陽性変異 Vol.2

白雛

文字の大きさ
上 下
33 / 56

第十五変『長い一日の終わりにして、始まりの一日・中』

しおりを挟む




 大量の血液が付着した衣類が残っていることなど、甚だ奇妙なことではあったものの、照宮 天本人に大した怪我はなく、その日のうちに検査だけして、彼女は帰宅していた。
 一方、真太郎(本名、川島 慎太郎)は胸や手足、それから後頭部に裂傷が見られて、近くの大学病院で入院することになっていた。翌朝、午前中に行われた事情聴取でも、だいたい未成年者との不純異性交遊などの余罪についてで終始した。その件に関して、警察は入念に調査を進めたうえで、後日、退院後に改めて逮捕される予定である。
 有名な配信者の不祥事ということもあって、世間も話題にしたが、その内容も専らこの余罪に関して取り上げるのみで、薔薇の花や話に出てくる熊のような大男については別件どころか、そもそも皆忘れたようにして、話にもあがらないのであった。

 さて、ここから時間を前後し、オムニバス的に結果だけを先んじたお話になる。
 まず、照宮 天。彼女は夏休み中もたびたび、世間を騒がせたいくつかの事件に巻き込まれていくことになるのだが、この時の薔薇事件が目に見えて彼女に迫ってきたのは、夏休み明けてからのことであった。
 八月の下旬、彼女が久しぶりに蝦蟇原中学に登校すると、いわゆる偏見の眼差しの洗礼を受けた。あるものは有名配信者とやりまくりなどの根も葉もない噂を信じて後ろ指を差したし、ぼそぼそと彼女を前にあからさまに囁きあったりし、それは仲間内でも同様。
 特に金井 真凜はかねてより真太郎の信者でもあり、その嫉妬の炎は未だ尽きない様子であった。以前のようにすんなりと仲良くいられるわけではない。
 それでも、彼女たちを友達と言えるのか。
 自分はまだ、"みんな"の側にいるのか?
 下駄箱で、みよちん、皐月らと目が合い、天は揺れた。
「私は……」
『どっちでもよくない? そんなの』
 みよちんのなんの変哲もないジト目が、あたかも囁きかけてくるように、天には見えていた。
『私たちといるようになったから友達とか、逆にもうこっちは友達じゃないとか……そんなつまらん友情なら、すっぱり切ったほうがいいとは思うけど』
「みよちん……!」
 みよちんは、表情を変えず、首を傾げた。
 天は、目を輝かせてみよちんを見つめ返すと、一転、意を固めたように麗奈、真凜たちのほうに駆け寄っていく。
「麗奈、真凜ー、おはよー!」
「来たな、この不倫野郎が!」
 と、修羅の角を生やす金井 真凜。倉田 麗奈は、普通に「うぃー。二学期くそだりぃな」という気だるげな挨拶を返した。
「そんなこと言わないでさー、事実無根だし、真凜ー……」
 音が出そうなくらい、歯をがちがちと噛み締めながら、聞いたこともない野太い声で、真凜は言った。
「私たち、もうなかったことにしたいのだが……!」
「そんなこと言わないでさー……」
 どっちの私も、私なんだ……みよちんは、そっちにしかいなくても、私にはそれが両方あるってだけなんだよね!
(待ってて、みよちん。私も大きくなって、みよちんの陰を今度こそ晴らしてみせるから……!)
 天は一人でそう納得して、二学期の学校生活をスタートさせるのだった。
「……ねむ。なんで事の始まりは朝って決まってんだろうね。朝が向かない人の気持ちも考えてほしい……」
「朝はいつも目が死んでるもんね、みよちん」

 他方、入院からしばらくして、怪我も、周囲の動向も落ち着き出した頃、真太郎は一人の面会人と相対していた。
 別の事件に追われるようにして、警察の監視もなくなった時期だった。事件から数日後、すでに彼は一連の事件において重要参考人ではなく、余罪だけの男でしかなかったのだ。
 その隙を見計らったようにして、彼女、荻野 陽毬が、彼の個室に姿を見せた。
 未成年者がらみの不祥事を起こしたとはいえ、健在のカリスマ性を発揮させて、女性看護師の相手をしていた昼下がりである。
 お客様を案内するという口実を得た別の看護師が、内心の浮つき具合を隠した澄まし顔して、入ってくる。
「真太郎さん、面会人ですよ。それも、女の人です」
「あ、そう……誰だろ? もしかしたら、案件かも。とりあえず、一回、席外してもらえますか?」
「えー! 誰、誰? 愛人? まだそんなのがいるのー?」
「いいから。誰だろうが、関係ないだろ」
 そう言って追い立てられた看護師たちの代わりに入ってきたのが、高そうなスーツに身を包んだいかにも出来る女秘書という風な身なりの陽毬だったのだ。
 看護師にせよ、陽毬にせよ、着飾らなければ人の前に出てこられないのかと、真太郎は軽く呆れたが、それは以前の彼も同様だった。
 彼女は、姿勢良く革靴の音を立ててベッドの傍らに来ると、強気な女性がかけそうなルビー色のオーバルを持ち上げて、いかにも、という風に真太郎を見下ろした。
 当然、髪もウィッグで偽装していて、銀髪、インナーブルーといった派手な色ではない。
「……誰かと思ったら」
「ごきげんよう、真太郎くん」
「何しに来たんすか」
 傍らにパイプ椅子を引いてきて、座りながら陽毬は言った。
「連れないなぁ。私がお見舞いに来ちゃいけない? 私と君との仲じゃない」
「……たぶん、外にまだいますよ、彼女たち」
「そんなことを気にする奴がのこのこ現れると思うー?」
 真太郎はうっとうしげに彼女を睨むと、再度、丁重な断りを入れた。
「……何しに来たんすか。悪いけど、あんたのことはもう信用しないと決めたんで」
「でも、何も喋らなかったからさ」
 陽毬は即座に切り返した。
「なぜかな。私はね、それを確かめにきた。君の心変わりのほどをね」
「……あんた、何者?」
 真太郎の問いかけは無視して、陽毬は反対に、こう問いかけた。
「世の中には楽しいことよりも、哀しいことのほうが多いと思いますか?」
「なに、それ」
「答えてよ。私からの最後のお願い」
 陽毬の目は、真太郎をまっすぐに見つめている。
 いつもと変わらない無表情に見える、その中に、かつてないほどの真剣さが隠れている。
「そうだ。哀しいことのほうが多い」
 真太郎は答えた。
「って、以前までの俺なら、そう答えてたかもね」
「へぇ……」
「けど、今は違うな。なんていうか、あんな奴らがいるなら、そうじゃない。逆に、バカみたいに思い込んでもいいって、今は思う」
「……また、騙されても?」
「それでも……」
 真太郎も、陽毬の目を見つめ返して、言った。
「これ以上、俺自身が、俺を嫌いたくないから。自分が騙される分にはいい」
「もし、自分じゃなく、自分の大切にしている誰かが同じ目にあったとしても?」
「……それはもう、別の話だろ。尚のこと、一緒に暗くなってやって、それでどうするよ。そんな時こそ、ダチの俺が引っ張ってやらないで、どうするよ」
 しばらく沈黙。
 時間にして、十秒くらいの間があってから、陽毬は深く呼吸。それから、すこし上を向いて、「そっか」、そう呟いた。
 陽毬は続けてすぐに立ち上がる。
「邪魔したね」
「待て。こっちの番抜かしてる」真太郎は、陽毬の腕を捕まえるように言った。
「ん?」
「俺が飲んだあの薬。あれは……いったいなんだ? まだ治っていない。俺は、いつでもまた、狼男になれるぞ……?」
 ふ、ふ、ふふふ。
 陽毬は、痙攣するような奇妙な笑い方をして、改めて彼を見下ろした。
「君は敵だよ? 教えるわけないじゃん」
「敵って……」
 言葉にしてみると馴染みのないその言葉に、真太郎は戸惑った。
「んー、そうだね」
 しかし、陽毬はふと閃いたように、口元に指を当てて言った。
「だけど、もし君が、これからも黙って私の味方でいてくれるなら、教えてあげてもいいよ。私のことも、その薬のことも、全部」
「な……どういう……」
「どうする?」
 また、長い沈黙が流れる。
 もし……もしも、この女が言うように、今の関係が『敵』と見做されているのだとしたら——……。
 これはもう質問じゃない。尋問だ。
 試している。そして、それを手のひらで弄ぶように、楽しんでいる。
 真太郎は、慎重に、選ぶ必要がある。
(天……!)
 その時、真太郎の頭に浮かんできたのは、あの少女の忘れられない眼差しであり……その瞬間に、なぜだろう、覚悟が決まったような気がした。
 俺に、勇気を与えてくれる……。
「……違うな」
「ん?」
「陽毬。言ったろ? 成功体験が俺を勇者にしたって。だから、好き勝手にしていいんだって。……ぜんぜん違う。そんなものは俺をむしろ臆病な狼野郎にしただけだった」
 陽毬は、黙って、聞いている。
「本当の勇者とか、つまり自信ってのは、そんなんじゃない。今は、力なんてないような弱い奴が、口先だけでも意地はって、今あるどん底の体験に抗おうってその時、その心に正しく宿るんだよ!」
 陽毬は、何も言わない。
 じっと、彼の言葉を受けるように、その目を離さず、見つめていた。泣いているようにすら見える、その眼差しを。
 それはやはり、天から伝染した陽なのだろう。それはまた、別の誰かから伝染して……ミカは、おそらく、これを狙っている。
 陽毬は、そう、受け止めている。
 真太郎は瞬きもせずに、陽毬を見続けて言った。
「いくら試そうと、もう俺は、あんたの思い通りにはならないぜ。答えはノーだ、サイコパス」
「そう」
「例え俺が知れなくても……あいつらが、きっとあんたを追い詰めて暴くだろ」
「そりゃ、」
 陽毬は、口角をあげ、ピエロのような笑みの形を作ると、
「残念だ」
 そう言って、大きく目を見開いた。
 真太郎は、瞬間、鼻から息を吸い込んで、再度目を閉じた。
 そして、天のことを想う。
 本能だろう。
 迫り来る死の恐怖に身体がすこし震える。
 けれど、真太郎に今、後悔はなかった。
 満ち足りてさえいる。
 全部が全部、上手くいったわけじゃなかったが、最後の最後には、自分を嫌わない選択ができた。そんな気がして、やっと、まっさらな素顔で、彼女と向き合える——そう、思って、無垢な少年の寝顔のような、安らかな笑顔を見せたのだった。
 奇しくも、目の前に相対している陽毬と同じように。
 真太郎は、目を閉じたまま、その時を待った。
 しかし、その時は来なかった。
 目を閉じた暗闇の中、かつ、かつ、とまた靴音が響いて、遠ざかっていく。
 驚いた真太郎が目を開けると、陽毬はもうドアに手をかけていた。
「……なんで?」
 思わず、口をついて、言葉が出ていた。これほど自然な発声ができたのは、皮肉にもこれが初めてだったかもしれない。
「ん?」
 陽毬は、あまりにも、いつもと変わらない態度で振り返る。
 真太郎は、打って変わって、今度は口にするにもしがたい、その意見を呑んだ。
 殺されるとばかり思っていた。半ば脱力、ある意味で覚悟を笑われた屈辱、さまざまな疑念をじりじりと沈黙の中に彷徨わせていると、陽毬は事もなげに言った。
「別に、嫌われたくてやってんじゃないからさー、私も」
 陽毬は言うと同時に、メガネを外した。
 その顔を見た真太郎は、次の瞬間には、言葉を失っていた。
 陽毬は、まるでマリアのような慈愛と母性に満ちた笑みを日差しの光の中に浮かべ、
「ばいばい。真太郎。楽しかったよ、陰の君を見てるのは」
 それだけ言い残すと、姿を消した。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

You Could Be Mine ぱーとに【改訂版】

てらだりょう
恋愛
高身長・イケメン・優しくてあたしを溺愛する彼氏はなんだかんだ優しいだんなさまへ進化。 変態度も進化して一筋縄ではいかない新婚生活は甘く・・・はない! 恋人から夫婦になった尊とあたし、そして未来の家族。あたしたちを待つ未来の家族とはいったい?? You Could Be Mine【改訂版】の第2部です。 ↑後半戦になりますので前半戦からご覧いただけるとよりニヤニヤ出来るので是非どうぞ! ※ぱーといちに引き続き昔の作品のため、現在の状況にそぐわない表現などございますが、設定等そのまま使用しているためご理解の上お読みいただけますと幸いです。

鋼なるドラーガ・ノート ~S級パーティーから超絶無能の烙印を押されて追放される賢者、今更やめてくれと言われてももう遅い~

月江堂
ファンタジー
― 後から俺の実力に気付いたところでもう遅い。絶対に辞めないからな ―  “賢者”ドラーガ・ノート。鋼の二つ名で知られる彼がSランク冒険者パーティー、メッツァトルに加入した時、誰もが彼の活躍を期待していた。  だが蓋を開けてみれば彼は無能の極致。強い魔法は使えず、運動神経は鈍くて小動物にすら勝てない。無能なだけならばまだしも味方の足を引っ張って仲間を危機に陥れる始末。  当然パーティーのリーダー“勇者”アルグスは彼に「無能」の烙印を押し、パーティーから追放する非情な決断をするのだが、しかしそこには彼を追い出すことのできない如何ともしがたい事情が存在するのだった。  ドラーガを追放できない理由とは一体何なのか!?  そしてこの賢者はなぜこんなにも無能なのに常に偉そうなのか!?  彼の秘められた実力とは一体何なのか? そもそもそんなもの実在するのか!?  力こそが全てであり、鋼の教えと闇を司る魔が支配する世界。ムカフ島と呼ばれる火山のダンジョンの攻略を通して彼らはやがて大きな陰謀に巻き込まれてゆく。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...