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第三変『照宮 天と追跡者・後』
しおりを挟む階下にいたのは照宮 天だった。
はっきり言って、苦手な女子だった。
「……いこ、皐月」私は冷たい感情を込めて言った。
「えっ」
その返答は皐月、天、両名から漏れた。私は関せず、いつも以上の無機質さを意識して階段を降りていく。視線を正面から逃して、踊り場をUターンして……。
「待てよ!」
天の張り上げた声が追いかけてくる。
『待ってよ! ねぇ! みよちん!』
フラッシュバック。
こいつは、また同じことを繰り返すつもりか……。
私はゆっくりと振り返り、天を睨んだ。
「……なに?」
天もご同様だったかもしれない。一度ひるんだように見えて、すぐに肩をすくめて言った。
「誰と話してたん? 二人。……聞こえちゃったんだよねー。屋上で二人がさー、誰かいじめてんの」
私は正直に言って面食らったが、そう言われて思い当たるのはセミとアリとカナブンしかいない。
(あぁ……勘違いしてるのか)
会話だけ抜き出して聞けば無理もないように思えたが、よりにもよっていじめだなんて……。私がただの一度でも、コイツの前でそんな素振りを見せたことがあるのか……。
不愉快だ。察しが悪い奴は嫌いだ。特にいつも自信がなく、誰かの陰に隠れてばかりのくせして、自分の過度にふくれあがらせた根拠のない妄想はやたらと過信する、救いようのないバカは。
こんなのがいつもひっかき回して、事態をややこしくする……手を差し伸べるだけ、こちらが痛い目を見るんだ……。
「はぁ?」私は心底、疲れ切ったオペレーターのように言った。
「……誤魔化したって無駄だから。屋上に行けばわかる」
「行けよ! 行きたきゃ、勝手に。……なんでいちいち私にきくの」私はうんざりして肩を落として言った。
「み、みよちんっ!」
皐月が声を張り上げた。
私の両肩を掴んで言った。
「ダメっ! なんでそんな冷たい言い方するの!」
「え……」
「天ちゃんと付き合いたくないなら無理しなくていい!」
天が心臓のある位置を押さえた。
「けど、そんな冷たい言い方をしたら、ササクレが残るだけだよ! それはね、相手も、ゆくゆくは自分も苦しめるんだよ……」
「皐月……」
思いもよらぬ皐月の進言。またしても面食らったが、今の話には異議がある。
私はそれをキッと眉根をしかめた表情で示すと、反抗するように皐月の手を払っていた。
そう。まさに私はずっと皐月が言ったことをしていた。
いわゆる性善説というものだ。
孟子いわく『人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごときなり』。
すなわち、人の性質が善であることは、水が下に流れるのと同じくらい、普遍的なことだ。
どんな人間でも井戸に落ちそうな子供を見るとき、そこには憐みの情が湧く。これが善なる性質の証明であり、教育などで矯正すれば必ず人は善人になれる……ひいては、『人は生まれつきに善の性質である』とする説だ。
しかし、ならば私自身や、私の両親。果ては目の前にいる天の振る舞いはどうなる。
皐月には当てはまるかもしれない。
けれど、天は明らかに違う。
自分の愚かな思考が中心で、自分自身で是正もできない、それ以外では考えられない、バカもいる。
人によって、それらは当たり前に違うものだ。
今の私には、性善説は信じられない。
今の私は、どうしようもない人は、せめて自分の視界から積極的に排除する……ゆえに、性悪説だった。
「……みよちん」
皐月は考え込むように払われた手を戻した。それと反対に天は胸元を押さえていた手を払って、言った。
「……いいよ。行くからね」
売り言葉に買い言葉……それにしても私にはまったく身に覚えのないやっかみだったが……とでも言うように天は切り返して、屋上への階段を駆け上がった。
「……ごめん。いこ、皐月」私は無視して帰ろうとする。
「みよちん……天ちゃんはさ……」
「ぎいぃぃやぁぁぁーーーーーっ!」
その矢先、喉の奥から絞り出したような声が聞こえてきた。布を引き裂くなんてとんでもない、悲鳴なんていつもマグロでも引き裂いたような声だ。
直後、ばたばたと足音。屋上へ向かったはずの天がすぐに転げ落ちるように降りてきて、階上を指差しながら言った。
「ほら! いるじゃん! 変なおっさんが!」
「え……はぁ?」
私は今度はすっとんきょうな声を出した。しかし、天は真剣そのものだった。
「ほらっ!」
再度腕を屋上のほうに示して天が言うのとほぼ同時、それは声と共に降りてきた。
「やれやれ……騒々しい娘御だ」
踊り場の影から現れたその姿に、私も、皐月も、目を見開いて言葉を失った。
つやめく燕尾服に丁寧に結ばれた胸元の蝶ネクタイ。ハットにステッキ。カイゼル髭を生やしたいぶし銀な紳士がそこにいた。
私は、やっとの思いで、息を吐くように一言だけ。
「は……?」
「あんたらが連れ込んだんでしょ?!」
「え?」
続けてもう一人。その紳士の後ろから白いブラウスを基調とし、その上に茶色のベストを着込んだ、またタイプの違う青年風の紳士が姿を現した。
こちらの髪は薄めの赤みがかった色をして見た目にも若く、眼力もはつらつとしていた。そして何より頭の上に黄色の輪っかが浮いている。
「あ、そこの貴様!」その青年は色の薄い虹彩で、皐月を見るなり言った。
「えぇっ! 私っ?!」
「そうだよ! 貴様……よくも……さっきはよくも踏み潰してくれたな!」
「えっ、えっ! あっ……あなたのような外人の知り合いは存じませんですが!」皐月は慌てて言った。
驚天動地に——、しかし私の頭はむしろ潤滑油を差した歯車のように急速に回転した。
さっき? ……踏み潰した? ……まさか。
私はおずおずと、自分のブラウスの半袖から伸びる細木のような腕をあげ、二人の紳士にさらに細い指をさして言う。
「……ミゼ……アーブラ卿?」
若い青年風の紳士が答えた。
「そうだ。俺様、ミゼ・アーブラ卿である」
「……てことは、こっちは……キャプテン・クロ?」
カイゼル髭の男爵風の紳士が答えた。
「提督をつけたまえ。不敬だぞ。娘」
「…………」
私は頭を抱えた。
セミとアリが喋るだけに飽き足らず、人間に変身して追いかけてきやがった……! ゾンビにオバケに……全部、関係があるのか? いったい、どうなってるんだ?
困り果てて皐月を見ると、さしもの彼女も言葉を見失っているようだった。天は何か言いたそうだったが、じっと固唾を飲むように口をつぐんで、動向を監視している。
「……えっと」私は考えながら言った。「そ、それは私たちが……大変、失礼を致しました……それで……その。なにか、私たちに御用でしょうか?」
「なにとは?」クロ提督が髭をいじりながら言った。
「いえ。その……ですから」
「おぼろげながら声が聞こえてきたのだ」
クロ提督は中空に目線をやりながら言った。私はつい呆れたように口を挟んでしまう。
「……はぁ。セミもミームにあやかる時代ですか」
「蟻である」
「はい。そうでした」
「我輩たちの出番かと思い、その呼びかけに応じたまでのこと」
「そうしたら、この娘が呼びに来るじゃないか」
ミゼがふいに天を指した。
天は助けを求めるように私と皐月を見てから、ぶんぶんっと凄まじい勢いで首を振る。
「よ、呼んでない、呼んでないって! 悲鳴あげたじゃん!」
「さておき、我らも人間としての受肉を果たしたのだ。今こそ憎き人間ばっさ……」
「もう……! あんたたちねー」
二階の踊り場からだった。少し雰囲気の尖った足音と共に、やや少年味のある女性の声があがってくる。
ドクターのような丸い眼鏡をかけた二年の教師……三澤 佐智子先生だった。
「さっきっからうるさいよ? いったい何ケンカして——」
眼鏡越しの三白眼が私たちを素通りして、階上の殿方二人を捉えた。
「——んの……って! ふ、不審者……?!」
「何を言う。我輩、どこから見ても、立派な紳士であろうが……!」
「ひっ——」
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目の眩むような閃光が、私たちの中心に走った。
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