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2巻
2-2
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「いいからさっさと帰れ。それと、ラクセーナの冒険者ギルドは今後、お前たちとの取引には応じないからな」
「なんだと!? 商品の偽装をしただけでなく、取引を一方的に中止するなんて、そんなことが許されると思っているのか!」
「あら? 許すも何も、当然のことではなくて?」
ギグリオの言葉にガメイが怒声を響かせると、扉の方から別の声が聞こえてきた。
トーヤは聞き慣れた声に、思わず振り返る。
「……ジェンナ様?」
そこには商業ギルドの長であるエルフの女性――ジェンナが立っていた。
「すまない、ジェンナ。あなたの言う通りになってしまった」
「気にしないで。こうなると思っていたから、顔を出しに来たのよ」
ギグリオとジェンナが話をしていると、ガメイは勢いよく立ち上がる。
「ジェンナ殿! こ奴らは私を……商人を舐めております!」
ガメイはギグリオとジェンナの間に入り、彼女に声を掛けた。
「……はぁ。あなた、勘違いしているようね?」
「…………な、何を仰っているのですか?」
ジェンナがため息を吐くも、ガメイは彼女が自分の味方であると信じてやまない様子だ。
「商人を舐めているのはあなたでしょう、ガメイ!」
「そ、そんなことはありません! ギグリオ殿はこのような小僧を古代眼持ちの鑑定士だと偽っていました。舐めているとしか思えません!」
「おいおい。それをジェンナに言うか? ……いや、そうか。こいつらは知らないんだったな」
ガメイたちがラクセーナの外から来たことを思い出し、ギグリオは呆れた眼差しをガメイに向ける。
「トーヤを古代眼持ちだと偽った、ですって?」
「その通りです! その上、偽りの素材で金を騙し取ろうとしたのですよ!」
ジェンナの冷たい視線をその身に受けながらガメイが答えた。
「……そうなの、トーヤ?」
「騙そうとしてきたのはガメイさんの方です。向こうの鑑定士であるメダさんが成竜の鱗を幼竜の鱗と言い、値下げをしろと脅してきました」
「何を言っておるか! 貴様のような嘘つき小僧の戯言を、ジェンナ殿が信じるわけが――」
「ふーん、わたくしたちのところの専属鑑定士を嘘つき呼ばわりねぇ」
「全く、本当に嘘をつくのも大概に……は? 今、なんと?」
怒り心頭という様子のガメイだったが、ジェンナの言葉を聞いて、一気に顔が青ざめていく。
それはメダも同じで、全身がガタガタと震えだしていた。
「トーヤはラクセーナ商業ギルドの専属鑑定士よ。彼が古代眼持ちであることは、わたくしが直に確認しているわ。それでも彼の鑑定結果が嘘だと言い張るの?」
「……ま、まさか、そんな?」
ガメイは衝撃の事実を聞いたと言わんばかりに、小さく震えだした。
ジェンナは気にせず続ける。
「あなたは確か、ラクセーナよりも小さな都市で商会を立ち上げていたわね? わたくしたちともいくつか取引をしていたはず」
「えっと、それは、その……」
「ここに宣言してあげるわ。ラクセーナ商業ギルドも、冒険者ギルドと同様に、あなたたちとの取引には今後一切応じません」
「そ、そんな!?」
ジェンナの一声にガメイが愕然とし、よろよろと後退ると、椅子に足を取られてドサッと地面に尻もちをついた。
「そうそう。ご存じだと思うけれど、商業ギルドには商業ギルドの情報網があるわ。あなた方が汚い手を使ってフレイムドラゴンの成竜の鱗を手に入れようとしたことは、すぐに他の都市のギルドや商会にも広まるでしょうね」
最後にジェンナがそう言い渡すと、ガメイは放心したようにだらりと脱力した。
「そこのあなた。メダさんでしたっけ?」
「は、はい!」
「この邪魔な人間を運び出してくれるかしら? 今すぐに、いいわね?」
「か、かかかか、かしこまりました! 失礼いたします!!」
ジェンナの言葉を聞き、メダはてきぱきとした動きでガメイを担ぎ上げ、一目散に部屋を出ていってしまった。
「助かった、ジェンナ」
ギグリオがお礼を口にすると、ジェンナは手を振った。
「彼の悪評は以前から聞いていたもの。いろいろなところで強引な値切りを繰り返していたようだし、切り捨てる良い機会だったわ」
「ありがとうございました。ギグリオさん、ジェンナ様」
すると今度はトーヤが、二人に対してお礼を口にした。
「私が表立って責められないよう、気を遣っていただきましたよね?」
トーヤがそう口にすると、ギグリオは豪快な笑みを、ジェンナは柔和な笑みを浮かべる。
「んなことを子供が気にすんじゃねえっての」
「そうよ、トーヤ。それにわたくしは立場上、あなたの上司だもの。部下を守るのは上司の役目なのよ」
「……それでも、感謝の気持ちを口にしたかったのです」
そんなトーヤの発言に、ギグリオとジェンナは顔を見合わせる。
そして、同時に軽く肩を竦めた。
「まあ、坊主はめちゃくちゃ律儀だからな」
「そうね。トーヤだものね」
「……それは褒めていますか? それとも貶していますか?」
最後の発言を聞きジト目になったトーヤを見て、ギグリオとジェンナは軽く笑った。
その後、ギグリオは思い出したように口を開く。
「そうだ、ジェンナ。さっき聞いたんだが、坊主は銀行口座を持っていないらしい」
「あら、そうだったの? って、言われてみれば、異世界から来たトーヤは一人じゃ口座を作れないわね。気づいてあげられなくてごめんなさい」
「あぁ、そう言えばそうだな」
トーヤが異世界から来たことを知っているジェンナとギグリオは納得したように頷いた。
二人のやり取りに疑問を持ったトーヤは首を傾げる。
「異世界人だと口座は作れないんですか?」
トーヤの問いにジェンナが答える。
「正確に言えば違うわね。ラクセーナでは子供が口座を作る時は保護者の許可が必要なのよ。でもトーヤはこの世界に保護者がいないでしょう?」
「あぁ、なるほど……となると、私は大人になるまで口座を作れないのでしょうか」
「大丈夫よ。身寄りのない子供の場合、身分を証明する大人がいれば口座は作れるわ。わたくしがあなたの身分を保証してあげる」
「宿に金を隠しているみたいだし、誰かに盗まれる前に早く口座を作った方がいいんじゃないか?」
ギグリオが心配そうにいうが、トーヤは遠慮したように手を振る。
「いえいえ! 本当にお気になさらず。ジェンナ様の都合の良いタイミングで構いませんので」
「わたくしは大丈夫よ。オークションの仕事が終わり次第、銀行口座を作りましょう」
「本当はお金はアイテムボックスに入っているからどこに預けるよりも安全です」と口にしたい気持ちを抑え、トーヤは小さく頭を下げるのだった。
その後、オークションで競り落とされた商品の受け渡しが次々と行われ始めた。
一番の大物を競り落とした相手が姑息な手を使おうとしたということで、受け渡しの場にはジェンナも同席することになった。
落札者たちはトーヤが古代眼持ちの鑑定士だと聞かされると、皆最初は鼻で笑っていた。
しかしジェンナが登場して商業ギルドの専属鑑定士だと伝えると、手のひらを返したように何度も頭を下げるようになり、受け渡しは滞りなく執り行われた。
こうして一〇〇万ゼンス以上で落札された商品の受け渡しが全て終わったあとで、トーヤはジェンナと共に商業ギルドに戻っていった。
商業ギルドに着いたのは夕暮れ時で、定時まではあと少しという状況だ。
入り口のドアを開けるや否や、ジェンナは急ぎ足で自室に戻る。
そしてトーヤは自身の担当である鑑定窓口の前に座った。
「お帰り、トーヤ君。ねえねえ、ギルマス、どうかしたの? 急いでいたみたいだけど……」
商業ギルドの副ギルドマスター、リリアーナはトーヤに横歩きで近づき、尋ねた。
「お疲れ様です、リリアーナさん。実は、私が銀行口座を持っていないと知ったジェンナ様が、急いで作ろうと言ってくれまして、その準備をしているのかと思います」
「えっ? トーヤ君、口座を持っていなかったの?」
「はい。毎月手渡しでお給料をいただいておりました」
リリアーナはまさかといった表情を浮かべるが、トーヤは特に気にした様子もない。
「……なんで口座が欲しいって言わなかったの?」
「銀行があるなんて思わなかったもので」
「お金の管理は?」
「宿に保管を――」
「今すぐに取ってきなさい。そしてすぐに口座に預けなさい」
『仕事を抜けろ』という意味の発言に、トーヤは目を丸くしてしまった。
「……そ、そんなに急ぐことでもないような?」
「あのね。いくら上等な宿とは言っても、絶対安全ではないのよ。それに商業ギルドのお給料は他よりもいいの。それを裸のまま隠しているだけだなんて、危険すぎるわ!」
本当はアイテムボックスに入れているのだと教えてあげたい気持ちになったが、トーヤは思いとどまる。
その後少し考え、トーヤはリリアーナに従うことにした。
「かしこまりました。宿へ戻っている時間は休憩として、その分の仕事はあとでしますので――」
「もうあがり扱いで構わないわ。オークションも大変だっただろうし」
「いえいえ、大変だったのはジェンナ様とギグリオさんで――」
「トーヤ君はあがり! 急いでお金を取ってきなさい! いいわね!」
「……かしこまりました」
有無を言わせぬ迫力でそう言われてしまい、トーヤの早あがりは確定となった。
トーヤは簡単に荷物を纏め、一人商業ギルドを出る。
とはいえ、宿へ戻らなくてもお金はアイテムボックスに入っている。
そのため、トーヤは商業ギルドの周りをゆっくりと散歩したのち、何食わぬ顔で建物内に戻った。
「お待たせいたしました」
するとリリアーナは怪訝な表情でトーヤを見てくる。
「……どうしたのですか?」
「……帰ってくるの、早くないかしら?」
「そう言われましても、お金は持ってきましたよ?」
トーヤがそう伝え、肩にかけた鞄を掲げる。
するとリリアーナは首を傾げながら、不思議そうに呟く。
「……まあ、それならいいんだけど」
リリアーナが納得いかなそうにしていると、二階からジェンナが降りてきた。
「あら。もう荷物の準備はできているみたいね。早いわね、トーヤ」
「急いで取ってきましたので。それで、これから銀行に行くのでしょうか?」
「その必要はないわ。ついてきて」
ジェンナはそう言って歩き出し、トーヤ、そしてリリアーナも彼女のあとに続く。
そして、商業ギルドの端の小さなカウンターへと向かった。
その上には小さく、『銀行カウンター』の文字が書かれた看板がぶら下がっている。
「あ……商業ギルド内に窓口があったのですね。全く気づきませんでした」
「ここは出張窓口だけどね。利用者も少ないし、鑑定窓口とは距離があるから、見逃していても無理ないわ」
「そうですね、こちらでお世話になることが決まってからは、仕事を覚えるのに必死でしたので、こちらのエリアは見ていませんでした」
頬を掻きながらトーヤがそう口にすると、リリアーナは申し訳なさそうに謝罪する。
「忙しくさせちゃっていたもんね。ごめんね、トーヤ君」
「いえいえ! そんなつもりで言ったのではないのです。気にしないでください」
含みを持った言い方になってしまったと思い、トーヤは慌てて両手を振った。
すると、ジェンナは微笑みながら口を開く。
「リリアーナも、トーヤが皮肉を言ったなんて思っていないわよ。ただ忙しくさせていることを謝罪したかった。そうじゃなくて?」
「はい。トーヤ君には感謝してもしきれないくらい、お世話になっちゃっているので」
「それはこちらのセリフですよ。商業ギルドの皆さんには大きな恩がありますから」
「恩? それこそこっちのセリフよ」
トーヤは、誰ともしれない子供である自分を引き受けてくれた商業ギルドには返しても返し切れないほどの恩があると思っている。
だからこそ少しでも仕事に貢献できればいいなと考え、必死に働いていた。
一方でリリアーナは、仕事ができる相手であれば子供でも雇い入れるというジェンナの方針を知っている。
故に、トーヤが雇われたことは必然であると思っており、トーヤが商業ギルドに恩義を感じているという発想自体持っていなかった。
それどころか、一生懸命に働き他の職員も助けてくれるトーヤには、リリアーナも恩を感じていたのだ。
「うふふ。お互い同じように思っているってことね。でも今はその話は置いておきましょう。リリアーナ、事務作業をお願いしてもいいかしら」
トーヤとリリアーナのやり取りを見ながら、ジェンナはそう口にした。
リリアーナははっとしたように頷き、窓口側の席に座る。
そしてジェンナは説明を始める。
「預け入れの時も、引き出しの時も、基本はカウンターの職員に声を掛けてくれればいいわ。あとは職員の指示に従えばオッケーね」
「なるほど、こちらで何か用意するものはありますか?」
「基本的にはないわ。預け入れも、引き出しも、お金の出し入れは全て職員が行うからね。強いて言うなら、今日受け取る通帳を忘れないようにね」
通帳という言葉を聞き、トーヤは周囲を軽く見回す。
(地球にあるATMのようなものはないようですね。まぁ当たり前ですが)
二四時間利用可能なATMのようなものがあればお金の出し入れも楽だろうと思ったが、さすがにこの世界にそんなものがないことは、トーヤにもなんとなく分かっていた。
「それでは……口座の開設と、こちらをお預けしてもよろしいでしょうか?」
そう口にしたトーヤは、鞄の中に手を突っ込むと、中を探すふりをしてアイテムボックスを発動し、お金の入った大き目の袋を取り出した。
「あら、結構な額が残っていたのね。あまり使っていないのかしら?」
「ジェンナ様に紹介していただいた宿はお値段のわりに、サービスが素晴らしいので、入り用な物があまりなくて」
「ふーん。そうは言ってもお洋服とか、消耗品とか、いろいろ必要になるでしょ? それにずっと宿にいるっていうのもねぇ」
リリアーナが処理を進めながら、そんなことを口にした。
「あまりオススメではありませんか? 料理も掃除も全部してくれるので、私としてはとても楽なのですが」
「どこかに家を借りた方が、ずっと宿を借りるよりは安くつくんじゃない? あっ、もういっそのこと家を買っちゃうとかもありね!」
「さ、さすがに家を買うというのは、夢のまた夢ですかね」
一国一城の主、という言葉に多少の憧れはあるものの、現在だけでなく日本人だった頃から、トーヤは家を買おうとは考えたこともなかった。
「そうかしら? トーヤくらい仕事ができるなら、近い未来でそうなっていてもおかしくはないけれどね」
「ジェンナ様まで、やめてくださいよ」
リリアーナだけではなくジェンナにまでそう言われてしまい、トーヤは苦笑いを浮かべた。
その後、ジェンナとリリアーナの指示に従い、トーヤはいくつかの書類に名前を記入した。
そうして五分ほどが経ち、リリアーナが口を開く。
「……よし、これで手続きは完了ね!」
「今後のお給料は口座に振り込むということでいいのかしら?」
最後にジェンナが確認を取ると、トーヤは頷く。
「そうしていただけるとありがたいです」
リリアーナはトーヤに通帳を渡すと、思い出したように疑問を投げ掛ける。
「あっ、そうそう、トーヤ君。今日はオークションに行っていたのよね。どうだったかしら? 楽しかった?」
「あー……楽しかったというか……驚きました……一人の商人が大変なことになりましたからね」
「……はい?」
トーヤの言葉の意味が分からず、リリアーナは首を傾げる。
すると、ジェンナが迫力のある笑みを浮かべた。
「うふふ。彼はちょっとおいたが過ぎたもの、仕方がないわ」
その様子を見て、ジェンナが何かしたことを理解したリリアーナは、小さく怯えながら苦笑いを浮かべる。
「……ま、まあ、よく分からないけど、仕方がないですね」
「……そうですね。えぇ、その通りです」
トーヤもジェンナの表情に恐怖を感じながらそう言った。
「それじゃあ、トーヤはさっさと帰って休みなさい。もうあがりでいいからね」
「おっと、先ほどリリアーナさんにも言われたのでした……それでは、お先に失礼いたします」
本当であればもっと働いていたいと思ったトーヤだが、先ほどから一向に変わることのないジェンナの笑みを前にしては、彼女に従う他なかった。
その後、ギルド全体に挨拶を済ませたトーヤは、足早に商業ギルドをあとにした。
道を歩きながら、トーヤは気づけば自然と軽く肩を回していた。
平時より少し早い帰宅時間ではあったが、仕事が終わったと自覚した途端、ドッと疲れを感じる。
「どうやら冒険者ギルドでのやり取りで、思いのほか疲れを溜めてしまったようですね」
肩を回す動作を佐鳥冬夜が行っていたら、周りからおじさん臭いと思われていたかもしれないが、今の彼は少年の姿である。
その行動は周囲を歩く人々に可愛らしいと思われることはあっても、おじさん臭いとは思われていなかった。
トーヤはそのまま歩き続け、日が暮れた直後に宿の前に辿り着いた。
「ようやく宿に着きましたね」
ジェンナやリリアーナと家を借りるか、買うか、という話をしていたものの、今のトーヤにとってはこの宿が、我が家のような感覚になっている。
門構えを見ると自然とリラックスすることができた。
「やはり、ここに来ると落ち着きます」
そう呟きながら中に入ると、カウンターに立っていた女将に会釈をし、トーヤは自分の部屋へ戻っていく。
「……とはいえ、リリアーナさんの言う通り、宿に泊まり続けるのは問題もありますよね」
部屋に戻って早々、トーヤは改めて自分の状況を考える。
もしも、宿の女将から出ていってほしいと言われたら、トーヤは一瞬にして寝泊まりするところを失うことになってしまう。
今となっては頼れる人も増え、一日、二日くらいはどうにかなるのではないかと思わなくもないが、やはり安定した住居というのは必要ではないかと、トーヤは感じた。
「……衣食住、このどれかが欠けては、満足いく生活は送れませんからね」
しかし、新しい住居を探すとなれば、すぐにどうこうできる問題でもない。
「……あとでしっかりと考えなければなりませんね。とはいえ、今日は疲れましたし、食事をしたらすぐに寝てしまいましょう」
そう考えたトーヤは、部屋を出るとそのまま食堂へ向かう。
「お前のせいだぞ!」
「お、俺のせいじゃありませんよ!」
すると、食堂の入り口前までやってきたトーヤの耳に、男性同士が言い争う声が聞こえてきた。
声は食堂の奥から聞こえてきており、いったい何があったのかと中を覗き込む。
「……おや? あの方々は……さて、どうしましょうか」
言い争いをしているのはガメイとメダだった。
日中に見た顔ぶれを前に、トーヤはどうしたものかと思案する。
「ん? あっ! お前は!」
すると、メダがトーヤに気づき、怒声を響かせた。
そしてガメイと共に、トーヤに近づいてくる。
「貴様! よくも私を侮辱してくれたな!」
どうして彼らがここにいるのか気になったが、トーヤはひとまずガメイに答える。
「侮辱も何も、私はありのままの事実をお伝えしただけですが?」
「ふざけるな! 貴様のせいで私の商会は終わりなのだぞ!」
「それは自業自得だと思うのですが? 競り落とした値段で購入せず、いちゃもんをつけて無理やり価格を下げようとしたわけですからね」
「黙れ! おい、お前ら!」
ガメイがそう口にすると、他のテーブルに座っていたガタイのいい男性たちが一斉に立ち上がる。
その数は四人。
「護衛として連れてきていたが、ちょうどいい! 憂さ晴らしに貴様をボコボコにしてやる!」
「ちょっと、やめないかい!」
「黙れ! 邪魔をするな!」
言い争いにトーヤが巻き込まれていることに気づいた女将が間に入ろうとしたが、ガメイはやめるつもりなど毛頭ない。
このままでは自分だけではなく、女将まで巻き込まれてしまうと思ったトーヤだったが――
「やっほー! やっぱりいたね、トーヤ!」
そこへ聞き慣れた、そして頼りになる人物の声が聞こえてきた。
「ミリカさん! それに、ダインさんにヴァッシュさんも!」
「何やら言い争っている声が聞こえてきたが……ふむ、なかなかに物騒な状況だな」
「てめぇら、ガキを相手に何してんだ? あぁん?」
トーヤがスフィアイズへ転生した直後、彼を見つけて助けてくれた冒険者パーティ、瞬光のミリカ、ダイン、ヴァッシュが、トーヤの後ろから現れた。
「なんだと!? 商品の偽装をしただけでなく、取引を一方的に中止するなんて、そんなことが許されると思っているのか!」
「あら? 許すも何も、当然のことではなくて?」
ギグリオの言葉にガメイが怒声を響かせると、扉の方から別の声が聞こえてきた。
トーヤは聞き慣れた声に、思わず振り返る。
「……ジェンナ様?」
そこには商業ギルドの長であるエルフの女性――ジェンナが立っていた。
「すまない、ジェンナ。あなたの言う通りになってしまった」
「気にしないで。こうなると思っていたから、顔を出しに来たのよ」
ギグリオとジェンナが話をしていると、ガメイは勢いよく立ち上がる。
「ジェンナ殿! こ奴らは私を……商人を舐めております!」
ガメイはギグリオとジェンナの間に入り、彼女に声を掛けた。
「……はぁ。あなた、勘違いしているようね?」
「…………な、何を仰っているのですか?」
ジェンナがため息を吐くも、ガメイは彼女が自分の味方であると信じてやまない様子だ。
「商人を舐めているのはあなたでしょう、ガメイ!」
「そ、そんなことはありません! ギグリオ殿はこのような小僧を古代眼持ちの鑑定士だと偽っていました。舐めているとしか思えません!」
「おいおい。それをジェンナに言うか? ……いや、そうか。こいつらは知らないんだったな」
ガメイたちがラクセーナの外から来たことを思い出し、ギグリオは呆れた眼差しをガメイに向ける。
「トーヤを古代眼持ちだと偽った、ですって?」
「その通りです! その上、偽りの素材で金を騙し取ろうとしたのですよ!」
ジェンナの冷たい視線をその身に受けながらガメイが答えた。
「……そうなの、トーヤ?」
「騙そうとしてきたのはガメイさんの方です。向こうの鑑定士であるメダさんが成竜の鱗を幼竜の鱗と言い、値下げをしろと脅してきました」
「何を言っておるか! 貴様のような嘘つき小僧の戯言を、ジェンナ殿が信じるわけが――」
「ふーん、わたくしたちのところの専属鑑定士を嘘つき呼ばわりねぇ」
「全く、本当に嘘をつくのも大概に……は? 今、なんと?」
怒り心頭という様子のガメイだったが、ジェンナの言葉を聞いて、一気に顔が青ざめていく。
それはメダも同じで、全身がガタガタと震えだしていた。
「トーヤはラクセーナ商業ギルドの専属鑑定士よ。彼が古代眼持ちであることは、わたくしが直に確認しているわ。それでも彼の鑑定結果が嘘だと言い張るの?」
「……ま、まさか、そんな?」
ガメイは衝撃の事実を聞いたと言わんばかりに、小さく震えだした。
ジェンナは気にせず続ける。
「あなたは確か、ラクセーナよりも小さな都市で商会を立ち上げていたわね? わたくしたちともいくつか取引をしていたはず」
「えっと、それは、その……」
「ここに宣言してあげるわ。ラクセーナ商業ギルドも、冒険者ギルドと同様に、あなたたちとの取引には今後一切応じません」
「そ、そんな!?」
ジェンナの一声にガメイが愕然とし、よろよろと後退ると、椅子に足を取られてドサッと地面に尻もちをついた。
「そうそう。ご存じだと思うけれど、商業ギルドには商業ギルドの情報網があるわ。あなた方が汚い手を使ってフレイムドラゴンの成竜の鱗を手に入れようとしたことは、すぐに他の都市のギルドや商会にも広まるでしょうね」
最後にジェンナがそう言い渡すと、ガメイは放心したようにだらりと脱力した。
「そこのあなた。メダさんでしたっけ?」
「は、はい!」
「この邪魔な人間を運び出してくれるかしら? 今すぐに、いいわね?」
「か、かかかか、かしこまりました! 失礼いたします!!」
ジェンナの言葉を聞き、メダはてきぱきとした動きでガメイを担ぎ上げ、一目散に部屋を出ていってしまった。
「助かった、ジェンナ」
ギグリオがお礼を口にすると、ジェンナは手を振った。
「彼の悪評は以前から聞いていたもの。いろいろなところで強引な値切りを繰り返していたようだし、切り捨てる良い機会だったわ」
「ありがとうございました。ギグリオさん、ジェンナ様」
すると今度はトーヤが、二人に対してお礼を口にした。
「私が表立って責められないよう、気を遣っていただきましたよね?」
トーヤがそう口にすると、ギグリオは豪快な笑みを、ジェンナは柔和な笑みを浮かべる。
「んなことを子供が気にすんじゃねえっての」
「そうよ、トーヤ。それにわたくしは立場上、あなたの上司だもの。部下を守るのは上司の役目なのよ」
「……それでも、感謝の気持ちを口にしたかったのです」
そんなトーヤの発言に、ギグリオとジェンナは顔を見合わせる。
そして、同時に軽く肩を竦めた。
「まあ、坊主はめちゃくちゃ律儀だからな」
「そうね。トーヤだものね」
「……それは褒めていますか? それとも貶していますか?」
最後の発言を聞きジト目になったトーヤを見て、ギグリオとジェンナは軽く笑った。
その後、ギグリオは思い出したように口を開く。
「そうだ、ジェンナ。さっき聞いたんだが、坊主は銀行口座を持っていないらしい」
「あら、そうだったの? って、言われてみれば、異世界から来たトーヤは一人じゃ口座を作れないわね。気づいてあげられなくてごめんなさい」
「あぁ、そう言えばそうだな」
トーヤが異世界から来たことを知っているジェンナとギグリオは納得したように頷いた。
二人のやり取りに疑問を持ったトーヤは首を傾げる。
「異世界人だと口座は作れないんですか?」
トーヤの問いにジェンナが答える。
「正確に言えば違うわね。ラクセーナでは子供が口座を作る時は保護者の許可が必要なのよ。でもトーヤはこの世界に保護者がいないでしょう?」
「あぁ、なるほど……となると、私は大人になるまで口座を作れないのでしょうか」
「大丈夫よ。身寄りのない子供の場合、身分を証明する大人がいれば口座は作れるわ。わたくしがあなたの身分を保証してあげる」
「宿に金を隠しているみたいだし、誰かに盗まれる前に早く口座を作った方がいいんじゃないか?」
ギグリオが心配そうにいうが、トーヤは遠慮したように手を振る。
「いえいえ! 本当にお気になさらず。ジェンナ様の都合の良いタイミングで構いませんので」
「わたくしは大丈夫よ。オークションの仕事が終わり次第、銀行口座を作りましょう」
「本当はお金はアイテムボックスに入っているからどこに預けるよりも安全です」と口にしたい気持ちを抑え、トーヤは小さく頭を下げるのだった。
その後、オークションで競り落とされた商品の受け渡しが次々と行われ始めた。
一番の大物を競り落とした相手が姑息な手を使おうとしたということで、受け渡しの場にはジェンナも同席することになった。
落札者たちはトーヤが古代眼持ちの鑑定士だと聞かされると、皆最初は鼻で笑っていた。
しかしジェンナが登場して商業ギルドの専属鑑定士だと伝えると、手のひらを返したように何度も頭を下げるようになり、受け渡しは滞りなく執り行われた。
こうして一〇〇万ゼンス以上で落札された商品の受け渡しが全て終わったあとで、トーヤはジェンナと共に商業ギルドに戻っていった。
商業ギルドに着いたのは夕暮れ時で、定時まではあと少しという状況だ。
入り口のドアを開けるや否や、ジェンナは急ぎ足で自室に戻る。
そしてトーヤは自身の担当である鑑定窓口の前に座った。
「お帰り、トーヤ君。ねえねえ、ギルマス、どうかしたの? 急いでいたみたいだけど……」
商業ギルドの副ギルドマスター、リリアーナはトーヤに横歩きで近づき、尋ねた。
「お疲れ様です、リリアーナさん。実は、私が銀行口座を持っていないと知ったジェンナ様が、急いで作ろうと言ってくれまして、その準備をしているのかと思います」
「えっ? トーヤ君、口座を持っていなかったの?」
「はい。毎月手渡しでお給料をいただいておりました」
リリアーナはまさかといった表情を浮かべるが、トーヤは特に気にした様子もない。
「……なんで口座が欲しいって言わなかったの?」
「銀行があるなんて思わなかったもので」
「お金の管理は?」
「宿に保管を――」
「今すぐに取ってきなさい。そしてすぐに口座に預けなさい」
『仕事を抜けろ』という意味の発言に、トーヤは目を丸くしてしまった。
「……そ、そんなに急ぐことでもないような?」
「あのね。いくら上等な宿とは言っても、絶対安全ではないのよ。それに商業ギルドのお給料は他よりもいいの。それを裸のまま隠しているだけだなんて、危険すぎるわ!」
本当はアイテムボックスに入れているのだと教えてあげたい気持ちになったが、トーヤは思いとどまる。
その後少し考え、トーヤはリリアーナに従うことにした。
「かしこまりました。宿へ戻っている時間は休憩として、その分の仕事はあとでしますので――」
「もうあがり扱いで構わないわ。オークションも大変だっただろうし」
「いえいえ、大変だったのはジェンナ様とギグリオさんで――」
「トーヤ君はあがり! 急いでお金を取ってきなさい! いいわね!」
「……かしこまりました」
有無を言わせぬ迫力でそう言われてしまい、トーヤの早あがりは確定となった。
トーヤは簡単に荷物を纏め、一人商業ギルドを出る。
とはいえ、宿へ戻らなくてもお金はアイテムボックスに入っている。
そのため、トーヤは商業ギルドの周りをゆっくりと散歩したのち、何食わぬ顔で建物内に戻った。
「お待たせいたしました」
するとリリアーナは怪訝な表情でトーヤを見てくる。
「……どうしたのですか?」
「……帰ってくるの、早くないかしら?」
「そう言われましても、お金は持ってきましたよ?」
トーヤがそう伝え、肩にかけた鞄を掲げる。
するとリリアーナは首を傾げながら、不思議そうに呟く。
「……まあ、それならいいんだけど」
リリアーナが納得いかなそうにしていると、二階からジェンナが降りてきた。
「あら。もう荷物の準備はできているみたいね。早いわね、トーヤ」
「急いで取ってきましたので。それで、これから銀行に行くのでしょうか?」
「その必要はないわ。ついてきて」
ジェンナはそう言って歩き出し、トーヤ、そしてリリアーナも彼女のあとに続く。
そして、商業ギルドの端の小さなカウンターへと向かった。
その上には小さく、『銀行カウンター』の文字が書かれた看板がぶら下がっている。
「あ……商業ギルド内に窓口があったのですね。全く気づきませんでした」
「ここは出張窓口だけどね。利用者も少ないし、鑑定窓口とは距離があるから、見逃していても無理ないわ」
「そうですね、こちらでお世話になることが決まってからは、仕事を覚えるのに必死でしたので、こちらのエリアは見ていませんでした」
頬を掻きながらトーヤがそう口にすると、リリアーナは申し訳なさそうに謝罪する。
「忙しくさせちゃっていたもんね。ごめんね、トーヤ君」
「いえいえ! そんなつもりで言ったのではないのです。気にしないでください」
含みを持った言い方になってしまったと思い、トーヤは慌てて両手を振った。
すると、ジェンナは微笑みながら口を開く。
「リリアーナも、トーヤが皮肉を言ったなんて思っていないわよ。ただ忙しくさせていることを謝罪したかった。そうじゃなくて?」
「はい。トーヤ君には感謝してもしきれないくらい、お世話になっちゃっているので」
「それはこちらのセリフですよ。商業ギルドの皆さんには大きな恩がありますから」
「恩? それこそこっちのセリフよ」
トーヤは、誰ともしれない子供である自分を引き受けてくれた商業ギルドには返しても返し切れないほどの恩があると思っている。
だからこそ少しでも仕事に貢献できればいいなと考え、必死に働いていた。
一方でリリアーナは、仕事ができる相手であれば子供でも雇い入れるというジェンナの方針を知っている。
故に、トーヤが雇われたことは必然であると思っており、トーヤが商業ギルドに恩義を感じているという発想自体持っていなかった。
それどころか、一生懸命に働き他の職員も助けてくれるトーヤには、リリアーナも恩を感じていたのだ。
「うふふ。お互い同じように思っているってことね。でも今はその話は置いておきましょう。リリアーナ、事務作業をお願いしてもいいかしら」
トーヤとリリアーナのやり取りを見ながら、ジェンナはそう口にした。
リリアーナははっとしたように頷き、窓口側の席に座る。
そしてジェンナは説明を始める。
「預け入れの時も、引き出しの時も、基本はカウンターの職員に声を掛けてくれればいいわ。あとは職員の指示に従えばオッケーね」
「なるほど、こちらで何か用意するものはありますか?」
「基本的にはないわ。預け入れも、引き出しも、お金の出し入れは全て職員が行うからね。強いて言うなら、今日受け取る通帳を忘れないようにね」
通帳という言葉を聞き、トーヤは周囲を軽く見回す。
(地球にあるATMのようなものはないようですね。まぁ当たり前ですが)
二四時間利用可能なATMのようなものがあればお金の出し入れも楽だろうと思ったが、さすがにこの世界にそんなものがないことは、トーヤにもなんとなく分かっていた。
「それでは……口座の開設と、こちらをお預けしてもよろしいでしょうか?」
そう口にしたトーヤは、鞄の中に手を突っ込むと、中を探すふりをしてアイテムボックスを発動し、お金の入った大き目の袋を取り出した。
「あら、結構な額が残っていたのね。あまり使っていないのかしら?」
「ジェンナ様に紹介していただいた宿はお値段のわりに、サービスが素晴らしいので、入り用な物があまりなくて」
「ふーん。そうは言ってもお洋服とか、消耗品とか、いろいろ必要になるでしょ? それにずっと宿にいるっていうのもねぇ」
リリアーナが処理を進めながら、そんなことを口にした。
「あまりオススメではありませんか? 料理も掃除も全部してくれるので、私としてはとても楽なのですが」
「どこかに家を借りた方が、ずっと宿を借りるよりは安くつくんじゃない? あっ、もういっそのこと家を買っちゃうとかもありね!」
「さ、さすがに家を買うというのは、夢のまた夢ですかね」
一国一城の主、という言葉に多少の憧れはあるものの、現在だけでなく日本人だった頃から、トーヤは家を買おうとは考えたこともなかった。
「そうかしら? トーヤくらい仕事ができるなら、近い未来でそうなっていてもおかしくはないけれどね」
「ジェンナ様まで、やめてくださいよ」
リリアーナだけではなくジェンナにまでそう言われてしまい、トーヤは苦笑いを浮かべた。
その後、ジェンナとリリアーナの指示に従い、トーヤはいくつかの書類に名前を記入した。
そうして五分ほどが経ち、リリアーナが口を開く。
「……よし、これで手続きは完了ね!」
「今後のお給料は口座に振り込むということでいいのかしら?」
最後にジェンナが確認を取ると、トーヤは頷く。
「そうしていただけるとありがたいです」
リリアーナはトーヤに通帳を渡すと、思い出したように疑問を投げ掛ける。
「あっ、そうそう、トーヤ君。今日はオークションに行っていたのよね。どうだったかしら? 楽しかった?」
「あー……楽しかったというか……驚きました……一人の商人が大変なことになりましたからね」
「……はい?」
トーヤの言葉の意味が分からず、リリアーナは首を傾げる。
すると、ジェンナが迫力のある笑みを浮かべた。
「うふふ。彼はちょっとおいたが過ぎたもの、仕方がないわ」
その様子を見て、ジェンナが何かしたことを理解したリリアーナは、小さく怯えながら苦笑いを浮かべる。
「……ま、まあ、よく分からないけど、仕方がないですね」
「……そうですね。えぇ、その通りです」
トーヤもジェンナの表情に恐怖を感じながらそう言った。
「それじゃあ、トーヤはさっさと帰って休みなさい。もうあがりでいいからね」
「おっと、先ほどリリアーナさんにも言われたのでした……それでは、お先に失礼いたします」
本当であればもっと働いていたいと思ったトーヤだが、先ほどから一向に変わることのないジェンナの笑みを前にしては、彼女に従う他なかった。
その後、ギルド全体に挨拶を済ませたトーヤは、足早に商業ギルドをあとにした。
道を歩きながら、トーヤは気づけば自然と軽く肩を回していた。
平時より少し早い帰宅時間ではあったが、仕事が終わったと自覚した途端、ドッと疲れを感じる。
「どうやら冒険者ギルドでのやり取りで、思いのほか疲れを溜めてしまったようですね」
肩を回す動作を佐鳥冬夜が行っていたら、周りからおじさん臭いと思われていたかもしれないが、今の彼は少年の姿である。
その行動は周囲を歩く人々に可愛らしいと思われることはあっても、おじさん臭いとは思われていなかった。
トーヤはそのまま歩き続け、日が暮れた直後に宿の前に辿り着いた。
「ようやく宿に着きましたね」
ジェンナやリリアーナと家を借りるか、買うか、という話をしていたものの、今のトーヤにとってはこの宿が、我が家のような感覚になっている。
門構えを見ると自然とリラックスすることができた。
「やはり、ここに来ると落ち着きます」
そう呟きながら中に入ると、カウンターに立っていた女将に会釈をし、トーヤは自分の部屋へ戻っていく。
「……とはいえ、リリアーナさんの言う通り、宿に泊まり続けるのは問題もありますよね」
部屋に戻って早々、トーヤは改めて自分の状況を考える。
もしも、宿の女将から出ていってほしいと言われたら、トーヤは一瞬にして寝泊まりするところを失うことになってしまう。
今となっては頼れる人も増え、一日、二日くらいはどうにかなるのではないかと思わなくもないが、やはり安定した住居というのは必要ではないかと、トーヤは感じた。
「……衣食住、このどれかが欠けては、満足いく生活は送れませんからね」
しかし、新しい住居を探すとなれば、すぐにどうこうできる問題でもない。
「……あとでしっかりと考えなければなりませんね。とはいえ、今日は疲れましたし、食事をしたらすぐに寝てしまいましょう」
そう考えたトーヤは、部屋を出るとそのまま食堂へ向かう。
「お前のせいだぞ!」
「お、俺のせいじゃありませんよ!」
すると、食堂の入り口前までやってきたトーヤの耳に、男性同士が言い争う声が聞こえてきた。
声は食堂の奥から聞こえてきており、いったい何があったのかと中を覗き込む。
「……おや? あの方々は……さて、どうしましょうか」
言い争いをしているのはガメイとメダだった。
日中に見た顔ぶれを前に、トーヤはどうしたものかと思案する。
「ん? あっ! お前は!」
すると、メダがトーヤに気づき、怒声を響かせた。
そしてガメイと共に、トーヤに近づいてくる。
「貴様! よくも私を侮辱してくれたな!」
どうして彼らがここにいるのか気になったが、トーヤはひとまずガメイに答える。
「侮辱も何も、私はありのままの事実をお伝えしただけですが?」
「ふざけるな! 貴様のせいで私の商会は終わりなのだぞ!」
「それは自業自得だと思うのですが? 競り落とした値段で購入せず、いちゃもんをつけて無理やり価格を下げようとしたわけですからね」
「黙れ! おい、お前ら!」
ガメイがそう口にすると、他のテーブルに座っていたガタイのいい男性たちが一斉に立ち上がる。
その数は四人。
「護衛として連れてきていたが、ちょうどいい! 憂さ晴らしに貴様をボコボコにしてやる!」
「ちょっと、やめないかい!」
「黙れ! 邪魔をするな!」
言い争いにトーヤが巻き込まれていることに気づいた女将が間に入ろうとしたが、ガメイはやめるつもりなど毛頭ない。
このままでは自分だけではなく、女将まで巻き込まれてしまうと思ったトーヤだったが――
「やっほー! やっぱりいたね、トーヤ!」
そこへ聞き慣れた、そして頼りになる人物の声が聞こえてきた。
「ミリカさん! それに、ダインさんにヴァッシュさんも!」
「何やら言い争っている声が聞こえてきたが……ふむ、なかなかに物騒な状況だな」
「てめぇら、ガキを相手に何してんだ? あぁん?」
トーヤがスフィアイズへ転生した直後、彼を見つけて助けてくれた冒険者パーティ、瞬光のミリカ、ダイン、ヴァッシュが、トーヤの後ろから現れた。
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