわけではないが、リツの体格はさらにスマートだ。
リツは、金太に向かって、軽く首を振る。
金太はそれを受けて、陽毬に言った。
「……だって」
「んじゃ、私ら一緒にお暇しよっか」
陽毬は金太を連れて、通路に向かうと、室内に残る三人に声をかけた。
「あ、そうだ。今日はもう帰るけど、代わりに一つ、質問に答えてよ。よみちんは耳塞いどけや」
リツは、冗談にも茶化せないで、それを見ていた。
陽毬は続けた。
「もし明日、この世界が何らかの原因で終わるとしたら、あなたはその一日を何に使いますか?」
「さてね」リツは即答する。
「一日中ドラクエやる。……すげぇ。終わりにして、人生最高の日になんじゃん!」
ポル子が猿のように吠えて、答えていた。
金太のときと同じくそちらは見向きもしないで、陽毬はリツを見たまま言った。
「答えてよ。別に笑いやしないからさー」
リツが陽毬から目を逸らし、周りを見たところ、二人も次々に答え出した。
「私は……本屋行って、続き買って。いつもと変わらないかも」
「実際皐月はそうだったしね」
「みよちんは?」と皐月が横を見る。
「私は……」
「てめーにゃ聞いてねーんだわ。次元の果てまで黙ってろブス」陽毬が挟んだ。
みよちんは舌打ちし、肩をすくめた。
「あっそ」
「私は……見守るね。天使として。人間の行く末を」
陽毬は口を笑みの形にしたまま、じっとリツと皐月の二人を見ていた。
「そっか。まー……そっか。定命のものとは立場も違うしねー?」
「…………」
それが何だ? 浮かんだ疑問をリツは堪えた。マギ先輩なら容易くツッコむところだろうけれど、自分にはその度胸も懐の広さもない。
こういった人種とは、目を合わせない。できるかぎり、関わり合いにならないのが一番だ。何が遺恨になるかも、こちらにはわからないのだ。
ためつすがめつ、二人の顔を覗き込むようにすると、陽毬は、その表情のままで通路を振り返った。そして金太を連れて進み、じめじめとした通路の陰の中で片手を扇いだ。
「じゃあね。ありがとう。楽しかったよ、よみカス以外」
みよちんは鷹のような鋭さで出口を見ていた。
金太の変わらない手振りを最後に、通路の奥でドアが閉まった。
陽毬は二度と振り返らなかった。
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