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第九変『リッちゃんのアホ事務所とジェノサイド・フォー・ザ・ピーポー・後』
しおりを挟むクロ提督やミゼ卿の身元は、ともかく天使たちに任されることになった。
「私らっても、一枚岩じゃないんだ。簡単に三つの組織で協働してる」
春に起きたミカの天変地異には、三つの組織の末端が関わっていた。
警視総監本人と、週刊ブンシュメンの記者が二人、天使・悪魔同盟。そこから派生して、ミカの羽根管理計画もこの三つの組織が秘密裏に受け持つことになった。
んで、今回クロ提督とミゼ卿は言うに及ばず、どちらも元は虫とはいえヒトとしての受肉を果たしてしまった以上、身元があったほうが何かと都合がいい。
そこで今晩はブンシュメン(あのちゃんの組合)のほうで預かり、翌日以降、警視庁に赴き、そこで処遇を検討するという話だった。
難しくて、つまらない話終わり。
私たち中学生コンビは、とりあえず、ようやくの下校となった。
長い一日だ……。まだ昨日死んでから、二十四時間と経過していないことが信じられずに、けれど問題の面子がそろっていなくなると、急に寂しくも感じられた。
いつもの、それこそ珍しくもない、毎日見ていたはずの通学路が、まるで遠い過去の世界のように見えた。
それだけだと、夢でも見ていたような気にさせられるような……プールのあとの授業中みたいな、魂が体内の水分ごと気化していくような、センチメンタルな気分。
けれども、どちらも現実だ。
とりあえず、今は平和になった。それだけのこと。明日からのことを考えれば、また期待と不安が交互に胸中に訪れて、それがまた二十四時間後には現実になってるだけ。
そう、期待だ。
散らばったミカの羽根探しは、楽しみでもある。
そんな期待があるだけ、私はずっとマシだろう。
「ねぇ、みよちん」
「ん?」
「何を考えてますか?」
付き合いたての恋人みたいな口ぶりだった。
「うーん。珍しい」
「珍しい?」
「皐月が、そんなことを気にするのが」
私は少し先を歩いて、振り返る。
「どうした? 皐月こそ日和ってる?」
「……みよちんは、怖くないの? おかしいとは思わない?」
「なにが?」
「なにかが。」
皐月はまるで小学生みたいにブラウスの裾のあたりを両手で握りしめるようにしていた。
「誰の言うことも信用できないよ」
「……それは、そうだけど」
「これはなに? 私たち、何をさせられているの? 何を、させられようとしているの? ミカに。ミカって……それは、誰?」
確かに、皐月の言う通りだ。
昨夜から始まった千変の、今日は、ほんの一角に過ぎないのだろう。そのうちでさえ、すでに、私たちは幾度となく命拾いのようなことを超えて、ここにいる。
明日も、同じように上手くいく。その次も、また次も、上手くいき続けるとは限らないし、上手くいかなかったらその時は、どうなるのだろう?
「カミュ」
私がその名を呼ぶと、またぽんっと、爆ぜて、小さな天使が指先に姿を現した。
「聞いてたでしょ。どうなの?」
「といって、私が真実とも限らないし、それを信じるも信じないも、あんたたち次第でしょ? 無意味だわ」
「ミカに会えるのが一番早い」
「会って、話を聞きたいのはある」
皐月と私、交互に言った。
カミュは腰に両手を当てて、
「……それなら、自分の胸に聞いてみなさいよ。忘れてない? 私が羽根なのと同様に、あなた達だってもう、ミカの一部なのよ」
「これは、消せないの?」と皐月。
「消したら、あんた達がどうなるか。あえて私の口から言わなくても考えたでしょ。この数十時間のうちにでも」
「……じゃあ、やっぱり」と今度は私。
「まぁ。そういうことね……。複雑ではあるでしょうけど、あなた達はもはやミカの加護なくしては生きられない。消した瞬間に、元の死体に戻ってしまうわ」
カミュは「でもね」と続ける。
どこか励ますような口調だった。
「普通に生きてたって結局、同じことよ。生き物はみな生かされている。二人分のイスは一つとしてなく、誰しも他者からそこに座る権利を奪い、勝ち取り、大なり小なり、その恩恵を譲ってもらいながら生きている。みな、それに後ろめたさを覚えながらね。どうして?」
「……どう、して?」
「そう。それなのに、あなた達は、どうして人生を続けているの?」
間があった。
答えは、出ない。
カミュは続けた。
「理由なんてないかもね。今日が続くから、明日も続けるだけ。だけど、続かなくなったときのことを、今から考えても仕方がないとは思わない? 今更だわ、そんなの」
「確かに」
「…………」
「だから、せめて、私は……」
「その瞬間まで、自ら死なずに生きてやる。それでいいじゃない? もちろん——二人の考えていることも私は知っている」
カミュの配慮に、心がざわついた。
そりゃ考えてみれば、頭の中にいるのだ。なんだって知っているのだろう。
皐月のことも、私のことも。
「それで、思うところがあるのもね」
「……私は」
皐月は哀しげに目を細めていた。
声が震えている。
今にも、泣きそうだった。
「皐月。戸惑うのもわかるわ。それで信じないとしても、誰もあなたを責めないし、ミカは羽根を返せとも言わないから。ゆっくり、考えるといいわ」
滲み出したばかりの目尻を拭いながら、皐月は言う。
「ほんとうに、楽しみたいだけなんだね……」
「そうよ。少なくとも、あんた達にそんな顔させるためじゃない。それだけは真実よ。そこに、テイクがなくて気味が悪い。というのなら、すこしでも元気に、陽気になってみることね。それがお姉さまの望みなのだから」
それで、私自身の至らなさにも気付く。
私がノリノリなので、皐月も言いにくかったのかもしれない。
「ごめん……皐月。私……」
「ううん……」
「でも、そうだよ。もし皐月が嫌なら、私だけでもいいよ?」
「ううん。……でも、一回、整理したくて。後悔しないように」
「そうだね」
皐月の惑いは、私にはない感情だった。
その代わりに私にあるもの。
それが私たちの齟齬をもたらしているのだろうと思う。
帰宅すると、私は何食わぬ顔で家の玄関をあがり、一階の居間に顔だけ出して、すぐに部屋に閉じこもろうとして、
「美操」
母に捕まった。
イエス、マジェスティ。そう言うような凍りついた心持ちで私は振り返る。
「なに」
「お兄ちゃんに顔見せた?」
「してないけど」
「あんた、昨日もしてないでしょ」
「……わかった」
これ以上その口がなにか言う前に、私は有無を言わずに従うことにする。
しかし、こんな形だけの礼に何の意味があるのだろう。
私は人形のように仏間にあがり、兄の位牌に線香を添える。それから、おりんを鳴らし、手を合わせて祈るポーズをするのだった。
写真の中の青年に向かって。
◇
ダイニングでもくもくと食事を済ませていると、母が神経質そうに言った。
「あなた、すこし音量下げてくれない?」
「んー」
「音量。音」
母の声が聞こえているのかいないのか、父は部屋の反対側にあるリビングで、ソファに寝転がってテレビと話している。
「……こんなの現実にあるわけねぇじゃん。ギャハハ」
テレビの音に負けないくらいの大きな声で笑う。
「…………」私はもくもくと食事を済ませている。
「あ、この子! ……美操ー。知ってる? この子。なんだっけ。ほら。アイドルグループの」
「興味がない」
「先輩がヤクザの偉い人でさー。この前、飲み会に行ったら、この子が友達と来てて、一緒に食事しちゃったよ」
「へぇーすごいね」
「やっぱ、そうやって仕事もらってんだよな。アイドルなんてみんなヤクザのカキタレだからな」
頭の中でカミュが吐きそうなうめき声をあげた。
(……毒だわ)
(言わずもがな)
(よくご飯が食べれるわね。味がするの?)
(慣れたよ。こんなのはただの栄養摂取の時間だよ)
(考えられないわ……)
私は無感情に食事を終えると、キッチンを回って、台所で食器を片付けに入る。母が遅れて食器を持ってきて、その追加分も一緒にして洗っていく。
こういう作業は嫌いじゃない。
「昔だったら考えられないね! 今の奴らってどいつもこいつも弱くてさー。春に来た新卒なんて、俺が一発怒鳴ったら、それで来なくなっちゃって……」
やかましい男の声さえなけりゃ。
父はああしていつも一人でテレビと会話し続ける。
母は母で、何が言いたげな顔していつもむくれながら、姉妹に、その大小さまざまの子供たちと、スマホでやりとりしている。
この国の一見してうつくしいだけの秩序なぞ、ハリボテを剥がして中を覗けば、その実態はこんなものだった。
不完全な社会に見落とされた不完全な大人が子供を作って産んで、不完全な家族を育てて、学校という不完全な大人たちの支配下に放逐する。
できあがるのは不完全で壊れた子供たち。
悪の華だって、土壌がよければ白くなるのだ。
そもそもの土壌が腐ったものでできているから、咲く花もまた黒い悪徳に染まるだけのこと。
私など暴力を振られないだけ、犯されたりしてないだけまだマシなのだ。そんな家庭だって、この国にはごまんとある。どういうわけか、善人の優しい視界は通り過ぎてしまっているだけのこと。
さもなければ、売春がこんなに蔓延っているわけもない。
あなたの近所の駅前だって、今日だって、きっとそんな鼻をつまみたくなるようなやりとりは行われている。
秩序なんか、天使がカオスで満たすまでもなく、この国には、すでに、あってないようなものなのだ。
その中で兄は……。
写真の中のお兄ちゃん。
映像の中のお兄ちゃん。
蘇るのは、輝く姿ばかりだった。
兄は、人並外れたアホであり、陽キャだった。
そう、思えば兄は、光になろうとしていたのだった。
(いまやガチの光になっちゃったけどね……)
(むなしいわ……)とカミュ。
(でも兄ちゃんは、やれるだけのことはやったんだよ。だから、あの人的には不満もないんじゃないかと、今は思ってる)
だから別に、今更、私から位牌に捧げるものも取り立ててない。むしろ、
『へい、どうした。美操。オレが死んでもうどれくらいだ? いつまでしょげてんだよ、初めてのおつかいかよ……しょうがねーな。こ、今夜だけなんだからね、胸貸すの……。さぁ、飛び込んでこい』
『そんなふうに言われて飛び込みたくなるやついる? いらないし』
『何気ない妹の一言が、健気な兄の心を傷つけた……死のう。もう死んでるんですけどね! でへへー』
お空の上からでも、元気な頃は、こんなふうに返してきそうな人だったのだ。
私がゾンビになったと報告したところで『勿体無いだろ!』『そんなことに時間使うくらいなら、その力の使い途考えろや。金と金とか金になりそうなやつ!』とか、言ったに違いない。
(ぽっかり穴が空いたのはそうだけど……)
でも、形式にこだわる両親の前では、どんな言葉も無意味だから、遣る瀬がない。
(ダルいこと考えてないで……そうだ。ドラクエの予習しとかなきゃ……)
そう思って洗い物を済ませ、キッチンから出てきたところだった。父の声が一際大きく響く。
「お。は? なんだ、こりゃ。おい! 見て!」
父はいきりたつようにして、テレビを指差していた。
そのやかましい声で潰れてしまっているが、臨時の原稿を読み上げるキャスターの声もかろうじて聞き取れた。
『えー。今……ご覧頂けますでしょうか……現場上空からの映像です……』
私は刮目する。
どこか見覚えのある建物の並びだった。
しかし郊外とはいえ、ここも東京の一角。すこし足を伸ばすだけで都心に出られる。朝夕のニュースやインタビュー、飲食やその他リポート系VTRなんかで、近場が映ることは決して珍しくない。
だが、今は。
そこに極めて異様なものが一緒に映っていた。
放送事故のようにさえ思った。
三次元の映像に、突如、クレヨンでなぐり描きされた子どものラクガキを差し込んだように。
駅前に林立するビル。
その窓から、巨大な薔薇の蔓が、這い出していたのだ。
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