本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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 兼見が、わざわざ安土にやってきた理由は、ひとつしかあるまい。

 挨拶もそこそこに、話し始めた。

「東宮様より、預かって参った」

 手には巻物が。

 十兵衛は、これを押し戴いて受け取り、解いて目を落とした。

 しばらく目を落としていたが、ぐっと眉間に皺を寄せた。

「子細は分り申したが……、これだけで?」

「麻呂はなかを見ておらぬので、なんとも申せぬ」

 兼見は、眉ひとつ動かさずに答える。

 太若丸と左馬助が、横から書面を覗き込む。

『惟任に、京の検非違使を任じる』

 とのこと。

みやこはいま、惟任殿が起こした騒乱によって、悪人どもが跋扈しており、帝は大変憂慮されておられまする」

「騒乱とは、なにごとですか?」、左馬助が憤慨しながら言った、「騒乱を引き起こしたのは、織田のほうです。天地の理を揺るがし、騒擾せしめる織田を、朝廷に代わって討伐したのは、我らですよ」

「それは分っておるが、現状は例の一件によって都が混乱しておる。それを、帝を含め関白らは憂慮されておるのだ」

「斯様なことになるのは、分り切っていたではないですか。ですから某らが、早く帝より織田家討伐の勅許を頂きたいと申したのですよ」

「惟任殿が、斯くも早く動くとは思わなんだ」

「斯様な言い訳など聞きとうはござらん」

 左馬助の鋭い言葉に、兼見はため息を吐いた。

「明智殿、帝への奏上はときを有する。帝だけでなく、周辺の方々にも話を通さねばならない。それは、惟任殿もご承知のことであろう。それに、公家衆の中には、前右府殿と懇意にしていたものも多く、此度の一件で惟任殿を処断すべきとの声も出始めておる」

「十兵衛を処断? 何故、帝の治世をお守りした十兵衛を処断するか! そんな理があろうか!」

 左馬助の声が響き渡る。

「理など……、どうとでもなる。要は、すべてこちらというわけじゃ」

 兼見は、袖に隠すように右手の親指と人差し指をくっつけて見せた。

「また銭か!」

 左馬助は吐き捨てる。

 十兵衛は苦笑し、

「銭なら、いくらでも出しましょう。ですので、早々に」

 と、幾分強い口調で言った。

「そうは申されても、何事も手順というものが………………」

 これでは堂々巡りだと、八郎が間に入った。

「今更、ここでああだこうだと言い合っても何にもなるまい。こんなことをしているうちに、織田の家臣らも動き出す、毛利や上杉、北条らも好機と見て攻めあがってくるぞ。十兵衛、おぬしが直に都までいって、帝に話をするしかあるまいよ」

 確かに。

「吉田殿、速やかに奏上できるように取り計らっていただきたい」

「だから、それは………………」

 兼見は、困った顔で首を振る。

 兼見も公卿のひとり ―― 前例を大事にするお方だ ―― 異例の事柄の対応は難しいのだろう、それが特に唐突な出来事ことなら。

 なら、こちらも前例に倣うだけ。

 それならば得宗家がそうしたように、大軍をもって禁裏を取り囲んではいかがでしょうか………………と、太若丸は口にした。

 承久合戦の再現である。

「それは良い!」と、左馬助は兼見を睨みつけた、「吉田殿、我ら承久のときのように、何万という兵を持って御所を取り囲んでも宜しいのですぞ」

 と、脅すと、兼見は、「まあ……、やるだけやってみよう」と、頭を掻きかき退出した。

 翌朝、兼見は早くに京へとあがった。

 十兵衛は、大津、瀬田に展開する兵を除いて、全軍に信孝に抑えられた摂津・河内に向うため仕度せよとの令を下す ―— ついでに、その道中で京へ入るのだが。

 そこに秀吉が、昨晩には姫路に入ったとの一報が入る。

「ほう、高松から姫路まで、二日で駆け抜けやがったか」、報せを聞いた八郎は、ひどく驚き笑った、「あいつ、やはりやるつもりだぞ」

「如何にする、十兵衛?」

 左馬助は、眉を寄せて訊ねる。

「いやいや、面白いではないか、織田家のなかで、一番働けるのは羽柴殿と思っておった。やはり、羽柴殿はこちらが思いもつかぬことをやってくれる。きっと、早く某と合流したくて、急いでおるのですよ」

 十兵衛は、まだ秀吉に一縷の望みをかけているようだ。

「しかし、あいつのことだぞ、お前に味方するために急いで戻ってきたとしても、信孝と対面してみろ、どうすると思う?」

 八郎の問いに、十兵衛は首を傾げる。

 秀吉なら………………、信長や信忠に対して、床に額まで擦りつけてこびへつらう姿を思い出すと、きっと信孝にも同じことをするだろう。

「あいつは、権威に弱い。もとは百姓の出だ、庄屋や名主、領主にぺこぺこと頭を下げるのが体に沁みついている。どんなに出世欲があろうが、金銭欲があろうが、権威の前に出てら、体が強張って、平伏しちまうのさ」

 八郎の言葉は、なんとなく分かる。

 太若丸も百姓の出だ。

 力を持つものに頭を下げてしまうのは、宿命みたいなものか?

「某も、百姓の出だぞ?」

 と、十兵衛は反論する、自分は信長という権威に歯向かったと。

「だが、天朝という力を借りようとしている。そこが、おぬしと弾正の似て非なるところだ」

「貶しているのか?」

「褒めているんだよ、天地の理を保つものとして、当然だとな。だが……、世を切り開くものとは、時として天地をひっくり返す覚悟がなければ、務まらないぜ、天も助けてくれまい。おぬしに、その覚悟はあるのか?」

 八郎の問いに、十兵衛はにこりと微笑むだけ。

「羽柴殿が摂津に入る前に、神戸らを抑えるよ」

 河内・摂津への出陣を令した。

「河内・摂津に入る前に、京へと寄っていく。左馬助、安土を頼むぞ」

 十兵衛は、左馬助に脇差を渡した。

「なんじゃ、これは?」

郷義弘ごうよしひろ作の逸品だぞ」

「いや、そうではなく、これでは形見みたいではないか、縁起が悪い」

「そんなつもりはないよ」

 左馬助はなかなか受け取ろうとはしなかったが、最後は押し付けようにして渡した。

「某は、帝より将軍宣下を受け、刀を拝領するからな。腰に、三本も四本も差してはおられんよ」

 ならばと、左馬助はしぶしぶ受け取った。

「十兵衛……、必ず戻ってこいよ」

 左馬助の言葉に、笑って安土をあとにした。
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