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第五変『降臨! 堕天使リツとの邂逅! ・後』
しおりを挟む「うぁぁ……」
ターゲットの女生徒二人が走り去っていくのを見送ると、呪いの子が通りの向こうを指差して、非難がましく呻いた。
「ごめんごめん。何をするのか、ちょっと見てたくてさ。今度のはなかなか活きがいいね。若さかな」
堕天使は悠長に返すと、独り言のように呟く。
「陽気にしたいわけだから、先輩の目的は陰キャなはずなんだけどな。私の陰陽の解釈が違うのかな……それともミカ先輩の? ……あの人の考えてることなんか、私にわかるわけないしな」
「うぁぁ……」呪いの子が、どこか寂しげに鳴いた。
「そんなに好きかね、ミカ先輩。マギ先輩もだけど、私にはそれもわからないんだよな。ただのクソ厄介なメンヘラにしか見えないんだけどー」
「うぁぁ!」
「はいはい。世話の焼ける子ほどいなくなると寂しいもんだよね。でもさー、問題児はそうやって一部、愛される余地があるからさ、まだいいわけ。本当に救わにゃならんのって、目立たないからその問題にも気付かれない、"普通"の子のほうなんじゃないかって私は思うんだけどね」
堕天使はそこまで言ってから、唐突に問いかけた。
「——ねぇ。あんたもそう思わない? セミの人」
女生徒たちが逃げていった通りのど真ん中で、クロ提督はミゼ卿を抱き起こしていた。ステッキは腰に刺して、しまってある。
堕天使の羽根で寝かされた彼の容態を確かめると、その場に戻して、クロ提督は立ち上がる。その仕草一つにも紳士的な気遣いが見てとれた。
……が、その顔は、鉄仮面で覆われたようにのっぺらで無機質なものになっていた。
おでこの位置に二つある触覚を機敏に動かしながら、クロ提督はその能面の姿のまま切り返した。
「蟻である」
「というわけで、私はミカ先輩の陽性変異にはちょっと疑義があるんだ。そもそも極を持てない奴もいる。コスモスにもカオスにも、そのどちらにも振り切れられない……そんな真ん中の人にとったら、欺瞞に満ちていようが、何事もない日常こそがマストだと思うわけ」
「それは今のところ問題ではない。危害を加えるつもりなら、」
クロ提督はどこからか新緑色の大鎌を取り出すと、空間に月を描くようにゆっくりと回転させながら、身構えた。
「我輩、二人を守るのみである」
呪いの子が、滝のように全身にまとう黒い髪の毛から、枯れ枝のような細い腕を持ち上げる。
堕天使がそれに応えるように言った。
「気をつけてね、あのちゃん。あの通り、蟻は目を頼りにしない。臭いを追い、酸を使う」
「エッケザックス男爵より賜りしこの鎌の切れ味——味わってみるか。天使の娘」
◇
〈そらー? まだー?〉
照宮 天は、屋上の踊り場の暗闇をiPhoneの薄明かりで照らしながら、その画面を見ていた。
辺りの壁やリノリウムの床一面に張り巡らされた植物の蔓が、影の中、するすると彼女の背中と寄りかかった壁の隙間に仕舞われていく。まるで生き物が巣に帰るように。
モニターの下部にそのまま指を走らせる。
〈今、終わった。すぐ行く〉
ぴこ。すぐに既読の文字がついて、麗奈からの返信がくる。
〈早くー。なんか先輩がビッグゲスト連れてくるとか言っててさ〉
〈もう向かってる〉
〈たぶん、大学生とか来るくさい。ヤバくない? ロリコンとかきたらガチで引くんだけど〉
天は思わず吹き出した。
「大学生? ナルシばっかで、粋がってて、一挙手一投足、一番空っぽな連中じゃんね……みよちん」
天はiPhoneのサイドボタンに触れ、ロックしながら呟いた。
iPhoneの画面と同期するように気持ちを入れ直すと、天は壁から背中を剥がすように立ちあがり、踊り場の側面に磔にされた女教師を見上げた。
——三澤 佐智子先生だった。
全身が、どこからともなく張り巡らされた植物の蔓に巻き付けられて、イエスのように壁に留まっている。
「ごめんなさい、先生。試し撃ちが必要だったの。でも、肌にも傷ひとつつけてないし。いいですよね」
「んー」
佐智子は口元まで覆われた蔓のためにうめき声を漏らした。
「先生。この夏を境に何もかもが変わります。きっと私たちが変えてしまう」
天が言いながら口元の蔓を外すと、佐智子は大きく呼吸をしてから、物憂げに言った。
「……照宮さん、これは何なの——? あ、あなたがやっていることなの?」
踊り場には一筋の光が差し込んでいる。高い位置に設置された小窓から差し込む光の筋だ。それも、今は張り巡らされたイバラのためにさらに細くなっていた。
「……『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず』」
天は、光に照らすと薄く朱が滲む長い黒髪を顔の前に流しながら、恋する乙女のような儚い表情で佐智子を見つめて言った。
「鴨長明の方丈記で、先生、教えてくれましたよね。過ぎたものは元には戻せないし、無理やり戻したところでやはり、何か、元のものとは違うものになってるって。私たちは絶えず流れる今——いや、何秒か先、流れてくる水に賭けて生きるより他がない——想像力や思いやりって、つまり、そういうことでしょう?」
「照宮さん、あなた、何を言って……」
「そうした勇気も示さないで、中高のイベントをことごとく勝手に自粛した挙句『あー俺も転生すればなー。現実の女(男)ってあらゆる点でクソだし。異世界いって、都合よく褒めちぎられて、ハーレム作り(ざまぁし)てー。ステータス振り直せれば俺(私)もなー』ってヨダレと欲望ダダ漏れで洗脳される言い訳ばかりの人間が多すぎるせいで、転生なんてものの蔓延が終わらないから、神様がついにキレたんですよ」
「そこから転生ディス?! 照宮さん、あなた、何言って……」
「…………」
確かにそうだ。天はふと冷静になった。今の流れから転生disはさすがにおかしい。どうしてしまったんだろう、私は……。
そういえば昨日今日とずっとこんなことが……もしかすると——洗脳状態にあるのは私のほう……? いや、まさか、そんなことが……。
天は一瞬還りかけた正気をかぶりを振って元に戻すと、踵を返し、階段に足をかけながら言った。
「だから、先生も早くアップデートしてくださいね。さもなければ——次は本当に死にますよ」
佐智子は怖気立った。
顔の向きも変えられなかったが、気配でわかる。
天本人が去ろうとも、まだ、そこにはいるのだ。
何者かの気配が、ずっとある。
天の声が、
「懸命に——懸命にですよ。そうならなければ生きられない——そんな時代が来るんです」
それだけ言い残して、踊り場は静かになった。
「はい、午前十一時十二分二十秒。現行犯逮捕ですー」
——次の瞬間、階段の真ん中で天の手は捕まった。
その時こそ天の目はデメキンのように大きく見開かれて、自身のすぐ右上に漂うその姿を捉えていた。
「むぐっ!」
しかし——すぐに両手を背中にひねりあげられ、逆らいようのない圧倒的な力で身体ごと近くの壁に寄せられていく。
「はーい、右寄ってー。こっち見なくていいからー」
自分の身に何が起きているのかも判断がつかないうちに、天の視界は一面の壁で覆われることになった。が、腕や身体が固定される直前に、ちらっと右に見えたその姿は、まさしく悪魔——青い肌に桃色の鮮やかな髪色。両耳の上に生える大きな象牙質の角に、何より露出度の高い衣装と、背中に折り畳まれたこうもりのような光沢のある黒い翼——まさしく、夢にまで見て憧れた夢魔そのものだった。
夢魔と思わしき女性は天の背後で言った。
「はい。メリナさん。午前十一時十二分二十秒。被疑者確保ですー。このまま連行しますので、オイディーに連絡お願いしますー」
「ご苦労、にゃメリ……モンプチ二欠片——いや、三欠片の褒美をとらせよう……にゃメリ……」
不気味な語尾の猫撫で声が答えた。
現状を正しく認識できていないゆえか、天の胸はしかし目先の恐怖よりも、そんな空想上の存在を目撃し、今実際に触れられている、という興奮に踊っていた。半ば笑いながら、天は返答にならない声を返した。
「えっ……あのっ……ちょっ……」
「他にも、あなたには組織的な犯罪の妄想及び犯罪収益の妄想等に関する天界法律、第六条の二、テロ等妄想罪の嫌疑がかかってます。大人しくしててくださいねー」
「テロ等妄想罪っ?! そんなの、厨二の男子が全滅しちゃう!」
「そういうのいいから、今、疑われてるのはあなただから。ダメですよー? そういうこと考えるときはきちんと思考にモザイクかけていただかないとー」
「思考にモザイクっ?! ——うぇっ、うぇ! シートベルトみたい——え? な、なんですか、これ。私……これ、何のことだか?!」
サキュバスの凛とした声が、やや呆れたように、整然と続けた。
「そう言いたいのは、上で縛られちゃってる先生でしょー? どうするんですか、あれ。水の前に生徒に襲われた彼女の心の傷が戻せないでしょう? 懸命になさってくださいよ、あなたが」
「いえいえ。違うんです。なにか、違うと思います——私、そんな……」
「違いません。妄想犯罪で捕まった多くの方がそう言うんですけれど、残念なことにやったあとに言われても何も違わないんですねー。そんな厨二歓喜の時代は来ない。ミカさんはそんなこと、少しも望んでいません。ストローマンにも程がある」
「ミカさん……?」
「またしらばっくれちゃって。けど、あなたより私のがよっぽどミカさんのこと知ってるんですからね……はい、出して。全部わかってるんですから」
「えっ……出……な、なにをですか?」
「しらばっくれちゃって。ここで拾ったんでしょう? 白いアレです……」
「えっ……白い、あ……れ? ——えっ?! わ、私、人間の女です!」
「はぁ? 何を言ってるんですか……? 白いアレといったら——はぁ?! 何を言ってるんですか?! あなたはまた犯罪的なことを考えて! この変態!」
「あぁっ……」
天は意思疎通の取れなさに困惑しながらも、サキュバスのお姉さんと交流、また尋問されているという極めて不可解な事態に、なぜか自虐的な多幸感を覚えてしまうのだった。
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