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第十三変『薔薇とパペット・前』
しおりを挟む程なく、と言った通りに、その時は文字通り眼前に迫っていた。
狼男の野蛮で獰猛な口が牙を剥き、私の腕に喰らい付いている。
私は地べたに転がりながら、左手の先を持ち、まるでつっかえ棒にするように狼男との間に構えて、それで、どうにか喰われずにいたが、あらゆる物事が時間の問題のように思われた。
そもそもゾンビの肉を喰らったコイツに時間はないし、どちらが先に喰いつくすかの競争に見えて、私には妙案がある。
これも、文字通り、灰色の脳細胞がもたらしたかのごとき、閃きだった。
橈骨の抜けた左腕は、狼男に噛みつかれる以前から機能していない。が、感覚の上で言えば、それはここ二十四時間ほどずっとそうである。
私はもう痛みを感じない。
なのに、さっきまでは動いて、今は動かない。
認識が噛み合っていないからだ。筋肉だとか、そういうもので、私はすでに動いていないということだ。
このビルに飛び移ったときもそうだった。
ビルの合間の通りは距離、5~6Mはあっただろうか。走り幅跳びの世界記録保持者ならいざ知らず、それを私は、路地を挟んで隣接するビルの屋上から助走をつけて飛び、薔薇の蔓が飛び出したこの部屋に飛び込んできた。通常の、筋肉のなせる技ならば、こうはいかない。
一方で、天のばらまいた薔薇の蔓は、今や枯れ落ちて、茶色く萎れてしまっていたが、それはどこから生えてきたのだろう? どういうふうに神経を走る電気信号、インパルスが伝達して、動いていたのだろう?
そもそも『感染する』とは——?
私の何を通して『感染する』のか。
空間を隔ててなお、自分のものとして、記録が残る部位。
唾液、そして。
ミカの細胞は、私たちの何に溶けこんだのか。
溶け込むとしたら、何に化けるのか。
タマさん。悪魔が吸いだせそうなもの。
私は、その原理に気が付きつつあった。
「どちらにせよ、私の骨に噛みついた、私を喰らったあんたはもうおしまいだ……だけど……だから! その前に試させてもらう!」
「ぐるあががぁぁぁーーーーっ!」
「来い、橈骨!」
私は左腕に噛みつく狼男を前に言い放つ。
すると、狼男の挙動が止まった。
「う……ぐぐおおお……」
苦しみ出した。
私の左腕を離し、悪いものでも食べたみたいに腹を抱えて後退り……、
「うげぇおぼろろろろ……!」
膨らむお腹を貫き、勢いよく飛び出してくる私のばらばらになった橈骨を吐き出した。
それは赤い糸ならぬ、青く、細い菌糸のようなもので、私の左腕に装着され、まるでロボットのロケットアームのように、再びつなぎなおされる。
私は腕をひるがえし、感触を確かめる。
指先まではっきりと動く。完治している。
昨夜と同じだった。
磁石のように私の身体は引き寄せ合う。
切り離すこともできる。
血液の糸によって、自在に操れる肉体。
「パペット・ラース」
何とはなしに、頭の中に響いた名前だった。
「人形の怒り……『パペット・ラース』。私はそう呼ぶことにするよ」
狼男は腹を裂かれてなすすべなく倒れこみ、私は、厨二病全開で格好良く呟いた。
◇
ベッドルームまで戻ると、天が例のお祈りポーズのままで佇み、皐月はその足元で土下座していた。尾っぽ状の下半身は器用にたたんでいる。
彼女の頭上では怒り心頭に発する様子の小天使が、その垂れたこうべに、小さな指を突きつけながら鳴きわめいていた。
ぴーぴぴぴぴ、ぴーぴー! ぴーぴぴぴぴ!
小鳥みたいな声で、何を言っているかはさっぱりだが、これだけはわかった。
「めっちゃ怒られてるやん……」
「あ……みよちん……」
皐月が情けない顔で振り返る。
私はまたしてもボロボロになりながら、その傍らに膝をついて、仲介した。
「……どうしたの?」
「うん。なんかね……『他人の昇天を邪魔するなんて! こんなこと初めてだわ! 自分がいったい何をしているのかわかっているの?! 命日がズレて、参列に遅れたら、天界漏れして困るのはこの子なのよ!』って言ってる」
「言葉がわかるの?」
「あ……それ」
皐月は気がついたように言った。
「じゃあ、みよちんには聞こえないんだ。なんて言ってるように聞こえるの?」
「ぴーぴー鳴いてるようにしか聞こえん」
「そっか。たぶん私、化けの者だからだと思う」
「あー」
「ぴーぴぴ! ぴーぴー、ぴぴーぴ!」
ぴしゃりとまた雷が落ちた。
指を振り乱しながら烈火の如く怒っているところは、担任のミス安達にそっくりだと思った。
「『人が喋ってるときに、何をへらへら話してるの! ちゃんと聞きなさい!』って言ってる」
「うん。今のはなんとなく伝わった」
私は肩をすくめると、次におずおずと挙手した。
「あの……その、仕事もいいのですが、この子は……大切かはともかく……当たり障りのない程度に、友達……かな。友達ではあるんです。連れて行かないというわけにはいきませんか?」
「ぴぴーぴ!」
「『できるわけないでしょ!』」
皐月が通訳した。
「ぴぴーぴぴぴ……ぴぴぴぴ、ぴっぴぴ、ぴーぴぴぴ!」
「『何を言うかと思えば……私たちの仕事は、命日が訪れた人の子らの前に姿を現し、迷いなく天界へ導く、それは誉高いお仕事なの! それをこの子はわけもわからない顔して、邪魔したんだから!』って言ってる」
「あの……でも、こうしてる間にも、遅れが出ているんじゃ……」
小天使の鳴き声がはたと止まった。
そうだ。次は金子さん家のユウキさんのとこに行かなきゃいけないのに……(記帳を取り出して)死因は、ああ、心筋梗塞だわ! もう始まってる! 急がなきゃ!
そんな感じで後ろの二人の小天使と、どうみても気まずそうな目線、小さな囁きあいを交わした。
私はすかさず畳みかける。
「次のお仕事に差し障りが出てしまうのでは……」
「『だから! 本来こんなとこで説教してる場合じゃないのに! どうしましょう? ああ、もう五分も遅れてる……こんなこと初めてだわ!』」
「どうでしょう? 次の機会に回すとかってのは……」
「『えっ……でも……そんなことをしたら! エンマ様が黙っていないわ……』」
「天界漏れしてしまうと、どうなるんです?」
「『この子はもう天界に受け入れ先がなくなって、改めて死亡予定届を提出しても、受理されないかも……つまり、輪廻転生できる保証はなくなるわ』」
「あ、天ならその辺気にしないヤツですから」
「『え、そう……? 輪廻を気にしないなんて……来世がどうなってもいいなんて……そうかしら?』」
小天使のリーダーはそう言うと、顎に手を当てて、押し黙った。
後ろの一人が「ぴーぴ……」、心配そうに何事かを口添えする。「ぴぴー……」小天使リーダーもまた気忙しそうに答えた。
「ぴぴ!」
「『わかりました』」
思い立ったようにそう言うと、小天使のリーダーは光の袂に向かって浮上を始めた。
「ぴーぴ、ぴぴぴぴーぴ、ぴぴっぴぴぴ! ぴぴっぴぴーぴぴ!」
「『ただし、奇跡的に次の機会があったとして、天界に受け入れ先があるとは思わないことね! 私たちだって暇でやってるんじゃないんだから!』」
「はい、はい……言っておきます」
「ぴーぴぴ……ぴぴぴーぴぴぴ、ぴぴぴ……」
「『……まったく。こんなこと初めてだわ。なんて人間たち……』」
太りすぎたチョウチョウバエのような小天使たちは最後まで何か呟きながら帰っていった。
ワープ空間のゲートが閉じるように頭上の発光も止み、辺りには静けさと暗闇と、その中で怪しげな微笑みをたたえて留まる少女の影だけが残った。
私は慌てて言った。
「あ! 天、戻していってないじゃん!」
「私ができるかも」
皐月がすぐに残影の頭上まで飛んで、指圧マッサージをするみたいに頭頂部を両手で押し戻し始めた。空中に留まったままの天の残影が、少しずつ、身体に押し還されていく。
「んー! 相当慌ててたんだね。んー! 死ぬにも手続きとかあって大変なんだなぁ。あと、天ちゃんの魂、重い!」と皐月。
「性格に起因してそう」
私はその間することがないので、降りてくる残影の天の寝顔を見つめていた。
その顔は死体のように青白く、小天使たちの後光もなくなった暗がりにあっては、打って変わって薄気味悪かった。
「ライティングの大切さが伺えるな。ほら、暗いだけで、笑ってるのがゾンビみたいに不気味だもん……」
「あー。光源強すぎてもオバケみたいに浮いて見えるから、その辺やっぱり難しいよね……」
「自撮りするとき、ほんと気をつけたほうがいいな、これ……」
私はついでに崩れた窓際の、瓦礫の陰に身を隠しながら階下を覗いた。
そこは路地裏に面していて、おそらくテレビ局のヘリの白いライトが差して、照明の代わりになっている。
角の向こうには警察車両が集まって規制線を張っているのが見え、規制線を隔てた外側には模型のようなサイズの人がまだ群がっている。
「あんまり見ないほうがいいよ」
静かながら、よく通る声で皐月が言う。
天の残影は半身が埋まっているところだった。
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