フラれ侍 定廻り同心と首打ち人の捕り物控

sanpo

文字の大きさ
上 下
22 / 40
白殺し

10

しおりを挟む
 板橋は中山道の最初の宿場町だ。京側から上宿・仲宿・平尾宿と三つの宿場が連なって、上宿の入口の大木戸より内側が〈朱引き〉内、すなわち江戸とされた。
 板橋を目指して歩く久馬と浅右衛門、まずは平尾一里塚に至る。ここが中山道と東海道川越街道の分岐点である。
「江戸から同じく京を目指しても、山側から行くか海側かの違いってのも面白いな」
 旅慣れた風を装って呟く久馬。
 ちょうどこの辺り、平尾追分の奥に名刹めいさつ東光寺があり、その東側を占めるのが天下に百万石を誇る加賀藩の下屋敷だ。現在の東大赤門と言った方がわかり易いだろうか。
「キノコも一緒にくれば良かったものをよ。折角誘ってやったのに」
 今回の件に関して、このくらいにしておくよう与力の添島より申し渡されたことを告げると竹太郎は流石に落胆したものの、そう言うことなら、と身を翻してまっしぐらに薬研堀の自室へ駆け去った。曰く、
『板橋だぁ? ご遠慮いたします。そういうことならわっちは自分の戯作ハナシを完成させまさぁ。てめぇの足で稼いだネタだ。もう粗方あらかた、筋は出来上がってる。細工は流々仕上げを御覧じろだい。今度こそ傑作です。楽しみにしててください』
「けっ、どうせ、玄を自分が捕まえたって書くつもりだぜ、賭けてもいい。失意の同心と相棒の友人某をよそに決して諦めなかった若き目明しが逃げた藍染職人を追い続け、見事ふん縛る――」
「中々いいじゃないか、面白そうだ。俺は読んでみたい」
「フン、そんなこと言うのは浅さんだけだ。キノコが聞いたら泣いて喜ぶぜ」
 憎まれ口の癖に顔は笑っている。久馬は両手をブン廻した。
「あー、いい気分だぜ。旅はいいなぁ! いつか、本物の旅がしたいな。浅さんと一緒にさ」
「フフ、そうだな」
「浅さんは何処へ行きたい?」
「うーん。中山道なら木曽路だな。諏訪湖を見てみたい。東海道は……蒲原かんばらかな」
「えー、小田原とか箱根じゃなくてか?」
「広重がさ、〈東海道五十三次〉で描いた蒲原の夜の雪の風景がいいんだよ。渋くってさ。藍色を使わず墨だけで描いてる。だから俺も見てみたいと思ってさ」
「藍にはもう懲り懲りってか?」
「いや、そういう意味じゃない」
 などと会話を楽しみながら歩き続ける二人に、二里はあっという間だった。
 やがて見えて来た木の橋が地名になった板橋だ。
 この橋を渡るや、まず巨木に目を奪われる。人呼んで縁切榎。幹の太さは猶に二十尺(6m)、街道を覆うほど枝を張っている。元々は街道の目印として植えられたのだが板橋宿の榎は異様に育った。いつの頃からか縁切りに効果があると流布されこの名がついた。
「牢屋敷の榎も立派だが、こんなデカい榎は始めて見たぜ」
「ううむ、榎は古来縁を切る効力があると考えられていたそうだ。この先に愛憎に関わる愛染明王を祀る日曜寺があると言うのも面白いじゃないか」

 その日曜寺・真言宗霊雲派光明山愛染院の山門を潜る。
「見ろよ、久さん、この門の額は創建者田安宗武の子息、松平定信が奉納したものだそうだ」
「へー、みょうちきりんな字体だな。俺にはてんで読めねえや」
 境内は藍染業者寄贈の銘が刻まれた様々な奉納品で埋め尽くされていた。水屋や手水鉢、石碑に石灯籠、ぐるりと囲んだ玉垣にも紺屋の屋号が並んでいる。いかに江戸市中の染物業者の信仰を集めているかわかると言うものだ。そして――
 目の当たりにした愛染明王の何という朱色!
 一面六臂いちめんろっぴ、三つの目。燃え盛る日輪を背に獅子の冠を戴き牙を剥く憤怒の形相が凄まじい。
 拝むのも忘れてあんぐりと口を開けたまま唸る定廻り同心だった。
「こりゃ物凄い……」
「ほら、久さん、愛染明王の座っている蓮華座の下をよく見てみねえ」
 言われて久馬は目を細めた。
「むむ? 壺のような物に乗っているな?」
「そう、宝瓶と言うのだ。まさにあれを藍を染める藍甕あいがめだと紺屋や藍染職人は見做みなして厚く信仰しているわけさ」
「なるほどな。ブルル」
 久馬は胴震いした。
「何にしろ、見るからにご利益がありそうだ。来て良かったぜ。俺もとことん祈るとしよう」
 すると、ご利益はすぐにあらわれたのである。
 拝み終わって顔を上げた途端、久馬が叫んだ。
「浅さん、あれを見ろ!」
「?」
 なんと、二人からやや離れた堂宇の片隅で熱心に手を合わせている大柄な男がいる。
「玄? 玄じゃねぇか! おまえ、こんなところで何をしてやがる?」
 玄は逃げなかった。唯々驚いて、駆け寄った同心を見つめるばかり。
 肩を掴まれて玄は漸く口を開いた。
「これは、旦那様と、この間のお武家様……お揃いでお参りですか?」
「なに暢気なこと言ってやがる。おまえが遁走トンズラしたせいで俺たちは大泡喰っちまったってのに」
「逃げた? あっしがですか?」
 玄はきょとんとして、
「あっしは休みをもらったんでさ。ちゃんと親方にも伝えて許してもらっています」
 取り敢えず門前の茶屋に引っ張って行く。赤い毛氈に腰を落ち着けると、改めて久馬は訊いた。
「じゃ、おまえはわざわざ休みを取ってここ・・――板橋の愛染院に愛染明王を拝みに来たっていうんだな? 何のためにだ?」
 その問いに藍染職人が答えるまでかなり間があった。玄は両膝に置いた自分の手をじっと見つめていた。
「……あっしはしょっちゅう愛染様を拝みに来ていますよ。自分の恋が成就しますようにって」
 首筋を掻きながら玄は言う。
「未練だってわかってますがね。お嬢さんを諦めきれねえのさ」
 低い声で久馬は訊いた。
「ひょっとして、おまえ、二十六夜待ちの日も――夕方から月の昇る深夜までの間、ここへ参っていたのか?」
「はい。長屋のおかみさんたちがお袋の面倒を見てくれると言うので、それならと、拝みに来ました。あの日もつい熱心に祈っちまった」
 喉に絡んだようないがらっぽい笑い方を玄はした。
「秀と代奴の派手な喧嘩を見ちまったからね、万に一つの淡い期待が湧いてきた。あいお嬢さんを取り戻せるんじゃないかって」
 目元に皺が寄る。
「秀が代奴と元鞘に納まって、お嬢さんは秀を諦めてあっしと夫婦になってくれますように。そりゃもう一心不乱に祈ったんでさ。それだけじゃない。あっしは嬉しかったんだ。秀がしょっ引かれて。どうです。俺って奴は心の汚れた酷い男でしょう? うっ」
「馬鹿、泣くな」
 堪えきれず肩を震わせて泣き出した大男に南町同心は言った。
「俺だって、そうしたさ、玄。おまえと同じように思っただろうよ。本気マジで誰かを愛するってのはそういうことじゃねぇか、コン畜生」
「わっ」
 一層激しく、体を折りまげ膝に顔をうずめて玄は号泣した。茶店に居合わせた客たちが吃驚してそそくさと席を立って出て行く中、お茶と団子を運んで来た茶屋の娘が盆を掲げたまま声を上げる。
「まあ! 捕り物ですか、同心様? 凄い、私、こんなの目の当たりにするのは初めて」
 中々度胸の据わった娘のようだ。頬を上気させて身を乗り出す。
「こちらの紺屋さんが下手人なんですね? どんな悪さをしたんですか?」
 慌てて久馬、
「早合点はいけねぇよ、娘さん。こいつは白さ。何もやっちゃあいない」
 首打ち人の冴えた声が割って入った。
「娘さん、どうしてこの男が紺屋だとわかったんだい?」
「ん? そういえばそうだな」
 この日の玄はいつも羽織っている店名を染め抜いた半纏姿ではなかった。股引に浴衣の尻をからげた旅装束だ。
「あら、そんなの簡単です」
 厳しい目をした浅右衛門の問いかけにも臆することなく茶屋娘はハキハキ答える。
「ほら、この人の手を見たら一目でわかります」
「手……」
 なるほど。玄の手は青かった。常日頃、藍甕に手を浸ける藍染師ならではの、藍に染まった手だ。
「ああ、そうか。〈月の出を空色の手で拝むなり〉なんて句もあるものな」
 二十六夜待ちの藍染師を詠んだ川柳を思い出して浅右衛門は微苦笑した。
「そういやぁ、櫛を差し出した秀の青い手を忘れない、とかなんとか、あいも言ってたっけ」
「櫛? なんですか、それ?」
「あ、いや、なんでもねぇよ、こっちの話さ」
 秀の淡い期待を打ち壊したくなくて久馬は言葉を濁す。その傍らで浅右衛門が立ち上がった。
「櫛……青い手……」
 そのまま再び愛染院の方へ戻って行く。
「ん? 浅さん、どうした? 団子喰わねぇのか?」

 浅右衛門は愛染明王の前に佇んでいた。
 玄も連れて追いかけて来た久馬に像の一か所を指で指す。
「久さん、あれが見えるか?」
「むむ、愛染明王の宝瓶だろ。それがどうした? 藍染師はあれを藍甕に見做してるって、浅さん、さっき教えてくれたんだよな」
「すぐ、紺屋亀七へ戻ろう」
「えー、今着いたばかりなのに? 今日は近くの、料理の美味い宿に泊まってよ、のんびりするつもりだったのに」
「いや、早ければ早いに越したことはない。秀を助けたいんだろう? 俺だって斬らなくてもいい人の首を斬りたくはないからな」
 首切り浅右衛門と恐れられる男のいつにないいた口調に久馬はハッとした。
「久さんの『スッキリしない』って言葉は俺も染みたよ。久さんは、毎度俺を引っ張り廻して煩わせる、と詫びるが、それは違う」
 きっぱりと山田浅右衛門は言った。
「久さん、あんたみたいな同心がいるから、俺は――俺はな、自分のお役目が果たせるのだ。久さんがスッキリしなかったら俺の刃も鈍るってもんさ」
「浅さん……」
「だから、急ごう、ひょっとして――今回の件に決着をつける答えを見つけられるかもしれない」








しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

妖刀 益荒男

地辻夜行
歴史・時代
東西南北老若男女 お集まりいただきました皆様に 本日お聞きいただきますのは 一人の男の人生を狂わせた妖刀の話か はたまた一本の妖刀の剣生を狂わせた男の話か 蓋をあけて見なけりゃわからない 妖気に魅入られた少女にのっぺらぼう からかい上手の女に皮肉な忍び 個性豊かな面子に振り回され 妖刀は己の求める鞘に会えるのか 男は己の尊厳を取り戻せるのか 一人と一刀の冒険活劇 いまここに開幕、か~い~ま~く~

御懐妊

戸沢一平
歴史・時代
 戦国時代の末期、出羽の国における白鳥氏と最上氏によるこの地方の覇権をめぐる物語である。  白鳥十郎長久は、最上義光の娘布姫を正室に迎えており最上氏とは表面上は良好な関係であったが、最上氏に先んじて出羽国の領主となるべく虎視淡々と準備を進めていた。そして、天下の情勢は織田信長に勢いがあると見るや、名馬白雲雀を献上して、信長に出羽国領主と認めてもらおうとする。  信長からは更に鷹を献上するよう要望されたことから、出羽一の鷹と評判の逸物を手に入れようとするが持ち主は白鳥氏に恨みを持つ者だった。鷹は譲れないという。  そんな中、布姫が懐妊する。めでたい事ではあるが、生まれてくる子は最上義光の孫でもあり、白鳥にとっては相応の対応が必要となった。

夢のまた夢~豊臣秀吉回顧録~

恩地玖
歴史・時代
位人臣を極めた豊臣秀吉も病には勝てず、只々豊臣家の行く末を案じるばかりだった。 一体、これまで成してきたことは何だったのか。 医師、施薬院との対話を通じて、己の人生を振り返る豊臣秀吉がそこにいた。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。