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3話 異世界娼館『紅燭楼』

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 強い日差しを顔面に受けて、ふと意識を取り戻した。
 体が重い……どうやら寝過ぎたようだ。
 いや、この倦怠感……昨日の催眠オナニーの影響かもしれない。

「ゴホ、ゴホッ!」

 何やらやけに埃っぽい。
 俺は重い体を起こし、目を開けた。

「……へぇ?」

 見たこともない景色が視界を埋め尽くした。
 どう見ても自分の部屋ではない。
 石壁で出来た狭い部屋の中だ。
 周りには雑に並べられたタンスやテーブル、椅子などがひしめき合い、毛布やシーツといった寝具がそこら中に山積みにされている。

「おいおい、何処だよここ……」

 俺は急いで立ち上がり、光が射し込む窓辺に向かった。

「えっ……えぇっ!?」

 三階くらいの高さだろうか。
 窓の外を眺めると、青空の下に中世ヨーロッパ風の石造りの街並みが広がった。
 街道沿いには綺麗に造られた運河が流れていて、数々の小舟が行き交っている。
 通りを歩く人々は日本人とは思えない風貌だ。
 いやそれどころか、ファンタジーの世界でしか見たことのない異種族らしき人がチラホラいる。

 俺は夢かどうかを確かめる為、自分のほっぺたを何度も叩いた。

「夢じゃない……。まさか、本当にペロリンが俺を異世界に飛ばしてくれたっていうのか……?」

 街並みを眺めながらそんな事をぼやいた時だった。
 突然、後ろからガチャっとドアが開く音がした。

「あら? アンタ起きてたのかい」

 ドアの方を振り返ると、シーツの束を抱えた小太りのおばちゃんが立っていた。

「え……」
「悪かったねぇ、こんな汚い物置部屋に寝させちまって。他の部屋が空いてなかったんだよ」

 おばちゃんは何の気なしに部屋に入って来ると、抱えていたシーツの束をタンスに収め始めた。

「黒髪なんて珍しいねぇ。何処の国から来た行商人だい?」
「行商人? いや、そういうのじゃ……」
「そんじゃ旅芸人ってところかい? その軟弱な体つきじゃ冒険者ってわけでもないんだろう?」

 おばちゃんは面識のないはずの俺を見ても全く動じる様子がない。
 というより、俺がこの部屋で寝ていた事を認知しているようだ。
 状況はよく分からないが、適当にごまかして色々と話を聞き出してみるか。

「実は記憶が殆どなくて、ここが何処で自分が誰なのか分からないんです」
「ええ? そりゃ大変だわねぇ。何も覚えてないのかい?」
「あ、名前だけは覚えてます。守永もりながみさおです」
「モリナガミサオ? 変わった名前ねぇ。何処の国の名前かしら……」
「さあ、何処ですかね……はは」

 この様子じゃおばちゃんに日本なんて言っても分かってもらえないだろう。

「重症だねぇ。ここはね、セクシス王国領のシュバインって街さ。大きな海港があって交易が盛んな街よ。色んな国の人がこの街を訪れるから亜人や獣人なんかの異種族もわんさかいるの。そんでもってここはあたしがやってる小さな旅館さ」
「へぇ、旅館ですか」

 おばちゃんの話からしてやっぱりここは元いた世界じゃない。
 どうやら俺は本当に異世界に転移してきたみたいだ。
 という事はだ、昨日のあの淫らな女の事も夢じゃなかったのかもしれない。
 それと気になるのは、俺は何故か異世界の言葉を理解出来ている事。
 ペロリンが異世界の環境に対応出来るように体をいじるとか言ってたけど、そのお陰だろうか。
 確か魔法も使えるようになるって言ってたな。

「そんでアンタね、昨日の晩にうちの店の前で倒れてたのよ。酔い潰れてたのか知らないけど、何しても起きないもんだからお客さんに三階のこの部屋まで運んでもらったのさ。店の前で死なれちゃ困るからねぇ」

 なるほど、そういう事になってるのか。
 
「迷惑掛けてすいません。あの、助けてくれてありがとうございます」
「礼なんていいんだよ。こっちが勝手にやった事だからね。それはそうとアンタ、取りあえずこれでも着てな。靴はそこら辺に転がったのを適当に履いとくれ」

 おばちゃんはタンスから亜麻色の上下の服とパンツのようなものを取り出し、俺の足元にぽいと投げた。

「え、服?」
「え、じゃないわよ。その粗末なモノをいつまでアタシに見せとくつもりだい」

 おばちゃんはそう言うと、俺の下半身に視線を落として鼻で笑った。
 その視線を追うように自分の体を見てみると、全裸で朝勃ちの真っ最中だった。

「……うわぁっ!」

 俺は急いで床に置かれた服を拾い、股間を隠した。
 何という不覚。わけの分からない状況でついうっかりしていた。
 そういえば昨日、催眠オナニーをする為に素っ裸でベッドに入っていたんだ。

「あの、何から何まですいません。服、借りますね……」
「いいのさ。どうせタンスの肥やしだった物だからねぇ。多分アンタ、道で眠ってる間に賊にでも襲われて身包み剥がされちまったんだろ。ここらの通りは夜になるとそういう輩がよく徘徊してるから」

 俺は渡された荒い繊維の服を着て、転がっていた革のサンダルを履いた。
 なんだか古代ローマ人にでもなったような気分で、本当に異世界に来たんだって感じがする。

「アンタ、記憶がないんじゃ行く当てもなくて困るわよねぇ。これからどうするつもりだい?」

 そうだ。
 異世界に来たからって浮かれている場合じゃない。
 今まで通り親のすねをかじって生きていく事は出来ないし、何とかして職と住む場所を探さないと数日で人生詰みだ。
 しかし、三十年間無職の俺が簡単に出来る事じゃない。
 どうする……。

「もし困ってるなら、記憶が戻る間だけでもうちに住み込みで働くかい?」

 何というご都合展開。
 これはまたとないチャンスだ。話に乗るしかない。

「あの、いいんですか? そうさせてもらえるなら本当に助かるんですが」
「遠慮しなくてもいいんだよ。あたしも腰を悪くしててちょうど男手が欲しかったところなのさ。それにアンタ悪そうな人間には見えないしねぇ」
「それなら、是非お願いしたいです!」
「ただ、うちもカツカツでやってるからねぇ、部屋と食事は用意したげるけど給料はないもんだと思っとくれよ」
「はい、それで十分です」
「それじゃあ決まりだ。あたしゃこの旅館、紅燭楼こうしょくろうの女将をやってるムーアってもんさ。アンタはモリナガ……って言ったっけねぇ?」
「守永貞です。ミサオって呼んでください」
「ミサオね。じゃあミサオ、よろしく頼むよ」
「はい、よろしくお願いします!」

 これで何とか首の皮が繋がった。
 しかし俺もついに無職卒業か……長かったな。
 旅館ってどんな仕事をするんだろう。

「それと、うちの商売の話だけどねぇ」
「あ、はい」
「一応、表向きは旅館で通ってるんだけど、中身は奴隷を扱った娼館なのさ」
「え? 奴隷の娼館……ですか……」
「一般市民なんて雇ってたら店の儲けが少なくなるからねぇ。聞いて嫌になったかい?」
「いえ、そんな事は……。でも、表向きって事はバレたらマズいんですよね?」
「公言しなきゃ大丈夫よ。営業許可を取った公娼と違って、うちみたいな私娼の店は、売春行為をあくまでも店内で起こった情事として話を通さなきゃならないだけさ。それさえ守れば特にお咎めはないんだ。ここら辺に出してる娼館は全部そうだよ。公に営業するには厳しい審査があるからねぇ」
「全部って、そんなに娼館があるんですか?」
「ああ、ここらの通りは薔薇通りって呼ばれててね、そういう店ばかりが建ち並ぶ通りなんだ」
「なるほど……」
「だからここが娼館って事は他言無用で頼むよ。何か聞かれても旅館で通すんだ。分かったね?」
「はい……分かりました」

 雇ってもらっておいてこんな事を言うのも何だが、なんだかブラックな匂いがしてきた。
 本当に大丈夫だろうか……。
 でもまあ、衣食住を確保させてもらえるだけで良しとしないとな。
 何せ行く当ても頼る人もいないんだ。働き口がなけりゃ野垂れ死んでしまう。
 それに人生初の仕事。三十年間無職の俺が生まれ変われるチャンスでもある。
 そう思えば俄然やる気が出てきたぞ。
 そうだ、今日から俺の新たな人生が始まるんだ!

 と、そんな事を考えている時だった。
 部屋のドアがコンコンとノックされ、誰かが部屋に入って来た。

「おかさん、ここにいんすかぇ?」
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