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第十一変『陰の胎動と小さなテロリストたち・後』
しおりを挟む皐月はみよちんにメッセージを放つと、現場に向かって、文字通りに飛んでいた。
幽体ならば摩擦を計算に入れず、また建物も無関係に、最短距離を突っ切ることができる。
おかげで、駅前には、自宅から物の十分足らずで到着できた。
現場となったホテルの周囲にはパトカーなどの公用車が集まり、すでに事件を嗅ぎつけた聴衆で溢れかえっていたが、皐月ならばそれも無視できる。
とにかく、事態の把握が先だと思った彼女は、世界的に有名な少年漫画のキャラクターのごとく夜空を駆け、まっすぐ、窓から蔓の飛び出す一室に突っ込んだのだった。
部屋の壁を通過して、室内に入ると、皐月は開口一番に叫んだ。
「天ちゃん!」
「ブアアァァァーーーーーッ!」
矢先。
彼女の目に、まず飛び込んできたのは、薔薇の蔓に侵食され、密林のごとく豹変し荒れ果てたその室内と、部屋の中央で猛り狂う獣の姿。
シベリアンハスキーだ。
皐月は瞬時に、それを思い浮かべた。
シベリアンハスキーが二足で立ち、迫り来る無数の薔薇の蔓と前脚でたわむれている。
皐月にはそのように見えた。
あ、混ざりたい。
ふふふ。かぁいい。
皐月は、子供の頃から、犬で飼うならシベリアンハスキーかアラスカンマラミュートだと決めている。いや、しかし、やっぱり一番はシベリアンハスキーだ。アラスカンマラミュートも素晴らしいが、彼らは丸い。ハンサムっつーより、三枚目の雰囲気になる。色がちがうだけで、ゴールデンレトリバーでもいいのではないかしら? 絵面もぼけ、中身もぼけで、メリハリなくぼけぼけとしてしまう嫌いがある。これは頂けない。対して、シベリアンハスキーはあのしなやかな身体つきをはじめ、毛並み、犬界ナンバーワンのハンサムでクールな顔つきといい、見た目に全振りしてしまったせいか、神の悪戯で、中身はものすっごいポンコツにされてしまったところがたまらない。遊ぶのが大好きで甘ったれ、誰とでも仲良くなれちゃうから、まったく番犬の機能は果たさないとか、あの見た目で野生は微塵も残ってないとか、その不具合まで含めて、極から極に走る、ギャップがやはりたまらないのだ。そのくらいには、皐月はシベリアンハスキーが好きだった。
まったく予想だにしない、あまりにも殺伐とした光景が目に飛び込んできて、一瞬とっぴな妄想の世界に飛び込んでしまう皐月だった。
気を取り直して、犬から頭を切り替えると、部屋を見回す。
一見して、天の姿は見えなかった。
いないし、反応も返ってこない。
しかし部屋は、ひどく、血生臭かったのだ。
いるのだ。
すくなくとも、血を流した誰かが。
それが天だとすれば、霊体のままであっても、彼女とはすでに会話したことがある。天には彼女の姿も見え、声も聴けるはずだ。
皐月はもう一度、室内に向けて叫んだ。
「天っ!」
「……皐月」
天の声がしたのは、自分の真下からだった。
声のした方向に目線を落とすと、自分の透過した身体の下に天はいた。壁際である。そこに寄りかかって、天は座り込んでいる。
負傷しているようだった。
皐月は天に合わせて、身体の重なりを避けつつ、自分の高度を下げる。
「天っ!」
彼女は、深い傷を負っていた。頭から血を流し、ビリビリに破けた白いブラウスの腹には、そこら中に咲く薔薇のように、赤い池が浮かび上がっている。
池は、足元の、絨毯にもひたひたと染みを広げている。
皐月の顔が青ざめた。
どうにか処置したくとも、見たことのないひどい創傷だった。下手に触ることもできない。
「け、怪我してるの……?」
「……平気。みよちんは?」
すがるような目つきで、天は言う。
「みよちんは……いないの?」
「……すぐ来るよ!」
皐月は、空転した意識で、即座にそう返したが、実際はこちらに向かうメッセージを受け取ってもらえたかどうかすら定かではない。
「実体が邪魔で、入ってきにくいだけ! もう下に来てる!」
しかし、こういうとき、そうした不自然さは如実に表層に顕れるもの。天はすぐには会えないことを悟った。
しかし、だ。
嘘を吐こうと吐くまいと、その根っこにある人の好さもまた伝わるもの。天はそれだけでいい気がした。
「そっか……」
天は獣を見た。
薔薇の蔓が、真太郎の動きを懸命に食い止めてくれているが、自身の腕はもう上がらない。
身体の芯にある、なにか大切なものの栓が抜けてしまっているように、力は入らない。
「しまったなぁ……口ほどにもないや、私……真太郎にも報いてやれないなんて……」
「天! 喋らないほうがいいと思う!」
「皐月……ごめんね」
その目は、皐月を見ていない。
ただ茫漠と、中空を見ながら、天は続けた。
「昼間……私、あなたに嫉妬して——」
「わかってるから! 昼間もさんざん聞いた! だから……」
天は微笑んだ。
「——どっちも、所詮、届きようのない好きなのにね」
その手には。
腕には。
指には。
もう力が入っていない。
「バカだな、私……」
眠りにつくように、そう言って、目を閉じる。
それは、皐月のトラウマを呼び起こすに十分な光景だった。
(いやだ……いや……)
離れゆく魂ごとその手を捕まえようにも、その手は透けている。
落ちる天の手のひらを、皐月は受け止めることさえできないで、見ているしかないのだった。
(あ……)
皐月が頭を抱える。
発狂しかけたその時だった。
ばりーん。ばりばり、がっしゃーん。
皐月は振り返った。
再度、ガラスがぶち破られる音が、室内にけたたましく響く。
砕けた破片は室内に降り注ぐ。薔薇の蔓が飛び出したのではない。——ものすごい勢いで、何かが、飛び込んできたのだった。
それは黒い淫靡なカーテンに包まって室内を転がり、ゆっくりと立ち上がる。
皐月が呆然として見ていると、それはうごめき、やがてカーテンを振り払って、その姿を月明かりの発光のもとにさらけ出した。
みよちんだった。
頭頂部にでかいガラスが突き刺さったみよちんだった。
皐月は再度、卒倒しかけた。
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