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第二章:白鉛の街、パルマ
第十七話:白鉛の落日
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翌日。
早朝のパルマ市は、いつもの喧騒とは全く別種の慌ただしさに包まれていた。荷車を曳く人夫や、大荷物を背負って歩く男性、家族全員で馬車を押し進める親子の姿。老若男女様々な人が、皆一様に市外西門へと殺到していた。
時折、ハンマーを鉄板に打ち付ける甲高い金属音が、町中のあちこちから断続的に聞こえてくる。その音を聞いた市民達は皆、歩幅を一層大きく取り、早足に大通りを進んで行く。
即時避難を告げるこの耳障りな音は、無機質な拒絶のみを市民達に伝えていた。
「ここからでも聞こえるのね、あの嫌な音」
「嫌な音の方が、皆さっさと逃げてくれるだろ?」
パルマ市西部の平原地帯。先の会戦で臨時カノン砲兵団が陣を敷いていた丘に、エリザベスとイーデンは再び佇んでいた。二人の背後には、パルマ焦土作戦を言い渡されたリヴァン軍の兵士達が小休止を取っていた。深夜の強行軍だった為、皆疲れ果てた表情をしている。
「パルマ軍は、今頃防衛線の構築でもしてるんでしょうかね」
「多分な。フレデリカ大尉もクリス少尉も、落ち着きを取り戻してくれると良いんだが……」
「そういうアナタは逆に随分と落ち着いてるわね?」
パイプに火を付けながら腰を据えるイーデン。
「俺はパルマ出身じゃねえからな……まぁそれでも、今まで世話んなった街が消えちまうってのは、悲しいモンだな」
そうね、と相槌を打ちながら、空に登っていく紫煙を目で追いかける。今日は雲一つない晴天だ。
「おねぇちゃーん」
エレンが二人の居る丘に登ってくる。
「火薬の梱包終わったよ。後は前車に火薬を満載すれば良いんだよね?」
「ええそうよ。ちゃんと六両分用意した?」
「うん、ちゃんと六個用意したよ。パルマに架かる橋と同じ数……だよね?」
少し言い辛そうに答えながら、パルマの西門から出て来る市民達を見つめるエレン。
「あの人達は、パルマが死んじゃうって事、知らずに避難してるんだよね」
「そうよ。女伯閣下直々の箝口令が出されてるわ」
それ以上何も言わず、エリザベスは口をつぐんだ。
「……続きしてくるね~」
バツの悪さを感じ取ったエレンが丘を降りようとしたその時。
「あれ?お姉ちゃん、パルマの兵隊さんは今リヴァンに居るんだよね?」
「そうよ、自分の街を焼きたい人なんて居ないもの」
「じゃあ、あの近付いてきてる兵隊さん達は?あの濃い青色の服って、パルマ軍の制服だよね」
そんな馬鹿な事があるかと、冗談半分で振り返る二人。そこには確かに、リヴァン軍の青色の軍服とは異なる、濃い群青服の集団二十名程度が接近してくる。
「おいおい、マジか」
集団の先陣を切る一人の騎兵士官の顔が明らかになった時、イーデンが驚愕の声を上げた。
「クリス少尉……」
極限まで押し殺した声を、エリザベスが発する。
「まさか、焦土作戦に納得できずに妨害しに来たのか?」
全くの同感を覚えたエリザベスが、丘を脱兎の如く駆け降りる。あの集団をリヴァン軍と出会わせるのは非常に不味いと直感が叫んだのだ。
街道のど真ん中に躍り出ると、クリス率いる集団を迎え撃つ様に仁王立ちの姿勢になるエリザベス。
「やぁ、エリザベス士官候補」
何の変哲もない、普通の挨拶をするクリス。
「おはようございますわ、少尉殿。パルマの防御線構築の任務はどうしましたの?」
柔和な表情を保ちつつ、腰のピストルに手を掛けるエリザベス。彼女の警戒した様子に気付いたクリスは、両手を挙げ、敵意のない事を示した。
「勘違いさせてしまったのならすまない、我々はパルマ焦土作戦の手助けに来た」
よく見るとクリスはサーベルも、短銃も所持していない。後ろに続く歩兵達もマスケット銃や銃剣を所持しておらず、丸腰の状態だ。
「武器不携帯の条件と引き換えに、女伯閣下からの許しも得ている」
パルマ女伯の書状を懐から取り出すクリス。
「そ、そうでしたのね。失礼致しましたわ」
ひとまず内乱の心配が無くなり、胸を撫で下ろすエリザベス。しかしながら疑問が無くなったわけではない。
「なぜ、そこまでして手助けを?」
「……我らは先祖代々、自らの手でこのパルマの街を創り上げて来たのだ」
後ろの歩兵達を見ながら話すクリス。少尉含め彼らも皆、パルマ出身の者達なのだろう。
「それを壊すと言うのならば、せめて、自分達の手で壊させてほしいのだ」
昨夜とは打って変わって、憑き物のとれた、穏やかな笑顔で訴えるクリス。
そうか。この人達は自分の手で、故郷に引導を渡してあげたかったのか。
「……承知致しましたわ。少尉殿の覚悟を疑う様な振る舞い、お許し下さいませ」
故郷の最期を見届けにきたこの人達相手に、道を塞ぐ様な無粋なマネは出来ない。エリザベスは脇に逸れ、頭を下げた。
「かたじけない」
クリスの謝辞と同時に、小休止終了の笛が吹かれ、リヴァン軍の面々が腰を上げる。クリスの部隊はそのままリヴァン軍の最後尾に付き、焦土作戦部隊は前進を始めた。
避難して来たパルマ市民とすれ違う形で前進する焦土作戦部隊。市民達は気を遣って、両脇に避ける様にして道を譲ってくれている。しばらくの間、両者は無言で行き交うのみであった。
しかし、戦列が避難民集団の中程まで進んだ所で、突然子供がエリザベスの前に飛び出して来た。
「これあげる!」
そう言う幼い女の子の手には、手製の花冠が握られていた。急いで作ったのだろう、所々蔓が解れてしまっている。
「パルマをお願いね!」
無言で微笑みながら花冠を受け取るエリザベス。するとそれを皮切りに、避難民のあちこちから声援が上がった。
「俺達のパルマを守ってくれ!」
「ノール軍なんかに負けるな!」
「パルマ最奪還の一報、楽しみに待ってるわ!」
割れんばかりの声援に晒される焦土作戦部隊の部隊員達。誰もが皆、俯いていた。
私は今から貴方達の家を壊す。完膚無きまでに、完全に、容赦無く。
謝罪の言葉を嚥下し、エリザベスは覚悟を決めた。
◆
「発破!」
夕刻のパルマ市内に爆破音が響く。轟音と共に橋が崩落し、川面が飛沫を上げ、土埃が一帯を舞う。
「これで六脚目?」
爆風に髪を靡かせながらエリザベスが尋ねる。
「ああ、さっきオズワルドからも連絡があった。市内北部の橋も全部落とせたみてぇだ」
パルマ中央広場で作戦図を広げるイーデンとエリザベス。広げられた地図の至る所にバツ印が付けられていた。
「あら、中々のスピード感ね。オズワルドも慣れて来たのかしら」
瓦礫の山と化した市庁舎を見つめながらエリザベスが呟く。凱旋パレードの時に見た華やかな中央広場の姿は既に無く、枯れた噴水を囲む廃墟のみがあった。
「この責任をおっ被せられるノール軍に同情するぜ」
転がってきた小石を蹴飛ばすイーデン。
「そもそもノール軍が侵攻して来なかったら、焦土作戦なんてしないで済んだのよ?結局はノール軍のせいよ!この借りは必ず百倍にして返してやるわ!」
「それはまぁ、ご尤もなんだけどよ」
拳を突き上げながら叫ぶエリザベス越しに、パルマ市内を見つめるイーデン。
リヴァン軍の面々がツルハシとハンマーを用いて、ひたすら建物を破壊していく。完全に破壊する必要は無く、燃やした時に火が回りやすい様になっていれば良い為、ある程度破壊した後は、直ぐに次の建物の打ち壊しへ歩みを進めていた。
彼らの表情は、どこか楽しげだった。
「ある種のストレス発散になってそうだな」
「何かしらの楽しみを見出さないとやってられないんでしょ、多分……それで、クリス少尉の部隊の担当分は終わったの?」
地図に残された一点、バツ印が付けられていない住宅地区を指差しながら尋ねる。
「いや、まだ終わった報告は届いて――」
イーデンがそう言おうとした瞬間、クリス少尉の部隊が曲がり角から姿を現した。
「遅れてすまない。完了した」
「任務ご苦労でした。少尉殿」
エリザベスとイーデンが敬礼をする。
「少尉殿の担当地区が最後でした。この後、街に火を放ちますので、市外への退避をお願い致します。おいベス、俺はリヴァン軍指揮官へ任務完了を報告しに行くから、お前は先に少尉殿と一緒に市外に出ておいてくれ」
「承知致しましたわ。少尉殿、小官が先導いたしますわ」
自分よりも余程パルマに詳しい人に、パルマの道案内をするのは妙な気分だ。いつもの輓馬に跨り、クリスよりも申し訳程度に前へ出るエリザベス。
「しっかり着いてきてくださいましね?」
「この姿になったパルマを行くのは初めてだからな、道に迷ったら敵わん。先導頼むぞ」
返答に困る冗談を背に受けながら、馬を前に促す。変わり果てた姿の中央通りを進んで行く二人と、その後ろに続く数十人の歩兵達。
「……あの、少尉殿。ご家族はリヴァンに避難されたのですか?」
やはり無言が続くのは大変気まずい。何とかして話題を作りたい。
「妻とは朝にすれ違ったな。特に変わりない様で何よりだ」
「それは良かったですわ。お子様も奥様とご一緒でしたの?」
「いや、子供はもう居ない。五年前に戦死した」
「えっ」
「パルマ軍歩兵として、ノールとの小競り合いに駆り出された時にな。丁度貴様と同じくらいの歳だった」
辛そうな顔をするでも無く、クリスは身内の不幸を打ち明けた。
「そんな……それは、ご愁傷様でございま――」
その時、エリザベスの心に雷に打たれたかの様な衝撃が走った。
彼女は思い出してしまったのだ。
リヴァン市の川のほとりで、クリスに賄賂を渡そうとした時、自分は彼に何と言って渡そうとしたのかを。
『それに貴方、子供もいるでしょう?家族の為にも色々と入用なのではなくって?』
「わたくしは、なんてことを……!」
顔を両手で覆い、過去の自分の失態を悔やむ。
「あの時の事なら、特に何とも思っとらんよ。既に息子は死んでいると、あの場で伝えなかった私の性格が悪いだけだ」
「いいえっ、いいえっ!わたくしの無遠慮な物言いが全ての原因ですわ!本当に、本当に申し訳ございませんッ!」
何度も強くかぶりを振るエリザベス。
つくづく自分の無神経さが嫌になる。カロネード商会にいた時からそうだった。思った事をそのまま口に出す悪癖を止めろと、何度も指導を受けてきた筈なのに、結局直すことが出来なかった。
「よい、もう良い」
クリス少尉に、馬越しに頭をワシワシと撫でられる。
「今まで、私は息子が守ろうとしたパルマを守る為に生きてきた。パルマを守る為なら死んでも良いとさえ思っていた」
エリザベスが顔を上げると、まるで父親の様な、厳しくも優しい表情を浮かべるクリスと目が合った。
「そんな時に、パルマの丘で貴様と出会うことが出来た。良い迷惑かもしれんが、貴様と息子の姿が重なってしまってな。もう少し、生きてみようかと思えたのだ。それに……」
ポケットから木製の馬の玩具を取り出すクリス。
「過去との折り合いは、先程ケリを付けてきた。もうこの街に未練は無い」
後ろを振り返りながら呟くクリス。
「もしや、少尉殿が担当されていた住宅地区は……」
「その通り。私を含め、皆の生家がある地区だ」
エリザベスは、理解の遅すぎる自分自身を恥じた。
彼らは自分たちの家を、自らの手で破壊したのだ。数えきれぬ思い出達と共に。
我が家に鉄槌を振り下ろす瞬間の彼らの気持ちは、さぞ筆舌に尽くし難い物だったのだろう。
「エリザベス。いや、砲兵令嬢」
西門に到着したクリスが、縮こまっているエリザベスの背中に話し掛ける。
「何をしょげているのだ!これからの貴様の手腕に皆が期待しているのだぞ!」
「あ痛ァ!」
ベシッ、と背中を叩かれるエリザベス。
振り向くと、クリスを始め、歩兵の皆がニヤニヤ笑っていた。
「おうおう、俺たちゃ自分の帰る家をぶっ壊して来たんだぜ?もっと慕い甲斐のある顔してくれよ!」
「取られたんなら、また取り返せば良いだろがい!現に一度奪還出来たんだからよ!」
「砲兵令嬢なんて呼ばれてる小娘が、たった一回の勝利で満足する筈ねぇよなぁ!?」
彼らの方が余程辛いだろうに、笑って自分を勇気づけようとしてくれている。
ならば、此方もそれに応えねばなるまい。
「……おーっほっほっほ!」
突然、高笑いを繰り出すエリザベス。
「任せておきなさいな!このエリザベス・カロネードが、必ずや貴方達を勝利に導いて差し上げますわ!あとついでに軍団長も目指しますわ!」
当初の目的を、取って付けた様にねじ込みながら高らかに笑うエリザベス。
パルマの西門は、ほんの寸刻の間、嘗ての賑わいを取り戻した様な笑い声に包まれていた。
その夜、パルマの街は天を焦がす炎に包まれながら、永い――永い眠りについた。
早朝のパルマ市は、いつもの喧騒とは全く別種の慌ただしさに包まれていた。荷車を曳く人夫や、大荷物を背負って歩く男性、家族全員で馬車を押し進める親子の姿。老若男女様々な人が、皆一様に市外西門へと殺到していた。
時折、ハンマーを鉄板に打ち付ける甲高い金属音が、町中のあちこちから断続的に聞こえてくる。その音を聞いた市民達は皆、歩幅を一層大きく取り、早足に大通りを進んで行く。
即時避難を告げるこの耳障りな音は、無機質な拒絶のみを市民達に伝えていた。
「ここからでも聞こえるのね、あの嫌な音」
「嫌な音の方が、皆さっさと逃げてくれるだろ?」
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「パルマ軍は、今頃防衛線の構築でもしてるんでしょうかね」
「多分な。フレデリカ大尉もクリス少尉も、落ち着きを取り戻してくれると良いんだが……」
「そういうアナタは逆に随分と落ち着いてるわね?」
パイプに火を付けながら腰を据えるイーデン。
「俺はパルマ出身じゃねえからな……まぁそれでも、今まで世話んなった街が消えちまうってのは、悲しいモンだな」
そうね、と相槌を打ちながら、空に登っていく紫煙を目で追いかける。今日は雲一つない晴天だ。
「おねぇちゃーん」
エレンが二人の居る丘に登ってくる。
「火薬の梱包終わったよ。後は前車に火薬を満載すれば良いんだよね?」
「ええそうよ。ちゃんと六両分用意した?」
「うん、ちゃんと六個用意したよ。パルマに架かる橋と同じ数……だよね?」
少し言い辛そうに答えながら、パルマの西門から出て来る市民達を見つめるエレン。
「あの人達は、パルマが死んじゃうって事、知らずに避難してるんだよね」
「そうよ。女伯閣下直々の箝口令が出されてるわ」
それ以上何も言わず、エリザベスは口をつぐんだ。
「……続きしてくるね~」
バツの悪さを感じ取ったエレンが丘を降りようとしたその時。
「あれ?お姉ちゃん、パルマの兵隊さんは今リヴァンに居るんだよね?」
「そうよ、自分の街を焼きたい人なんて居ないもの」
「じゃあ、あの近付いてきてる兵隊さん達は?あの濃い青色の服って、パルマ軍の制服だよね」
そんな馬鹿な事があるかと、冗談半分で振り返る二人。そこには確かに、リヴァン軍の青色の軍服とは異なる、濃い群青服の集団二十名程度が接近してくる。
「おいおい、マジか」
集団の先陣を切る一人の騎兵士官の顔が明らかになった時、イーデンが驚愕の声を上げた。
「クリス少尉……」
極限まで押し殺した声を、エリザベスが発する。
「まさか、焦土作戦に納得できずに妨害しに来たのか?」
全くの同感を覚えたエリザベスが、丘を脱兎の如く駆け降りる。あの集団をリヴァン軍と出会わせるのは非常に不味いと直感が叫んだのだ。
街道のど真ん中に躍り出ると、クリス率いる集団を迎え撃つ様に仁王立ちの姿勢になるエリザベス。
「やぁ、エリザベス士官候補」
何の変哲もない、普通の挨拶をするクリス。
「おはようございますわ、少尉殿。パルマの防御線構築の任務はどうしましたの?」
柔和な表情を保ちつつ、腰のピストルに手を掛けるエリザベス。彼女の警戒した様子に気付いたクリスは、両手を挙げ、敵意のない事を示した。
「勘違いさせてしまったのならすまない、我々はパルマ焦土作戦の手助けに来た」
よく見るとクリスはサーベルも、短銃も所持していない。後ろに続く歩兵達もマスケット銃や銃剣を所持しておらず、丸腰の状態だ。
「武器不携帯の条件と引き換えに、女伯閣下からの許しも得ている」
パルマ女伯の書状を懐から取り出すクリス。
「そ、そうでしたのね。失礼致しましたわ」
ひとまず内乱の心配が無くなり、胸を撫で下ろすエリザベス。しかしながら疑問が無くなったわけではない。
「なぜ、そこまでして手助けを?」
「……我らは先祖代々、自らの手でこのパルマの街を創り上げて来たのだ」
後ろの歩兵達を見ながら話すクリス。少尉含め彼らも皆、パルマ出身の者達なのだろう。
「それを壊すと言うのならば、せめて、自分達の手で壊させてほしいのだ」
昨夜とは打って変わって、憑き物のとれた、穏やかな笑顔で訴えるクリス。
そうか。この人達は自分の手で、故郷に引導を渡してあげたかったのか。
「……承知致しましたわ。少尉殿の覚悟を疑う様な振る舞い、お許し下さいませ」
故郷の最期を見届けにきたこの人達相手に、道を塞ぐ様な無粋なマネは出来ない。エリザベスは脇に逸れ、頭を下げた。
「かたじけない」
クリスの謝辞と同時に、小休止終了の笛が吹かれ、リヴァン軍の面々が腰を上げる。クリスの部隊はそのままリヴァン軍の最後尾に付き、焦土作戦部隊は前進を始めた。
避難して来たパルマ市民とすれ違う形で前進する焦土作戦部隊。市民達は気を遣って、両脇に避ける様にして道を譲ってくれている。しばらくの間、両者は無言で行き交うのみであった。
しかし、戦列が避難民集団の中程まで進んだ所で、突然子供がエリザベスの前に飛び出して来た。
「これあげる!」
そう言う幼い女の子の手には、手製の花冠が握られていた。急いで作ったのだろう、所々蔓が解れてしまっている。
「パルマをお願いね!」
無言で微笑みながら花冠を受け取るエリザベス。するとそれを皮切りに、避難民のあちこちから声援が上がった。
「俺達のパルマを守ってくれ!」
「ノール軍なんかに負けるな!」
「パルマ最奪還の一報、楽しみに待ってるわ!」
割れんばかりの声援に晒される焦土作戦部隊の部隊員達。誰もが皆、俯いていた。
私は今から貴方達の家を壊す。完膚無きまでに、完全に、容赦無く。
謝罪の言葉を嚥下し、エリザベスは覚悟を決めた。
◆
「発破!」
夕刻のパルマ市内に爆破音が響く。轟音と共に橋が崩落し、川面が飛沫を上げ、土埃が一帯を舞う。
「これで六脚目?」
爆風に髪を靡かせながらエリザベスが尋ねる。
「ああ、さっきオズワルドからも連絡があった。市内北部の橋も全部落とせたみてぇだ」
パルマ中央広場で作戦図を広げるイーデンとエリザベス。広げられた地図の至る所にバツ印が付けられていた。
「あら、中々のスピード感ね。オズワルドも慣れて来たのかしら」
瓦礫の山と化した市庁舎を見つめながらエリザベスが呟く。凱旋パレードの時に見た華やかな中央広場の姿は既に無く、枯れた噴水を囲む廃墟のみがあった。
「この責任をおっ被せられるノール軍に同情するぜ」
転がってきた小石を蹴飛ばすイーデン。
「そもそもノール軍が侵攻して来なかったら、焦土作戦なんてしないで済んだのよ?結局はノール軍のせいよ!この借りは必ず百倍にして返してやるわ!」
「それはまぁ、ご尤もなんだけどよ」
拳を突き上げながら叫ぶエリザベス越しに、パルマ市内を見つめるイーデン。
リヴァン軍の面々がツルハシとハンマーを用いて、ひたすら建物を破壊していく。完全に破壊する必要は無く、燃やした時に火が回りやすい様になっていれば良い為、ある程度破壊した後は、直ぐに次の建物の打ち壊しへ歩みを進めていた。
彼らの表情は、どこか楽しげだった。
「ある種のストレス発散になってそうだな」
「何かしらの楽しみを見出さないとやってられないんでしょ、多分……それで、クリス少尉の部隊の担当分は終わったの?」
地図に残された一点、バツ印が付けられていない住宅地区を指差しながら尋ねる。
「いや、まだ終わった報告は届いて――」
イーデンがそう言おうとした瞬間、クリス少尉の部隊が曲がり角から姿を現した。
「遅れてすまない。完了した」
「任務ご苦労でした。少尉殿」
エリザベスとイーデンが敬礼をする。
「少尉殿の担当地区が最後でした。この後、街に火を放ちますので、市外への退避をお願い致します。おいベス、俺はリヴァン軍指揮官へ任務完了を報告しに行くから、お前は先に少尉殿と一緒に市外に出ておいてくれ」
「承知致しましたわ。少尉殿、小官が先導いたしますわ」
自分よりも余程パルマに詳しい人に、パルマの道案内をするのは妙な気分だ。いつもの輓馬に跨り、クリスよりも申し訳程度に前へ出るエリザベス。
「しっかり着いてきてくださいましね?」
「この姿になったパルマを行くのは初めてだからな、道に迷ったら敵わん。先導頼むぞ」
返答に困る冗談を背に受けながら、馬を前に促す。変わり果てた姿の中央通りを進んで行く二人と、その後ろに続く数十人の歩兵達。
「……あの、少尉殿。ご家族はリヴァンに避難されたのですか?」
やはり無言が続くのは大変気まずい。何とかして話題を作りたい。
「妻とは朝にすれ違ったな。特に変わりない様で何よりだ」
「それは良かったですわ。お子様も奥様とご一緒でしたの?」
「いや、子供はもう居ない。五年前に戦死した」
「えっ」
「パルマ軍歩兵として、ノールとの小競り合いに駆り出された時にな。丁度貴様と同じくらいの歳だった」
辛そうな顔をするでも無く、クリスは身内の不幸を打ち明けた。
「そんな……それは、ご愁傷様でございま――」
その時、エリザベスの心に雷に打たれたかの様な衝撃が走った。
彼女は思い出してしまったのだ。
リヴァン市の川のほとりで、クリスに賄賂を渡そうとした時、自分は彼に何と言って渡そうとしたのかを。
『それに貴方、子供もいるでしょう?家族の為にも色々と入用なのではなくって?』
「わたくしは、なんてことを……!」
顔を両手で覆い、過去の自分の失態を悔やむ。
「あの時の事なら、特に何とも思っとらんよ。既に息子は死んでいると、あの場で伝えなかった私の性格が悪いだけだ」
「いいえっ、いいえっ!わたくしの無遠慮な物言いが全ての原因ですわ!本当に、本当に申し訳ございませんッ!」
何度も強くかぶりを振るエリザベス。
つくづく自分の無神経さが嫌になる。カロネード商会にいた時からそうだった。思った事をそのまま口に出す悪癖を止めろと、何度も指導を受けてきた筈なのに、結局直すことが出来なかった。
「よい、もう良い」
クリス少尉に、馬越しに頭をワシワシと撫でられる。
「今まで、私は息子が守ろうとしたパルマを守る為に生きてきた。パルマを守る為なら死んでも良いとさえ思っていた」
エリザベスが顔を上げると、まるで父親の様な、厳しくも優しい表情を浮かべるクリスと目が合った。
「そんな時に、パルマの丘で貴様と出会うことが出来た。良い迷惑かもしれんが、貴様と息子の姿が重なってしまってな。もう少し、生きてみようかと思えたのだ。それに……」
ポケットから木製の馬の玩具を取り出すクリス。
「過去との折り合いは、先程ケリを付けてきた。もうこの街に未練は無い」
後ろを振り返りながら呟くクリス。
「もしや、少尉殿が担当されていた住宅地区は……」
「その通り。私を含め、皆の生家がある地区だ」
エリザベスは、理解の遅すぎる自分自身を恥じた。
彼らは自分たちの家を、自らの手で破壊したのだ。数えきれぬ思い出達と共に。
我が家に鉄槌を振り下ろす瞬間の彼らの気持ちは、さぞ筆舌に尽くし難い物だったのだろう。
「エリザベス。いや、砲兵令嬢」
西門に到着したクリスが、縮こまっているエリザベスの背中に話し掛ける。
「何をしょげているのだ!これからの貴様の手腕に皆が期待しているのだぞ!」
「あ痛ァ!」
ベシッ、と背中を叩かれるエリザベス。
振り向くと、クリスを始め、歩兵の皆がニヤニヤ笑っていた。
「おうおう、俺たちゃ自分の帰る家をぶっ壊して来たんだぜ?もっと慕い甲斐のある顔してくれよ!」
「取られたんなら、また取り返せば良いだろがい!現に一度奪還出来たんだからよ!」
「砲兵令嬢なんて呼ばれてる小娘が、たった一回の勝利で満足する筈ねぇよなぁ!?」
彼らの方が余程辛いだろうに、笑って自分を勇気づけようとしてくれている。
ならば、此方もそれに応えねばなるまい。
「……おーっほっほっほ!」
突然、高笑いを繰り出すエリザベス。
「任せておきなさいな!このエリザベス・カロネードが、必ずや貴方達を勝利に導いて差し上げますわ!あとついでに軍団長も目指しますわ!」
当初の目的を、取って付けた様にねじ込みながら高らかに笑うエリザベス。
パルマの西門は、ほんの寸刻の間、嘗ての賑わいを取り戻した様な笑い声に包まれていた。
その夜、パルマの街は天を焦がす炎に包まれながら、永い――永い眠りについた。
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シマセイ
ファンタジー
16歳の女子高生 佐藤美咲は、神のミスで交通事故に巻き込まれて死んでしまう。異世界のグランディア王国ルナリス伯爵家のミアとして転生し、前世の記憶と知識チートを授かる。魔法と魔道具を秘密裏に研究しつつ、科学と魔法を融合させた夢を追い、小さな一歩を踏み出す。
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