ロンドンの疾風

sanpo

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 ロンドンの闇をナイフのように斬り裂く二つの影――
 その夜、ヒューとエドガーはいつものようにメッセージを持って疾走した。風に飛ばされないように目深にかぶった帽子、グレイの地に緑の縁取りの上着と揃いの半ズボン、足には勿論ローラースケート。目指すはボリス・キャベンディシュ氏の邸である。
 それはピカデリーストリートにあった。この辺り一帯は18世紀に建てられた豪壮な屋敷が並んでいる。
 いかにもジョージ朝らしい新古典主義、軽快で端正な8枚パネルの玄関ドアが見えて来た。またしても一番乗りはヒュー・バード。ノッカーを掴んで高らかに打ち鳴らす。
「ボリス・キャベンディシュさん、テレグラフ・エージェンシーです、メッセージをお届けに参りました!」
 執事がドアを開けた、その時だ、覆い被さるように2番駆けのメッセンジャーが背後から突っ込んで来た。反動で前へつんのめって、執事諸共もろとも折り重なって倒れたヒューの手から封書を掠め取る。
「違う、今夜は僕こそ一番乗りだ! これは僕が届けるぞ!」
「あ、返せ! ズルは許さないぞ。それは俺のものだ! 俺が渡すっ」
 尻もちを突いた執事を飛び越えて邸内に駆け込むエドガー、そうはさせじとヒューが追いかける。
「待て!」
「いやだ、今日のチップは僕のものさ!」
 メッセンジャーボーイの追いかけっこが始まった。ローラースケートを履いたまま玄関ホールから廊下、応接間にダイニングルームと疾風のごとく駆けまわる。ようやく起き上がった執事が取り押さえようと少年たちの後に続いた。
「こら、おまえたち――」
「何の騒ぎだ?」
 この喧噪に書斎のドアが開いてボリス・キャベンディシュが出て来た。
「申し訳ありません。メッセンジャーボーイどもが配達の先陣争いです。一番乗りを競ってこの有様。さぁ、おまえたちいい加減にしろ――あ!」
 キャベンディシュの脇をすり抜けて書斎に雪崩れ込むエドガーとヒュー。この時、二人の顔を見て当家の主は気づいたようだ。
「むむ……君たちはこの間の?」
「あ、キャベンディシュさん、先日はどうも!」
 書斎の真ん中で立ち止まる。乱れた服装をきちんと正してからヒューが挨拶した。
「今日は僕たち、アイスクリームの御礼にあなたに特別のメッセージを持って来ました。シーモア氏強盗殺人事件に関する最新の情報です。明日一番の早摺り――ロンドン・タイムスの記事ですよ」
「ほう、それは気がきくな」
「さあ、封書をよこせ、エド」
「いやだ、僕が渡す」
「なんだと」
「わかったわかった。いいからラトゥ-ル、この二人のどっちにもチップを渡してやれ」
「流石、気前がいいや、キャベンディシュさん、ありがとうございます!」
「ありがとうございます! では、これで失礼します。今後もテレグラフ・エージェンシーをご贔屓に!」
 執事から3ポンドずつ受け取ると二人はキャベンディシュ邸を飛び出した。
「フフン、中々気が利くガキどもだ。新情報だと? どれどれ、一体どんな進展があったのだろう」
 早速封を切ったボリス・キャベンディシュ、瞬きした後、唇を歪めた。
「やられた! あの悪戯坊主どもめ。まんまとチップ代をくすねやがった」
 朝刊版とは真っ赤な嘘。入っていたのは、明日の日付と新聞社名が印刷された切り抜きを張り付けた紙片が一枚。その下は空白だった。

 一方、夜道にゆっくりとローラースケートを響かせながら帰路に就くメッセンジャーボーイズ。
「やったな、ヒュー、見たかい?」
「見たとも、エド」
 ヒューはチロリと舌を出した。
「でも、まさかああいう・・・・使い方をしてるとは! てっきり俺は箱に仕立ててると思ったんだが」
「名探偵も、完璧じゃないってことだね?」
「まぁね」
 肩を叩き合った後、どちらからともなくクスクス笑いだす。
 笑い声は地面を擦るローラースケートの音と混じり合って不思議な妖精の子守歌のようにロンドンの夜空へ消えて行った。

 翌朝のピカデリー・ストリート、キャベンディシュ邸。
 朝食のテーブルで朝刊を開いたボリス・キャベンディシュは舌打ちをした。
「やはりな! 昨夜の配達はテレグラフ・エージェンシーの悪童どものチップ狙いのガセネタだった。シーモア氏強盗殺人事件の続報なんて何処にも乗っていない」
 ノッカーの音に席を外した執事が顔を強張こわばらせて戻って来た。
「旦那様、お客様です」
「こんな時間に客だと? 朝食中だと言って追い返せ」
「急用なんでね、失礼します」
 執事を押しのけニュー・スコットランドヤードのキース・ビー警部補が入って来た。勿論、自慢のインバネスコートにディアストカーと言ういで立ち。背後には数名、制服警官を従えている。
「書斎はこちらですね、ちょっと拝見させていただきます」
「え、待ちたまえ、君、一体、何の権利があって――」
「ああ、これだ!」
 書斎のマントルピースの上に立て掛けてある小ぶりの額を警部補は手に取った。
「焼き杉の板に魚の絵……この絵がシーモア氏邸から持ち出されたものだという情報が寄せられましてね。念の為、調べさせていただきます」
「おい、勝手に障るな! それは私がアラビア半島を旅行した際、バグダッドの市場バザールで買ったものだぞ」
 飛びついたキャベンディシュの腕を払って警部補は叫んだ。
「やや! この絵の魚、目の部分が嵌め込み式ではないか! しかも簡単に取り外せる――」
 取り出した目玉を親指と人差し指に挟んで警部補はつくづくと見入った。
「どうも真珠に見える。とはいえ、こんな大きな真珠が存在するとは思えないな。とすれば、偽物でしょうか?」
「し、失礼なことを言うな! それは本物・・だ! 世界一大きな真珠なんだぞ!」
「本当ですか? 実は今回の件で改めてシーモア氏の御妹、レディ・シーモアに確認して来たのですが。シーモア氏は世界一大きな真珠を所有していたとか。だが残念ながらそれは・・・偽物だそうです。あなたもこのように世界一大きな真珠をお持ちとは、奇遇ですな! しかも似たような絵がシーモア氏の書斎の壁に飾られていたとなると……」
「だから、その通報者は嘘を言っている! いいか、この絵がシーモアの書斎に飾られていたことなんか、かつて一度もなかった。人目を避けて机の引き出しの奥深くに仕舞い込まれていたんだから!」
「これは、興味深いことをおっしゃる。机の引き出しの奥深く? 入れてあったのですか、これが?」
「う、いや、その、つまり、私が言いたいのは……私はシーモアの学友で、だから、幾度か彼の家に招かれたことがあって、その際、壁にこの絵、いや、これに似た絵が掛かっていたのを見たことはない、と言うことを言いたかった」
「なるほど。先刻から連発されているお言葉、どれをとっても大変興味深い」
 キース・ビー警部補は口髭を捻りながら目の前の男を睨みつけた。口髭は貧相だが眼差しは、噂通り――まさに蜂の一刺し――鋭かった。
「本日はこの絵をお預かりして帰ろうと思っていたのですが、どうやらあなたご自身からも。もう少し詳しくお話を訊く必要がありそうだ。ボリス・キャベンディシュ氏、ロンドン警視庁までご足労願います」
「――――」

 シーモア氏強盗殺人事件の続報が『真犯人逮捕!』の見出しとともに新聞に載ったのはその日の夕刻版だった。
 それに先立って昼の内に画家トロイ・カンバーランドは釈放されている。
 くだんの魚の絵は自分がルパート・シーモアに依頼されて描いたと画家は証言した。且つ、実は昨日の家宅捜索で彼の部屋からシーモア氏から余分に渡されていた同じ杉板が見つかっていたのだ。
 約束通り、ヒューとエドガーはすぐに画家の住居を訪れて一度贈呈された本を再び取り戻した。
 正確にはもう一冊加えて――二人に一冊ずつ――しかも扉の裏には金字で記した献辞つきだった!
 〈 親愛なるメッセンジャーボーイへ。永遠の友情と感謝を込めて 〉

 テレグラフ・エージェンシーのメッセンジャーボーイ、ヒュー・バードとエドガー・タッカーが、ニュー・スコットランドヤードのキース・ビー警部補に正式に呼び出されたのは、更にその翌日のことである。


  ※謎は全て解けたのでしょうか?
   次回で完結です。
   メッセンジャーボーイズの謎解きをどうぞ最後まで見届けてやってください(^_^)v

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