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第七変『発覚/世界を滅ぼせる少女 ・前』
しおりを挟む〈天使たちの小話のコーナー〉
「先生……私、おっぱいがしたいです」
「おっぱいはするもんじゃねーです。終わり」
「では先生にとって、おっぱいとは——」
「……盛るものです」
「盛らなくても、私はあります」
マギは静かにミ—の頬をぶん殴るのだった。
◇
ビームの時点でそうだけど、もう非現実がどうとかってレベルじゃなかった。
「『地獄の門』——」
悪魔の女が、何やら呪文めいたものを口ずさむ。
すると、魔法陣もなく、辺り一帯に不穏な洞穴がいくつも開き、無数のガイコツたちがぞくぞくと姿を現すではないか。
中には、死神ではないだろうか? と思われるような、大鎌を持ち、頭からローブをかぶったガイコツ・リーダーもいる。
それが、ざっと十体~十五体は出てきた。
ある朝の東京ビッグサイトのごとく、あれよあれよという間に、皐月は、その群れに包囲されていた。
ミゼ卿は一撃でやられた。クロ提督は健在だが、ビームを防ぐ手立てはもうないし、天使は自由に動ける。悪魔本人も来る。その上でガイコツに囲まれている。
皐月はもう動かなかった——否。動けないのだ。
いつもの浮世離れした感じとは違う。
まるでガラス細工みたいに蒼白な表情が全部を物語っていて、その時こそ私の脳裏にはオールバックという髪型と、あのリコーダーの音色が思い浮かんだ。
ぴ! ぽ、ぴぽぽ、ぴぽぽ、ぴぽぽぽ……。
何をふざけているんだと思われるかもしれないが、人間、まさに万策尽きた、というような本当に何も打つ手のない絶望的な状況に立たされると、こうなることがある。
一種の防衛本能かもしれない。アドレナリンがフルパワーで現実逃避を行う。目の前にあるものから受けたダメージを脳が全力で中和しようと試みた結果、それだけ妄想もまたとっぴなものになる。
少なくとも、私はそういう性癖だった。お心当たりのある方もそれなり以上にいるのではないかと思う。
状況や因果に対する文句が、心の口をついて出てくるうちは、まだ本当に絶望的な状況でも、恐怖でもない。
死ぬときもきっとそう。
肉体がすでに壊れているから、そうなるのか。詳しい前後関係はわからない。が、私たちが見える分には、肉体に現れるより、まずおつむのほうから狂い出す。
頭からおかしくなって、それで、どうにかこうにか怖いはずの、逃げ出したいはずの、どうしようもない観測、目の前に迫る確実な死の運命を、なるべく苦しまずに迎え入れようとするのだ。
お手上げであった。
これはしようがない。
終わったわ。
私は狂ったように笑った。
清々しさすらある。
完敗だ。
中学生二人と埃みたいな小天使とセミとアリの五人パーティである。その戦力で、モノホンの天使と悪魔をなんとかしようと思うのがそもそも場違いなのだ。
あぁー、やられた、やられた。
もう私たちにできることは何もない。
けれど、狂った私はこうも思う。
"だから"?
何もできなかったら、何もしちゃいけないのか。
何もしないのか。
違うだろ。
私たちにはもう逃げ道なんてない。
死ぬ運命なんかない。
そう、決めたばかりだよ。
一気呵成。
私は暴れた。
天使の手に両手首を掴まれたまま、脚を大きく振って、振り子のように反動を得て。
「いまさら……こいつっ! 無駄だって! もう全部!」
「無駄じゃない! 皐月はあがいてくれた! 今度は私の番だっ!」
結果がどうだろうと関係ない。
生き"ざるを得ない"なら——。
「私はもう、その一瞬まで、自ら死なずに生きるだけだ!」
アドレナリンがその方向性を誤った。
なにか吹っ切れた気がした。
頭のネジが吹き飛ぶ瞬間。
私の無邪気が目覚める瞬間。
誰かの決めたつまらない体裁が、一切合切、吹き飛ぶ瞬間。
私は、ただ獣のように、天使の首に噛み付いていた。
◇
「ぎぃぃぃーーーやぁぁぁぁーーーーっ!」
とたんに堕天使は悲鳴をあげた。
絹を裂くなんてとんでもない。みよちんにして、それはマグロでも引き裂いたかのようなやかましさだった。
堕天使は自分の首元に噛み付いた中学生を、脚に喰らいついたヒルにでもそうするかのようにぶんぶんと振り払い、力ずくで顎を外してその場に放りだすと、あられもなく逃げ惑った。
中学生はアスファルトに投げ出されて、二、三バウンドしながら、転がった。
力の加減ができなかったが、それを省みる余裕はもう堕天使にはない。彼女は噛まれた首元を押さえながら、悪魔にすがるように言った。
「もう……もう私、いやだぁーーっ! こいつらの相手すんの!」
「リツさん! 大丈夫ですか?!」と悪魔が呼びかける。
「大丈夫ですか……? 大丈夫ですかって?! 見ろっ!」
堕天使は手のひらを悪魔に見せ、すぐにまた患部を押さえる。
首にはくっきりと歯形がついていて、そこに触れた手のひらにも、はっきりと血の痕が見てとれるのだった。
「こいつ……くっそ! 思いっきり噛みやがった! 血が出てる!」
「あー……あとで絆創膏貼らなきゃいけませんね……」
傷口を覗き込むように見た悪魔がすっとぼける傍ら、堕天使の癇癪は収まらなかった。
彼女は裏門でうずくまる中学生を省みながら、シュプレヒコールの先頭に立つ代表者のように彼女を責め立てた。
「子供だからって優しくしてやってたのに、いきなりめちゃくちゃに罵倒されたかと思えば、今度はいきなり噛みつかれて! なんで私が! こんな! 酷いっ……! ひどすぎるっ!」
「リツさん……」
「私らはただ——」
堕天使が続けて言いかけたその時だった。
「あ——」
彼女は大きく目を見開いたその表情のまま、突然、動きを停止した。
悪魔の背後で、抜け目なくミゼ卿を抱き起こしながら、推移を見守っていた皐月は瞬時に目を見張った。
みよちんは裏門でうずくまったまま、まだ立ち上がっていない。
一方、悪魔は構わず話し続けた。
彼女は今の異和に気づいていないどころか、脇に抱えた天のことも忘れている。悪魔が動くたびに、それにつられて、彼女の四肢や長い黒紅の髪がぶらぶらと情けなく揺れた。
「いったい、どういう説明の仕方をしたんですか、リツさん? いけませんよ。彼女たちだって突然おかしな事態に遭遇して、とっても混乱しているはずなんです」
「あ、う……あ、あ……」
堕天使はそれどころではなかった。
全身を襲う寒気に震えながら、顔面蒼白で口をぽかんと開け、涎をたらし汗をかき、返事にならないうわ言を繰り返している。
皐月はミゼ卿を引きずって、ガイコツの包囲網から(悪魔の命令がなければ害はなさそうだった)そそくさと抜け出し、悪魔は未だ彼女の変化に気付かず続ける。
「以前にも言いましたよね。リツさんたちはときどき調子に乗って口が過ぎるときがあるって。そうやって、また喧嘩越しに迫ったんじゃないですか?」
「…………」
堕天使の震えが収まった。
今は代わりに俯き、沈黙している。
腕もだらりと垂れ下げていた。
(あの姿勢……まさか——)
皐月は勘づき始めていた。
悪魔は続けた。
「黙ったままではわかりません。そのようなことではいけません。もう少し寛容に——」
「うぁ!(タマ!)」
通りの反対で見守っていた呪いの子が、大きく鳴いたのと、それは同時だった。
「ぎやぁぁぁーーーーっ!」
堕天使は大きく上体を仰け反らすや、突然、声を張り上げた。今度は悲鳴ではない、肉食獣の咆哮のようだ。
そして、続けざまだった。
悪魔の眼前に人差し指を突き立てた。
皐月がぞっとする。
指先が光る。
あっ、とも言わないうち、再び鳥の鳴き声のような砲音がとどろいて、一直線に光が瞬いた。
光の矢は、今度は空に向かって突き抜けたが、周囲にはまた衝撃の波が吹き荒れ、大気が泳ぎ、皐月はとっさに腕で目元を覆った。
粉塵が晴れ、皐月が辺りを見回すと、二人はもうそこにいない。悪魔が置いていったのだろう。代わりに、腰を抜かした照宮 天だけがアスファルトに這いつくばっていた。
「天ちゃん!」
慌てて皐月が駆け寄ると、
「あ、さつき……」
「天ちゃん! しっかり……」
天は震える指先を空に向けて言った。
「ち、ちが……う、うえ……!」
皐月は喉をさらけ出して、身体ごと反り返った。
堕天使と悪魔はもう上空にいた。
タイプの違う翼を広げ、間に距離をとって、中空に佇んでいる。
悪魔は無傷だった。彼女のほうから静かに切り出した。
「……ちょっと。今の。どういうことですか?」
「私をバカにしやがったなぁーーーーっ!」
対して、堕天使のほうは顔は青ざめ、脂汗をかき、白目も感情も剥き出しにしている。明らかに様子がおかしい。
「当たったら、痛いじゃ済まないじゃないですか……」
「私をバカにしやがったやつは!」
「私、ちょっと、これ以上は……」
「誰だろうが、ぜってぇぇーーー許さねえぇぇぇーーーーっ!」
「先輩だろうと、許せませんっ!」
掛け合いの末に二人は激突し、その声は、拳のぶつかり合いに重なって聞こえなくなった。
そしてそのまま、超常的な魔法合戦を始めてしまうのだった。
光線が空を裂くように瞬き、色鮮やかな弾幕が花のように咲いては散る、圧倒的な光景が頭上に広がった。
(……カオスだ)
打ち上げ花火の撃ち合いのような二人の幻想的な戦いに、ひたすら皐月は唖然とする。そして、
(……何が起きた?)
校門の親友を見た。
彼女はゆっくりと起きあがろうとしていた。
(いや——みよちんは、今、何をした?)
皐月はすでに思い至っている。
堕天使が見せた一連の挙動を思い出す。
ホラーやスリラーで何度となく見たことがある。
それはまさしく、ゾンビに噛まれたものの発作のようだった。
(ゾンビに噛まれたら、噛まれたそいつもゾンビになる。そんなの、子供だって知ってる……! まさか——まさか、みよちんの能力って——)
皐月はその時、あの堕天使より、悪魔より、ミカより……この世の何よりも。
みよちんが立ち上がろうとするその姿に、笑い出したくなるくらいの恐怖を覚えるのだった。
ボロボロの状態だったが、みよちんは脚を大きく広げた体勢で起き上がると「やってやった」とばかり、ほくそ笑んでいる。
緩んだ口からは、堕天使の口内に見えたのと同じような、小さな八重歯が煌めいている。
口周りに滴る血を舐めずるその仕草は、獣じみていた。
「……できんじゃん。私……」
「みよちん……?」
「祈っても助けてくれない、争いの元になるだけの神ならいらないね。そんなのより、直接可能性をくれる、こんな神様を——私は! ずっと、待ってた!」
会ってみたい。
絶対、いつか会いに行く。
ミカに。
親友の気狂いじみた高笑いに、
(感染、拡大……もしも噛まれた人からも、感染していくとしたら——!)
その力の正体に気づいた時、皐月は……ホラーに出てくる主人公のように、恐れおののくのだった。
彼女は、紛れもない公共の敵にして。
それは、世界を滅ぼせる力だった。
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