陽性変異 Vol.2

白雛

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第四変『小天使カミュ登場! ミカさまの大いなる計画! ・後』

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 カミュと名乗る小天使は事細かながら順序よく話した。
「小天使ってのは——天使の"使い魔・・・"みたいなものね。悪魔が自身の血からコウモリを喚びだすように、私もお姉さまの羽根でできているわ」
「ミカの起こしたカオスっていうのは?」
「この春のことね。あなたたちは覚えちゃいないでしょうけど、渋谷の上空で彼女たちのケンカが起きてたのよ。それは、それこそ次元を破壊してしまうような壮絶なものだった。で、お姉さまは敗れた。にっくき悪の暴力天使、滝沢・マギステル——通称、マギにね」
「暴力天使……マギ……」
「今、お姉さまは彼女の監視下で天界に軟禁されている。けれどね、賢い最強天使のお姉さまは先んじて手を打っていたの。それが私たちであり、天使の羽根。あなたたちがケサランパサランと呼んだもの」
「最強天使なのに、負けちゃったの?」と皐月。
「そう。マギはあろうことか、複数人の天使や悪魔までも連れて、お姉さまを襲撃したの。お姉さまはたった一人で彼女たちと戦い、自分の力を込めた羽根を鱗粉のように遥か上空から東京の大地に向けて放った。"普通"を無くし、ありのままのカオスを顕在せしむるためにね」
「カオスってもたらしちゃいけないんじゃ……」
「それは逆なのよ」
「逆——」
 私はすこし心当たりがあって、静聴の姿勢をとった。
「あなたたちに聞くけど、今のこの世はコスモスだと思う? 平和だと思う? 一見してはそう映るかもね。けれど、きっとあなたたちなら分かるはず——」
「実際は逆だ」私は言った。
「そう。コスモスに見えて、その実、今のこの世には形容のし難いカオスが渦巻いているわ。なのに、現行法というルールに縛られて人間たちは何もできない。そこで、お姉さまは考えた。人の子らにできないなら、今こそ私たち、神の使徒の出番だ——と」
 私は息を飲んだ。
 ふとクロ提督がカイゼル髭を弄ぶのが見えた。まるで執事のように私たちの傍に立っている。ミゼ卿は表皮がめくれた木製テーブルに腰掛け、長い脚を組んで落ち着いていた。皐月は校長先生の話を聞くときのようにぼんやりと宙を見上げている。
 カミュは続けた。
「お姉さまは、無責任に他人の懲罰を唱える人々の声に従い、そうした者たちを滅ぼそうとしたわ。この歪なコスモスはこの者たちの陰湿な攻撃性こそが産み落としていると考えたのね」
 どこかの誰かがでっちあげた独りよがりな正義による監視圧力。その氾濫に踊らされ、かえって他罰的、排他的、差別的になる人間たちの図……。
 正義の懲罰を恐れるあまり、物事は個性をなくした単純化の一途を辿り、冷笑程度で済んでいたものが、次第、それを真実と思い込む本当の馬鹿ばかりになっていく悪循環……。
 そして、そこでもたらされる"やらされる人生"に飽き飽きして乾きながらも、その乾いた心を埋めるため、そんな拙いコミュニティであっても求め、すがり、益にならない堂々巡りを繰り返してしまういわば社交中毒に侵されたような人々と、生物としての本能、理性をまだ保つがゆえ、その異和に馴染めず、跳ね返り、孤独に陥って自己否定を繰り返す私のような人間の擦れた社会性……。
 カミュの話す内容、それは——まんま、私の思考の流れと同じだった。
 私が死にたくなった理由と、まるで、同じ……。
 私は、私のような考えを持つ生物(殊にそれが天使であったこと)に感動さえ覚えながら、聴き入っていた。
「しかし、彼女は方針を転換した」
「転換……」
「そう。簡単に言うと、ミカお姉さまはね、一億総ごりごりのド陰キャばかりだからいけない、と結論づけたのよ。殊に問題なのが中途半端なキョロが発信側に立ててしまうことなの。受信者はまだしも、発信者の本質が陰気ならば、その影響を受けて全体的に陰湿になってしまうのも道理でしょ? そうしてデフレ・スパイラルならぬ"陰気・スパイラル"が起きてしまったとね」
「すごい話だ……」
「けれど、それを"いけないからと消してしまって"は彼らと同じだわ。——ならば、神の使徒たる自分が、ひとりひとりに力を分け与えて、本来自信の何たるかを思い出してもらい、そんな発信者のいらない一億総、陽キャにしてしまえばいいと考えを改めた。それがミカお姉さまの立てた第二の計画セカンドプラン——」
 カミュは満を辞して言った。
「——"陽性変異 Vol.2"」
「陽性変異……」
「実際どう? ゾンビやらオバケではあるけれど、あなたたち一日にしてすこし変わってきたんじゃない? 少なからず思考に余裕が芽生えたはず。本来どうしようもないと絶望していた状況にも、まぁ、なんとかなる、って気楽に構えることができる器の大きさができたんじゃないかしら」
 心当たりは十分以上にあった。私は固唾を飲んで、その沈黙を返答に変えた。
 カミュが満足そうに私たちを見つめてから、改めて私は切り返した。
「でも……!」
「ん?」
「それで……その……ミカ、はどうしたいの?」
 皐月やクロ提督、ミゼ卿、そしてカミュも、視線が私に集中する。
「私たちが陽キャになって、それで……?」
「それでお姉さまは満足のはずよ。彼女はね、面白いことが好きなの。復讐や自己ホルホルや優越感の獲得を動機とした暗い発想はつまらない。だから、人間ひとりひとりをそれらを笑い飛ばせる人にしたほうが面白そうだと思ったのかもしれないわ。それで一緒に遊びたいのかも」
「一緒に遊びたい……? それだけで……」
「……彼女は天才肌なの。お姉さまの崇高なお考えは私にだって完璧に理解できるものじゃないわ」
 カミュは肩をすくめると、半ば諦めるように付け加えた。
「でも、私自身、彼女の一部として、これだけは言える。彼女の底に悪意はこれっぽっちもないわ。善意でもないかもしれないけれど」
「純粋に楽しみたいだけ……ってこと?」
「そう。でもそれが、生きてる理由でしょ? 他に、生きていたい理由なんて、あるかしら」
「…………」
 皐月がなにか言いたげにしていた。何かを言おうとして……クロ提督、ミゼ卿を見つめ、それから口を噤んだ。そんな風に見えた。
 二人の紳士も、あえてその場で何か言うことはなかったし、カミュの次の言葉がそれらを遮った。
「なのに、あんたたちときたら、また仲違い?!」
「え」
「せっかくお姉さまが自信を与えて、それで余裕も生まれたはずなのに! それで友達と喧嘩してたら世話ないわっ! 思い出したら、まーた腹立ってきたわ! この薔薇の棘を飛ばしたやつもそうね! 私たちが争うことに意味なんてないのに!」
 カミュはちょうど八の字を描くハチのように飛び回りながら言った。感情に比例して、激しく飛び回るくせがあるようだ。
「カミュ……? カミュのそれは陰気じゃないの?」
 私は冗談めかして言う。
「私のこれは可愛げよ! メスガキなの、私!」
「自分で言わないで」私は笑いかけて言う。
「お姉さまは何も怒や哀の感情をなくせ、と言ってるんじゃないわ。方向性を間違えるなって話ね。アッパーよ。ダウナーではなく、アッパーにぶんまわせばいいのよ!」
「怒るならさっぱりとする。じめじめとしないってことでしょ? なんとなく……うん、わかってきたよ。カミュのことも、そのミカって天使のことも、私たちのことも」
 そこで目下の元の議題を思い出した。
「じゃあ、この薔薇の棘を飛ばした人も……そうか。あのニュースでやってたクマムシとかアシダカの奴も、みんな、そのミカの力の片鱗なの? 虫が好きなのかな」
「虫というより生き物全般が、おそらく彼女の前に等しく子らなのよ。さっきも言ったけれど、彼女の羽根は、ただ力を与えるだけのアイテムじゃないの。いわば彼女の細胞……細かく分散した彼女そのものといっていい。だから、それを受け取れる者は人間だけに留まらず、彼女の奇跡の一部が備わるってわけ」
「ふむ。そうであったか……我輩たちも」
「そう。微小となった彼女の細胞を持っているはずよ。それが少なく見積もっても百以上、この地域に散らばっている」
「百以上も……私たちみたいなのが……」
「むぅ、虫が多いわけだー」と皐月。
「夏、であるしな」とクロ提督。
「……代償に眠れなくなったりする?」
 私は個人的に気になっていたことを尋ねた。
 カミュは八の字飛びをゆるやかにして答えた。
「力次第ね。彼女の奇跡は多岐にわたる。私も全部は知らないわ。その能力に相応しいなら、そういうこともあるかもね」
「そのほうが面白そうだということね。享楽も大概だなー……」
「あら。お姉さまは楽観的ではあるけれど、享楽的ではないわ。違いは辞書を引いてみて。楽しければ何でもいいのとはむしろ正反対よ」
「そこら辺はもう、本人と話してみないことには何とも言えないよ」
「そうね。他にもいろいろ説明したいことはあるけど……最後にもう一つだけ。あなたたちひとりひとりに関わる、大切な話よ」
 カミュはどこか思わしげに続けた。
「繰り返すけど、これは彼女の断片。彼女自身であって、それをその身に宿したからには、当然デメリットも存在するわ」
 言いながら彼女は沈痛な面持ちで目を瞑った。
 私のゾンビ化による不眠症状の他にも、普遍的な変化としての代償があるということだろう。……よくある話だ。そもそも、そう都合よく天使の奇跡が人間や他の生物に宿せるはずがないのだ。
 私は身構えて、カミュに続きを促した。
「……どう、なるの?」
 カミュはゆっくりと目を開けると、ごく真面目な顔で言った。
「彼女と似て、すこしアホになる」

 ◇

 時を同じくして。
 みよちんたちのいるガゼボが米粒ほどに見えるくらい遥か上空に、三体の異形がいた。
 しかし、異形といって、大部分は人のなりとそう変わりはない。それぞれ背中から羽根が生えたり、異様なほど髪が長かったりするだけであるが、人間からすれば異形には違いなかった。
 内訳は堕天使が一人に、悪魔が一人。それから、呪いの子が一人。羽根を持たないその子だけは堕天使の背に覆い被さることで空中に制止している。
 悪魔が、鈴でも転がすような清々しい声で言う。
「対象は六……ですが、数にだいぶ偏りがありますね。どうしますか、リツさん」
「そうだねぇ、私はめんどくさくないのがいいかなぁー。早く帰って作業進めたいし。よって、学校のほう一択」
「うぅ……あぁぁ……」
 呪いの子が枯れ枝のような細い指先を学校に向けて蠢いた。悪魔がすぐに答える。
「そうですね。じゃあ、私は学校のほうを。そっちはリツさんとあのちゃんでお願いします」
「うぁ」呪いの子が首肯する。
「ねぇ?! 私の話、聞いてた?」
 例によって無視して続けられる会話に堕天使がツッコんだ。——が、二の句を告げるまでもなく、次の瞬間にはもう、悪魔はこうもりのような翼を折りたたみ、急降下して行ってしまう。
「じゃあー、お願いしまーす!」
 急速に遠ざかりながら彼女は言い残していった。
 空中に呪いの子と二人、残された堕天使が呟く。
「あー、かえりてぇー。ねぇ、ときどきさ、マジで私の声って聞こえてないんじゃないかって思うことあるんだからね……」
「うぁぁ」
 と、呪いの子が彼女のそんな様を嗜めるように唸った。
「わかってるよ。これも仕事だからねー。マギ先輩、怒らせるとすぐ殴ってくるし……はぁー、仕方ないなぁー」
 堕天使は深く嘆息をこぼすと、クラスのまとめ役の意気に絆され、重い腰をあげる男子生徒のように言い、
「やり・ます・か——!」
 集合住宅のガゼボ目掛けて、自らもまた降りていくのだった。





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