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第八変『黒い髪のメジェドとサラリーマンの手刀・後』
しおりを挟む黒い髪のメジェドみたいな子。あのちゃん。
彼女は男性受けは良いだろうなと思っていると、
「いーーーやーーーーだーーーーーっ!」
他方、校舎の際からは、そんな嘆き声が聞こえてくる。
あのちゃんとサラリーマンの手刀のことで、すっかり忘れていた。
「いやだいやだいやだ! 子守めんどい! 中学生と書いて一番めんどいと読む! 一番気ィ遣うし、一番気持ちが休まらない! いーーーやーーーだーーーっ!」
現れた当初は気取ってたのが嘘みたいだったけれど、大人なんてそんなものかもしれない……いや、ないか。
ともかく、ガキクソバンギャ天使は、よっぽどガキクソじみた駄々を続けているのだった。
対する悪魔のタマお姉さんは、後輩であるらしいにも関わらず、ずっと大人っぽく宥めている様子……うーん、どちらが悪魔かわからないな、大人なんてそんなものかもな、うんうん……なんて考えていた矢先、彼女の囁き声も耳に入ってくる。
「でも、待ってください、リツさん。自ら進んで監視下に入る……考えようによってはド変態ですよ。前からほしがってたじゃないですか、ド変態のペット」
「…………」
私は真一文字に口を閉じて押し黙る。これがチャットなら、私は即座にうーん? の顔文字を打ち返しただろう。
黒い翼の天使のリツさんは身を乗り出して訴えた。
「助手な! 私がほしいのは、原則として、私の言うことに二つ返事で快く応えることのでき、何も言わずとも私の思う通りに賢く動いてくれ、適宜コーヒーを淹れてくれて、肩と足を揉んでくれて、炊事・洗濯・掃除もし、ときどき励ましにも来てくれる、有能で経験豊富な……」
「あれ、私、なにか間違ってるかな」
「さ◯子、地縛霊だけで胃が裂けそうなくらいお腹いっぱいなのに、コ◯ナまで預かれって?! いったい、なぜ?! 私の何がそうさせるの?! 私の何を試そうとしてんの?! 教えて! 改善するから!」
「幼気な中学生になんて例えを……」とタマさん。
リツさんは、はっきりと私を指さして言った。
「……歩くコ◯ナだろうが! どう考えても……!」
「コ◯ナよりよっぽど危険ですよ。歩く原発です」
二人はこの世のものとは思えない醜い言い合いを続けていたが、トータルで一番ひどいこと言ってるのは、たぶんタマさんのほうだった。
やがて問答が終結を見たらしく、
「……悪魔だもんな! この人、見た目はおとなしそうに見えて、やっぱ見た目通りの悪魔だもんな!」
リツさんはしきりに首を傾げて、奇遇にも今の私とまるで同じ所感を口にしながら、こちらに向かってくる。
タマさんは膝を折って私の顔を覗き込む、姉なるものの仕草で言うのだった。しかし今はもはや、お姉さんの真似をした、サイコパスのフリにしか見えない。
「ごめんね。私はもう妹たちの世話でいっぱいなの。だから、ほうしゃ……ううん、みよちゃんは、遊びに行くならリツさんのところでお願いね」
「ううん、じゃないが。そんな白々しい避け方ある?」
とリツさん。私は、まぁそれならそれで別に構わん、と気にせず返した。
「……遊びじゃないけど、それじゃ仕方ないですね。ていうか、妹いるんですね」
「うん。下に三人も」
「気付けー気付けー……れっきとした悪魔だぞー、そいつは。いかにも優しいお姉さんの姿を借りたー」
「はぁ……」
縁の切れない元カレみたいな呪詛を唱えるリツの背後で、体育座りをしていた天があからさまなため息をついて、立ち上がった。
すっかり忘れていた二号だった。三号は寝たきりのミゼ卿。
空から落ちてきたタマさんに捕まっていたところを鑑みれば、照宮 天もなんやかんやで巻き込まれたか、さもなくば……私や皐月、クロ提督らと同じような当事者の一人なのだろう。ていうか、十中八九、こいつが薔薇なんだろう。
彼女はしかし、スマホを見ながら、黒紅の横髪を払って言った。
「……もういいですか? 私、いいかげん、友達、待たせてるんで……」
いかにも部外者面をしたい、無関係を装いたいようだったが、タマさんが飛ぶ鳥を撃ち落とすような速度で言い返した。
「は? 何言ってるんですか。この妄想犯罪者が」
天が声にならない、引きつり笑いに酷似した悲鳴をあげた。
私は皐月と顔を見合わせた。皐月は複雑そうな表情を返した。
「妄想……?」
「ちょっ……! あっ……あっ! 待って、タマさん!」
天は慌ててタマさんに取りすがった。
「待ちません。この人は、鴨長明の序文を借りて、これからはミカの羽根を持った者、すなわちZの時代が来る——なんてありがちな妄想を浮かべ、あまつさえ教師に語ってしまったんです」
「え……?」
私は、薔薇とばかり思っていたところ、一息には解しえない黒歴史の暴露がきて、やっぱり咀嚼できずに疑問符を浮かべた。
タマさんは平然と続けた。
「ミカさんですよ? そんなありがちで、陰が好きそうな展開、始まるわけないじゃないですか。にわかのくせにわかった気になって、勝手な妄想を垂れ流し、古参を怒らせた罪で逮捕です」
「え、そんなXオタの闘争みたいな罪状で?」
私はますます当惑して言った。
「かわいそうに。何の罪もないメガネの女性教職員さんは、教え子がこんなんになってしまったことを非常に困惑しておられました……」
(たぶん、佐智子先生だ……)
「あれ? テロ等妄想罪じゃなかった?」
とはリツさんだった。すぐにタマさんが切り返す。
「余罪です。とにかくわた……いえ、古参を怒らせたのは罪深い。実刑は免られません」
「はぁ……(なるほど?)」
ここにも熱烈なミカファンが一人いたというわけだ。
これはしかし、もしものときのため、有益な情報かもしれない。頭の中にメモする。
「ま、待ってください!」
嬉しそうにも見える複雑な表情で天は喚き立てた。こいつこそリツさんの求める人材ではないだろうか、と思ってリツさんに目配せしてみると、彼女は肩をすくめる代わりとばかり、口を斜めに曲げて返してくる。
天は強気に言い返した。
「じゃあ、みよちんと皐月は? 二人の罪は?!」
「彼女たちが仕掛けたのは私たちですから。私たちが強ければ問題にならない。つまり、事件になりません。が、あなたは違う。その力を誰に向けたんです? その罪!」
「その罪!」
「その罪っ!」
「その罪っ!」
ガイコツたちが自前の骨を鳴らして、天を取り囲み、女王であるタマさんに続いた。原住民の儀式のようだ。
「あぁ……そんなぁ……」
(わかるようで……わからない……いや、わかってはいけないような理屈……)
タマさんは先立ってこう言った。
『私たちは人間じゃないから、そこまで堅苦しくはありません』
しかし、"堅苦しくない"……融通が利くというのは、それだけ各々の裁量で左右されるということ。すなわち、その場の力ある者の胸先三寸に支配され、ひどく、独裁に走りやすい危うさがある。
それが良識あるものの手に委ねられれば、独裁はむしろ歓迎すべきかもしれない。だが、人類の生の歴史は決してそうはならなかったことを、刻々と綴りつづけてきた。
だから人は、たとえその秩序に多少の息苦しさを覚えようとも、公平性のある民主主義を選んだはずなのだ。
私もその公平性に息苦しさを覚えるあまりに不平不満をもらす一人ではあるが……。
哀れ。照宮 天はそうして、カオスの持つ独裁性の、私の見る、最初の犠牲者となった。
「…………」
天に手錠がかけられ、ガイコツたちに連行されていくのを眺めながら、こんな世界ではますます媚び売りと奴隷の殉教が流行るに違いない、これではダメだ、歴史の愚を繰り返すだけである。
私自身は、たとえそのような事態になったとしても良識を決して忘れまい……と肝に銘じ、天の冥福を心より祈り、陰ながら黙祷を捧げる所存だった。
「そんなぁ……これから夏休み始めの打ち上げで、カラオケだったのにぃ……」
天のもらした一言で、ガイコツの群れが止まるまでは。
「カラオケ?」
「そうなんです……もうずっと、まだー? まだー? ってLINE来てる……いい加減、行かないと怪しまれます……」
「…………」
長いようで短い一時の間が確かにあって、それからタマさんはこほんと喉を鳴らして言った。
「初めて聞きました。なんですか、そのカラオケというのは?」
「は? え……?」
「リツさん。これはもしかしたらZの妄想犯罪者を吊し上げるいい機会になるかもしれません」
「何言ってんだお前。さっきから」
リツさんのほうがだんだんと良識があるように見えてきた。
「……いや、待てよ」
しかしそれもほんの一瞬のことで。その口元がニヤリとするのを私は見逃さない。
私は嘆きながら、このときこそ委細を飲み込んだ。
こいつらは……もはや、こいつらと言ってしまうが……暇を持て余したOLのごとき、やる気のない神々だったのだ。
羽根の管理をしたいとは口ばかりで、要は事なかれ……今のままでいい、というような思考停止の産物。
カミュは言った。ミカは享楽主義じゃないと。
その意味がようやく腑に落ちた。少なくとも、彼女は善きにしろ悪しきにしろ、変化をもたらすことで、時計の針を進めようとしている。
一方、こいつらこそ、仕事をしているフリをしているその実、娯楽を貪り、真実に近づこうとはしない……真の享楽主義だ。
ミカは、だからこの人たちと戦った?
「……どこで得たかは知らないが、タマ」
「はい」
「その情報、あながち間違っていないかもしれない」
「何言ってんですか、あんたら」
我慢できずに私が挟んでしまった。
「そ、そうですよね! 私、人間界に来てまだ日も浅いから、ずっと興味が……いえ。人間たちの実態を知るにこれ以上ないチャンスと見て、この罪人を一旦、泳がせる提案をします」
「だが、決して監視を怠るなよ」
「はい。タマ、つつしんで、カラオケに行ってまいります!」
単にミカ同様、どこかアホなだけかもしれない。私が肩に力を入れすぎている。まだ、頭が固い。
カラオケの四文字に目を爛々と輝かせて悪魔が微笑むそばで、ミゼ卿の気がついた。
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