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白殺し
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板橋は中山道の最初の宿場町だ。京側から上宿・仲宿・平尾宿と三つの宿場が連なって、上宿の入口の大木戸より内側が〈朱引き〉内、すなわち江戸とされた。
板橋を目指して歩く久馬と浅右衛門、まずは平尾一里塚に至る。ここが中山道と東海道川越街道の分岐点である。
「江戸から同じく京を目指しても、山側から行くか海側かの違いってのも面白いな」
旅慣れた風を装って呟く久馬。
ちょうどこの辺り、平尾追分の奥に名刹東光寺があり、その東側を占めるのが天下に百万石を誇る加賀藩の下屋敷だ。現在の東大赤門と言った方がわかり易いだろうか。
「キノコも一緒にくれば良かったものをよ。折角誘ってやったのに」
今回の件に関して、このくらいにしておくよう与力の添島より申し渡されたことを告げると竹太郎は流石に落胆したものの、そう言うことなら、と身を翻してまっしぐらに薬研堀の自室へ駆け去った。曰く、
『板橋だぁ? ご遠慮いたします。そういうことならわっちは自分の戯作を完成させまさぁ。てめぇの足で稼いだネタだ。もう粗方、筋は出来上がってる。細工は流々仕上げを御覧じろだい。今度こそ傑作です。楽しみにしててください』
「けっ、どうせ、玄を自分が捕まえたって書くつもりだぜ、賭けてもいい。失意の同心と相棒の友人某をよそに決して諦めなかった若き目明しが逃げた藍染職人を追い続け、見事ふん縛る――」
「中々いいじゃないか、面白そうだ。俺は読んでみたい」
「フン、そんなこと言うのは浅さんだけだ。キノコが聞いたら泣いて喜ぶぜ」
憎まれ口の癖に顔は笑っている。久馬は両手をブン廻した。
「あー、いい気分だぜ。旅はいいなぁ! いつか、本物の旅がしたいな。浅さんと一緒にさ」
「フフ、そうだな」
「浅さんは何処へ行きたい?」
「うーん。中山道なら木曽路だな。諏訪湖を見てみたい。東海道は……蒲原かな」
「えー、小田原とか箱根じゃなくてか?」
「広重がさ、〈東海道五十三次〉で描いた蒲原の夜の雪の風景がいいんだよ。渋くってさ。藍色を使わず墨だけで描いてる。だから俺も見てみたいと思ってさ」
「藍にはもう懲り懲りってか?」
「いや、そういう意味じゃない」
などと会話を楽しみながら歩き続ける二人に、二里はあっという間だった。
やがて見えて来た木の橋が地名になった板橋だ。
この橋を渡るや、まず巨木に目を奪われる。人呼んで縁切榎。幹の太さは猶に二十尺(6m)、街道を覆うほど枝を張っている。元々は街道の目印として植えられたのだが板橋宿の榎は異様に育った。いつの頃からか縁切りに効果があると流布されこの名がついた。
「牢屋敷の榎も立派だが、こんなデカい榎は始めて見たぜ」
「ううむ、榎は古来縁を切る効力があると考えられていたそうだ。この先に愛憎に関わる愛染明王を祀る日曜寺があると言うのも面白いじゃないか」
その日曜寺・真言宗霊雲派光明山愛染院の山門を潜る。
「見ろよ、久さん、この門の額は創建者田安宗武の子息、松平定信が奉納したものだそうだ」
「へー、みょうちきりんな字体だな。俺にはてんで読めねえや」
境内は藍染業者寄贈の銘が刻まれた様々な奉納品で埋め尽くされていた。水屋や手水鉢、石碑に石灯籠、ぐるりと囲んだ玉垣にも紺屋の屋号が並んでいる。いかに江戸市中の染物業者の信仰を集めているかわかると言うものだ。そして――
目の当たりにした愛染明王の何という朱色!
一面六臂、三つの目。燃え盛る日輪を背に獅子の冠を戴き牙を剥く憤怒の形相が凄まじい。
拝むのも忘れてあんぐりと口を開けたまま唸る定廻り同心だった。
「こりゃ物凄い……」
「ほら、久さん、愛染明王の座っている蓮華座の下をよく見てみねえ」
言われて久馬は目を細めた。
「むむ? 壺のような物に乗っているな?」
「そう、宝瓶と言うのだ。まさにあれを藍を染める藍甕だと紺屋や藍染職人は見做して厚く信仰しているわけさ」
「なるほどな。ブルル」
久馬は胴震いした。
「何にしろ、見るからにご利益がありそうだ。来て良かったぜ。俺もとことん祈るとしよう」
すると、ご利益はすぐに顕れたのである。
拝み終わって顔を上げた途端、久馬が叫んだ。
「浅さん、あれを見ろ!」
「?」
なんと、二人からやや離れた堂宇の片隅で熱心に手を合わせている大柄な男がいる。
「玄? 玄じゃねぇか! おまえ、こんなところで何をしてやがる?」
玄は逃げなかった。唯々驚いて、駆け寄った同心を見つめるばかり。
肩を掴まれて玄は漸く口を開いた。
「これは、旦那様と、この間のお武家様……お揃いでお参りですか?」
「なに暢気なこと言ってやがる。おまえが遁走したせいで俺たちは大泡喰っちまったってのに」
「逃げた? あっしがですか?」
玄はきょとんとして、
「あっしは休みをもらったんでさ。ちゃんと親方にも伝えて許してもらっています」
取り敢えず門前の茶屋に引っ張って行く。赤い毛氈に腰を落ち着けると、改めて久馬は訊いた。
「じゃ、おまえはわざわざ休みを取ってここ――板橋の愛染院に愛染明王を拝みに来たっていうんだな? 何のためにだ?」
その問いに藍染職人が答えるまでかなり間があった。玄は両膝に置いた自分の手をじっと見つめていた。
「……あっしはしょっちゅう愛染様を拝みに来ていますよ。自分の恋が成就しますようにって」
首筋を掻きながら玄は言う。
「未練だってわかってますがね。お嬢さんを諦めきれねえのさ」
低い声で久馬は訊いた。
「ひょっとして、おまえ、二十六夜待ちの日も――夕方から月の昇る深夜までの間、ここへ参っていたのか?」
「はい。長屋のおかみさんたちがお袋の面倒を見てくれると言うので、それならと、拝みに来ました。あの日もつい熱心に祈っちまった」
喉に絡んだようないがらっぽい笑い方を玄はした。
「秀と代奴の派手な喧嘩を見ちまったからね、万に一つの淡い期待が湧いてきた。あいお嬢さんを取り戻せるんじゃないかって」
目元に皺が寄る。
「秀が代奴と元鞘に納まって、お嬢さんは秀を諦めてあっしと夫婦になってくれますように。そりゃもう一心不乱に祈ったんでさ。それだけじゃない。あっしは嬉しかったんだ。秀がしょっ引かれて。どうです。俺って奴は心の汚れた酷い男でしょう? うっ」
「馬鹿、泣くな」
堪えきれず肩を震わせて泣き出した大男に南町同心は言った。
「俺だって、そうしたさ、玄。おまえと同じように思っただろうよ。本気で誰かを愛するってのはそういうことじゃねぇか、コン畜生」
「わっ」
一層激しく、体を折りまげ膝に顔を埋めて玄は号泣した。茶店に居合わせた客たちが吃驚してそそくさと席を立って出て行く中、お茶と団子を運んで来た茶屋の娘が盆を掲げたまま声を上げる。
「まあ! 捕り物ですか、同心様? 凄い、私、こんなの目の当たりにするのは初めて」
中々度胸の据わった娘のようだ。頬を上気させて身を乗り出す。
「こちらの紺屋さんが下手人なんですね? どんな悪さをしたんですか?」
慌てて久馬、
「早合点はいけねぇよ、娘さん。こいつは白さ。何もやっちゃあいない」
首打ち人の冴えた声が割って入った。
「娘さん、どうしてこの男が紺屋だとわかったんだい?」
「ん? そういえばそうだな」
この日の玄はいつも羽織っている店名を染め抜いた半纏姿ではなかった。股引に浴衣の尻をからげた旅装束だ。
「あら、そんなの簡単です」
厳しい目をした浅右衛門の問いかけにも臆することなく茶屋娘はハキハキ答える。
「ほら、この人の手を見たら一目でわかります」
「手……」
なるほど。玄の手は青かった。常日頃、藍甕に手を浸ける藍染師ならではの、藍に染まった手だ。
「ああ、そうか。〈月の出を空色の手で拝むなり〉なんて句もあるものな」
二十六夜待ちの藍染師を詠んだ川柳を思い出して浅右衛門は微苦笑した。
「そういやぁ、櫛を差し出した秀の青い手を忘れない、とかなんとか、あいも言ってたっけ」
「櫛? なんですか、それ?」
「あ、いや、なんでもねぇよ、こっちの話さ」
秀の淡い期待を打ち壊したくなくて久馬は言葉を濁す。その傍らで浅右衛門が立ち上がった。
「櫛……青い手……」
そのまま再び愛染院の方へ戻って行く。
「ん? 浅さん、どうした? 団子喰わねぇのか?」
浅右衛門は愛染明王の前に佇んでいた。
玄も連れて追いかけて来た久馬に像の一か所を指で指す。
「久さん、あれが見えるか?」
「むむ、愛染明王の宝瓶だろ。それがどうした? 藍染師はあれを藍甕に見做してるって、浅さん、さっき教えてくれたんだよな」
「すぐ、紺屋亀七へ戻ろう」
「えー、今着いたばかりなのに? 今日は近くの、料理の美味い宿に泊まってよ、のんびりするつもりだったのに」
「いや、早ければ早いに越したことはない。秀を助けたいんだろう? 俺だって斬らなくてもいい人の首を斬りたくはないからな」
首切り浅右衛門と恐れられる男のいつにない急いた口調に久馬はハッとした。
「久さんの『スッキリしない』って言葉は俺も染みたよ。久さんは、毎度俺を引っ張り廻して煩わせる、と詫びるが、それは違う」
きっぱりと山田浅右衛門は言った。
「久さん、あんたみたいな同心がいるから、俺は――俺はな、自分のお役目が果たせるのだ。久さんがスッキリしなかったら俺の刃も鈍るってもんさ」
「浅さん……」
「だから、急ごう、ひょっとして――今回の件に決着をつける答えを見つけられるかもしれない」
板橋を目指して歩く久馬と浅右衛門、まずは平尾一里塚に至る。ここが中山道と東海道川越街道の分岐点である。
「江戸から同じく京を目指しても、山側から行くか海側かの違いってのも面白いな」
旅慣れた風を装って呟く久馬。
ちょうどこの辺り、平尾追分の奥に名刹東光寺があり、その東側を占めるのが天下に百万石を誇る加賀藩の下屋敷だ。現在の東大赤門と言った方がわかり易いだろうか。
「キノコも一緒にくれば良かったものをよ。折角誘ってやったのに」
今回の件に関して、このくらいにしておくよう与力の添島より申し渡されたことを告げると竹太郎は流石に落胆したものの、そう言うことなら、と身を翻してまっしぐらに薬研堀の自室へ駆け去った。曰く、
『板橋だぁ? ご遠慮いたします。そういうことならわっちは自分の戯作を完成させまさぁ。てめぇの足で稼いだネタだ。もう粗方、筋は出来上がってる。細工は流々仕上げを御覧じろだい。今度こそ傑作です。楽しみにしててください』
「けっ、どうせ、玄を自分が捕まえたって書くつもりだぜ、賭けてもいい。失意の同心と相棒の友人某をよそに決して諦めなかった若き目明しが逃げた藍染職人を追い続け、見事ふん縛る――」
「中々いいじゃないか、面白そうだ。俺は読んでみたい」
「フン、そんなこと言うのは浅さんだけだ。キノコが聞いたら泣いて喜ぶぜ」
憎まれ口の癖に顔は笑っている。久馬は両手をブン廻した。
「あー、いい気分だぜ。旅はいいなぁ! いつか、本物の旅がしたいな。浅さんと一緒にさ」
「フフ、そうだな」
「浅さんは何処へ行きたい?」
「うーん。中山道なら木曽路だな。諏訪湖を見てみたい。東海道は……蒲原かな」
「えー、小田原とか箱根じゃなくてか?」
「広重がさ、〈東海道五十三次〉で描いた蒲原の夜の雪の風景がいいんだよ。渋くってさ。藍色を使わず墨だけで描いてる。だから俺も見てみたいと思ってさ」
「藍にはもう懲り懲りってか?」
「いや、そういう意味じゃない」
などと会話を楽しみながら歩き続ける二人に、二里はあっという間だった。
やがて見えて来た木の橋が地名になった板橋だ。
この橋を渡るや、まず巨木に目を奪われる。人呼んで縁切榎。幹の太さは猶に二十尺(6m)、街道を覆うほど枝を張っている。元々は街道の目印として植えられたのだが板橋宿の榎は異様に育った。いつの頃からか縁切りに効果があると流布されこの名がついた。
「牢屋敷の榎も立派だが、こんなデカい榎は始めて見たぜ」
「ううむ、榎は古来縁を切る効力があると考えられていたそうだ。この先に愛憎に関わる愛染明王を祀る日曜寺があると言うのも面白いじゃないか」
その日曜寺・真言宗霊雲派光明山愛染院の山門を潜る。
「見ろよ、久さん、この門の額は創建者田安宗武の子息、松平定信が奉納したものだそうだ」
「へー、みょうちきりんな字体だな。俺にはてんで読めねえや」
境内は藍染業者寄贈の銘が刻まれた様々な奉納品で埋め尽くされていた。水屋や手水鉢、石碑に石灯籠、ぐるりと囲んだ玉垣にも紺屋の屋号が並んでいる。いかに江戸市中の染物業者の信仰を集めているかわかると言うものだ。そして――
目の当たりにした愛染明王の何という朱色!
一面六臂、三つの目。燃え盛る日輪を背に獅子の冠を戴き牙を剥く憤怒の形相が凄まじい。
拝むのも忘れてあんぐりと口を開けたまま唸る定廻り同心だった。
「こりゃ物凄い……」
「ほら、久さん、愛染明王の座っている蓮華座の下をよく見てみねえ」
言われて久馬は目を細めた。
「むむ? 壺のような物に乗っているな?」
「そう、宝瓶と言うのだ。まさにあれを藍を染める藍甕だと紺屋や藍染職人は見做して厚く信仰しているわけさ」
「なるほどな。ブルル」
久馬は胴震いした。
「何にしろ、見るからにご利益がありそうだ。来て良かったぜ。俺もとことん祈るとしよう」
すると、ご利益はすぐに顕れたのである。
拝み終わって顔を上げた途端、久馬が叫んだ。
「浅さん、あれを見ろ!」
「?」
なんと、二人からやや離れた堂宇の片隅で熱心に手を合わせている大柄な男がいる。
「玄? 玄じゃねぇか! おまえ、こんなところで何をしてやがる?」
玄は逃げなかった。唯々驚いて、駆け寄った同心を見つめるばかり。
肩を掴まれて玄は漸く口を開いた。
「これは、旦那様と、この間のお武家様……お揃いでお参りですか?」
「なに暢気なこと言ってやがる。おまえが遁走したせいで俺たちは大泡喰っちまったってのに」
「逃げた? あっしがですか?」
玄はきょとんとして、
「あっしは休みをもらったんでさ。ちゃんと親方にも伝えて許してもらっています」
取り敢えず門前の茶屋に引っ張って行く。赤い毛氈に腰を落ち着けると、改めて久馬は訊いた。
「じゃ、おまえはわざわざ休みを取ってここ――板橋の愛染院に愛染明王を拝みに来たっていうんだな? 何のためにだ?」
その問いに藍染職人が答えるまでかなり間があった。玄は両膝に置いた自分の手をじっと見つめていた。
「……あっしはしょっちゅう愛染様を拝みに来ていますよ。自分の恋が成就しますようにって」
首筋を掻きながら玄は言う。
「未練だってわかってますがね。お嬢さんを諦めきれねえのさ」
低い声で久馬は訊いた。
「ひょっとして、おまえ、二十六夜待ちの日も――夕方から月の昇る深夜までの間、ここへ参っていたのか?」
「はい。長屋のおかみさんたちがお袋の面倒を見てくれると言うので、それならと、拝みに来ました。あの日もつい熱心に祈っちまった」
喉に絡んだようないがらっぽい笑い方を玄はした。
「秀と代奴の派手な喧嘩を見ちまったからね、万に一つの淡い期待が湧いてきた。あいお嬢さんを取り戻せるんじゃないかって」
目元に皺が寄る。
「秀が代奴と元鞘に納まって、お嬢さんは秀を諦めてあっしと夫婦になってくれますように。そりゃもう一心不乱に祈ったんでさ。それだけじゃない。あっしは嬉しかったんだ。秀がしょっ引かれて。どうです。俺って奴は心の汚れた酷い男でしょう? うっ」
「馬鹿、泣くな」
堪えきれず肩を震わせて泣き出した大男に南町同心は言った。
「俺だって、そうしたさ、玄。おまえと同じように思っただろうよ。本気で誰かを愛するってのはそういうことじゃねぇか、コン畜生」
「わっ」
一層激しく、体を折りまげ膝に顔を埋めて玄は号泣した。茶店に居合わせた客たちが吃驚してそそくさと席を立って出て行く中、お茶と団子を運んで来た茶屋の娘が盆を掲げたまま声を上げる。
「まあ! 捕り物ですか、同心様? 凄い、私、こんなの目の当たりにするのは初めて」
中々度胸の据わった娘のようだ。頬を上気させて身を乗り出す。
「こちらの紺屋さんが下手人なんですね? どんな悪さをしたんですか?」
慌てて久馬、
「早合点はいけねぇよ、娘さん。こいつは白さ。何もやっちゃあいない」
首打ち人の冴えた声が割って入った。
「娘さん、どうしてこの男が紺屋だとわかったんだい?」
「ん? そういえばそうだな」
この日の玄はいつも羽織っている店名を染め抜いた半纏姿ではなかった。股引に浴衣の尻をからげた旅装束だ。
「あら、そんなの簡単です」
厳しい目をした浅右衛門の問いかけにも臆することなく茶屋娘はハキハキ答える。
「ほら、この人の手を見たら一目でわかります」
「手……」
なるほど。玄の手は青かった。常日頃、藍甕に手を浸ける藍染師ならではの、藍に染まった手だ。
「ああ、そうか。〈月の出を空色の手で拝むなり〉なんて句もあるものな」
二十六夜待ちの藍染師を詠んだ川柳を思い出して浅右衛門は微苦笑した。
「そういやぁ、櫛を差し出した秀の青い手を忘れない、とかなんとか、あいも言ってたっけ」
「櫛? なんですか、それ?」
「あ、いや、なんでもねぇよ、こっちの話さ」
秀の淡い期待を打ち壊したくなくて久馬は言葉を濁す。その傍らで浅右衛門が立ち上がった。
「櫛……青い手……」
そのまま再び愛染院の方へ戻って行く。
「ん? 浅さん、どうした? 団子喰わねぇのか?」
浅右衛門は愛染明王の前に佇んでいた。
玄も連れて追いかけて来た久馬に像の一か所を指で指す。
「久さん、あれが見えるか?」
「むむ、愛染明王の宝瓶だろ。それがどうした? 藍染師はあれを藍甕に見做してるって、浅さん、さっき教えてくれたんだよな」
「すぐ、紺屋亀七へ戻ろう」
「えー、今着いたばかりなのに? 今日は近くの、料理の美味い宿に泊まってよ、のんびりするつもりだったのに」
「いや、早ければ早いに越したことはない。秀を助けたいんだろう? 俺だって斬らなくてもいい人の首を斬りたくはないからな」
首切り浅右衛門と恐れられる男のいつにない急いた口調に久馬はハッとした。
「久さんの『スッキリしない』って言葉は俺も染みたよ。久さんは、毎度俺を引っ張り廻して煩わせる、と詫びるが、それは違う」
きっぱりと山田浅右衛門は言った。
「久さん、あんたみたいな同心がいるから、俺は――俺はな、自分のお役目が果たせるのだ。久さんがスッキリしなかったら俺の刃も鈍るってもんさ」
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