本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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「面目ない………………」と、内蔵助が頭を下げた、「弾正どころか、中将の首も見つからず」

 二条や本能寺に僅かな手勢を残し、戻ってきた。

 まだ捜索を続けているらしいが、本能寺は柱の一本も残らず焼失、二条新御所も戦火で焼け落ち、ごろごろと焼け焦げた死体は出てくるが、どれが信忠のものか判然としない。

「大将首が取れず、面目次第もござらん。こうなっては武士の恥、この皺腹かき切って………………」

 伝五がいまにも腹を切りそうなので、庄兵衛が慌てそれを止めた。

「ここでご老体が腹を切られても、何の意味がござろう。まだ、戦ははじまったばかりですぞ」

「し、しかし………………」

「庄兵衛の申す通りですぞ、親父殿」、十兵衛はにこりと笑っていった、「某の天下取りははじまったばかり、これからも親父殿の力が必要でござりまする。死ぬのは、某が征夷大将軍として帝から宣下を受けた後でも遅くはありますまい」

「うむ、そうか……、おぬしがそう申すのなら」

 と、伝五は刀を収めた。

 実際、十兵衛はかなり焦っていた。

 だが、これほど探しても見つからないということは、最早炭になっているということだ。

 これ以上は探索しても無駄、それよりも次の段階 ―― 近江から天下(畿内)周辺を完全に支配下におく策に移った方が良い。

 どうしても信長親子の御首級みしるしを見せろというのならば、

『首など、どうとでもできますからな』

 と、開き直ったようだ。

「それで、次右衛門の様子は?」

「左肩あたりを弾が抜けたが、命に別状はない。知恩院に運び入れて、手当を受けておる」

「それは良かった」

 討ち死にとは、誤報だったようだ。

「しからば、これからは如何にする?」

「堺には、茶屋殿がすでに下った。徳川殿は、このまま三河へと戻り、戦に備えることとなろう。羽柴殿にも使いを送っている、毛利との和睦がなれば、早々に我らに合流する手はずは整っている。長曾我部殿にも、使いを出した」

 内蔵助は、「それは良かった」と頷いた。

「津田(信澄)殿には、大坂をしっかりと守るように使いを送った。西尾(光教)殿にも、大垣城を抑えるように喜兵衛(山田喜兵衛)を遣わした。長岡(細川藤孝)殿、一色(義定)殿、陽舜房殿(筒井順慶)殿にも旗下に参じよと使いを送っておる。左馬助は、すでに安土を抑えに向かった。我らは、これより坂本に戻り、近江一帯を制圧する」

 翌日、十兵衛は大山崎に禁制をだしたのち、鳥羽に幾分かの兵を残し、坂本へと帰陣。

 内蔵助らに、大津、松本、瀬田に陣を展開させた。

 坂本に帰ると、一色義定から味方に付くとの返答があった。

 また、大和の順慶からは、大和衆を大安寺、辰市、東九条、法花寺周辺に展開させたと報せを受けた。

「一色殿と陽舜房殿が味方に付いてくれた、ありがたい。して、長岡殿は?」

 返答は後程と、使いを返したらしい。

 娘の玉子(実際は左馬助の娘)と嫡男忠興が縁を結んでいる ―― 親族の縁で、すぐさま助力につくと思っていたので、これは意外なことであった。

「まあ……、昨日の今日だ、長岡殿も色々と考えることがあろう」

 安土の左馬助からも報せがあった。

 留守居役の蒲生賢秀は、信長の妻子らを近江日野に避難させたが、安土は譲らぬと言っているらしい。

 六月四日、近江全土の地侍に、こちらにつくようにと檄を飛ばし、ほとんどの侍たちが十兵衛の傘下に押し寄せた。

 信長・信忠親子の首級を取れなかったという手違いはあったが、その他はここまで順調だ。

 翌五日、安土を守っていた蒲生賢秀が軍門に下った。

 安土城を受け渡すという。

 それを左馬助の使いから聞いた十兵衛は、取るものもとりあえず、安土へと下り、そのまま入城した。

 安土は、新しい主を迎えたのである。

 十兵衛は、それまで信長が君臨していた上座にすわり、大仰に胸を張った。

「どうですか、太若丸殿?」

 金銀きらきらと輝くなか、天下人となった十兵衛に、惚れ惚れする。

 その隣は吾の席とすわると、

「ここまでの道中、まこと長かった………………」

 と、呟く十兵衛の横顔は、幾分憔悴しているようにも思われた。

 是非もない ―― ここ数日は信長を討つために心身を使い、その首が見つからずにまた心身をすり減らし、次の策へと夜を徹して動き回っていたのだから。

 ここでしばらく休んではと進言したが、

「いや、天下取りにはまだ始まったばかり、ここで休むわけにはきませぬ」

 と、近江の諸将へ味方に付くようにとの文を送った。

 その夕刻、左馬助が慌てて天守閣に上がってきた。

「十兵衛、良からぬ報せじゃ」

「何事か?」

「津田殿が討たれたらしい」

 四国渡海のために大坂に待機していた信澄であったが、信長討伐後に、十兵衛の要請でそのまま大坂を抑えていた。

 それを住吉にいた神戸信孝と蜂屋頼隆、そして惟住(丹羽)長秀らに急襲され、長秀の家臣上田重安(うえだ・しげやす)に討ち取られたとのこと。

 その首は、堺の北の橋に晒されたとか。

「まことか?」

 十兵衛は酷く驚いている。

 娘婿が討たれたのだ、当然だ。

「お陰で、河内一帯の地侍は神戸につくと、専らの噂じゃ。早々に摂津・河内を抑えにゆかねば拙いぞ。わしがゆくか?」

「うむ……、いや、おぬしはこの安土を抑えてもらう役目がある。摂津・河内は……、陽舜房殿に頼む」

 六日も、太若丸は十兵衛の傍にあって、彼の言葉を書面に起こし、各方面へと送ったり、要所要所にご禁制を出すなど忙しく動き回った。

 十兵衛も、左馬助とともに各方面からくる報せを聞き、これに様々な指示を出していた。

 七日、十兵衛と左馬助が、太若丸の点てた茶で一服していると、

「おうおう、もう天下人気どりか?」

 八郎がやってきた。

 本当にこの人は、いつも突然だ。

「頭が高いぞ、八郎」

「ははぁぁぁ……」

 と、八郎は大げさに平伏した。

 十兵衛は、

「表をあげい」

 と、笑った。

「お言葉に甘えて」

「ちょっと一服入れていただけだ、さっきまで色々と命令を出して疲れてな」

「ふむ……、そういえば、老けたか?」

「それはお互い様であろう? どうだ、一杯」

 八郎にも茶を点てた。

「それで、首尾はどうだ?」

「近江は、ほぼほぼ手中に収めた」、左馬助が答えた、「一色殿も、陽舜房殿も味方となり、大丈夫だ。ただ、津田殿が討たれ、摂津・河内が神戸(信孝)殿に靡いたのが痛い」

「それはまずいな、他の家臣らが、あれを担いで親父の弔い合戦などとやられたら、面倒だぞ。北畠はどうなのだ?」

 信長の次男信雄は伊勢松島にいた。

 事変を聞きつけるとすぐさまに鈴鹿峠を越え進軍したが、伊賀衆が不穏な動向を見せたので、甲賀郡土山あたりで止まっているらしい。

 それを聞くと、八郎は笑った。

「伊賀の連中も、先年の仇と、この日を待ちわびていたからな。ちょいと細工をしておいた。これで、北畠の足を釘付けにしてくれよう。越前は?」

 柴田勝家は、六月三日には取り囲んでいた魚津を落とし、居城の北ノ庄に撤収し、上洛する動きを見せているようだ。

「柴田は、敵に回るだろうな。滝川や、河尻は?」

「恐らくは、まだこの一件を知らぬのではないか? だが、敵になろうて」

「こいつらが合流して上洛すれば、面倒だろう。動けないように、手をまわしてやるよ」

「忝い」

 と、左馬助は頭を下げる。

 それにしても、商人とはいろんな人脈があるものだ。

 それとも、八郎独自の人脈か?

 この人、まことに不思議な人だ。

「ところで、味方に付いてくれる徳川殿や羽柴殿はどうじゃ?」

 と、十兵衛が訊ねた。

「松平は、手配通り岡崎に送り届けたぞ」

 家康は、八郎が手配した伊賀者に警固させながら、二日には堺を出て伊賀を超えて伊勢に出、大浜を通って、昨夜には岡崎へと無事帰り着いたようだ。

「それはありがたい」

「ついて早々、陣触れを出したらしいから、まあそのうち動くんじゃないか? 松平が、滝川、河尻らの抑えになってくれればいいがな」

「うむ、まったくだ」

「あと、穴山も始末をつけた」

「それもありがたい」

 木津川の渡し辺りで、落ち武者に襲われた体で、殺したらしい。

 こちらは、万事予定通り。

「藤吉郎も、毛利との和睦をなしたぞ」

 三日には、信長・信忠誅殺の成功を聞きつけていた秀吉は、早く十兵衛らと合流するために、その夜には毛利の安国寺恵瓊あんこくじえけいを呼んで、和睦を詰めたらしい。

 当初は備中・備後・美作・伯耆・出雲の五か国を譲り渡すとの条件で和睦を進めていたが、事が事だけに急がねばならぬと、備中・美作・伯耆の三国だけと、あとは備中高松城の城将である清水宗治の首を条件とした。

 三国は良いとして、忠君宗治の首には、毛利方は難色を示したようだ。

 だが、恵瓊の説得を受け、城兵の助命を条件として、宗治は切腹を承諾したらしい。

 宗治は、白装束に身を纏い、小舟で湖上に進み出ると、そのうえで曲舞を舞ったあと、自刃したらしい。



   浮世をば 今こそ渡れ

     もののふの 名を高松の 苔に残して

   (この世を離れ、いまこそあの世にゆくぞ

     武門の名を、高松の色に褪せぬ苔のように残していくぞ)



 宗治の辞世の歌である。

 宗治の自刃を見届けた秀吉は、急いで動けば、毛利方に変事を悟られ追い打ちをかけられようと、しばらくは悠然と待機し、また備中高松を水攻めにした堰を破って、足守川を溢れさせ、毛利方が渡河して追ってこないようにさせてから、全軍撤収を令したらしい。

 ときに、六日の未の刻(午後二時頃)とのこと。

「あれだけの大軍の大返しだから、京に上るまで十日はかかるだろう」

 左馬助の言葉に、

「そう……とも限らんぞ」

 と、八郎が否定した。

「備中高松から京にあがる山陽道の要所要所に、替えの馬を用意させているらしい。あと、兵たちのための兵糧も仕度しているらしいから、案外早く帰ってくるかもな。先発したものらは、すでに摂津辺りで待機しているらしいからな」

「それは……面白い」

 十兵衛は笑う。

「さらに面白い話も小耳にはさんだ。みやこでは、弾正が生きているという噂が立っておるそうだが、どうも出どころは、藤吉郎かもしれんぞ」

「ほう……、それも面白い」

 と、また笑った。

「よくよく探らせたら、どうやら藤吉郎は、中川(清秀)に福富(秀勝)らの奮戦で弾正親子は無事、近江善ヶ崎に難を逃れたと申しているらしいぞ」

「それは………………」

 左馬助が眉を顰めるが、十兵衛は平然と聞いている。

「毛利方に悟られぬように、味方も欺く策では?」

「だからお前は甘っちょろいんだよ。今まで抑えつけていた要石がなくなったのだ、お前らと同様、この世を揺り動かして、天下をとりにゆきたいと思うのは、あいつも同じ。たとえあいつがその気でなくとも、あいつの周りには、それを唆す連中がおるかなら。気をつけろ、あいつは必ず仕掛けてくる」

 それを聞いても、十兵衛は笑っている。

「天下取りの前に、羽柴と一戦交えねばならぬかのう?」

 左馬助は、少々不安そうだ。

「まだ、裏切るとは限らぬが……まあ、羽柴殿が、某の傘下に喜んで入るなどとは、毛頭思っておらんよ。やるなら、早いうちにやる! 羽柴殿がその気なら、京には入れさせぬ、軍勢が整わないうちに、摂津辺りで叩き潰す」

「お前がその覚悟なら、それでいい。だが、どうしても羽柴を傘下に入れたいのならば、早めに将軍の宣下を受けた方がいいぞ」

「それならば………………」

 そこに、京より公家衆の吉田兼見がやってきたという。

「噂をすれば、ほら」
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